ベーリング海は魚族の宝庫だ。
汽船どころか帆船時代に於いてさえ、四十五万三千三百五十六匹の鱈を獲った船がある。
彼女の名前――どういう次第か、フネは往々、女性人格を附与される――は、ソフィ・クリステンセン号。総計五ヶ月、出漁しての成果であった。
鱈一匹の重量を650gと仮定し、換算式にぶち込むと、この漁獲量は295tに当たる。
最近の漁船、たとえばアラスカ・オーシャン号は一回網を打つだけで50tの鱈を獲る。
たった三週間の出漁で、5400tもの鱈をベーリング海から掻っ攫うのだ。
シアトルの誇りとして孫子の代まで語り継がれたソフィ・クリステンセン号も、現代人の目で見れば、なんと慎ましいことか。冷厳なる数字の威力、隔世の感にぶちのめされる思いがしよう。
閑話休題。
アラスカ半島の形というのは、これはどう見ても鶴嘴である。
その鶴嘴の尖端よりに、ウンガという島がある。
現在でこそ無人島と化してはいるが、二十世紀中頃までは貯炭場があり、従って、多くの漁船・商船が出入したものだった。
北太平洋の荒れ海に嬲られ尽くした漁師どものささくれだった神経線維を癒すため、ダンスホールがあり、密造酒が貯め置かれ、媚びを含んだ視線を送る女達もたっぷりと――。
港町として典型的な活気を呈していたらしい。
少なくともエドワード・アレンが上陸した一九三〇年代半ばごろには、確実に。
彼の乗った老朽船も、御多分に漏れずこのウンガ港に錨を投げて、ベーリング海を突っ切る準備を整えている。
その間アレンは町をいろいろ、見て回ったというわけだ。
(ウンガ島)
島にはまた、
星条旗の威光を背負い、島で起こる一切を裁量すべく任命された人物が。
正確な肩書きは司法理事官。だが、実際には、彼の
「この理事官は愉快な老人であった。御国の御用を勤めて髪は白くなり、年はとったが、大真面目に命令を出したり、證明をしたり、判事、書記、検屍人、郵便局長、無電技師を一手に引き受けてゐた。市民の中には無粋な奴がゐて、その独り者の老人もまんざら浮いた話がないでもないと言ひ、或る者は、公金を誤魔化してゐるとさへ告げ口をした。
しかし、何処の土地にも疑をもたれる人といふものはあるもので、ましてアラスカのやうに人煙稀薄な土地は、とても人の想像の及ばない所で、巡視する人も稀なのである。大体、北の国のことは余り根掘り葉掘りするものではない」
まるで封建時代の領主のような権力の集中ぶりである。
だが、理事官は、その濫用には走らずに、きっちりしゃっきり、自己を抑制していたらしい。
プロミシュレンニキとは違うのである、隙あらば先住民族の女子供を人質にとり、父や夫を奴隷として働かせ、自分はハーレムに
(アラスカに遺るロシア式教会)
むろんエドワード・アレンの筆は、プロミシュレンニキの行状をも縷々と綴ってのけている。そりゃあそうだ、彼らの事跡を省いてしまえばアラスカ史などまるで骨抜泥鰌の酒漬け同然、掴みどころを失って、なにがなんだかわからない、ひどく気抜けしたモノと化す。
「ウナラスカ島では、シベリアのプロミシュレンニキ、すなはち毛皮泥棒が血腥い光景を演じたものだった。善良な反抗しない住民に惨虐な闘ひをしかけ、毛皮や女を奪ひ、老若男女を問はず虐殺し、結局は雑婚して混血人を作ったのである」
プロミシュレンニキを「狩猟民」と解説した日本人祥瑞専一は、まだしも手心を加えたというか、オブラートに包みまくっていたらしい。
エドワード・アレンは、その点につき容赦ない。「海賊」とか「泥棒」とか、頭ごなしに犯罪者として扱ってゆく。
実際彼らの所業というのは、犯罪としか定義しようのないほどに乱れきったものだった。
「アリューシャン列島の不幸な住民は、ロシア人のために飢饉に堪えなければならなかった。彼らは勇敢であったが好戦的ではなかった。コサックの世にも恐ろしい掠奪を、ぢっと辛抱強く我慢した。親は吾子可愛ゆさに、時によると食物をみんな子供にやって自分は餓えてゐた。こんな風にして、忍耐と不安の生活を続け子供たちを大きくした」
「ロシアの侵入者は、そもそもの始から喧嘩を吹っかけるか、またはそんな手数はとらず、女を奪ふために突如、土人の男を襲撃した。ある時、かうした海賊の中でも一段と兇悪な奴が船中一杯に女を掠ったことがあったが、陸へ上らうとした時、その中で逃げやうとした者は、全部海へ投げ入れられて溺死させられてしまった」
「約二世紀前、ヴィトゥス・ベーリングがアラスカを発見した時は、そのあたり一帯のアウレト族は二万人と算定されたが、惨虐と殺戮の結果、二十世紀の始には千五百人に減ってしまった。そしてこの奴隷化せられた民族は、長い間あまりひどい目に会はされ、苛酷に取扱はれたので、今では一抹の哀愁の影を湛えてゐることが民族的特徴にすらなった」
被虐児を見るの哀れさを、エドワード・アレンも感じたことに違いない。
(Wikipediaより、アウレト族の男女)
こういうことを
絶望どころの騒ぎではない、むごたらし過ぎる現実が、彼らの目を眩ませた――獄吏の中でもいちばん無慈悲でサディスティックな畜生を、菩薩の温容と見紛うほどに。
案の定、ソ連はまんまと日本の足下を見透かして、不可侵条約もなんのその、チリ紙みたくひっちゃぶき、火事泥的に攻めて来た。
愚の骨頂といっていい。万が一にも北海道がアカの魔の手に
(Wikipediaより、占守島の戦い、進軍する日本の戦車部隊)
エドワード・アレンは函館で、カラスの声を聴いている。
「およそこの地球上のどんな所の鴉も、函館の鴉のやうな素晴らしい鳴き方はしない。
その鳴き方は、誠に堂々たる、慎重且決定的なものである。はっきりしてゐて、なめらかで明るく、芸術味があり、自信満々、のびきった鳴声である。あの不愉快な身振りまでが此処では面白い」
流石みごとな注意力、いいところに気がついた。
張りや威厳も宿るというもの、さても至当な評価であった。
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