穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

文明堂と帝国海軍 ―長官室にフリーパスのカステラ屋―

地下鉄三越前駅から文明堂東京日本橋本店に行く場合、A5出口を使うのが、経験上いちばん手っ取り早く思われる。 ここを出たら、後は右手側に直進するだけでいいのだ。 二分もせずにこの看板が発見できることだろう。 先日カステラを買った際には、おまけとし…

「今に見てろ」という言葉 ―踏まれても根強く保て福寿草―

宮崎甚左衛門の『商道五十年』を読んでいると、「今に見ていろ」等逆襲を誓う意味の言葉が散見されて面白い。 前回の記事からおおよそ察しがつく通り、この東京文明堂創業者は極めて律義な性格で、しかしながらそれゆえに、劫を経た古狐のように悪賢い世間師…

酒、酒、酒、酒 ―このかけがえなき嗜好品―

ドイツがまだワイマール共和国と呼ばれていたころの話だ。 第十二代首相ブリューニングの名の下に、ビール税の大幅引き上げが決定されるや、たちどころに国内は、千の鼎がいっぺんに沸騰したかの如き大騒擾に包まれた。 もともと不満が鬱積している。 政治家…

続・米田実という男 ―マスター・オブ・アーツ―

上京して暫くの米田実の生活というのは、まったく「苦学生」を絵に描いたようなものである。 朝はまだ星の残る早くから、新聞売りとして声を張り上げ駈け廻り、それを済ますと図書館に突撃、自学自習を開始する。 さてもめまぐるしい肉体労働と頭脳労働のサ…

米田実という男 ―忘れ去るには惜しき者―

前回、せっかく米田実に触れたのだ。 この人についてもう少しばかり掘り下げてみたい。 私はこれまで彼の著作に何冊か触れ、しかもその都度、得るところ甚だ大であった。半世紀以上も前に著された本であるというのに、その知識は鮮度を保ち、みずみずしい驚…

最期の言葉・外伝 ―「夢」を含む辞世撰集―

辞世の句を刻むとき、「夢」の一字を挿みたがる手合いは多い。 なんといっても、天下人からしてそうである。豊臣秀吉が 露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 と吟じれば、徳川家康、 うれしやと二度(ふたたび)さめてひとねむり浮世の夢…

最期の言葉 ―「辞世の句」私的撰集―

天保七年というから、ちょうど「天保の大飢饉」の只中である。信濃国水内郡丹波村の近郊で、行き倒れた男の死体が見つかった。 ざっと見歳は五十内外、持ち物は杖と笠のみであって、そのうち杖には紙片が結わえられており、開くと次の一首が認められていたと…

霊威あふるる和歌撰集 ―「神術霊妙秘蔵書」より―

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。 古今和歌集「仮名序」からの抜粋である。 王朝時代の貴族らは、和歌の効能というものをこんな具合に見積もっていた。 要するに和…

長禄の江戸、慶長の江戸 ―古地図見比べ―

かつての江戸の民草は、台風の接近を察知するとはや家財道具を担ぎ出し、船に積み込み、その纜(ともづな)を御城近くの樹々の幹に繋いだという。 高潮来れば、この一帯は海になる。 狂瀾怒涛渦を巻き、人も家も噛み砕いては沖へと浚う荒海に、だ。 無慈悲な…

平岡熙ものがたり ―春畝と吟舟―

まだある。 洋行を通して平岡熙が積み上げたモノは、だ。 人との縁も、彼はこのとき手に入れた。 平岡がまだボストンで、素直に学生をやっていたころ。総勢107名もの日本人が、この大陸にやって来た。 世に云う岩倉遣欧使節団のことである。 (Wikipediaより…

非常時に於ける詩人の貢献

十徳の一つ、「毎號大家の傑作を満載するキング」そのままに。 「非常時国民大会」は少なからぬ文化人の力添えあって完成している。 それは漫画家のみならず、詩人もまた同様だ。 北原白秋、篠原春雨、土井晩翠、川路柳虹――実に豪華な顔触れである。 折角な…

日立造船所の苦闘 ―松原與三松の鐘―

鐘一つ売れぬ日もなし造船所 戦後まもなくの日立造船所を題材にした歌である。 宝井其角の古川柳、 鐘一つうれぬ日はなし江戸の春 を、あからさまにもじった(・・・・)ものであるだろう。 それにしても何故(なにゆえ)に、造船所が鐘など鋳ねばならぬのか…

三四半世紀 ―75年目―

八月十五日である。 多くは語るまい。 ただ、この日にこそ開くに相応しい本がある。 以下を縁(よすが)に、共に先人を偲んでくれればありがたい。 身はたとえ南の孤島に朽ちるとも永久に護らん神州の空義烈空挺隊 新藤勝 何時征くか何時散るのかは知らねど…

ますらをの真心こめて一筋に ―原田二郎の積み上げたもの―

嘉永二年というから、黒船来航のざっと四年前のこと。 紀州藩士原田清一郎の長男として、原田二郎はこの地上に生れ出た。 維新後東京に出て洋学を修め、頭角を現し、やがて大蔵省の官僚に。銀行課に奉職するうち、同じく紀州出身の大実業家、岩橋轍輔に見出…

偉大なる勝利のために ―続々・ドイツ兵士の書簡撰集―

前線に在る多くの兵士が認めることを余儀なくされた。 戦争は変わった、という事実を、である。 ハンス・ブライトハウプトもまた、高い授業料を支払って、教訓を得た一人であった。 私たちははじめは、ほとんど子供のやうに真正直に正攻法によって攻撃しまし…

理想家の条件 ―尾崎行雄と新聞のジンクス―

尾崎行雄にはジンクスがある。この男が筆を揮うと、その新聞社は潰れるか、少なくともその寸前まで行ってしまうというジンクスが。 例外は、新潟新聞ぐらいのものであろうか。後は大抵、悲惨な目に遭っている。 朝野新聞は完全に滅亡してしまったし、報知新…

ブロガーバトンを受け取って

つい昨日のことである。 『もったいないブログ』を運営していらっしゃるscene"シーン"(id:scene-no-mottainai-blog)さんからブロガーバトンをいただいた。 www.scene-no-mottainai-blog.com 荘厳なる自然の眺めや美しき日本の原風景を鮮やかに切り取った紀行…

忘れ去られた農村歌

田舎の夕暮 見渡す限り遥々と、田の面(も)の草も朽ち果てゝ、独り残りし尾花さへ、今は影だになかりけり 残り惜しげにたゆたひし、夕日の影も今は早、明日のあしたを契りつゝ、彼方の山に隠れけり 今日の餌にや飽きにけん、三ツ四ツ二ツ後や先、産土神(う…

安政の大獄前夜譚 ―腥風―

その日(・・・)に先立ち、堀田正睦以下幕府側の面々は乾坤一擲の大勝負に出た。 もはや通常のやり口では条約勅許の一件を引き出すことは不可能と断じ、思い切って極論をぶつことにしたのだ。 具体的には、ここで条約を拒否しようものならたちまち戦争、国…

安政の大獄前夜譚 ―九条関白の変節―

結果から先に言ってしまえば、堀田正睦は敗北する。 必死の周旋もとうとう実を結ばずに、林大学頭と同様、空手で京を去らねばならない破目になる。 しかしながらそこに至るまでの道筋は、決して平坦なものでなく、紆余曲折、起伏重畳せしものだった。 ある時…

安政の大獄前夜譚 ―京の魔窟化―

幕府が如何に上方を軽視しきっていたかについては、勅許もまだ得ていないのに、いそいそと条約調印の日取りを決めてしまっていたという、この一事からでもよくわかる。 彼らにしてみれば、それは規定事項以外のなにものでもなかったのだ。 ――長袖者流ふぜい…

大震災にまつわる川柳

権兵衛のやがて耕す焼野原 五七五の定型的に考えて、公称である「ごんのひょうえ」よりも「ごんべえ」と読むのが正しかろう。 言うまでもなく、関東大震災の翌日に組閣された第二次山本内閣を題材とした川柳である。 (Wikipediaより、山本権兵衛) 以前にも…

石黒忠悳の座談術 ―「兵役逃れ」への対処―

義務はなるたけ回避して、権利は最大限に主張する。どうもそれが、近代式の「賢い生き方」というヤツらしい。 さる子爵の一門も、ご多分に漏れず賢明に生きようと心がける人々だった。 この家の次男坊の年齢が、もうじき二十歳に達せんとした秋(とき)であ…

シュプリューゲンの雪崩決闘 ―岐阜の地震に思うこと―

真っ白な瀑布が山襞を滑り落ちてゆく――。 昨日13時13分、岐阜県飛騨地方深さ10㎞を震源として発生した地震。マグニチュード5.3のエネルギーは隣接する上高地の山体を揺さぶり、数ヶ所に渡って雪が崩れた。 あの映像を見て、ひとつ思い出したことがある。 溯…

家康公と東郷元帥・後編 ―猛火を防いだ物惜しみ癖―

吝嗇――物惜しみする心の強さも、東郷は家康に劣らなかった。 たとえば菓子や果物の類を贈られたとする。受け取った東郷、箱を捨てないのはもちろんのこと、その箱を覆っていた包み紙や、あまつリボンの一本までをも、破らないよう注意深く取り外し、皴をのば…

与謝野夫妻と山本実彦 ―屏風の歌に在りし日を偲ぶ―

晩年、渋沢栄一は、「論語」を書きつけた屏風をつくり、その中で寝起きすることを何よりの愉快としたらしいが、改造社社長、山本実彦も似たような逸話を持っている。 彼の場合、屏風に墨を入れたのは、与謝野鉄幹と晶子の夫妻に他ならなかった。 (左から、…

銀座久兵衛と鮎川義介

戦時中、鮎川義介が面倒を見ていた呑ん兵衛は、実のところ伊藤文吉のみでない。 今田寿治(ひさじ)という寿司職人も、銘酒「白鹿」の恩恵にあずかっていた一人であった。 そう、日本きっての高級寿司店、「銀座久兵衛」の創業者たる彼である。 久兵衛は酒が…

鮎川義介漢詩撰集

元日産自動車株式会社役員という繋がりゆえか。 衆議院議員・朝倉毎人が鮎川義介を題材に編んだ漢詩は数多い。 (朝倉毎人) その中から特に秀逸と感じたものを得手勝手に抄出すると、大方次のようになる。 雲煙飛躍満華箋描出毫鉾画裏仙餘技義翁能若此朝昏…

鮎川義介、危機一髪 ―日比谷焼打ち事件の火の粉―

歴史を揺るがす大事件に、なにかと際会しがちな人物だ。 鮎川義介のことである。 日比谷が焼けた現場にも、この人はいた。最前列で見物していた。 ポーツマス条約の内容が報道されてからこっち、 ――こんな馬鹿な条件があるか、屈辱もまた甚だしい。 ――十万の…

祇園、春の夜、夢うつつ

春寒の花見小路は灯しけり 長田幹彦の歌である。 未だ電車も通らねば、電柱の一本も立っていなかった嘗ての祇園。桜舞い散る春の夜、闇の黙(しじま)を仄かに照らすは篝火と、煽情的な赤提灯ばかりであって、詩情を掻き立てること無限であった。 宛然画中の…