詩
奥の細道ラヂオで拓け四方の便りも居ながらに はやて来るよとラヂオの知らせ着けよ船々鹽釜へ さあさ漕げ々々ラヂオで聴いた沖は凪だよ大漁船 仙台局の放送開始を記念して、と『マイク放談』(昭和十年、国米藤吉著)には書いてあるから、おそらく昭和三年六…
船員法の話をしたい。 在りし日の第十二条は、こんな文面であったという。 船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶、又積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船中ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニアラザレバ其ノ指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ズ。 不…
前回の補遺として少し書く。 貿易を搾取の変態と見、西洋人を膏血啜りの巨大な蛭種と看做したがる傾向は、日本人の精神風土によほど深く根付いてしまっていたらしく、維新後も暫くなくならなかった。 明治初頭の十五年間におよそ三百五十回ほどの農民一揆が…
三代家光の治世に於いて、徳川幕府は国を鎖した。 南蛮船の入港を禁じ、海外居留の日本人にも帰国を許さず、ただ長崎のみをわずかに開けて、オランダ・支那との通商を、か細いながらも確保した。 動機は専ら、キリスト教の浸潤を防遏するため。幕府の求める…
大日本帝国憲法起草の衝に当たった四人の男。 伊藤博文、 井上毅、 伊東巳代治、 そして金子堅太郎。 彼らのうち二人までもが、昭和どころか大正の世を見るまでもなく死んでいる。 まず井上が、肺結核の悪化によって明治二十八年に。 次いで伊藤が、テロリス…
窓近き竹のそよぎも音絶えて月影うすき雪のあけぼの この歌の詠み手の名を知るや、私が受けた衝撃は、ほとんど玄翁でこめかみを強打されたのと大差ない。 山縣有朋なのである。 それも十三歳のころ、辰之助の幼名時代の作というからいよいよ驚く。 あの沈毅…
我が国に於ける地熱発電の歴史は意外と古く、大正八年早春の候、海軍中将山内万寿治の別府温泉掘削にまで遡り得る。 坊主地獄近辺の地盤を八十尺ほど掘り進み、幸いにも案に違わず盛んな蒸気の噴出を見た。 将来的な化石燃料の枯渇に備え、今のうちから代替…
治乱誰言有両道修文講武是良漢胸中所盡無他策欲韓山草木蘇生 伊藤博文の詩(うた)である。 明治三十八年、初代韓国統監として実際に彼の地に渡る際、吟じたものであるという。 (Wikipediaより、統監府庁舎) 藤公、このとき六十五歳。 既に還暦を過ぎてい…
令和三年の太陽が、二回昇って二度落ちた。 冷たく冴え徹った蒼天に、鮮やかな軌跡を描いていった。 新年の感慨、意気込みの表し方は人それぞれだ。清新の気を筆にふくませ、書初めを嗜む方とて少なからず居るだろう。 故に私も趣向を凝らす。和紙に纏わる詩…
福島県の復興に、政府が意欲を示したそうだ。 第一原発周辺の十二市町村へ移住する者に対しては、最大二百万円の支援金を与えるということである。 更に移住後五年以内に起業するなら、必要経費の四分の三――最大四百万円まで――を、向うが持って(・・・)く…
詩(うた)がある。 ここ幾日か触れて来た、室戸岬にまつわる詩だ。 折角なので紹介したい。 こゝは四国の南端の日本八景随一の黒潮高鳴る室戸岬 豪宕(ごうゆう)雄大たぐひなき奇岩乱立狂ひ獅子波はくだけて花と散る 霊気遍満東寺(あづまでら)千古の法燈…
地下鉄三越前駅から文明堂東京日本橋本店に行く場合、A5出口を使うのが、経験上いちばん手っ取り早く思われる。 ここを出たら、後は右手側に直進するだけでいいのだ。 二分もせずにこの看板が発見できることだろう。 先日カステラを買った際には、おまけとし…
宮崎甚左衛門の『商道五十年』を読んでいると、「今に見ていろ」等逆襲を誓う意味の言葉が散見されて面白い。 前回の記事からおおよそ察しがつく通り、この東京文明堂創業者は極めて律義な性格で、しかしながらそれゆえに、劫を経た古狐のように悪賢い世間師…
ドイツがまだワイマール共和国と呼ばれていたころの話だ。 第十二代首相ブリューニングの名の下に、ビール税の大幅引き上げが決定されるや、たちどころに国内は、千の鼎がいっぺんに沸騰したかの如き大騒擾に包まれた。 もともと不満が鬱積している。 政治家…
上京して暫くの米田実の生活というのは、まったく「苦学生」を絵に描いたようなものである。 朝はまだ星の残る早くから、新聞売りとして声を張り上げ駈け廻り、それを済ますと図書館に突撃、自学自習を開始する。 さてもめまぐるしい肉体労働と頭脳労働のサ…
前回、せっかく米田実に触れたのだ。 この人についてもう少しばかり掘り下げてみたい。 私はこれまで彼の著作に何冊か触れ、しかもその都度、得るところ甚だ大であった。半世紀以上も前に著された本であるというのに、その知識は鮮度を保ち、みずみずしい驚…
辞世の句を刻むとき、「夢」の一字を挿みたがる手合いは多い。 なんといっても、天下人からしてそうである。豊臣秀吉が 露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 と吟じれば、徳川家康、 うれしやと二度(ふたたび)さめてひとねむり浮世の夢…
天保七年というから、ちょうど「天保の大飢饉」の只中である。信濃国水内郡丹波村の近郊で、行き倒れた男の死体が見つかった。 ざっと見歳は五十内外、持ち物は杖と笠のみであって、そのうち杖には紙片が結わえられており、開くと次の一首が認められていたと…
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。 古今和歌集「仮名序」からの抜粋である。 王朝時代の貴族らは、和歌の効能というものをこんな具合に見積もっていた。 要するに和…
かつての江戸の民草は、台風の接近を察知するとはや家財道具を担ぎ出し、船に積み込み、その纜(ともづな)を御城近くの樹々の幹に繋いだという。 高潮来れば、この一帯は海になる。 狂瀾怒涛渦を巻き、人も家も噛み砕いては沖へと浚う荒海に、だ。 無慈悲な…
まだある。 洋行を通して平岡熙が積み上げたモノは、だ。 人との縁も、彼はこのとき手に入れた。 平岡がまだボストンで、素直に学生をやっていたころ。総勢107名もの日本人が、この大陸にやって来た。 世に云う岩倉遣欧使節団のことである。 (Wikipediaより…
十徳の一つ、「毎號大家の傑作を満載するキング」そのままに。 「非常時国民大会」は少なからぬ文化人の力添えあって完成している。 それは漫画家のみならず、詩人もまた同様だ。 北原白秋、篠原春雨、土井晩翠、川路柳虹――実に豪華な顔触れである。 折角な…
鐘一つ売れぬ日もなし造船所 戦後まもなくの日立造船所を題材にした歌である。 宝井其角の古川柳、 鐘一つうれぬ日はなし江戸の春 を、あからさまにもじった(・・・・)ものであるだろう。 それにしても何故(なにゆえ)に、造船所が鐘など鋳ねばならぬのか…
八月十五日である。 多くは語るまい。 ただ、この日にこそ開くに相応しい本がある。 以下を縁(よすが)に、共に先人を偲んでくれればありがたい。 身はたとえ南の孤島に朽ちるとも永久に護らん神州の空義烈空挺隊 新藤勝 何時征くか何時散るのかは知らねど…
嘉永二年というから、黒船来航のざっと四年前のこと。 紀州藩士原田清一郎の長男として、原田二郎はこの地上に生れ出た。 維新後東京に出て洋学を修め、頭角を現し、やがて大蔵省の官僚に。銀行課に奉職するうち、同じく紀州出身の大実業家、岩橋轍輔に見出…
前線に在る多くの兵士が認めることを余儀なくされた。 戦争は変わった、という事実を、である。 ハンス・ブライトハウプトもまた、高い授業料を支払って、教訓を得た一人であった。 私たちははじめは、ほとんど子供のやうに真正直に正攻法によって攻撃しまし…
尾崎行雄にはジンクスがある。この男が筆を揮うと、その新聞社は潰れるか、少なくともその寸前まで行ってしまうというジンクスが。 例外は、新潟新聞ぐらいのものであろうか。後は大抵、悲惨な目に遭っている。 朝野新聞は完全に滅亡してしまったし、報知新…
つい昨日のことである。 『もったいないブログ』を運営していらっしゃるscene"シーン"(id:scene-no-mottainai-blog)さんからブロガーバトンをいただいた。 www.scene-no-mottainai-blog.com 荘厳なる自然の眺めや美しき日本の原風景を鮮やかに切り取った紀行…
田舎の夕暮 見渡す限り遥々と、田の面(も)の草も朽ち果てゝ、独り残りし尾花さへ、今は影だになかりけり 残り惜しげにたゆたひし、夕日の影も今は早、明日のあしたを契りつゝ、彼方の山に隠れけり 今日の餌にや飽きにけん、三ツ四ツ二ツ後や先、産土神(う…
その日(・・・)に先立ち、堀田正睦以下幕府側の面々は乾坤一擲の大勝負に出た。 もはや通常のやり口では条約勅許の一件を引き出すことは不可能と断じ、思い切って極論をぶつことにしたのだ。 具体的には、ここで条約を拒否しようものならたちまち戦争、国…