穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

魚肉の恩 ―『どぜう文庫』と『鮭卵』―

どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。 投げ込み先は東京商大、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月…

理屈生産、机上の遊戯

まだ日露戦争が起こる前、すなわち明治の中葉期。東京の名所・旧跡は、多く富者の私有であった。 御殿山の桜林は山尾子爵の、 品川海晏寺は岩倉家の、 関口芭蕉庵は田中子爵の、 まだまだ他にも、向島小松島遊園なぞも――とかくそれぞれ有力者らの掌中に帰し…

光栄ですぞや勅使様

明治三十年である。 大蔵省の役人が、関西へと赴いた。 現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。 (Wikipediaより、初代大蔵省庁舎) なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「勅使河原(…

嵐の前の名士たち

音頭役が菊池寛である所為か。 昭和六年開幕早々、文芸春秋社に於いて催された新春記念座談会の雰囲気は、明らかに暴走気味だった。 (Wikipediaより、株式会社文芸春秋) 出席者らのテンションはヒートアップの一途をたどり、鎮静の気(ケ)がまるで見えな…

幼心と罪の味

新学期が開始(はじ)まった。 まずは何にも先だって、級長を決定(き)めなければならぬ。 従来ならば指名制でカタがつく。担任教師が「これは」と思う生徒を選び、諾と言わせるだけであったが――。昭和八年、秋田県平鹿郡十文字町尋常高等小学校にては、少…

アカの犬

地獄の、悪夢の、絶望の、シベリア捕虜収容所でも朗らかさを失わぬ独軍兵士は以前に書いた。「我神と共にあり」と刻み込まれたバックルを身に着けお守り代わりとし、軍歌を高唱、整々として組織的統制をよく保ち、アカの邪悪な分断策にも決して毒されなかっ…

マイト夜話 ―ニトロとアルコールの出逢い―

酒の肴に工夫らは、ダイナマイトを嗜んだ。 その頃の鉄道省の調査記録を紐解けば、明らかになる事実であった。 「その頃」とは大正後期、日本に於いても津々浦々でトンネル工事が盛んになってきた時分。 掘削作業の能率を飛躍的に高めた発破、それを為すため…

堂々めぐり、暑い日に

清澤洌は円安ドル高を憂いている。 あるいはもっと嫋々と、嘆きと表現するべきか。 昭和十三年度の外遊、十ヶ月前後の範囲に於いて、何が辛かったかといっても手持ちの円をドルに両替した日ほど消沈した例(ためし)はないと。 「…僕等にとっては千円といふ…

トリコロールは不安定

フランスは難治の国なのか? 短命政権の連続に、しばしば暴徒と化す市民。 彼の地の政情不安については明治期既に名が高く、陸羯南の『日本』新聞社説にも、 ――仏人は最も人心の急激なる所、近二十一年間に内閣の交迭せる、前後二十八回の多きに及ぶ。 この…

志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―

外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。 明治政府もそうだった。 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して…

南洋に夢を託して

小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。 九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パ…

遊廓に 乳飲み児連れて 登楼る馬鹿

女房に先立たれてから後のこと。 文人・武野藤介は彼女の遺した乳飲み児をシッカと胸に抱きかかえ、遊里にあそぶを常とした。 誤字ではない。 遊里である。 (島原大門) 金を払って美人とたわむれる場所だ。 そこへ赤子連れで行く。 「こうすると芸妓(おん…

愛欲地獄

「未亡人が喪服を着ている時ほど色っぽいものはありません」――マルキ・ド・サドはよくよく真理を衝いている。獣欲の虜となった野郎とは、ことほど左様に見境のない生き物だ。修道服でも喪服でも、彼らの眼にはただの単なるコスチューム、より一層の興奮を煽…

完成された日本人

「印度海の暑とて日本の暑中よりも厳きことはなけれども、夜昼ともに同じ暑さにて、日本に居るときの如く、朝夕夜中の冷気に休息することの出来ざるゆへに、格別難渋なり」。いやいや先生、日本の夏も熱帯的になり申したぜ。ここ何年かは夜の夜中も熱気がこ…

日本の眠りが覚めた街

心に兆すところあり、浦賀を歩くことにした。 駅から出て暫くは、目前の大路、浦賀通りに添い、進む。左手側の空間を浦賀ドックの巨大な壁が圧している道だった。 ドックの壁にはこのように、 浦賀の歴史を象徴的に描き上げた看板が、幾つか掲げられていた。…