そのころ神田の一角に、『エロス堂』なる本屋があった。
あまりに直截な屋号を前に、なにごとかを期待した若い男性客どもがちょくちょく迷い込んだとか。
そして彼らの九分九厘までが、ほどなく苦い失望に渋面を作らされている。
陳列済みの書籍はどれも至って真面目なモノばかり。奥に常連客のみが

(viprpg『やみいち!』より)
ピンク色の情動に脳細胞を毒されきった馬鹿どもは、怒気を発して、ともすれば、店主に掴みかからんばかりの勢を示してにじり寄る。そうした場合、店主はいつも、
「最近の客は無知が多くて困るよ、どうも」
何一つとしてウチの看板に偽りはない、言いがかりはよしとくれ、まあ早とちりをしなさんな、君らの錯誤を正してやろうと、人を喰った笑みを浮かべて説いたとか。
「むかし神話に伝はるエロスは、黄金の矢と鉛の矢とを一つの弓につがえて居る、彼は愛をさづける一方に、また愛を忌む心をも授けるのだ、本屋商売は先づざっと、そのエロスの如きものでしてね。黄金の良書も放てば鉛の悪書もつがいますよ。わっしの店先を一寸御覧になっても、文化の発達を阻害する悪雑誌もあれば、米のめしのやうな益書もあります」
彼が言うのは本源論だ。
通俗的な意味でなく、そもそもギリシャ神話に於けるエロスとは、いったいどういう神様か。
その領域まで遡っての講釈である。
(Wikipediaより、エロス)
直前までいきり立っていた野郎衆は、テーマの意外な高尚性に盛大に水を掛けられて、さだめし目玉を白黒させたことだろう。
「エロスがどんな気持で二つの矢を握ったかはエロスでなくちゃ分りますまいが、その異った二つの矢の結果は今のわっし達にもよく分かります。つまりエロスは世渡りが上手だったんですね。どうも現代は鉛の矢が多すぎるのですが、それもエロスに学ぶ所があって捨てにくいのです。早く矢壺から鉛の矢だけは射尽して、黄金の矢ばかりの世の中にしたいものですな──」
非の打ちどころの見当たらぬ、実に立派な抱負であった。
こう来られては、ここまで聞いてしまった手前、得心顔で頷くより他にない。
実際問題、店主の言には一理ある。理屈の筋は確かに通っているのだが、──にも関わらずだがしかし、それを是認しつつも同時に手ひどい詐欺を喰らったような、狐狸の類に化かされて、上手く丸め込まれちまった如き感じがどうにもこうにも抜けきらぬ。
学生の街、本の聖地の片隅に、とんだ曲者が棲息していたようだった。

(八王子駅前。五月の初頭、ここで古本まつりをやっていた。その際に撮影。なかなか暑い日であった)
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