穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

古書

動物愛護先駆譚 ―松井茂という男―

明治・大正の日本にも、動物愛護の動きはあった。 特に高名な旗頭として、松井茂・小河滋次郎の両法学士が挙げられる。 わけても前者は「動物を虐待して平然たる者は人間に対しても残虐を敢えてして平然たる者」「動物虐待を見過ごす社会は問題児を大量生産…

サイケデリック・ホライズン ―トリップする未開民族―

大正時代の人間が、いったいどうして、どうやって、どんな経路でこんな知識を仕入れたのだろう。 度々思うが、今回のはひとしお(・・・・)である。 クスリに関することどもだ。 もちろん「麻」のつく方である。 柴田桂太が書いていた、ベニテングダケでト…

教室で学ぶ社会性

明治の終わりも近いころ。東京高等師範学校附属小学校尋常科にて、とある教師が生徒の知識を試すべく、こんな問いを投げかけた。 曰く、 「地球上で一番大きな魚は何か、諸君は答えられるかね」 たちまち挙手するやつがいる。 指名されるなり黄色い声を張り…

絶不調 ―ドン底にて呻吟す―

困った。 何も浮かばない。 文章の書き方そのものを忘れてしまったかのようだ。 くしゃみと一緒にありとあらゆるアイディアが、飛沫(しぶき)となって排出された感がある。 花粉の迷惑、極まれり。もはや立派な公害である。解決のため、官民挙げてもっと真…

開花は近し

水戸学はまったく過激一途だ。 掘り下げれば掘り下げるほど、この連中には話が通じぬ――「勤王の志士」を言葉によって説得するなど芋を鰻に変化(かえ)る以上に不可能なこと、夢物語の類であるに違いないとの認識ばかりが深化する。 碩学として聞こえの高い…

欲界の覇者・蛇足篇

いったん海に出た以上、手ぶらじゃ港にゃ戻れねえ――。 額の上にねじり鉢巻きでも結んでそうな、そういう頑固な漁師気質は、どうも日本の独占物ではないらしい。 アメリカでもそうだった。 少なくとも十九世紀、ニューイングランドの諸港に集った、捕鯨船団の…

欲界の覇者

富に対する、まるで猛火のような情熱、人の欲念の果てしも(・・・・)なさ(・・)を感じたければ、十九世紀アラスカの方を視ればいい。 一八六八年――この「冷蔵庫」を合衆国が買収したつぎのとし。ヤンキーどもは早速やった(・・・)。プリビロフ諸島に乗…

人的資源本格派

タタールのくびきが叩き込まれるより以前。キエフこそがロシア民族――スラブ人らの本拠であった。 九、十、十一の約三世紀の期間に亙りこの街は、奴隷の国外輸出によって経済上の繁栄を得た。 人を攫って売り飛ばすのが、彼らの主要産業(・・)だった。 (Wi…

血より生まれよ ―屠殺と肥料―

むかし、豚の解体を観た。 直接ではない。ブラウン管のテレビ画面を通してだ。中学生の頃であったか、道徳の時間にドキュメンタリーを流したのである。 ドイツ某所で平和に生きるありきたりな家族らが、飼育していた豚を潰して食糧に――生命(いのち)を物体…

1901年のバイオハザード ―吸血生物、水道水に混入す―

「なんだ、おい、くそ、ふざけんじゃねえ、馬鹿野郎――」 結城銀五郎は顔じゅうを口にして叫ばずにはいられなかった。 こんなことがあっていいのか。 水道水にヒルが混ざり込んでいたのだ。 それも一匹や二匹ではない。 ぼたぼた、ぼたぼた――開いた栓からひっ…

禍津風前後 ―続・世界帝国プレリュード―

十四世紀、人類はペイルライダーの降臨を見た。 黒死病の流行である。 ヨーロッパの天地では、どう控えめに測っても総人口の四分の一が死滅した。 (Wikipediaより、黙示の四騎士) イギリスは島国、欧州大陸本土とは地面で繋がってはいない。 ドーバー海峡…

富を集めよ、この島に ―世界帝国プレリュード―

七つの海を支配した超大国イギリスも、中世頃にはずいぶん惨めなものだった。 この国の対外貿易は――島国であるにも拘らず――、ほとんど全部が外国商人どもの手に落ちていたといっていい。 ハンザ同盟、ヴェニスの商人――そのあたりの連中が大あぐらをかいてい…

追憶は戻らず

日露戦争期間中、旅順閉塞の試みは三度にわたって展開された。 明治三十七年二月十八日が第一回目の決行日。民間より、都合五隻の老朽船を買い上げて、指定座標でこれを沈没、その残骸で旅順港を通行不能に――物理的に封鎖してしまう算段である。 その日に先…

十和田湖、三年、二千円

こんな企画を思いつくのは何処の誰(どいつ)であったろう。 少なくとも和井内家の人間ではない。 昭和の初め、結構な数の潜水夫らを駆り催して、十和田の湖底をしきりに浚ったやつがいた。 (十和田湖) 賽銭の回収が目的だった。 そういう習俗があったので…

食肉はいやだ ―軍馬始末覚書―

馬肉禁食会の発起は明治三十九年になる。 越前福井の有力者、亀谷伊助が立ち上げ人だ。 志(ココロザシ)自体は正当だった。 高潔とすらいっていい。日露戦争遂行のため、日本全国津々浦々から動員された軍馬たち。のべ十七万頭以上に及ぶ、乃木希典の言葉を…

遼陽にて ―あるユダヤ人の日露戦争―

黒っぽいものを歩哨が見つけた。 明治三十七年九月中旬、当節遼陽大鉄橋と通称された構造体の下である。歩哨の所属は、むろん日本陸軍だ。遼陽会戦が決着してから二週間ほど経っている。一帯の勢力図はまず以って、皇軍の色になっている。 (Wikipediaより、…

報道は熱し ―明治の重大事件二種―

にわかに帝都を聳動せしめた白昼の異変。明治三十五年十二月十日、田中正造、天皇陛下に直訴の件を、翌日の『読売新聞』報じて曰く、 天に訴へ地に訴へ社会に訴へ議会に訴へ法廷に訴へ請願となり陳情となり演説となり奔走となり運動となり大挙となり拘引とな…

山本さんちのゴンべどん ―ある薩人の影を追う―

「上方で戦(いくさ)の形勢じゃ」 兵力が要る、我はと思う者やある、居れば疾く疾く名乗り出よ――。 慶応三年、薩摩にて、こんな「お達し」のあった際。加治屋町の貧乏藩士、山本家からは四兄弟中、二人までが飛び出した。 長男盛英は御小姓役を務めていたた…

暗殺は易し ―福澤諭吉の護身術―

諜報密偵云々がらみで想起した。 福澤諭吉のことである。 彼の家には忍者屋敷みたような、特殊な仕掛けがあったのを。―― (Wikipediaより、甲賀流忍術屋敷) 順を追って話すとしよう。 彼には敵が多かった。 楠公権助論に象徴される歯に衣着せぬ物言いで、壮…

露人の見た韓国の原風景

戦争も商売も、成否は「諜報」の一点に在る。 「密偵に費やす金は最も巧みに運用されたる金である。政府がこれを支出するに吝かなるは、怠慢の極致と評すべし」――不朽の名著『外交談判法』中で、フランソワ・ド・カリエールは斯く述べた。 「復讐は武士の大…

ドイツとエビオス ―代用食を振り返る―

人類最初の世界大戦、酣なる時分のはなし。 英国下層の労働者らが雑穀入りの黒パンに、まずいまずいと不平不満をこぼしている一方で。 帝政ドイツは鮮血を代用パンの生地に練り込み、まずいどころの騒ぎではない、ある種ゲテモノを開発し、心ならずも人の舌…

五六〇万トンの行方 ―昭和十年、漁獲量―

興味深いデータを見つけた。 戦前、すなわち大日本帝国時代の水産業に纏(まつ)わるものだ。 昭和十年、全国的な漁獲量の総計は、ざっと五六〇万トンに達したという。 ちなみに最近、平成三十年度に於いては四四二万トン。技術の進歩、養殖の拡大、多くの規…

気負い立つ明治

気宇壮大は明治人の特徴である。 新興国のらしさ(・・・)とでも観るべきか。 乃公出でずんば蒼生を如何せん、俺こそこの先、日本を担う漢なりとの熱血が、国土に遍く漲っていた。 こういう例がある。 二十年代半ばごろ、さる地方都市の一学校を特に選んで…

鐵の徒花

角銭こそは天明の飢饉の遺子である。 人心も、治安も、経済も――あの空前の凶作以来、すべてが堕ちた。 東北地方、特に津軽のあたりでは、野良着姿の百姓までが、蔬菜の出来を語るのと何も変わらぬ顔つきで、 「老人の肉、死人の肉は不味くてかなわん。ぱさぱ…

選挙戦夜話

第八回衆議院議員総選挙の中で生まれた小話(こばなし)だ。 時は明治三十六年、有権者への戸別訪問を禁じる法は未だ存在していない。 ごく当然のなりゆきとして、候補に立った誰も彼もがそれ(・・)を戦略に取り入れた。直接国税十円以上、満二十五歳以上…

初夢瑣談 ―二枚貝のクイックブースト―

そのころ越後福島潟に、妙なやつが棲んでいた。 見かけは、まあ、ごく端的な表現で、巨大な二枚貝である。 殻長およそ三~四尺、120㎝にも達したとのことだから、地球最大の二枚貝、オオシャコガイと並べたところで引けは取るまい。威容に於いて、十分伯仲さ…

昭和のアルチュウ ―アルプス中毒患者ども―

狂歌(うた)がある。 あの息子 なんの因果か 山へ行き 昭和のはじめに編まれたらしい。 まるで先を争うように若者どもが山に押し寄せ、次から次へと木の下闇に呑み込まれ、さんざん平地を騒がせたあと変わり果てた姿で発見(みつ)かる。そういう事態が頻発…

歳末雑話 ―追いつけ、追い越せ、進み続けよ、どこまでも―

ふと気になった。日本国の風景に自動販売機が溶け込んだのは、いったい何時頃からだろう? 楚人冠の紀行文を捲っていたら、 …チョコレートの自動販売機があるので、これへ十銭投(ほふ)りこんだが、器械が故障で、チョコレートは出ない。 こういう条(くだ…

同愛会夜話 ―内鮮融和のむなしさよ―

同愛会は朝鮮人団体である。 墨田区本所に本部があった。 大正十五年師走のある日、大きな荷物を携えた日本人青年が、この同愛会本部を訪れている。 どういうアポも、紹介状の用意もない。一見の客の脈絡のない訪問である。疑惑の視線を隠そうともせぬ受付に…

男性特権 ―北緯五十度線を越え―

その日、北緯五十度線は忘れ難い客を迎えた。 北緯五十度線――南樺太と北樺太を分かつ線、すなわち大日本帝国とソヴィエトロシアの境界である。そこへ日本内地から、林学者がやってきた。樹相の若い適当な木を指差して、 「あれはどっちです、日本ですか」 と…