「戦場での猪武者が、政治の庭では豚野郎に堕しおった」
九郎判官義経という国民的偶像を、ここまで情け容赦なくこき下ろすやつも珍しい。
三宅雪嶺、昭和十四年の言だった。
「あいつはいったい、何をメソメソ、腰越状なぞ書いていたんだ」
と、青史に名高い美文に向けてもまことに烈しく、手厳しい。
「そんな遊戯に耽っている間があるのなら、さっさと鎌倉へ突っ込んじまえ。兄が自分を本気で拒絶するわけがない、これは必ず周囲に讒言する者があり、その悪漢の小細工だ、兄は誑かされておる、すわ一大事、君側の奸を払いのけねば、ものどもイザイザかかれかかれと火の玉になってわめき立てれば、部下も必ず従ったろう」
あたかも一筋の矢の如く――。
思慮を棄て、左右を忘れ、顧みず、まっしぐらに駈けに駈け、鎌倉へ向け突撃していたならば、その後の形勢、どう転んだかわからない。一ノ谷より屋島より、この腰越に於てこそ、義経は最も純粋に猪武者であるべきだった。ところが事実はどうだろう、「頭を返して退いたので、猪の長所が無くなった」。雪嶺はそれを心底惜しむ。惜しむからこそ、
「不意を打って鎌倉に乗り込んだなら、成功し得たと云へぬが、一層の事、思ひ切って之を敢てするの勇気があった方が宜からう。戦争の猪武者は、政治の豕男になった姿がある」
と、酷にも程があるような、当たり散らしめいたセリフを吐かずに居られなかったのだ。
「それにひきかえ、アイツは立派なもんだったよ」
と、同じ文脈で雪嶺は、義経の対照物として、実に意外なビッグネームを引っ張り出してのけている。
アイツとは誰か。
ローマの
「カエサルがルビコン河に臨み、之を渡れば国法を犯すとせられ、勝つか負けるか、まゝよ進めと賽を振った所は、義経の腰越に於けるよりも決断がよかった。軍事にかけてはアレキサンダーに劣る事、後にチエルも云ふて居り、義経ほど勇気及び才能無かったと思はれるが、政治上の智略に長じ、此河一つを渡れば天下は我が物と見て取り、之を渡るや果して予想通りであった」
畢竟、戦場の勇者は政治上の怪物に及ばないということか。
(ローマの裏路地)
もっとも仮に義経が鎌倉突撃を敢行し、首尾よく和製カエサルに成り
「判官贔屓」の言葉にしても、生まれていたかどうか怪しい。日本人の精神面への感化の度合いで測るなら、やはり腰越状を書き、頭を返して退いてこそ、翻ってはその後の淪落、悲愴な最期があってこそ、最上だったように思える。
ある人物の幸不幸、その生涯の出来不出来を論ずる上で難しいのはこのへんだ。
途半ばの死は、必ずしも失敗に直結していない。
よくよく考えねばならぬ。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓