穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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古書

戦の後の女たち

二十世紀、女性の地位の向上は、得てして戦(いくさ)の後に来た。 これは戦争形態が部分(・・)ではなく総力(・・)へ――国家の持てるあらん限りの力を以って戦争目的遂行の一点に傾注するという、狂気の仕組みが齎した当然の作用であるらしい。 (第二次…

我が代表堂々退場す ―1894年、北京ver.―

日清戦争を契機とし、小村寿太郎の勇名は一躍朝野に轟いた。 彼の人生のハイライトとは、ポーツマスの講和会議にあらずして、むしろこっちの方にこそ見出せるのではあるまいか、と。そんな思いを抱かせるほど、英雄的な風貌を備えていたものだった。 (Wikip…

もっと輸血を

どうも昭和六年らしい。 わがくに売血事業の嚆矢は、そのとしの十月、――神無月の下旬にこそ見出せる。 飯島博と平石貞市、両医学博士の主唱によって創立された「日本輸血普及会」が、どうも発端であるようだ。採血量はグラム単位を基準とし、百グラムにつき…

目には目を、偏見には偏見を ―留学生の自衛法―

岡田三郎助の留学当時、パリの街は未だ城壁に囲われていた。 若き洋画家の繊細なる魂に、花の都は文字通り、城郭都市の重厚さで以って臨んだ。 (Wikipediaより、ティエールの城壁) きっとヨーロッパ随一の「芸術の街」で修行中、この異邦人を見舞った刺戟…

抜錨まで ―黒船来航前夜譚―

それは到底、見込みのない挑戦だと思われた。 マシュー・ペリーを司令に置いた艦隊編成の目的が「日本遠航」にあるのだとひとたび公にされるや否や、各新聞社は「すわ特ダネぞ」とこぞってこれを書き立てた。 主に悲観的なニュアンスで、だ。 (フリーゲーム…

すべてがギャンブル ―賭博瑣話―

何にだって賭けられる。天気だろうと、死期であろうと。 ダイスやカードなくしては賭博が出来ないなどというのはあまりに浅い考えだ。窮極、人と人とが居るならば、ギャンブルは成立させられる。 帝政ドイツの盛時には、モルトケの口数に於いてすら、彼の部…

田圃に泳ぐ水禽よ

合鴨を使うという発想は、未だない。 昭和六年、香川県農会が稲田に放った水禽は、これ悉くアヒルであった。 (Wikipediaより、アヒル) 大野村、多肥村、鷺田村、田佐村、十河村、田中村、等――香川・木田の両郡に亙り、およそ二千七百羽の購入斡旋を行って…

敗れたときこそ胸を張れ

なかなか役者だ、床次サンは、床次竹次郎という人は――。 「時局重大な時だ、鈴木、床次と争ってゐる場合ではない、鈴木が総裁になり、又大命が降下した場合、僕は入閣せんでも党務に骨身を入れてやる決心だ、これからが本当に政治をやるのだよ」 総裁選に敗…

おれの葬儀は ―山脇玄は遺言す―

冠婚葬祭の簡略化が口喧しく取り沙汰された時期がある。 大正から昭和にかけて、ちょうどエログロナンセンスの流行と被るぐらいの頃合いだ。 (増上寺霊屋) 自動車が街路を縦横し、 船のボイラーが石炭式から重油式へと移行して、 飛行機の航続可能限界が更…

雅楽洋楽アレンジャー

ざっくばらんに述べるなら、古代ギリシャ音楽の和風アレンジバージョンである。 遙かに遠く、紀元前。地中海にて誕生した旋律を、ほとんど地球の反対側の大和島根の楽器と感性(センス)で新生させる。 刺戟的な試みが、東京、ドイツ大使館の夜会に於いて実…

欲の焦点、色と金

慰謝料をふんだくるのを目的とした離婚訴訟が俄然増加の傾向を示すに至った発端は、大正四年にあるらしい。 皆川美彦が説いている。このとし一月二十六日、大審院にて画期的な判決が出た。 (Wikipediaより、大審院) 実質的な夫婦生活を送っているが、しか…

湿気、鬱屈、アルコール

どうも不調に陥った。 何も書くことが浮かばない。 連日の雨と湿気によって頭の中身が水っぽく、ふやけてしまったかのようだ。 (viprpg『さわやかになるひととき』より) 文章の組み立て方というものを見失っている状態である。こういう場合は下手に抵抗し…

魚肉の恩 ―『どぜう文庫』と『鮭卵』―

どじょう料理の老舗たる、東京浅草駒形屋。そこの御亭主、渡辺助七、あるとき奇特なことをした。 学芸振興の名目で、一万円をぽんと投げだしたのである。 投げ込み先は東京商大、やがて一橋へと至る、旧制官立大学である。時あたかも大正十四年が晩秋、霜月…

理屈生産、机上の遊戯

まだ日露戦争が起こる前、すなわち明治の中葉期。東京の名所・旧跡は、多く富者の私有であった。 御殿山の桜林は山尾子爵の、 品川海晏寺は岩倉家の、 関口芭蕉庵は田中子爵の、 まだまだ他にも、向島小松島遊園なぞも――とかくそれぞれ有力者らの掌中に帰し…

光栄ですぞや勅使様

明治三十年である。 大蔵省の役人が、関西へと赴いた。 現地に於ける銀行業の実態調査。それが出張の名目だった。 (Wikipediaより、初代大蔵省庁舎) なんとも肩の凝りそうな、生硬い話に聞こえよう。ここまでならば確かにそうだ。が、一行中に「勅使河原(…

嵐の前の名士たち

音頭役が菊池寛である所為か。 昭和六年開幕早々、文芸春秋社に於いて催された新春記念座談会の雰囲気は、明らかに暴走気味だった。 (Wikipediaより、株式会社文芸春秋) 出席者らのテンションはヒートアップの一途をたどり、鎮静の気(ケ)がまるで見えな…

幼心と罪の味

新学期が開始(はじ)まった。 まずは何にも先だって、級長を決定(き)めなければならぬ。 従来ならば指名制でカタがつく。担任教師が「これは」と思う生徒を選び、諾と言わせるだけであったが――。昭和八年、秋田県平鹿郡十文字町尋常高等小学校にては、少…

アカの犬

地獄の、悪夢の、絶望の、シベリア捕虜収容所でも朗らかさを失わぬ独軍兵士は以前に書いた。「我神と共にあり」と刻み込まれたバックルを身に着けお守り代わりとし、軍歌を高唱、整々として組織的統制をよく保ち、アカの邪悪な分断策にも決して毒されなかっ…

マイト夜話 ―ニトロとアルコールの出逢い―

酒の肴に工夫らは、ダイナマイトを嗜んだ。 その頃の鉄道省の調査記録を紐解けば、明らかになる事実であった。 「その頃」とは大正後期、日本に於いても津々浦々でトンネル工事が盛んになってきた時分。 掘削作業の能率を飛躍的に高めた発破、それを為すため…

堂々めぐり、暑い日に

清澤洌は円安ドル高を憂いている。 あるいはもっと嫋々と、嘆きと表現するべきか。 昭和十三年度の外遊、十ヶ月前後の範囲に於いて、何が辛かったかといっても手持ちの円をドルに両替した日ほど消沈した例(ためし)はないと。 「…僕等にとっては千円といふ…

トリコロールは不安定

フランスは難治の国なのか? 短命政権の連続に、しばしば暴徒と化す市民。 彼の地の政情不安については明治期既に名が高く、陸羯南の『日本』新聞社説にも、 ――仏人は最も人心の急激なる所、近二十一年間に内閣の交迭せる、前後二十八回の多きに及ぶ。 この…

志士の慷慨 ―不逞外人、跳梁す―

外国人に無用に気兼ねし、何かと腰が低いのは、日本政府の伝統である。 明治政府もそうだった。 昨今取り沙汰されると同様、日本人が相手なら些細なルール違反でもビシバシ取り締まるくせに、外国人の違法行為に対しては、遠慮というか妙な寛大さを発揮して…

南洋に夢を託して

小学校のカリキュラムにも地方色は反映される。 九州鹿児島枕崎といえば即ちカツオ漁。江戸時代に端を発する伝統を、維新、開国、文明開化と時代の刺戟を受けながら、倦まず弛まず発展させて、させ続け。昭和の御代を迎える頃にはフィリピン諸島や遠く南洋パ…

遊廓に 乳飲み児連れて 登楼る馬鹿

女房に先立たれてから後のこと。 文人・武野藤介は彼女の遺した乳飲み児をシッカと胸に抱きかかえ、遊里にあそぶを常とした。 誤字ではない。 遊里である。 (島原大門) 金を払って美人とたわむれる場所だ。 そこへ赤子連れで行く。 「こうすると芸妓(おん…

愛欲地獄

「未亡人が喪服を着ている時ほど色っぽいものはありません」――マルキ・ド・サドはよくよく真理を衝いている。獣欲の虜となった野郎とは、ことほど左様に見境のない生き物だ。修道服でも喪服でも、彼らの眼にはただの単なるコスチューム、より一層の興奮を煽…

完成された日本人

「印度海の暑とて日本の暑中よりも厳きことはなけれども、夜昼ともに同じ暑さにて、日本に居るときの如く、朝夕夜中の冷気に休息することの出来ざるゆへに、格別難渋なり」。いやいや先生、日本の夏も熱帯的になり申したぜ。ここ何年かは夜の夜中も熱気がこ…

日本の眠りが覚めた街

心に兆すところあり、浦賀を歩くことにした。 駅から出て暫くは、目前の大路、浦賀通りに添い、進む。左手側の空間を浦賀ドックの巨大な壁が圧している道だった。 ドックの壁にはこのように、 浦賀の歴史を象徴的に描き上げた看板が、幾つか掲げられていた。…

度し難き一族

「鳩山サンは冷血だ。とかく義理ってもんを欠く」 とは、彼の農地の小作らが、常々こぼした愚痴である。 この場合の鳩山は、憲政史上の恥さらし、生きた日本の汚点そのもの、ルーピー由紀夫にあらざれば、友達の友達がアルカイダのメンバーだった、逝いて久…

諭吉の預言 ―もはや地主は割には合わぬ、避難するなら今のうち―

また福澤が預言的な内容を『時事新報』に書いていた。 「田畑山林を人に貸すは、富人にありながら貧民を相手にして、貧乏人の銭を集めて富豪の庫に納る仕事にして、然かも貧富直接の関係なるが故に、人情として貧人の無理を許さゞるを得ず、之を許さゞれば怨…

リトマス試験紙、徳川氏

一種の「リトマス試験紙」だ。 明治の書物を手に取る場合、著者が旧幕体制を、ひいては徳川家康を、どのように評価していたかにより買うか否かを決めている。後ろ足で砂をかける無礼を犯しちゃいまいな? と、立ち読みしながら常に気を遣うポイントである。 …