穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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歴史

権現様と福澤諭吉 ―先生、三方ヶ原を説く―

まさか旧幕臣の自意識が、この男の脳内に片鱗たりとてあったわけでもなかろうが――。 とまれかくまれ、福澤諭吉は家康につき、よく触れる。 それも大抵、好意的な書き方である。 ある場面では「古今無比の英雄」と褒めそやしさえしたものだ。権現様が基礎固め…

昇進お断わり ―日本の場合、イギリスの場合―

三井物産は日本最初の総合商社だ。 海外への進出も、当然とりわけ早かった。 明治十二年にはもう、英国首府はロンドンに支店を開いてのけている。 大久保利通が紀尾井坂にて暗殺された翌年だ。まずまず老舗といっていい。その歴史あるロンドン支局に、これま…

狂信者、徳川家光

家光は信仰の持ち主だった。 しかして彼の熱心は、アマテラスにもシャカにも向かず。 高天原の如何な神、十万億土のどんな仏にもいや増して、東照大権現・神君徳川家康をこそ対象としたものだった。 まあ、この三代将軍の、因って来たるところを見れば無理も…

法度は法度 ―駿府城の開かぬ門―

将軍職を息子に譲り、駿府に退いた家康は、隠棲するなり居城の門の開閉に口やかましい規則をつけた。 曰く、夜間の開閉は、如何な理由があろうとも一切罷りならぬなり、と。 この新法で迷惑したのが村越茂助だ。 (Wikipediaより、駿府城巽櫓) 茂助、ある日…

欲界の覇者・蛇足篇

いったん海に出た以上、手ぶらじゃ港にゃ戻れねえ――。 額の上にねじり鉢巻きでも結んでそうな、そういう頑固な漁師気質は、どうも日本の独占物ではないらしい。 アメリカでもそうだった。 少なくとも十九世紀、ニューイングランドの諸港に集った、捕鯨船団の…

欲界の覇者

富に対する、まるで猛火のような情熱、人の欲念の果てしも(・・・・)なさ(・・)を感じたければ、十九世紀アラスカの方を視ればいい。 一八六八年――この「冷蔵庫」を合衆国が買収したつぎのとし。ヤンキーどもは早速やった(・・・)。プリビロフ諸島に乗…

人的資源本格派

タタールのくびきが叩き込まれるより以前。キエフこそがロシア民族――スラブ人らの本拠であった。 九、十、十一の約三世紀の期間に亙りこの街は、奴隷の国外輸出によって経済上の繁栄を得た。 人を攫って売り飛ばすのが、彼らの主要産業(・・)だった。 (Wi…

禍津風前後 ―続・世界帝国プレリュード―

十四世紀、人類はペイルライダーの降臨を見た。 黒死病の流行である。 ヨーロッパの天地では、どう控えめに測っても総人口の四分の一が死滅した。 (Wikipediaより、黙示の四騎士) イギリスは島国、欧州大陸本土とは地面で繋がってはいない。 ドーバー海峡…

富を集めよ、この島に ―世界帝国プレリュード―

七つの海を支配した超大国イギリスも、中世頃にはずいぶん惨めなものだった。 この国の対外貿易は――島国であるにも拘らず――、ほとんど全部が外国商人どもの手に落ちていたといっていい。 ハンザ同盟、ヴェニスの商人――そのあたりの連中が大あぐらをかいてい…

追憶は戻らず

日露戦争期間中、旅順閉塞の試みは三度にわたって展開された。 明治三十七年二月十八日が第一回目の決行日。民間より、都合五隻の老朽船を買い上げて、指定座標でこれを沈没、その残骸で旅順港を通行不能に――物理的に封鎖してしまう算段である。 その日に先…

食肉はいやだ ―軍馬始末覚書―

馬肉禁食会の発起は明治三十九年になる。 越前福井の有力者、亀谷伊助が立ち上げ人だ。 志(ココロザシ)自体は正当だった。 高潔とすらいっていい。日露戦争遂行のため、日本全国津々浦々から動員された軍馬たち。のべ十七万頭以上に及ぶ、乃木希典の言葉を…

遼陽にて ―あるユダヤ人の日露戦争―

黒っぽいものを歩哨が見つけた。 明治三十七年九月中旬、当節遼陽大鉄橋と通称された構造体の下である。歩哨の所属は、むろん日本陸軍だ。遼陽会戦が決着してから二週間ほど経っている。一帯の勢力図はまず以って、皇軍の色になっている。 (Wikipediaより、…

報道は熱し ―明治の重大事件二種―

にわかに帝都を聳動せしめた白昼の異変。明治三十五年十二月十日、田中正造、天皇陛下に直訴の件を、翌日の『読売新聞』報じて曰く、 天に訴へ地に訴へ社会に訴へ議会に訴へ法廷に訴へ請願となり陳情となり演説となり奔走となり運動となり大挙となり拘引とな…

山本さんちのゴンべどん ―ある薩人の影を追う―

「上方で戦(いくさ)の形勢じゃ」 兵力が要る、我はと思う者やある、居れば疾く疾く名乗り出よ――。 慶応三年、薩摩にて、こんな「お達し」のあった際。加治屋町の貧乏藩士、山本家からは四兄弟中、二人までが飛び出した。 長男盛英は御小姓役を務めていたた…

露人の見た韓国の原風景

戦争も商売も、成否は「諜報」の一点に在る。 「密偵に費やす金は最も巧みに運用されたる金である。政府がこれを支出するに吝かなるは、怠慢の極致と評すべし」――不朽の名著『外交談判法』中で、フランソワ・ド・カリエールは斯く述べた。 「復讐は武士の大…

ドイツとエビオス ―代用食を振り返る―

人類最初の世界大戦、酣なる時分のはなし。 英国下層の労働者らが雑穀入りの黒パンに、まずいまずいと不平不満をこぼしている一方で。 帝政ドイツは鮮血を代用パンの生地に練り込み、まずいどころの騒ぎではない、ある種ゲテモノを開発し、心ならずも人の舌…

気負い立つ明治

気宇壮大は明治人の特徴である。 新興国のらしさ(・・・)とでも観るべきか。 乃公出でずんば蒼生を如何せん、俺こそこの先、日本を担う漢なりとの熱血が、国土に遍く漲っていた。 こういう例がある。 二十年代半ばごろ、さる地方都市の一学校を特に選んで…

鐵の徒花

角銭こそは天明の飢饉の遺子である。 人心も、治安も、経済も――あの空前の凶作以来、すべてが堕ちた。 東北地方、特に津軽のあたりでは、野良着姿の百姓までが、蔬菜の出来を語るのと何も変わらぬ顔つきで、 「老人の肉、死人の肉は不味くてかなわん。ぱさぱ…

歳末雑話 ―追いつけ、追い越せ、進み続けよ、どこまでも―

ふと気になった。日本国の風景に自動販売機が溶け込んだのは、いったい何時頃からだろう? 楚人冠の紀行文を捲っていたら、 …チョコレートの自動販売機があるので、これへ十銭投(ほふ)りこんだが、器械が故障で、チョコレートは出ない。 こういう条(くだ…

同愛会夜話 ―内鮮融和のむなしさよ―

同愛会は朝鮮人団体である。 墨田区本所に本部があった。 大正十五年師走のある日、大きな荷物を携えた日本人青年が、この同愛会本部を訪れている。 どういうアポも、紹介状の用意もない。一見の客の脈絡のない訪問である。疑惑の視線を隠そうともせぬ受付に…

満蒙劫掠、敗垣断礎 ―北狄露鷲の本領発揮―

文明 対 野蛮。 ヨーロッパ 対 アジア。 キリスト教徒 対 仏教徒。 一九〇四年二月に幕が上がった大戦争の性質を、ロシア政府はそんな具合に位置付けようと努力した。新聞も挙って書き立てた。これは国際法を重んじず、卑劣千万な先制攻撃をいけしゃあしゃあ…

明治の理想 ―日露戦争うらばなし―

一九〇四年秋、遼陽会戦すぎしあと。 主戦場たる満洲から遠ざかり、ロシア本土へ向かわんとする病院列車で、このような会話が交わされた。 「あんたは日本人を何人殺した?」「三人だ」 質問者は軍医であり、答えたのはコサック騎兵の一員である。 雑談は更…

明治六年、正月一揆 ―「人生最悪の三が日」―

多くの大分市民にとって明治六年という年は、銃声と共にはじまった。 一揆のせいだ。 菊治たらいう湯の平在(ざい)の百姓が音頭をとって不平分子を糾合し、どっと押し寄せ、阿鼻叫喚の巷を現出。街を荒らしに荒らしたのである。 (大分港) この連中が目の…

青年犬養、老境木堂 ―「出鱈目は書の極意也」―

「この命知らずの大馬鹿者め!」 戦場から生還した教え子に、師は特大の雷を落とした。 教師の名は福澤諭吉。 生徒は犬養毅であった。 (犬養毅) 明治十年、西南の地に戦の火蓋が切られるや、新聞各社はほとんど競うようにして自慢の記者を現地に派遣、刺激…

お国の大事だ、金を出せ ―債鬼・後藤象二郎―

新政府には金(カネ)がない。 草創期も草創期、成立直後の現実だった。 およそ天地の狭間に於いて、これほどみじめなことがあろうか。国家の舵を握る機関が無一文に等しいなどと、羽を毟られた鶏よりもなおひどい。まったく諷してやる気も起きないみすぼら…

勲を立てよ若駒よ ―軍馬補充五十年―

ドイツ、百十五万五千頭。 ロシア、百二十万一千頭。 イギリス、七十六万八千頭。 フランス、九十万頭。 イタリア、三十六万六千頭。 アメリカ、二十七万頭。 以上の数字は各国が、第一次世界大戦に於いて投入したる馬匹の数だ。 合わせてざっと四百六十六万…

ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ―ムッソリーニ1939―

ムッソリーニは本気であった。 周囲がちょっとヒクぐらい、万国博に賭けていた。 一九三九年、サンフランシスコで開催予定のこの祭典に、ドゥーチェは己が領土たるイタリア半島が誇る美を、あらん限り注入しようと努力した。 フィレンツェ市所蔵、ボッティチ…

続・外から視た日本人 ―『モンタヌス日本誌』私的撰集―

ジャン・クラッセは日本に関する大著を編んだ。 しかしながら彼自身は、生涯日本の土を踏んだことはなかったらしい。 かつて布教に訪れたスペイン・ポルトガル両国の宣教師たち、彼らの残した膨大な年報・日誌・紀行文等を材料に、『日本西教史』を完成させ…

外から視た日本人 ―『日本西教史』私的撰集―

極東に浮かぶ島国という、地理的事情が無性に浪漫を掻き立てるのか。ヨーロッパの天地に於いて日本国とは永いこと、半ば異界めくような興味と好奇の対象だった。 需要に応える格好で、近代以前、西洋人によって編まれた日本の事情を伝える書物は数多い。 『…

日本民家園探訪記

驚いた。 川崎に、押しも押されぬ首都圏に、人口百四十五万の都市に、 まさかこんな和やかな、藁ぶき屋根の家並みがあるとは。 意外千万そのものである。 ここは日本民家園、生田緑地の一角を占める「古民家の野外博物館」。北は奥州・岩手から南は鹿児島・…