穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2025-01-01から1ヶ月間の記事一覧

国際親善、至難なり

諸外国との相互理解は難しい。 距離を詰めようとすればするほど、しかし却って感情的な摩擦ばかりが募りゆく、そんな相手も世には居る。 日本にとって、支那・朝鮮がまさしくそれ(・・)だ。 切れるものならえんがちょ切りたい、厄介至極な隣人諸君。大正・…

開戦十年、ベルリンの喪

一九二四年八月三日、ドイツ国民は巨大な弔事の中に居た。 欧州大戦勃発の十周年記念日である。 この日、ベルリン市に於けるあらゆる公共施設にはこぞって半旗が掲げられ、市民はそれを仰ぎ見て、逝ける偉大な帝国へ、とむらいの意を露わにしたるものだった…

カイザー、フューラー、「ひとでなし」

交戦期間が長引くにつれ、当事国の民衆はもはや互いに相手のことを同じ人類種であると認識できなくなってゆく。 しょせん獣(ケダモノ)、人の皮を被った悪魔、何百万人死のうともただ一片の憐憫たりとて恵んでやるに価せぬ、ただ粛々と屠殺さるべき畜生風情…

憂き春へ

夏は嫌いだ。 遠出するなら冬がいい。 虫群の襲撃にわずらわされる心配も、衣服を汗でじっとり濡らす不快感、過度の日焼けを防ぐ処置の面倒も、諸々回避できるから。 (昨年十一月下旬、京浜伏見稲荷にて撮影) 古人に於いては楠山正雄に我が精神の類型を、…

白浜名物カタツムリ

鹿児島では製塩に。 奥飛騨では農業に。 アイスランドでは洗濯に。 「入浴」ばかりが温泉利用の全部ではない、時代・地域によりけりで、用途はまったく多種多様。 紀伊半島に滾々と湧く白浜温泉では嘗て、斯かる熱と湿気とを食用蝸牛の養殖用に宛てていた。 …

瓦礫の上の赤子たち

瓦礫の上にて生を享く。そういう子供の運命は、往々にして不憫なものだ。 関東大震災から一年、帝都の復興、未だ遼遠。東京市の家並には半焼けのトタンで構成された粗末なバラック造りの小屋が無数に混ざり込んでおり、癒えぬ創痍の、ある種象徴と化していた…

怨み晴らさでおくべきか

会津藩士の怨念が、明治期ちょくちょく顔を出す。 「戊辰以来」 と、山川浩は口にする。もちろん会津人である。御一新後は陸軍内にて立身し、少将の地位にまで成った。柴五郎を筆頭に、後輩どもの世話役も実に律儀にやっている。そういう彼が述べるのだ。 (…

茶番狂言いとをかし

ベルギーは山なき国やチューリップ 高浜虚子の歌である。 彼の地を訪ねた際、詠んだ。 昭和十一年二月二十日時点を以って「世界行脚に出た」と云うから、二・二六事件勃発のスレスレだったことになる。クーデターの報道を、おそらく船中で耳にして、さぞ驚い…

密事はとかく愉快なり

密(ひそ)かごとにはそれが密かであるゆえに、言うに言われぬ玄妙な魅力・快楽が付き纏う。 人目を忍んでコソコソとやるスリルであり、面白味。およそ金に困らない上流階級の御婦人が万引きに手を染めるのも、この快楽に中毒してのことだろう。 (『Ghostwi…

寒の底

寒い。 外は篠つく雨である。氷雨と呼ぶに相応しい、冷たい冷たい雨である。 二・二六の(1936)年も寒かった。 なんといっても、霞ヶ浦が凍ったほどだ。高浜沿岸、「幅一里・長さ二里」にかけての地域が分厚く凍結していると、一月二十一日の『読売新聞』紙…

世界は変わる、戦争で

開戦から半年で、ドイツの首都ベルリンはその包蔵せる女性の数を十万ほど増加した。 増えたところの内実は、そのほとんどが俗にいわゆる「職業婦人」たちだった。 男という男がみんな兵士になって前線に出払って行ってしまったゆえに、社会に大穴がぶち空い…