穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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戦場の狼、政界の豚


「戦場での猪武者が、政治の庭では豚野郎に堕しおった」


 九郎判官義経という国民的偶像を、ここまで情け容赦なくこき下ろすやつも珍しい。


 三宅雪嶺、昭和十四年の言だった。

 

 

Miyake Setsurei

Wikipediaより、三宅雪嶺

 


「あいつはいったい、何をメソメソ、腰越状なぞ書いていたんだ」


 と、青史に名高い美文に向けてもまことに烈しく、手厳しい。


そんな遊戯に耽っている間があるのなら、さっさと鎌倉へ突っ込んじまえ。兄が自分を本気で拒絶するわけがない、これは必ず周囲に讒言する者があり、その悪漢の小細工だ、兄は誑かされておる、すわ一大事、君側の奸を払いのけねば、ものどもイザイザかかれかかれと火の玉になってわめき立てれば、部下も必ず従ったろう」


 あたかも一筋の矢の如く――。


 思慮を棄て、左右を忘れ、顧みず、まっしぐらに駈けに駈け、鎌倉へ向け突撃していたならば、その後の形勢、どう転んだかわからない。一ノ谷より屋島より、この腰越に於てこそ、義経は最も純粋に猪武者であるべきだった。ところが事実はどうだろう、「頭を返して退いたので、猪の長所が無くなった」。雪嶺はそれを心底惜しむ。惜しむからこそ、

 


「不意を打って鎌倉に乗り込んだなら、成功し得たと云へぬが、一層の事、思ひ切って之を敢てするの勇気があった方が宜からう。戦争の猪武者は、政治の豕男になった姿がある

 


 と、酷にも程があるような、当たり散らしめいたセリフを吐かずに居られなかったのだ。

 

 

Letter written by Yoshitsune at Koshigoe

Wikipediaより、歌川国芳腰越状』)

 


「それにひきかえ、アイツは立派なもんだったよ」


 と、同じ文脈で雪嶺は、義経の対照物として、実に意外なビッグネームを引っ張り出してのけている。


 アイツとは誰か。


 ローマの統領コンスルガイウス・ユリウス・カエサルである。

 


カエサルルビコン河に臨み、之を渡れば国法を犯すとせられ、勝つか負けるか、まゝよ進めと賽を振った所は、義経の腰越に於けるよりも決断がよかった。軍事にかけてはアレキサンダーに劣る事、後にチエルも云ふて居り、義経ほど勇気及び才能無かったと思はれるが、政治上の智略に長じ、此河一つを渡れば天下は我が物と見て取り、之を渡るや果して予想通りであった」

 


 畢竟、戦場の勇者は政治上の怪物に及ばないということか。

 

 

(ローマの裏路地)

 


 もっとも仮に義経が鎌倉突撃を敢行し、首尾よく和製カエサルに成りおおせたとして。その場合、後世に対する人気のほどはどうだろう。決して今日ほど圧倒的では有り得なかったのではないか。


判官贔屓の言葉にしても、生まれていたかどうか怪しい。日本人の精神面への感化の度合いで測るなら、やはり腰越状を書き、頭を返して退いてこそ、翻ってはその後の淪落、悲愴な最期があってこそ、最上だったように思える。


 ある人物の幸不幸、その生涯の出来不出来を論ずる上で難しいのはこのへんだ。


 途半ばの死は、必ずしも失敗に直結していない。


 よくよく考えねばならぬ。

 

 

 

 

 


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