穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

2023-01-01から1年間の記事一覧

言葉は霊だ ―国字尊重の弁士たち―

『雄弁と文章』『新雄弁道』『勧誘と処世』『交渉応対 座談術』――。 神保町を駈けずり廻り、購(あがな)い積んだ大日本帝国時代の演説指南書。 甚だしく日焼けして甘い香りすら仄かに漂うページを捲り、ざっと通読した限り。どの「流派」にも等しく伝わる「…

黄河にて

日本に於いて黄砂が観測されるのは、三月から五月にかけてが通常であり、わけてもだいたい四月を目処にピークがやってくるという。 が、それはあくまで海を隔てた、この島国に限った常識(はなし)。 黄砂の供給源である大陸本土に至っては、だいぶ事情を異…

あゝ満鉄

日高明義は満鉄社員だ。 実に筆まめな男でもある。 連日連夜、どれほど多忙な業務の中に在ろうとも、僅かな時間の隙間を見つけて日記に心象(こころ)を綴り続けた。 それは昭和十二年七月七日、盧溝橋に銃声木霊し、大陸全土が戦火の坩堝と化して以降も変わ…

甲州人よ、何処へゆく

この程度の記事、いつもなら、一回読んだらそれっきり、ここに取り上げるまでもなく、記憶の隅に放置だが――。 同郷の不始末とあってはそうもいくまい。一定の注意を払う必要がある。明治十一年一月十一日の『朝野新聞』に、それは掲載されている。 通三丁目…

意外録

原書に触れろと、大学で教授に訓戒された。 『古事記』でも『徒然草』でも『五輪書』でもなんでもいい。教科書で名ばかり暗記して知った気になっている名著、学生の身である内に、それらを可能な限り読め。自分の瞳と感性で、独立の評価を樹(た)ててみろ、…

第二次大戦ひろい読み

一九四一年、レンドリース法、議会を通過。 この一報が電波に乗って日本国に伝わるや、日頃「米国通」を以って任ずる一部の言論人たちに、尋常ならざる波紋が起きた。 震撼したといっていい。 就中、鶴見祐輔に至っては、同年五月に寄稿した「ルーズヴェルト…

ひいばあちゃんの知恵袋・後編

頭は冷えた。 再開しよう。 〇鋸屑(おがくず)を濡らして固く搾り、箱に入れて、伊勢海老をその中に埋め、暗いところにおくと、一週間くらゐは、生きたまま保たせることができます。新年など、かうしておくと重宝です。 冷蔵技術の未熟な時代の工夫であった…

ひいばあちゃんの知恵袋・前編

――ランプの輝度を上げるには。 「最も純粋の固いパラフィン二分と、純粋の鯨蝋一分と混じ、此混和物を石油に加へて使用すれば、消費量を増さずして、著しく光量を増すの効能があります、さうして此の混和物〇、三グラムは〇、五リットル容れのランプに於て、…

軍人直話 ―「いこかウラジオ、かえろかロシア、ここが思案のインド洋」―

日露戦争の期間を通し、大阪毎日新聞はかなり特ダネに恵まれた。どうもそういう印象がある。 一頭地を抜く、と言うべきか。 例の手帳はもちろんのこと、海軍にその人ありと謳われた不世出の作戦家、秋山真之参謀相手にインタビューを試みて、 ――ここが思案の…

満洲移民五十万 ―第二次日露戦への備え―

児玉源太郎の訓示を見つけた。 あるいはその草稿か。 南満洲鉄道会社創立委員長として、同社の使命――大袈裟に言えばレゾンデートルとは何か、杭でも叩き込むような力強さで定義づけたものである。 蓋し味わう価値がある。 (Wikipediaより、児玉源太郎) 「…

続・大正科学男ども

――これからの時代、産業発展の鍵となるのは合理化だ。 大河内正敏がその信念に到達したのは、明治の末期、私費で挑んだドイツ・オーストリア留学が寄与するところ大という。 本人の口から語られている、 「工業用アルコールの値段ひとつ比較してもわかること…

墓標めぐり ― “Respice post te, mortalem te esse memento.” ―

九歳の少年が絞首刑に処せられた。 一八三三年、イギリスに於ける沙汰である。 罪は窃盗。よその家の窓を割り、保管されていたペンキを奪(と)った。 被害総額、当時の価格でおよそ二ペンス。たった二ペンスの報いのために、前途にきっと待っていたろう何十…

大正科学男ども

「なんでそんなことしたんだアンタ」と訊かれれば、「したかったから」という以外、どんな答えも返せない。 つまりは好奇の狂熱である。 研究者にとり、なにより大事な資質であろう。 (フリーゲーム『ツキメテ』より) 沢村真は納豆菌の発見者だ。練れば練…

凍てついた山陽鉄道

工事が停止(とま)った。 明治二十年代半ば、それまで順調に推移していた山陽鉄道の建設は、しかしながら最後の最後、広島・馬関(下関)の百マイル余を繋ぐ段にて、にわかに凍結させられた。 大詰めで「待った」が入ったのである。 いつもいつも、 ――ほん…

三島由紀夫と英国紳士 ―「優しさ」の正体への私見―

前々から準備されていたのであろう。 一九三九年九月三日、ネヴィル・チェンバレン首相によって対独宣戦布告が為され、イギリスが戦争に突入すると、さっそく新聞紙面には、 「婚約中の応召者に告ぐ」 などと云う、妙な記事が出現(あらわ)れた。 (これは…

権現様と福澤諭吉 ―先生、三方ヶ原を説く―

まさか旧幕臣の自意識が、この男の脳内に片鱗たりとてあったわけでもなかろうが――。 とまれかくまれ、福澤諭吉は家康につき、よく触れる。 それも大抵、好意的な書き方である。 ある場面では「古今無比の英雄」と褒めそやしさえしたものだ。権現様が基礎固め…

大目出鯛の戸沢どの

佐竹がやってくる以前、羽州北浦――田沢湖附近一帯を治めていたのは丸に輪貫九曜紋、戸沢の一族こそだった。 (Wikipediaより、丸に輪貫九曜紋) 石高、四万五千石。評判はいい。善政を敷いていたらしい。 百姓どもと領主の距離も近かった。戸沢の殿が田沢湖…

【閲覧注意】 マゴットセラピー ver.1945

日本に於けるマゴットセラピーの濫觴は、実は二〇〇四年にあらずして、一九四五年にまで遡り得る。 そう、大東亜戦争末期のころだ。 亀谷敬三医学博士が機銃掃射を浴びた患者の治療に用いて、めざましい成果を挙げている。 (Wikipediaより、P-51Bへの弾薬補…

町工場の神頼み ―「科学と霊魂の興味ある一致」―

工場ではよく人が死ぬ。 電気を貪り喰らいつつ、ひっきりなしに駆動する金属の森の只中で、有機体はあまりに脆い。 注意一秒・怪我一生、刹那の油断が命取り。指が飛んだり皮膚が溶けたり、そんなことはしょっちゅうだ。それだから昔の町工場は、よく敷地内…

大陸浪人かく語りき

大陸浪人多しといえど、およそ須藤理助ほど著名な志士も稀だろう。 彼がその種の活動に手を染めだした契機(きっかけ)は、明治三十七、八年の日露戦争に見出せる。 「皇国の興廃この一戦にあり」。国運を賭したかの戦役に、陸軍軍医中尉として参加していた…

花咲く布袋

大正九年から十年にかけ、布袋竹の一斉開花と枯死が来た。 この「一斉」の二文字を、どうかそのまま受け取って欲しい。 現象が確認されたのは、福島、新潟、長野、山梨、神奈川、東京、栃木、茨城、群馬、千葉、愛知、岐阜、兵庫、大阪、奈良、京都、香川、…

竹、甘い竹 ― Tabaschir あるいは Tabasheer ―

ある種の竹はその節に、甘味を蓄積するらしい。 本多静六が書いている。 この筆まめな林学士、日本に於ける「公園の父」とも渾名される人物は、人生のどこかで台湾を、――それも高雄や基隆の如き都市部に限らず草深い地方をも歩き、その生活を字面通り支える…

今昔神保町

無性に神田に行きたくなった。 一枚の写真が契機(きっかけ)である。 これが即ちその「一枚」だ。 いちばん手前の屋号に注目して欲しい。 右から左へ、流れるような草書の文字は、「大雲堂書店」と読める。 ある種のビブリオマニアなら、この時点でもうピン…

昇進お断わり ―日本の場合、イギリスの場合―

三井物産は日本最初の総合商社だ。 海外への進出も、当然とりわけ早かった。 明治十二年にはもう、英国首府はロンドンに支店を開いてのけている。 大久保利通が紀尾井坂にて暗殺された翌年だ。まずまず老舗といっていい。その歴史あるロンドン支局に、これま…

狂信者、徳川家光

家光は信仰の持ち主だった。 しかして彼の熱心は、アマテラスにもシャカにも向かず。 高天原の如何な神、十万億土のどんな仏にもいや増して、東照大権現・神君徳川家康をこそ対象としたものだった。 まあ、この三代将軍の、因って来たるところを見れば無理も…

林業衰退プレリュード ―萌芽は既に大正に―

大正後期、安価なるアメリカ製の木材が、怒涛の如く日本国へ押し寄せた。 数字に徴して明らかである。 大正九年はものの八十七万石に過ぎなかった代物が、 翌十年には一躍して三百三十六万石、四倍弱を記録しており、 大正十一年ともなると、七月末で既にも…

法度は法度 ―駿府城の開かぬ門―

将軍職を息子に譲り、駿府に退いた家康は、隠棲するなり居城の門の開閉に口やかましい規則をつけた。 曰く、夜間の開閉は、如何な理由があろうとも一切罷りならぬなり、と。 この新法で迷惑したのが村越茂助だ。 (Wikipediaより、駿府城巽櫓) 茂助、ある日…

動物愛護先駆譚 ―松井茂という男―

明治・大正の日本にも、動物愛護の動きはあった。 特に高名な旗頭として、松井茂・小河滋次郎の両法学士が挙げられる。 わけても前者は「動物を虐待して平然たる者は人間に対しても残虐を敢えてして平然たる者」「動物虐待を見過ごす社会は問題児を大量生産…

サイケデリック・ホライズン ―トリップする未開民族―

大正時代の人間が、いったいどうして、どうやって、どんな経路でこんな知識を仕入れたのだろう。 度々思うが、今回のはひとしお(・・・・)である。 クスリに関することどもだ。 もちろん「麻」のつく方である。 柴田桂太が書いていた、ベニテングダケでト…

教室で学ぶ社会性

明治の終わりも近いころ。東京高等師範学校附属小学校尋常科にて、とある教師が生徒の知識を試すべく、こんな問いを投げかけた。 曰く、 「地球上で一番大きな魚は何か、諸君は答えられるかね」 たちまち挙手するやつがいる。 指名されるなり黄色い声を張り…