2024-12-01から1ヶ月間の記事一覧
1922年4月某日、ワイマール共和国大蔵大臣の名のもとに、とある税制改革が実行の段と相成った。 他国からの留学生の身の上に関連する税制だ。 思いきり簡約して言うならば、遠い異国で彼らがきちんと「学び」に集中できるよう、その本国より送金される学費あ…
口達者を尊敬する。 およそ人類の所有(も)ち得る中で、言葉に勝る利器は無し。言葉の威力は時間の壁を貫いて、未来に亙り延々と効果を波及し続ける。 その利器を使うに巧緻な手合い──物は言いよう、ああいえば上祐、丸い卵も切り様で四角。弁舌爽やか、口…
本能寺の変の報を受けた際、黒田官兵衛は秀吉に 「これで殿のご武運が開けましたな」 とささやいた。 ビスマルクもまた、社会主義者の手によって皇帝暗殺未遂事件が発生したと告げられて、咄嗟に口を衝いて出た運命的な一言は、 「よし、議会を解散させろ」 …
すべてが齟齬した、としか言いようがない。 「一年前携へて来た三百羽の軍用鳩は本年一月から三回も実戦に応用して居るがシベリアは鷹が多いので折角通信の為めに放った鳩は途中で鷹に捕はれて了ふ」 上の記録は大正九年、ウラジオ派遣軍野戦交通部附として…
東京駅に行ってきた。 ここのところ原敬の謦咳に接する幸運が偶然ながらも重なったため、勢い彼の最期の場所を拝んでおきたくなったのだ。 「停車場なぞといふものは、実用本位で沢山だから、劇場や議院の如く壮麗な建築美を誇る必要はないが、東京駅のみは…
百年前のことである。孫文あるいは孫逸仙を名乗る男の手によって、地獄の扉が開かれた。「連ソ・容共・扶助工農」政策だ。 国民党の勢力強化を目論んで、ソ連と手を結ばんとした。平たく言えばそうなろう。貧すれば鈍す、溺れる者は藁をも掴むと常套句の類い…
中谷徳太郎が気になっている。 明治十九年生まれ、坪内逍遥に師事した文士。 (Wikipediaより、坪内逍遥) 作家としては無名に近い――なんといっても、wikiに記事すらありゃしない――が、随筆なり時事評論なり、そっちの分野に目を転ずれば、なかなか私の好み…
一九一九年、パリ講和会議に日本委員が持ち込んだ「人種差別撤廃提案」と、それが結局、否決に至るまでの間。一連の流れというものは、当時に於いてもかなり注目の的だった。 ほとんど固唾を呑むようにして。──実に多くの日本帝国国民が、その動静を窺ってい…
軍艦の支払いをコーヒー豆ですると言われて、誰が首を縦に振る? 少なくとも日本人には無理だった。 ナイスジョークとその申し出をせめて面白がってやる、ユーモアセンスも生憎と、持ち合わせてはいなかった。 よしんばバーター貿易にしろ、釣り合いが取れて…
明治のいつ頃からだろう。 囚人どもを閉じ込めておく監獄を、囚人自身の手によって作らせるようになったのは──。 図面引きは兎も角として、レンガを焼いたり木を挽き切ったり、鍛冶に左官に石工に、つまり総じて「現場作業」と分類されるお仕事は、囚徒がこ…
気色の悪い夢を見た。 ジャーナリストの身となって、イスラム過激派のテロリストに突撃独占インタビューする夢である。 褐色の皮膚に短く刈った毛髪に、油断なく光る大きな目。如何にも砂漠の戦士でございと言わんばかりの風貌と、机を挟んで向き合っている…
大正六年、折から続く大戦景気は未だ翳りの兆しなく。日に日に新たな成金誕生(うま)れ、儲け話に湧きに湧く、あの御時勢の日本をさる高名な倫理学者が行脚というか視察して、 ──これでいいのか。 と、将来に大なる不安を持った。 学者の名前は渡辺龍聖。 …
落ち葉舞い散る季節になった。 せっかくの紅葉シーズンに書籍と液晶、その二個ばかりに溺れているのも味気ない。 ひどい機会損失を犯してでもいるような、一種異様な罪悪感に襲われて。──気付けば野島公園に居た。 横浜市の最南部、金沢八景の一つたる『野島…
文人どもの嘗て吐露せし感情中に、視力に関する憂いなんぞを発見すると正味ゾッとさせられる。 他人事ではないからだ。 眼球を過剰なまでに使うのは趣味が読書である以上、私自身避けようのない宿命である。 だから怖い。下手なホラーの何百倍もおそろしい。…
本気で理解(わか)っていないのか、全部知ってて素っ惚(とぼ)けてやがるのか。 ちょっと判断に困る事例だ。 ホテル、マンション、アパートが「404」号室を忌み、欠番扱いとするように。 一九二〇年代、フランスの一部列車には「69」を座席番号に使用(つ…