詩
ベルギーは山なき国やチューリップ 高浜虚子の歌である。 彼の地を訪ねた際、詠んだ。 昭和十一年二月二十日時点を以って「世界行脚に出た」と云うから、二・二六事件勃発のスレスレだったことになる。クーデターの報道を、おそらく船中で耳にして、さぞ驚い…
本能寺の変の報を受けた際、黒田官兵衛は秀吉に 「これで殿のご武運が開けましたな」 とささやいた。 ビスマルクもまた、社会主義者の手によって皇帝暗殺未遂事件が発生したと告げられて、咄嗟に口を衝いて出た運命的な一言は、 「よし、議会を解散させろ」 …
慶應義塾は頻繁に「初物食い」をやっている。 先鞭をつけるに堪能である印象だ。 鉄棒、シーソー、ブランコ等を設置して、以って学生の体育に資するべく、奨励したのも慶應義塾がいのいち(・・・・)だった。 明治四年の事である。 これからの時代、およそ…
三日で三万五千樽。 明治二十二年の二月、憲法発布の嘉日に際し、帝都東京市民らが消費した酒の量だった。 (Wikipediaより、憲法発布略図) 数はほとほと雄弁である。明治人らが如何に浮かれ騒いだか、口を大きくおっぴろげ、つばき(・・・)を飛ばし、め…
浦島よ與謝の海辺を見に帰り空しからざる箱開き来よ 哀れ知る故郷人(ふるさとびと)を頼むなり志有る我背子の為め 新しき人の中より選ばれて君いや先きに叫ぶ日の来よ 以上三首は大正四年、衆議院選挙に打って出た與謝野鉄幹尻押しのため、その妻晶子が詠み…
江見水蔭には妙な私有物がある。 土俵である。 彼は庭の一角に、手製の土俵を設(しつら)えていた。それも屋根付き、雨天でも取っ組み合えるよう、とある知人の船主から古帆をわざわざ貰い受け、そいつを改良、覆い代わりにひっ被せていたそうな。 仲間内で…
人の悪い趣味やもしれぬ。 昭和二十年八月十五日、敗戦の日の追憶を掻き集めるのがこのごろ癖になっている。 (Wikipediaより、玉音放送を聞く人々) 大日本帝国の壊滅を当時の日本人たちがどんな表情で受け止めたのか、そもそも受け容れられたのか、感情の…
六首の歌が岩崎商店の家憲であった。 「祖父が我々子孫のために、智慧を絞って記して置いてくれまして――」 と、三代目当主・清七は言う。 三菱創業の一族とまったく同じ姓ではあるが、血の繋がりは、べつに無い。 下野国の一隅で、代々醤油製造と米穀肥料を…
熱帯夜の所為だろう。ここ数日来、眠りが浅い。疲れがとれない質が甚だ悪いのだ。 (フリーゲーム『××』より) 昭和七年も暑かったらしい。 午前十時の段階で31.5℃を観測しただとか。 池水が煮えたようになり、養殖中の鯉や鰻がほとんど全滅、損害莫大なりだ…
一網に百萬燈や蛍いか 富山に伝わる歌である。 詠み手は知らない。 名も無き地元の民草か、いつかの旅の数奇者か。 はっきりと断言できるのは、ご当地名物、ホタルイカ漁を題材にした代物であるということだ。 (Wikipediaより、ホタルイカの辛子酢味噌和え…
正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆…
「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、…
黒白を 分けて緑りの 上柳赤き心を 持てよ喜右衛門 投票用紙に書かれた歌だ。 もちろん無効票である。 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。 (信州諏訪の風車。「これは地下のアン…
およそ七秒。 紀州伊都(いど)郡四郷(しごう)村の某(なにがし)が、柿の実一個を丸裸にする時間であった。 特殊な器具は用いない。ごくありふれた包丁一本のみを頼りに、十秒未満でくるくると、柿の皮を剥きあげる。 ひとえに神技といっていい。 人間の…
詩歌の蓄積が相当量に及びつつある。 ここらでまとめて放出したいが、なにぶん折からの猛暑であろう、見事に脳が茹だりはじめた。 頭蓋の中で創意が融ける音がする。 お蔭でロクな前口上も浮かばない。エエイまだるっこしい、こんなところで何時までも足止め…
日高明義は満鉄社員だ。 実に筆まめな男でもある。 連日連夜、どれほど多忙な業務の中に在ろうとも、僅かな時間の隙間を見つけて日記に心象(こころ)を綴り続けた。 それは昭和十二年七月七日、盧溝橋に銃声木霊し、大陸全土が戦火の坩堝と化して以降も変わ…
頭は冷えた。 再開しよう。 〇鋸屑(おがくず)を濡らして固く搾り、箱に入れて、伊勢海老をその中に埋め、暗いところにおくと、一週間くらゐは、生きたまま保たせることができます。新年など、かうしておくと重宝です。 冷蔵技術の未熟な時代の工夫であった…
日露戦争の期間を通し、大阪毎日新聞はかなり特ダネに恵まれた。どうもそういう印象がある。 一頭地を抜く、と言うべきか。 例の手帳はもちろんのこと、海軍にその人ありと謳われた不世出の作戦家、秋山真之参謀相手にインタビューを試みて、 ――ここが思案の…
佐竹がやってくる以前、羽州北浦――田沢湖附近一帯を治めていたのは丸に輪貫九曜紋、戸沢の一族こそだった。 (Wikipediaより、丸に輪貫九曜紋) 石高、四万五千石。評判はいい。善政を敷いていたらしい。 百姓どもと領主の距離も近かった。戸沢の殿が田沢湖…
狂歌(うた)がある。 あの息子 なんの因果か 山へ行き 昭和のはじめに編まれたらしい。 まるで先を争うように若者どもが山に押し寄せ、次から次へと木の下闇に呑み込まれ、さんざん平地を騒がせたあと変わり果てた姿で発見(みつ)かる。そういう事態が頻発…
ドイツ、百十五万五千頭。 ロシア、百二十万一千頭。 イギリス、七十六万八千頭。 フランス、九十万頭。 イタリア、三十六万六千頭。 アメリカ、二十七万頭。 以上の数字は各国が、第一次世界大戦に於いて投入したる馬匹の数だ。 合わせてざっと四百六十六万…
山中湖には鯉がいる。 そりゃもうわんさか棲んでいる。 自慢なのは数ばかりでない。 体格もいい。二貫三貫はザラである。どいつもこいつもでっぷり肥えて、下手をすると五貫に達するやつもいる。 「そりゃちょっと話に色を着けすぎだろう」 永田秀次郎が茶々…
季節の変わり目の影響だろうか、鈍い頭痛が離れない。 ここ二・三日、意識の一部に靄がかかっているようだ。脳液が米研ぎ水にでも化(な)ったのかと疑いたくなる。わかり易く、不調であった。 思考を文章に編みなおすのが難しい。埒もないところで変に躓く…
先入観とはおそろしい。 ずっと名刀正宗が由来とばかり考えていた。 清酒の銘によくくっついてる「正宗」の二文字。アレのことを言っている。 (「櫻正宗」の醸造過程) ところが違った。違うことを、住江金之に教わった。 昭和五年版というから、ざっと九十…
山形県東村山郡作谷沢村の議会に於いて、男子二十五歳未満、女子二十歳未満の結婚をこれより断然禁止する旨、決定された。 昭和五年のことである。 (昭和初期の山形市街) ――はて、当時の地方自治体に、こんな強権あったのか? とも、 ――なんとまあ、無意味…
面接に於ける常套句と言われれば、大抵がまず「潤滑油」を思い出す。 あまりに多用されすぎて、大喜利のネタと化しているのもまま見受けられるほどである。 人と人との間を取り持ち、彼らの心を蕩かして個々の障壁を取り払い、渾然一体と成すことで、組織と…
初代韓国統監職を拝命し、渡航を間近に控えたある日。 伊藤博文はその邸宅に家門一同を呼び集め、ささやかながら内々の宴を催した。 祝福のため、壮行のため――そんな景気のいい性質ではない。 ――二度と再び現世で見(まみ)えることはなかろう。 だから最後…
起きてはならないことが起きてしまった。 死者の安息が破られたのだ。 墓荒らし――真っ当な神経の持ち主ならば誰もが顔をしかめるだろう、嫌悪すべきその所業。 それが明治十二年、京洛の地で起きてしまった。 場所も場所だが、「被害者」はもっと問題である…
大清帝国が黎明期、辮髪を恭順の証として総髪のままの漢人の首をぽんぽん落としていたように。 ピョートル大帝がひげに税を課してまで、この「野蛮時代の風習」を根絶しようとしたように。 あるいはいっそヒトラー式のちょび髭が、公衆に対する挑発として現…
こんなおとぎばなしが西洋にある。 どこぞの小さな国が舞台だ。王と王妃が登場するから、王制を採択していたのは疑いがない。夫婦仲は良好で、国民からも慕われていた。 が、なにもかも順風満帆であってくれては、それこそ物語として発展する余地がない。必…