穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2022-01-01から1年間の記事一覧

歳末雑話 ―追いつけ、追い越せ、進み続けよ、どこまでも―

ふと気になった。日本国の風景に自動販売機が溶け込んだのは、いったい何時頃からだろう? 楚人冠の紀行文を捲っていたら、 …チョコレートの自動販売機があるので、これへ十銭投(ほふ)りこんだが、器械が故障で、チョコレートは出ない。 こういう条(くだ…

同愛会夜話 ―内鮮融和のむなしさよ―

同愛会は朝鮮人団体である。 墨田区本所に本部があった。 大正十五年師走のある日、大きな荷物を携えた日本人青年が、この同愛会本部を訪れている。 どういうアポも、紹介状の用意もない。一見の客の脈絡のない訪問である。疑惑の視線を隠そうともせぬ受付に…

男性特権 ―北緯五十度線を越え―

その日、北緯五十度線は忘れ難い客を迎えた。 北緯五十度線――南樺太と北樺太を分かつ線、すなわち大日本帝国とソヴィエトロシアの境界である。そこへ日本内地から、林学者がやってきた。樹相の若い適当な木を指差して、 「あれはどっちです、日本ですか」 と…

満蒙劫掠、敗垣断礎 ―北狄露鷲の本領発揮―

文明 対 野蛮。 ヨーロッパ 対 アジア。 キリスト教徒 対 仏教徒。 一九〇四年二月に幕が上がった大戦争の性質を、ロシア政府はそんな具合に位置付けようと努力した。新聞も挙って書き立てた。これは国際法を重んじず、卑劣千万な先制攻撃をいけしゃあしゃあ…

明治の理想 ―日露戦争うらばなし―

一九〇四年秋、遼陽会戦すぎしあと。 主戦場たる満洲から遠ざかり、ロシア本土へ向かわんとする病院列車で、このような会話が交わされた。 「あんたは日本人を何人殺した?」「三人だ」 質問者は軍医であり、答えたのはコサック騎兵の一員である。 雑談は更…

不毛和讃・趣味読書

蚕蛹(さんよう)については、わずかながら以前に触れた。読んで字のまま、カイコのサナギだ。みずから編んだ繭に包(くる)まり、羽化の時を待っている。が、人間としてはそれを許すわけにはいかない。 成虫になったカイコは当然、繭を破って飛び出してくる…

冷たい光に照らされて ―東北帝大奇人伝―

下の画像を見てほしい。 闇の中、誰とも知れぬ胸像を無数の照明がとりまいて、しらじら浮かび上がらせている。 重い雰囲気のある展示。だが、この照明――よく目を凝らすと電球ではない。 フラスコである。 ただのひとつの例外もなく。 どの明かりにも、フィラ…

明治六年、正月一揆 ―「人生最悪の三が日」―

多くの大分市民にとって明治六年という年は、銃声と共にはじまった。 一揆のせいだ。 菊治たらいう湯の平在(ざい)の百姓が音頭をとって不平分子を糾合し、どっと押し寄せ、阿鼻叫喚の巷を現出。街を荒らしに荒らしたのである。 (大分港) この連中が目の…

秋の収穫、振り返り

またずいぶんと蔵書が増えた。 第六十二回神田古本まつり、御茶ノ水ソラシティ古本市。 読書の秋に相応しいイベントの数々。そういう場へと、なるたけ足を運んだ成果だ。 古書が増えれば必然として、新聞紙の切り抜きやら、名刺やら――先代、先々代の所有者の…

神さびた万能薬 ―米糠、藁灰、へびいちご―

容器を選ぶことから始める。 まず以って、茶碗が適当な候補であろう。木製よりも陶器がいい。日頃めしを盛っているので充分だ。そういう茶碗の口縁に和紙を張りつけ蓋をして、更に糠を盛りつける。 だいたい三分――一センチ弱が適量らしい。盛ったなら、その…

星条旗の世界 ―“Arsenal of Democracy”―

一九四〇年の『タイム』が楽しい。 読み応えの塊だ。 十二月一日号に掲載された「戦争経済第一年」は、大戦の性質――無限の需要が喚起せらるる有り様を、手に取るように伝えてくれる。 (Wikipediaより、「タイム」創刊号) 出だしからしてもう面白い。 信用…

青年犬養、老境木堂 ―「出鱈目は書の極意也」―

「この命知らずの大馬鹿者め!」 戦場から生還した教え子に、師は特大の雷を落とした。 教師の名は福澤諭吉。 生徒は犬養毅であった。 (犬養毅) 明治十年、西南の地に戦の火蓋が切られるや、新聞各社はほとんど競うようにして自慢の記者を現地に派遣、刺激…

世に混沌のあらんことを

第一次世界大戦は悲惨であった。 人類の歴史を一挙に二百五十年跳躍させる代償に、ドイツだけでも二百五十万人近い国民が、犠牲となって散華した。 いい若いものが、大勢死んだ。 その「若いもの」の死体から、まだ瑞々しい二個の睾丸(タマ)を切り取って、…

お国の大事だ、金を出せ ―債鬼・後藤象二郎―

新政府には金(カネ)がない。 草創期も草創期、成立直後の現実だった。 およそ天地の狭間に於いて、これほどみじめなことがあろうか。国家の舵を握る機関が無一文に等しいなどと、羽を毟られた鶏よりもなおひどい。まったく諷してやる気も起きないみすぼら…

ルサンチマン 対 男の世界

大阪の街の風物詩、中学連合運動会から優勝旗が消えたのは大正四年以後である。 市岡中学の一強体制、同校が頂点に君臨すること六年連続に到達したのが直接的な原因だった。 (Wikipediaより、府立市岡高等学校。市岡中を前身とする) 「常勝」という言葉ほ…

夢路紀行抄 ―クリーニング―

夢を見た。 清掃作業の夢である。 最初は確か、スケルトンの処理だった。 骨の怪物、生者を狙う死霊の一種、バラバラになったその残骸を拾い集めて、作業台の上に載せ、槌を思い切り振り下ろす。どんなに優れた考古学者でも復元不能な、粉末状に成り果てるま…

勲を立てよ若駒よ ―軍馬補充五十年―

ドイツ、百十五万五千頭。 ロシア、百二十万一千頭。 イギリス、七十六万八千頭。 フランス、九十万頭。 イタリア、三十六万六千頭。 アメリカ、二十七万頭。 以上の数字は各国が、第一次世界大戦に於いて投入したる馬匹の数だ。 合わせてざっと四百六十六万…

ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ドゥーチェ! ―ムッソリーニ1939―

ムッソリーニは本気であった。 周囲がちょっとヒクぐらい、万国博に賭けていた。 一九三九年、サンフランシスコで開催予定のこの祭典に、ドゥーチェは己が領土たるイタリア半島が誇る美を、あらん限り注入しようと努力した。 フィレンツェ市所蔵、ボッティチ…

続・外から視た日本人 ―『モンタヌス日本誌』私的撰集―

ジャン・クラッセは日本に関する大著を編んだ。 しかしながら彼自身は、生涯日本の土を踏んだことはなかったらしい。 かつて布教に訪れたスペイン・ポルトガル両国の宣教師たち、彼らの残した膨大な年報・日誌・紀行文等を材料に、『日本西教史』を完成させ…

外から視た日本人 ―『日本西教史』私的撰集―

極東に浮かぶ島国という、地理的事情が無性に浪漫を掻き立てるのか。ヨーロッパの天地に於いて日本国とは永いこと、半ば異界めくような興味と好奇の対象だった。 需要に応える格好で、近代以前、西洋人によって編まれた日本の事情を伝える書物は数多い。 『…

富士と山梨

霊峰富士は、ある日とつぜん出現(あらわ)れた。 まるで太閤が若いころ、墨俣で演じた奇術の如く。それはほんの一夜のうちに忽然と聳え立っていたのだと、そういう俗伝が山梨県の各所にはある。 特に郡内、都留のあたりにこそ多い。 地名の由来と、往々にし…

山中暦日あり ―富士五湖今昔物語―

山中湖には鯉がいる。 そりゃもうわんさか棲んでいる。 自慢なのは数ばかりでない。 体格もいい。二貫三貫はザラである。どいつもこいつもでっぷり肥えて、下手をすると五貫に達するやつもいる。 「そりゃちょっと話に色を着けすぎだろう」 永田秀次郎が茶々…

日本民家園探訪記

驚いた。 川崎に、押しも押されぬ首都圏に、人口百四十五万の都市に、 まさかこんな和やかな、藁ぶき屋根の家並みがあるとは。 意外千万そのものである。 ここは日本民家園、生田緑地の一角を占める「古民家の野外博物館」。北は奥州・岩手から南は鹿児島・…

日露戦争士気くらべ

ロシアの兵士は昔から、味方の負傷を喜んだ。 近場のやつが血煙あげてぶっ倒れれば、そいつを後送するために、きっと人手が割かれるからだ。ああ願わくば我こそが、光輝あふるるその任にあずかり賜らんことを。なんといっても合法的に前線を離れるチャンスで…

水のほとりの旧き神

一説に曰く、大津(おおづ)は大水(おおず)であるという。 現今でこそ熊本県菊池郡大津町として人口三万五千人、天高くして地は干され、交通四通八達し、道の駅には特産物たるサツマイモの加工品がずらりと並び、駅前にでんと鎮座するイオンモールが日々の…

つれづれ撰集 ―意識の靄を掃うため―

季節の変わり目の影響だろうか、鈍い頭痛が離れない。 ここ二・三日、意識の一部に靄がかかっているようだ。脳液が米研ぎ水にでも化(な)ったのかと疑いたくなる。わかり易く、不調であった。 思考を文章に編みなおすのが難しい。埒もないところで変に躓く…

玲瓏透徹、甲斐の湧水

人間、一生涯に一度ぐらいは自分の故郷を旅人の眼で観るべきだ。 いつも通る道沿いの、風景に過ぎなかったホテルに泊まり、ガイドブックでも片手にしつつじっくり歩いてみるがいい。 きっと新しい発見がある。そう嘯いたやつがいた。 正月、初詣を済ませるな…

山は踏みたし命は惜しし ―東西熊害物語―

不運な男がいた。 銃を携え、狩り場に進み出、首尾よく獲物を発見し、急所めがけて引き金を落とす。 何百回と繰り返してきた動作であった。 ところがこの日、山脈みたいに隆々と盛りあがった筋肉を持つ熊を向こうに回したる、この瞬間のみに限って銃は彼を裏…

濃尾地震と福澤諭吉 ―「明治」を代表する個人―

募金という行為について、もっとも納得のいく説明を聞いた。 例によって例の如く、福澤諭吉からである。 明治二十四年十月二十八日、日本が揺れた。本州のほぼ真ン中あたり、濃尾平野で地震が発生。放出されたエネルギーは、マグニチュードにして8.0、内陸地…

虎と山伏、猫科の怨み

虎は獅子より先に来た。 上野動物園の話をしている。 百獣の王の来園は二十世紀突入後――西暦一九〇二年、元号にして明治三十五年まで待たなければならなかったが、虎はそれより十五年も先駈けて、この地であくびをかいている。 (Wikipediaより、上野動物園…