穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

古書

天国への直行便 ―エンプレス・オブ・ジャパン号の遭難―

沈没する船の中。日本人は笑顔で酒を酌み交わし、大いに埒を明けていた。 明治三十三年十一月五日の深夜、北緯五十度を上回る、冷え冷えとした北太平洋での一幕である。 船の名前はエンプレス・オブ・ジャパン号。ヴィクトリアの港から、日本へ向けて太平洋…

嗚呼みちのくに電波舞う ―東北ラジオ開局の歌―

奥の細道ラヂオで拓け四方の便りも居ながらに はやて来るよとラヂオの知らせ着けよ船々鹽釜へ さあさ漕げ々々ラヂオで聴いた沖は凪だよ大漁船 仙台局の放送開始を記念して、と『マイク放談』(昭和十年、国米藤吉著)には書いてあるから、おそらく昭和三年六…

実戦本意の弁論部 ―赤門を出た男たち―

鶴見祐輔在籍当時の東京帝大弁論部では、屡々閑孤(かんこ)演説というのをやった。 字面が示すそのままに、極めて少人数を対象とした演説である。 しかしながら会場は普段同様、講堂を――ゆうに千人でも収容可能な広間を使う。 聴衆役は空間を贅沢に使用して…

練習帆船おしょろ丸の奇禍 ―拿捕され続ける日本船―

昭和十二年八月某日、オホーツクの沖合で、一隻の日本漁船が拿捕された。 船は二代目おしょろ丸。函館高等水産学校の練習帆船として十年前に竣工されたものであり、その日も同校の生徒二十名を甲板に乗せ、蟹刺網の操業実習を行っているところであった。 (…

漁師たちの暇潰し ―ハコフグ製のタバコ入れ―

人間とは悲しいまでに文化的ないきものである。 無聊に対する慰めなくして、三日と生きれるものでない。 明治三十七・八年、満洲の曠野に展開し、ロシア軍と血で血を洗う激闘を繰り広げていた日本陸軍にあってさえ、ときおり歌舞伎の興行をやり退屈を紛らわ…

滄海を征く ―「地洋丸」の岡本信男―

船員法の話をしたい。 在りし日の第十二条は、こんな文面であったという。 船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶、又積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船中ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニアラザレバ其ノ指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ズ。 不…

浪漫の所在 ―沈没船プラネット号―

故郷を遥か9000マイル。プラネット号と銘打たれたその船は、1907年以降およそ7年間余に亘って赤道付近の海洋調査に従事した。 船籍は、帝政ドイツのものである。 当時彼らがこの一帯に保有していた植民地――ドイツ領ニューギニア――経営の一環たる施策であった…

人民の 尻を蹴飛ばす 太政官 ―明治初頭の貿易赤字―

前回の補遺として少し書く。 貿易を搾取の変態と見、西洋人を膏血啜りの巨大な蛭種と看做したがる傾向は、日本人の精神風土によほど深く根付いてしまっていたらしく、維新後も暫くなくならなかった。 明治初頭の十五年間におよそ三百五十回ほどの農民一揆が…

「黄金の国」いまいずこ ―なにゆえ国を鎖したか―

三代家光の治世に於いて、徳川幕府は国を鎖した。 南蛮船の入港を禁じ、海外居留の日本人にも帰国を許さず、ただ長崎のみをわずかに開けて、オランダ・支那との通商を、か細いながらも確保した。 動機は専ら、キリスト教の浸潤を防遏するため。幕府の求める…

金子堅太郎かく語りき ―憲法制定の四方山話―

大日本帝国憲法起草の衝に当たった四人の男。 伊藤博文、 井上毅、 伊東巳代治、 そして金子堅太郎。 彼らのうち二人までもが、昭和どころか大正の世を見るまでもなく死んでいる。 まず井上が、肺結核の悪化によって明治二十八年に。 次いで伊藤が、テロリス…

春風駘蕩インフェルノ

春の足音は恐怖でしかない。 花粉が飛散するからである。 涙と洟とあと色々で、顔面がグッチャグチャになるからである。 今日も朝から頭が重い。 ティッシュペーパーの使用量と反比例して磨り減る鼻下の皮膚層が、またぞろ神経をささくれ立たせる。 ああ、ジ…

酩酊小話 ―口噛み・猿酒・古い酒―

あるいは引っ掛け問題として、漢検にでも出題(だ)された例(ためし)があるんじゃないか。 「酒」の部首はサンズイではない。 酉(とり)である。 こいつをパーツに含んだ文字は、大抵酒か、さもなくば発酵製品にかかわりが深い。 酌、酔、酩、酢、酪、醤…

釈迦が中道を説いたワケ ―山上曹源の見たインド―

「釈迦がどうしてあれほどまでに中道の徳を熱弁したか理解した」 斯く述べたのは山上曹源。霊岳を号する曹洞宗の僧であり、学究の才すこぶる厚く、第十三代駒澤大学学長の座に着いた者。 「およそインド人ほどに、両極端に突っ走りたがる民族というのもない…

忘れ難きめしの味

良きにつけ、悪しきにつけ。 めしにまつわる記憶というのは容易に希薄化をゆるさない。 生存に直結する要素だからか、当人自身意外なほどに後を引き、ふとしたはずみで表面化して、そのときの行動を左右する。 たとえば宮崎甚左衛門だ。 のちの文明堂東京社…

友垣、竹垣、えらい餓鬼 ―久保塾時代の伊藤博文―

伊藤博文が師と呼ぶ相手は四人いる。 一人は三隅勘三郎。伊藤の郷里、束荷村の寺子屋師範。八つのときに彼に就き、伊呂波の如き初歩の初歩を教わった。 二人目が久保五郎左衛門。萩の城下で家塾を営んでいた人であり、この久保塾で藤公は、読書や詩文、習字…

長州藩の悪童事情 ―火遊びに耽る伊藤博文―

武士の資質とはなんであろうか。 ほんの座興に死んだり死なせたりできる、ある種の狂気がそう(・・)ならば、伊藤博文は間違いなく生まれついての武士だった。 彼がまだ利助といって、父の破産の不手際により、母方の実家――秋山長左衛門宅に預けられていた…

大戦前夜の工学者 ―地獄の鬼も出でて働け―

我が国に於ける地熱発電の歴史は意外と古く、大正八年早春の候、海軍中将山内万寿治の別府温泉掘削にまで遡り得る。 坊主地獄近辺の地盤を八十尺ほど掘り進み、幸いにも案に違わず盛んな蒸気の噴出を見た。 将来的な化石燃料の枯渇に備え、今のうちから代替…

代替可能な多数の凡人 ―講談社という企業について―

発行部数が百万を超える雑誌なぞ、あの何事も派手にやらねば気の済まぬアメリカならではの現象である。国土も人心もせせこましい大和島根でそんなことを望むのは、はっきりいって痴人の寝言、木に縁って魚を求むるが如き、どだい無理な註文よ。―― そうした引…

「男の世界」に手を伸ばす ―この閉塞から脱却を―

「野間の相手は疲れる」との評判だった。 この「雑誌王」と碁盤を挟むと、とにかく猛然と攻め立ててくる。外交交渉も準備工作もありゃしない。開幕早々、まっしぐらに石をぶつけて、火を噴くような大殺陣に否応なしにもつれ込む。 王よりも、単騎駆けの武者…

ムッソリーニの「独身税」 ―多産国家イタリア―

以下の内容は、あるいは一部フェミニストを激怒させ、血圧の急上昇による気死すら招くものかもしれない。 結婚して家を成し、子供を儲けて血筋を後に伝えることは人間として最低限度の義務であり、且つうはあらゆる幸福の基礎であると規定した国が一世紀前存…

老い知らずなり伊藤博文 ―厳島にて後藤と会す―

治乱誰言有両道修文講武是良漢胸中所盡無他策欲韓山草木蘇生 伊藤博文の詩(うた)である。 明治三十八年、初代韓国統監として実際に彼の地に渡る際、吟じたものであるという。 (Wikipediaより、統監府庁舎) 藤公、このとき六十五歳。 既に還暦を過ぎてい…

タマニー・ホール武勇伝 ―不正選挙の玄人衆―

第五十九回大統領選に関連して、不正選挙だ言論弾圧だ陰謀だとなにやら色々喧(かまびす)しいが、アメリカがロクでもない国なのは、別段今に始まった話ではないだろう。 なんといっても、慈善団体が十年足らずで政治ブローカー集団に早変わりする土地なのだ…

黒川園長、カバを説く ―その生態と肉の味―

明治四十四年二月二十三日、上野動物園に一頭のカバがやって来た。 日本に於けるカバの展示の第一である。 たちまち人気が沸騰した。 (Wikipediaより、カバ) この珍妙な、さりとてどこか愛嬌のあり憎めない外貌(みかけ)を求めて連日客が殺到し、獣舎をぐ…

夢遊病者の殺人事件 ―牧野親成の裁き―

夢遊病者が殺人事件を起こした場合、罪の所在は那辺にありや? 単純かつ剄烈に、彼を殺人者として裁いてよいのか? 江戸時代初期、四代将軍徳川家綱の治世に於いて、この難題を突き付けられた者がいた。 京都所司代、牧野親成その人である。寛延二年に刊行さ…

ハーゲンベックの慈悲深さ ―Human zooの内と外―

黒川義太郎の現役時代。上野動物園の運営は、専らカール・ハーゲンベックの手法に拠るところが大だった。 以前記した大型ネコ類の分娩環境整備など、まさにその好例だろう。 大正十五年の講演で、 ――園内のものは皆んな私の子のやうな感じがする。 と発言す…

江戸時代の強制執行 ―「身代限り」にまつわる法令―

江戸時代の法令というのは発布と実行の間にかなり大きな懸隔があり、これを考慮に入れないと、物事の実像をとんでもなく読み違う。 なにせ、「三日法度」なんて用語までもが罷り通っていたほどだ。 寛政年間の奇談集、『梅翁随筆』にちょうどこの言葉が使わ…

運命からの贈り物 ―「栄螺ト蛤」―

予期せぬ出逢いがまた増えた。 例によって例の如く、古書のページの合間から、はらりと舞い落ちて来たのである。 題名は「栄螺ト蛤」で、左下は「第三学年 木本リツ」と書いてあるように読めないか。 学生の美術の課題だろうか? それにしては完成度がやたら…

「紙漉唄」私的撰集

令和三年の太陽が、二回昇って二度落ちた。 冷たく冴え徹った蒼天に、鮮やかな軌跡を描いていった。 新年の感慨、意気込みの表し方は人それぞれだ。清新の気を筆にふくませ、書初めを嗜む方とて少なからず居るだろう。 故に私も趣向を凝らす。和紙に纏わる詩…

ノンパレール号の挑戦 ―明治初年の海外知識―

明治維新は漢学を、ひいてはその背景をなす漢文明の価値そのものを叩き落とした。 地の底までといっていい。まるで瘧の落ちるが如き容易さで、日本人は「中華」の魅力に不感症になったのだ。 それを象徴する顕著な例が、漢学書籍の投げ売りである。 牧師にし…

読売新聞命名奇譚 ―日就社の苦闘―

日就社が東京芝の琴平町に拠点を移し、新聞事業に手を染めたのは、明治七年十一月二日付けのことだった。 いわゆる読売新聞である。 (Wikipediaより、読売新聞創刊号) いま、私はさりげなく「読売」と書いたが、さてこそこの題字こそ、数多の事前準備の中…