穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

第二次大戦ひろい読み


 一九四一年、レンドリース法、議会を通過。


 この一報が電波に乗って日本国に伝わるや、日頃「米国通」を以って任ずる一部の言論人たちに、尋常ならざる波紋が起きた。


 震撼したといっていい。


 就中、鶴見祐輔に至っては、同年五月に寄稿したルーズヴェルト大統領の独裁的地位」なる小稿中で、


「今度武器貸与法が上下両院を通過したので、ルーズヴェルト大統領の地位は、ヒトラースターリンと並ぶ独裁的なものになってしまった

 

 まずこのように、最大級の脅威判定を行っているほどである。「勿論米国においては、民衆輿論の制約があり、これを代表する議会と、更にその外に超然たる大審院潜在的威力がある。しかし近代米国の政治組織の変遷を注視してゐるものは誰しも一様に、米国憲法制定当時の厳格なる三権分立法が急角度をもって、行政権偏重へと移行しつゝあることを、気付かずには居なかったであらう」と。(太平洋協会編『現代アメリカの分析』)

 

 

President Franklin D. Roosevelt-1941

Wikipediaより、レンドリース法案に署名するルーズヴェルト

 


 かつてルーズヴェルト自身の口から飛び出した、


独裁者を亡ぼすためには、独裁者を必要とする


 との、ある種啖呵が、いよいよ以って現実味を帯びてきたと言うわけだ。


 ところでちょっと視点を移して、レンドリース法の恩恵に浴す英軍の、ある志願兵の頭の中身を覗いてみると、


ファシズムと戦うために志願した軍隊はファシストだらけだった


 との想痕が発見みつかるから面白い。


「悪者だ、ナチだ、ファシストだ、といって教わってきたものがそのまんま、眼の前にある。状況を把握し、戦闘意欲に燃えているはずのこの連中のなかに」。――こういう記述が、戦後になって出版された『You,You,and You』なる書籍の中にあるそうだ。本の副題は『The people out of step with World War Ⅱ』。どういう趣旨に基いて編纂された代物か、単語の並びを一瞥すれば凡そ察しがつくだろう。


 民主的な軍隊なぞ、もとより有り得るはずもない。


 ごくありきたりな幻滅と言えばそれまでだが、ルーズヴェルトの啖呵と並立させてみた場合、平凡さはたちまち消え失せ、なにやら深い寓意性すら帯びてくるから妙だった。

 

 

 

 

 昭和二十年、雑誌『キング』の五月号は六月号との合併だった。


 もっとも当時『キング』という表題は敵性言語であるゆえに、『富士』と改題されてはいたが、そのあたりは、まあ、今は措く。


 とにかくその合併号に「十人一殺」なる題の、名前からして物騒な気に満ち満ちている記事がある。


 だが、内容は、更に輪をかけてぶっ飛んでいた。

 


 近頃一般国民の気構へとして、「敵が若しわが本土に上陸すれば、一人十殺直ちにこれを撃滅すれば、皇国は必勝である」といふやうな、一人十殺論が旺んに唱へられてゐる。
 無論心構へとしては、一人十殺の気魄を持たねばならぬことは当然であるが、記者は空疎な必勝観念が国民を誤ったやうに、確算なき一人十殺論が、多くの国民を謂れなき安易感の上に睡らし、この期に及んでもなほ戦争を甘く見る弊に陥らせはしないかを畏れるのである。

 


 読むだに首がヒヤッとする提言だ。

 

 

Fuji formally King

Wikipediaより、『キング』改め『富士』)

 


 こんなことを書いて、例えば徹底抗戦論者のような、既にヒステリーを発しつつある壮士気取りの目に留まったらどうなるか。


 ――腰抜けめ、臆病風に吹かれたか。


 と、罵倒だけで済めば御の字、悪くすれば講談社の建物に爆弾でも投げつけられるのではないか。


 ――敢闘精神を挫くやつ、さては通敵しおったか。いくらで国を売りおった。


 こうした具合いの「言いがかり」をつけられて。


 なんにせよ、度胸のいいことだった。


 もっとよくなる。記事は更にこう続く。

 


 一人十殺を文字通り解釈すれば、神々の戦ひ給ふ姿であると言はれた、硫黄島の善戦健闘を以てしても、あの戦勢下に於ては、一人十殺は容易ではないのである。それを考へても、如何に本土で戦ふ利を数へるにしろ、訓練と装備の段違ひの一般国民が一人十殺をやればよいといっても、それは出来ない相談である

 


 最終的な結論は「十人一殺が現実的な目標として相応しい。十人一殺が実現できれば必勝だ」と、あらぬ方角へ跳ねてはいるが、見え見えの擬装であったろう。剥ぎ取るは容易、記者の本音は透かし見るように明らかだ。


 ――とても勝てない。


 本土決戦などやれるものか、我らの希望は既に潰えた。恐ろしすぎるその現実を、しかしそろそろ直視すべき頃合いだ。そういう意味を籠めている。

 

 

 


 にしても、よくコレが検閲を通ったものだ。


 五月号なら、既に東京は焼け野原だろう。


 検閲官の方々も情勢の行く末を察知して、自分の任務の虚しさをもはや誤魔化しようもなく感じていたのではないか。


 この時期に書かれた文章は、どうもそういう、ヤケッパチの気配が強い。痛ましさというか、満腔の同情を抜きにして目を通すことの出来ないものだ。

 

 

(昭和二十年九月八日、東京に進駐する米軍)

 

 

一、さりげなくしゃべること、噂を広めようとむきになりすぎるとバレる。


二、バラす内容がヤバいものであればあるほど、堂々としゃべること。


三、同じ場所で同じ噂を言わないこと。当たる噂は自然に広まる。


四、自分も噂を聞いただけ、という振りをすること。すぐにバレるような出所を明らかにしてはいけない。

 


 元戦略情報局OSS――CIAの前身機関――工作員、エリザベス・P・マクドナルド指南、「風説流布の要諦」。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ