穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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継がれゆくもの


 商人の仕事は金儲けだ。


 守銭奴が彼らの本質である。


 世界に偏在する富を、己が手元に掻き集めること、一円一銭一厘たりともゆるがせにせず、より多く。それ以外にない、ある筈もない。またそうしてこそ、それに徹してみせてこそ、敏腕とも呼ばれ得るのではないか。

 

 

(強欲な鳥)

 


「明治を代表する個人」福澤諭吉はいみじくも言った、

 


商売は何のために営むものに御座候。其目的は利を博し富を得るより外には有之間敷これあるまじく候。人間の幸福は富ならでは買ふべからず、人生七十古来稀、幸福を享くべき時限も極めて短きものに候へば、富を得るの工夫も十分に精神を込め、大急ぎに急がざれば間に合ひ兼る事と存じ候」

 


 と。


 明治初期――新時代の黎明と言えば、なるほど聞こえは良かろうが。


 実態を洗えば、封建の余弊、未だ濃厚。金銭蔑視の傾向根強き御時勢に、斯くも大胆な断定は尋常一様の沙汰でない。囂々たる世間の批難と戦うことを覚悟して、初めて可能なことである。実際問題、福澤諭吉に寄せられた誹謗中傷は凄まじく、「拝金宗」の烙印を全身隈なく、それこそ耳なし芳一みたいに押されていたといっていい。


 彼が浴びた嘲罵の中で、


「法螺を福澤、うそ諭吉ゆうきち


 なんてのは、まだまだ甘い、愛嬌のある方である。

 

 

三河の硯職人ら)

 


 真実が万人受けのする、耳障りの良い代物とは限らない、格好の見本であったろう。


 そう、真実だ。


 先に掲げた福澤諭吉の見識に、筆者わたしはつまり、全面的に賛意を示すものである。


 わけのわからぬ道義的な粉飾は無用。


 どうせ似合いもしないのに、善人ヅラする必要性が何処にある。


 物事はシンプルが一番だ。商人の仕事は金儲け、それで十分、十分だろう。


 ――東洋経済新報』は、そういう商売人どもを援護するため、明治二十八年に誕生した書物であった。

 

 

Toyo Keizai (head office)

Wikipediaより、東洋経済新報社

 


 記念すべき第一号の社説欄にて、明確に立場を表明している。

 


「…夫れ貿易は東西を撰ばず、撰む所は独り利の多寡有無のみ。故に世界列国の経済事情は、我が実業家之に通ぜざるべからずと雖ども、最も精通せざるべからざるものは、東洋諸国の事情に在り。誰れが能く之を確報し且つ世界貿易の大勢を推論するものぞ。
 凡そ此数者は方今の急務に属す、吾輩不肖と雖ども、今日にあた東洋経済新報を敢行するもの亦已むを得ざるなり」

 


 と。


 筆を揮うは町田忠治、創業者にして初代主幹。


 社の方針を凝縮したものと受け取り、まず差し支えはないだろう。


 堂に入った文章だった。


 以後、順調に刊を重ねて二十七年。


東洋経済新報』は、その号数をついに四ケタの大台に乗せた。


 大正十一年五月二十日、第一〇〇〇号の発刊である。


 その内容中、ことさら興味を引いたのは、ワイマール――戦敗ドイツの天文学的賠償金に関し論じた箇所だった。

 

 

手紙を書くドイツ兵

 

 

 第一次世界大戦で文字通り、尾羽打ち枯らしたゲルマン民族の有様を、本紙は次のように描く。

 


「…戦敗のドイツ、生殺与奪の権を敵国に握られてしまったドイツ、死よりも重き負担を課せられても、抗議する力を失ったドイツ、戦勝と怨恨の狂気に正義の声が掻き消された世界に、訴ふるところを持たざるドイツ、彼れに契約の自由はないのであった。勿論、賠償は契約ではなくして刑罰の変形であった。然し彼れは刑事被告人の自由すら有ち得ぬのではなかったか。疑ふ余地なき明白な殺人犯にも、再審控訴其の他の途があって、できるだけ彼れの利益のために備へられてゐるのに、ドイツは何等のものをも与へられなかったのである

 


 相も変わらず、達意の文であったろう。


 ヴェルサイユ条約が出来損ないの粗悪品であったのは、二十一世紀現下となれば一般常識の類だが、この時点にて、ここまで深く洞察するのはただごとではない。


 未だ多くの日本人が英米仏の垂れ流したるプロパガンダにどっぷり浸かり、カイザー・ヴィルヘルムⅡ世をして「己が器を弁えず、世界征服の野心に駆られ、無謀な戦争をおっぱじめ、案の定国を滅ぼした、愚かで邪悪な皇帝」と看做していた段階で、これは白眉といっていい。


 論は更にこう続く。

 


世界は文明の広場において、正義の名を以って、ドイツを、その無限の憎悪と戦勝の狂気からリンチに処したのであった。これが講和条約の正体である。賠償決定の真相である。文明が目覚め、狂気がやむならば、名誉と正義の回復のために、世界は条約修正、賠償再審の挙に出ないでは居られぬだらう」

 

 

(戦場跡)

 


東洋経済新報』は創刊当時の使命を記憶し、果たし続けていたようだ。

 

 

 

 

 


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