穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「桜田門外の変」始末 ―井伊直弼、死なせてもらえず―

封建の時代、貴人はたとえ死んだとしても、容易に死に(・・)切らせて(・・・・)はもらえない。 処世上の便宜のために、公式にはなお生きているものとして扱われる事例が屡々あるのだ。もっとも顕著な例としては、太閤秀吉が該当しよう。 慶長三年八月十…

リアル『ドグラ・マグラ』 ―式場隆三郎のコレクション―

18世紀のイギリスで、その紳士はちょっとした名物男として名を馳せていた。 グローリング卿と呼ばれるその人物を一躍紙上の人としたのは、彼が極端な女嫌いという、その天性の性癖による。 いや、その烈しさは「嫌い」などという微温的な表現で済まされるよ…

アスキスと河合栄治郎 ―日英の自由主義者たち―

高橋是清、吉野作造、下村海南、武藤山治、柳田国男――。 昭和二年刊行の『経済随想』には実に多くの著名人が名を連ね、思い思いの切り口で時局を論じているのだが、中でも私をいちばん仰天させたのは、河合栄治郎の「自由主義」なる小稿だった。 彼の言を信…

交通事故と大麻の関係 ―ウィリアム・バロウズの警告―

嗜好用大麻の合法化された合衆国の各州で、交通事故の発生件数が上昇傾向にあるらしい。 この事態を重く見た当局は、飲酒運転ならぬ「ハイ運転」の予防に乗り出し、被検者の呼気にどれどほどの大麻成分が含まれているかを検査する機器・「カンナビス・ブリー…

セキセイインコとジュウシマツ ―続・投機対象の動物たち―

「民俗学」と聞けば大多数の日本人がただちにその名を連想するに違いない、かかる道の大権威。――柳田国男が、昭和二年に瀬戸内海の北木島を訪れた日のことである。 船中だろうがそのあたりの道端だろうが、島民が三人以上集まれば、話題は決まってセキセイイ…

多産国家日本 ―山下亀三郎の破天荒―

超高齢社会に化しきった現在からは、およそ想像もつきにくい話であるが――。 かつての、そう、帝国時代の日本人は、何と言ってもよく増えた。別段政府に頼まれずとも、何の便宜も図られずとも、自発的に子を為し家を拡大すること、ほとんど別人種の観がある。…

旗本くずれの姦婦成敗・後編 ―斬ってこそ―

※2022年4月以降、ハーメルン様に転載させていただいております。 新政府による徳川家処分が決定したのは明治元年五月であった。 この月の二十四日より、二百五十年以上の長きに亘って「大公儀」の呼び名と共に日本国を統治してきた覇者の血は、一転駿府七十…

旗本くずれの姦婦成敗・前編 ―明治の椿談―

※2022年4月以降、ハーメルン様に転載させていただいております。 戊辰の硝煙をくぐって以来、大久保金十郎という旗本くずれは、心の芯棒がどこにあるやら見当のつかない男になった。 (なにやら、夢のような) と、日に何度思うかわからない。 自分が神田駿…

誤字脱字奇譚 ―女神の報復―

その日、新聞を開いたドイツ国民は一様に驚愕の嵐に見舞われ、危うく顎を落っことしかけた。 こともあろうに、あのビスマルクが。 帝政ドイツの立役者たる鉄血宰相その人が、よりにもよって議会という、権威の殿堂のど真ん中で、 「余は総ての少女らと親善な…

東照宮の野球狂 ―スポーツに燃える日本人―

その奇妙な日本人に遭遇したのは、権現様の鎮座まします、日光東照宮に於いてであった。 富士山と並んで外国人観光客の間に膾炙されたこの聖地。米国の著述家、マーティン・ソマーズも御多分に漏れずここを訪れ、朱塗りの神橋や苔むした石燈籠に恍惚となり、…

世界の愛したゲイシャガール ―新しきもの、旧きもの―

日本人が自国の上に描く理想と、外国人が期待するあらまほしき日本像とが、常に一致しているとは限らない。 否、そうでないことの方が圧倒的に多かろう。新渡戸稲造博士が論文中で ――芸者は遠からず消えゆく種族。 と発表すると、そんな、つれない、なんたる…

併合後の朝鮮半島 ―ベルギーとアメリカの視点から―

お得意様といっていい。 日本にとって、ピエール・ダイイという記者は、である。 ベルギーの仏語系新聞「Le Soir(ル・ソワール)」所属のこの人物は、ユーラシア大陸を隔てたヨーロッパから極東の海上に浮かぶ我が島国へ、足繁く訪問してくれた。 神戸、大…

日本は「アジアの盟主」たりうるか ―20世紀からの声―

『外人の見た日本の横顔』を読んでいると、ほとんどの書き手が近い将来、日本がアジアの主導的地位を占めることを疑っていない。 国力、気概、諸々の要素を勘案して、それが一番順当であると無造作に受け入れている雰囲気がある。 コロンビア大学の法学教授…

ベルギー人の明治維新評 ―昭和二年の日本にて―

この時代、「デモクラティック」という単語が日本人の口癖のようになっていた。 護憲運動華やかなりし、大正末から昭和初頭にかけてのあの頃。猫も杓子もデモクラシーを熱唱し、それさえ実現したならば不況の暗雲は一掃されて、給料も上がり、うまいものがた…

排日盛んなりし支那 ―東恩納の見た福建―

温泉の効能を一番最初に教えたのは、猿や鹿などの物言わぬ野生動物であったとされている。 傷ついた鳥獣が湯気立ち昇るその中に凝然と身を浸すうち、だんだん元気を回復し、ついには元の活発さを取り戻す――一連の経過を目の当たりにして、人間もこれに倣いは…

ジャワの名物、首と大砲 ―Ex me ipsa renata sum―

昭和八年をほとんどまるごと費やして南溟の国々を行脚した、一連の旅を東恩納寛惇は、以下の如く総括している。 私の一年に亙る旅行の目的は、日本を中心とする東亜諸民族の過去の足跡を辿る事にあった。然るに、それ等の足跡は、最近二三百年の間に、欧米人…

真珠とタチウオ ―フェイクパールの職人芸―

インド人は宝石に対して並々ならぬ関心を示す。 それは好む(・・)というような生易しい域でなく、より差し迫った、切実な色合いを帯びたものだ。 東恩納寛惇がインド亜大陸を歩き廻って分析したところによると、インド人は一般に、現金や有価証券に対して…

『母国印度』 ―志士ラス・ビハリ・ボースの詩―

東恩納寛惇の『泰 ビルマ 印度』を読んでいて、ちょっと気になったことがある。 インド亜大陸を紀行中の東恩納の想念に、しばしば「ボース」という名が登場するのだ。 釈迦の時代から変わらず――否、下手をするとそれ以上の酷烈さで――運用されるカースト制度…

夢路紀行抄 ―車中談議―

夢を見た。 車の中の夢である。 ふと気が付くと友人の運転する車の助手席、そこに座って雑談に興じる私が居たのだ。 車内にはラジオも音楽もかかっておらず、ただ二人の話し声だけが響いていた。 友人は私に、多年の研究の果てに見出したという真理について…

1933年のシンガポール ―東恩納が見た南溟―

東恩納(ひがしおんな)寛惇(かんじゅん)の『泰 ビルマ 印度』を読んでいる。 沖縄出身の歴史学者である著者は、昭和八年の一月から十二月にかけ、東京府在外研究員として南溟一帯を行脚した。帰国後日記や写真等を整理して、見聞きしたことどもを一冊の書…

表札盗み三奇譚 ―樋口一葉、東郷元帥、横山大観―

筆跡に価値を見出す手合いは多い。 古くから後を絶たないといってよかろう。古本なども著者のサインが有るか無いかで、値段に天と地ほどの隔たりが生まれる。 著名人の表札なども、よくこうした好事家たちの興味の対象として上がったものだ。 樋口一葉の日記…