穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

生田春月

酔い痴れしもの

日本土木会社の禄を食む若い衆五名がリンチ被害に遭ったのは、明治二十四年一月二十八日のはなし。「陸軍の街」青山で、その看板に相応しく、兵舎建設作業のために腕を揮っていたところ、突発したる沙汰だった。 (Wikipediaより、青山練兵場) 五人を囲むに…

昭和のアルチュウ ―アルプス中毒患者ども―

狂歌(うた)がある。 あの息子 なんの因果か 山へ行き 昭和のはじめに編まれたらしい。 まるで先を争うように若者どもが山に押し寄せ、次から次へと木の下闇に呑み込まれ、さんざん平地を騒がせたあと変わり果てた姿で発見(みつ)かる。そういう事態が頻発…

日本人と禁酒法 ―「高貴な実験」を眺めた人々―

禁酒論者の言辞はまさに「画餅」の標本そのものである。 一九二〇年一月十七日、合衆国にて「十八番目の改正」が効力を発揮するより以前。清教徒的潔癖さから酔いを齎す飲料を憎み、その廃絶を念願し、日夜運動に余念のなかった人々は、酒がどれほど心と体を…

江尻正一という男 ―日英比較の覚え書き―

イギリス人で時計と聞くと、私の脳にはどうしても、『ジョジョの奇妙な冒険』がまず真っ先に浮上する。 第一部「ファントムブラッド」の序盤も序盤、ジョナサン・ジョースターの懐中時計をディオが勝手に持ち出して、しかのみならずそのことを嫌味ったらしく…

外交官の恩師たち ―夏目漱石、小泉八雲―

笠間杲雄のペンは鋭い。 さえざえとした切り口で、現実を鮮やかにくり抜いてのける。 なにごとかを批評するに際しても、主題へのアプローチに態と迂遠な経路を使う――予防線を十重二十重に張り巡らせる目的で――ような真似はまずしない。劈頭一番、短刀を土手…

至誠一貫 ―終戦の日の愛国者―

昭和二十年八月十五日、玉音放送――。 大日本帝国の弔鐘といっても過言ではない、その御言宣(みことのり)がラジオを通じて伝わったとき。小泉信三は病床に横たわっていた。 せんだっての空襲で体表面をしたたかに焼かれ、ほとんど死の寸前まで追い詰められ…

春月ちぎれちぎれ ―流水・友情・独占欲―

「私は、水の恋人と云ってもいい位、水を眺めるのが好きな性癖があって、橋の上を通るときは、そこから下を流れる水を見下ろさずにはゐられないし、海岸に 彳(たたず)んで、いつまでもいつまでも、束の間の白い波線の閃きを眺めるのが、私は好きであった」…

すべてはよりよき芸術のため ―手段を選ばぬ男たち―

紀元前、文明の都アテネに於いて。 ある彫刻家が裁判所に召喚された。 容疑は、我が子に対する過度の折檻、虐待である。 当日法廷に姿を見せた彫刻家は、妙なものを携えていた。 石像である。 彼自身の新作で、少年が苦悶する有り様を表現したものだった。 …

武藤山治の地獄耳 ―「海老を煮るのは動物虐待」―

人間というのはなんとまあ、一ツところを飽きもせず、堂々巡りばかりしているいきものか。 ロブスターを生きたまま茹でるのは動物虐待、人非人と呼ぶ以外にない言語道断の所業なりと、こう批判する風潮は、べつだん昨日今日に出来上がったものでない。 九十…

無何有の郷は今いずこ ―満鉄社員、アラスカを往く―

『アラスカ日記』を読んでいる。 昭和七年、同地を歩いた満鉄社員、矢部茂による旅行記だ。 戦前といえど、欧米にまつわる紀行文は山とある。 南洋だってそれなり以上の数に及ぼう。 だがアラスカとなると至って稀で、現状私の蔵書に於いてはこの一冊がある…

たまの寄り道 ―椿一郎詩作撰集―

そのころの竹柏会に椿一郎なる人がいた。 千葉県北部――茨城県と境を接する香取郡は米沢村の農家であって、最初の歌集『農人の歌』を出版したとき、すなわち昭和九年の段に於いては、親子五人と馬一頭、それから鶏二十四羽というのがおおよその家族構成であっ…

シュプリューゲンの雪崩決闘 ―岐阜の地震に思うこと―

真っ白な瀑布が山襞を滑り落ちてゆく――。 昨日13時13分、岐阜県飛騨地方深さ10㎞を震源として発生した地震。マグニチュード5.3のエネルギーは隣接する上高地の山体を揺さぶり、数ヶ所に渡って雪が崩れた。 あの映像を見て、ひとつ思い出したことがある。 溯…

正岡子規の妓楼遍歴 ―古島一雄の証言―

正岡子規をして生涯女人に親しまなかった、童貞を貫いた人物だと看做したがる向きが巷間の一部に行われている。マクシミリアン・ロベスピエールとこの明治日本の俳聖を、同じ殿堂に入れたがる動きが。 だがしかし、これは根も葉もなき謬見だ。 (長谷川哲也…

わらべうたに顕れたる幼さゆえの残酷さ ―生田春月の童心論―

蝙蝠こ蝙蝠こ汝(にし)が草履(ぢょうり)はくそ草履俺が草履は金(かね)草履(ぢょうり)欲しけりゃ呉れべえや およそ一世紀前、明治・大正の昔。 鄙びた地方の子供たちは、こう歌いつつ下駄や草履といった履物を蝙蝠めがけて蹴り飛ばしていたという。 歌…

春月による「自然愛」分析

感傷の詩人・生田春月は自然愛の源を大きく二つに分けている。厭離の心と、人間憎悪だ。 厭離の心は、人間憎悪の心では決してない。けれど、自然愛は、人間憎悪の反動である場合もある。例へば、バイロンの如きである。そして、西洋の詩人には、この方がむし…

生死の境の陶酔の味

血を抜いた。 およそ三ヶ月ぶりの、400mL全血献血。 体内から一気に血が失われると、なにやら得も言われぬいい気分になる。 戦場で重傷を負った兵士が、ときにその意識を蕩けさせ、恍惚のあまりあらぬことを口走ったりするのは軍記物等でまま見かける描写で…

転向者、生田春月

戦前、この国では共産主義からの転向者を五つのグループに分けていた。 一、心の底から共産主義を見限って、その対極たる国家主義運動にまで跳ね飛ぶ者。 二、共産主義に幻滅を感じ、或いは入獄の苦痛に堪えかねて共産主義に疑いを持ち、その結果世の中を暗…

迷信百科 ―自殺奨励―

人間は容易に死ねない。死ねない代わりに卑しくなる。私は自殺を罪悪視し、自殺者を非議する人に賛成する事が出来ない。我々が社会の一構成分子として、自殺者の行為によって、暗黙の間に、自己を難ぜられたやうな気のすることは事実だ。ここに自殺否定の一…

浅間嶺紀行

高い山はこちらが登れば登るほど、高く見える ―生田春月― 浅間嶺はいい山だ。 歩いていて、ひどく落ち着く。 本日、好天をもっけの幸いとして、この東京都・奥多摩山域南部に位置する903mの山に登って来た。 払沢の滝方面から入り、浅間尾根登山口へと抜ける…

叛逆に失敗した男 ―生田春月―

弱者はその弱さゆえに強さに憧れる。そこに自己嫌悪が生まれ、自己叛逆が行われる。「自分に打ち勝つ」とは、畢竟この一連の経過の繰り返しに他ならない――生田春月は、そのように私に示してくれた。 これほど納得のいく解剖例を他に知らない。流石は春月、慧…

「セキロ」の音から浮かぶもの

正直に告白すると、「セキロ」と聞いていの一番に私の脳裏に奔るのは、「赤露」の二文字に他ならなかった。 赤露――赤色ロシア、すなわちソヴィエト連邦の古い呼び名だ。理由はわかりきっている。このような本を読み漁った影響だろう。 この固定観念をこなご…

私的生田春月撰集 ―憂愁―

秋という単語から連想されるものはすべからく寂寥の色を帯びている。 それはそうだ、秋に心を添えたなら、もう愁(うれい)という字になるではないか。人をして感傷へといざなう万物の凋落時(ちょうらくどき)。春月は殊更にこの季節を愛したように思われる…

私的生田春月撰集 ―情熱・勇気・前進 其之弐―

すべての人に嘲られ罵られても、われは平然として、路上を行かん、昂然として。わが心には真珠あればなり。(昭和六年『生田春月全集 第二巻』、209頁) 血をもってその伝記の一頁一頁を染めて行け。中途にして、これを墨汁に換ふるべからず。(同上) 思へ…

私的生田春月撰集 ―情熱・勇気・前進 其之壱―

情熱・勇気・前進―― これらの単語は、一見春月とは無縁に映る。 だが春月にも、ニーチェが示した超人の姿を我と我が身に於いて実践せんと燃え立つ心があったのだ。 石うてば石も音する世にありてさはいつまでか黙(もだ)したまふや(昭和六年『生田春月全集…

私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之肆―

人の一生は をかしなものよ、 平地の波瀾よ、 人の業(わざ) ヒョイと生れたら もう仕方なし、 千波萬波の 苦が走る。 やめろ、やめろよ、 人間様を、 やめたら人間 何になる。 佛になるか、 神になるか。 なんにもならぬ、 土になる。 (昭和六年『生田春…

私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之参―

われ自らをいたんで云へらく、 あらゆる流行品の敵たること、 これわが運命なり、 わが誇りなり、 わが悲しみなりと。 ああ、流行にそむくこと、 流行に抗すること、 流行を憎むこと、 いまこそ、それはわが死である。 時代に逆行するものは、 時代に順応せ…

私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之弐―

読むだけで気が滅入り、生きているのをやめたくなる詩句が延々と続く。 しかしこの、細胞が指先から徐々に死滅して行くような感覚が、段々と気持ちよくも感じられてきてしまう。 癖になるのだ、春月は。 憎まれて憎みてはてはのろはれて のろひてわれやひと…

私的生田春月撰集 ―厭世・悲観・虚無 其之壱―

このテーマこそ、生田春月の真骨頂といっていい。 太宰治の文学には――『斜陽』にも『人間失格』にも、主立つものには粗方目を通してみたけれど――さして影響を受けなかった私だが、春月の詩にはものの見事にやられてしまった。実に深刻な感化を受けた。 何故…

私的生田春月撰集 ―男と女・煩悩地獄 其之弐―

肉を底まで行けば 心にぶッつかる 心を底まで行けば 肉にぶッつかる。 それにぶッつからねば まだ徹せぬのだ。 なまぬるい恋、 恋とも云へぬ いろごとよ、 賢い人のする いろごとよ。 それは汚い どろどろのどぶ(・・)よ、 どぶ(・・)にもきれいな 花は…

私的生田春月撰集 ―男と女・煩悩地獄 其之壱―

男がえらく なる道は、 女にふられ、 だまされて、 コッピドイ目に あふだけよ。 女の笑ひと ながしめと、 甘い言葉の 猫撫聲で、 もてあそばれたら しめたもの。 それで男に なれぬなら、 そこでうかうか ほめられりや、 男の一生 臺なしよ。 浮世のことは …