穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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私的撰集

続・海原は誰のものなのか ―天下皆これ禽獣世界―

前回の記事に追記する。 明治十五年度に於けるオットセイの総捕獲量が判明(みえ)てきた。 その数、実に二万七百匹以上。剥がれた皮の枚数のみに限定してさえコレだから、実態としてはもう幾ばくか上乗せされることだろう。大漁、豊漁、「当たり年」とはよ…

数は雄弁

古書を渉猟していると、数字の羅列によく出逢う。 遭遇して当然だ。自論に箔を付けるため、正当性を押し出すために数の威力を借りるのは、古(いにしえ)よりの常套手段、王道中の王道ではあるまいか。 例の抜き書く癖により、気付けば随分その種のデータが…

ハミガキ、エンピツ、子規の歌

「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、…

無効票に和歌一首

黒白を 分けて緑りの 上柳赤き心を 持てよ喜右衛門 投票用紙に書かれた歌だ。 もちろん無効票である。 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。 (信州諏訪の風車。「これは地下のアン…

原点にして頂点

脱税、脱法、密輸、密造――ひっくるめて暗黒産業。 裏街道を邁進し、社会に毒を流し込み、他者の人生を磨り潰してでも金を掴み取らんと欲す、得てしてそういう輩ほど、上辺ばかりは美しく繕っているものである。 そういうことを、福澤諭吉が書いている。 酒屋…

暑気払いの私的撰集

詩歌の蓄積が相当量に及びつつある。 ここらでまとめて放出したいが、なにぶん折からの猛暑であろう、見事に脳が茹だりはじめた。 頭蓋の中で創意が融ける音がする。 お蔭でロクな前口上も浮かばない。エエイまだるっこしい、こんなところで何時までも足止め…

ひいばあちゃんの知恵袋・後編

頭は冷えた。 再開しよう。 〇鋸屑(おがくず)を濡らして固く搾り、箱に入れて、伊勢海老をその中に埋め、暗いところにおくと、一週間くらゐは、生きたまま保たせることができます。新年など、かうしておくと重宝です。 冷蔵技術の未熟な時代の工夫であった…

ひいばあちゃんの知恵袋・前編

――ランプの輝度を上げるには。 「最も純粋の固いパラフィン二分と、純粋の鯨蝋一分と混じ、此混和物を石油に加へて使用すれば、消費量を増さずして、著しく光量を増すの効能があります、さうして此の混和物〇、三グラムは〇、五リットル容れのランプに於て、…

墓標めぐり ― “Respice post te, mortalem te esse memento.” ―

九歳の少年が絞首刑に処せられた。 一八三三年、イギリスに於ける沙汰である。 罪は窃盗。よその家の窓を割り、保管されていたペンキを奪(と)った。 被害総額、当時の価格でおよそ二ペンス。たった二ペンスの報いのために、前途にきっと待っていたろう何十…

遼陽にて ―あるユダヤ人の日露戦争―

黒っぽいものを歩哨が見つけた。 明治三十七年九月中旬、当節遼陽大鉄橋と通称された構造体の下である。歩哨の所属は、むろん日本陸軍だ。遼陽会戦が決着してから二週間ほど経っている。一帯の勢力図はまず以って、皇軍の色になっている。 (Wikipediaより、…

報道は熱し ―明治の重大事件二種―

にわかに帝都を聳動せしめた白昼の異変。明治三十五年十二月十日、田中正造、天皇陛下に直訴の件を、翌日の『読売新聞』報じて曰く、 天に訴へ地に訴へ社会に訴へ議会に訴へ法廷に訴へ請願となり陳情となり演説となり奔走となり運動となり大挙となり拘引とな…

郷愁触媒、過去への巡礼

片付けられない餓鬼だった。 「一枚のCDを聞き終わったらキチッとケースにしまってから次のCDを聞く」タイプではなかったのである、少年の日のこのおれは――。 だからいま臍を噛んでいる。 正月、実家に帰省した際、抽斗という抽斗をいちいちひっくり返す勢い…

星条旗の世界 ―“Arsenal of Democracy”―

一九四〇年の『タイム』が楽しい。 読み応えの塊だ。 十二月一日号に掲載された「戦争経済第一年」は、大戦の性質――無限の需要が喚起せらるる有り様を、手に取るように伝えてくれる。 (Wikipediaより、「タイム」創刊号) 出だしからしてもう面白い。 信用…

続・外から視た日本人 ―『モンタヌス日本誌』私的撰集―

ジャン・クラッセは日本に関する大著を編んだ。 しかしながら彼自身は、生涯日本の土を踏んだことはなかったらしい。 かつて布教に訪れたスペイン・ポルトガル両国の宣教師たち、彼らの残した膨大な年報・日誌・紀行文等を材料に、『日本西教史』を完成させ…

外から視た日本人 ―『日本西教史』私的撰集―

極東に浮かぶ島国という、地理的事情が無性に浪漫を掻き立てるのか。ヨーロッパの天地に於いて日本国とは永いこと、半ば異界めくような興味と好奇の対象だった。 需要に応える格好で、近代以前、西洋人によって編まれた日本の事情を伝える書物は数多い。 『…

つれづれ撰集 ―意識の靄を掃うため―

季節の変わり目の影響だろうか、鈍い頭痛が離れない。 ここ二・三日、意識の一部に靄がかかっているようだ。脳液が米研ぎ水にでも化(な)ったのかと疑いたくなる。わかり易く、不調であった。 思考を文章に編みなおすのが難しい。埒もないところで変に躓く…

諭吉と西哲

福澤諭吉の言葉には、西哲の理に通ずるものが多少ある。 たとえばコレなどどうだろう。 増税案の是非をめぐって起こした――むろん『時事新報』上に――記事の一節である。 本来人民の私情より云へば一厘銭の租税も苦痛の種にして、全く無税こそ喜ぶ所ならんなれ…

続・福澤諭吉私的撰集

もう少しだけ福澤諭吉を続けたい。 ――明治維新にケチをつけたがる類の輩が愛用する論法に、アレは市民革命ではない、支配階級すわなち武士同士の内ゲバに過ぎない、よって不徹底も甚だしく未完成もいいところだとの定型がある。 が、福澤諭吉に言わせれば、…

福澤諭吉私的撰集

猿に読ませる目的で書かれた文を読んでいる。 福澤諭吉の文である。 尾崎行雄咢堂は、その青年期のある一点で、「筆で生きる」と心に決めた。 そのことを福澤に報告にゆくと、折しも福澤は鼻毛を抜いている最中で、鼻毛抜きを手放しもせず聞きながら、「変な…

愚行欲求、脱線讃歌 ―自由な国の民のサガ―

エマーソン曰く、自由な国の民というは自己の自由を実感するため、意識的にせよ無意識的にせよ、時折わざと間違ったことを仕出かしたがる生物だとか。 正直なるほどと頷かされた。 ウィリアム・バロウズ――例の「薬中作家」(ジャンキーライター)その人も、…

英国印象私的撰集 ―エマーソンの眼、日本人の眼―

イギリスは、誰から見てもイギリスらしい。 前回にて示した如く、びっくりするほど多いのだ。十九世紀中盤に彼の地を歩いたエマーソンの見解と、二十世紀初頭にかけて訪英した日本人の旅行記に、符合する部分が凄いほど――。 たとえばエマーソンの時代、こう…

真渓涙骨私的撰集 ―「千樹桃花千樹柳」―

涙骨の本は二冊ばかり持っている。 昭和七年『人生目録』と昭和十六年『凡人調』がすなわちそれ(・・)だ。 見ての通り、『人生目録』には函がない。 裸本で売りに出されていた。 まあその分、安価に買えたことを思えば文句の言えた義理ではないが。 構成は…

庚申川柳私的撰集 ―「不祥の子」にさせぬべく―

「きのと うし」「ひのえ とら」「ひのと う」「つちのえ たつ」「つちのと み」――。 あるいは漢字で、あるいは仮名で。カレンダーの数字のそばに、小さく書かれた幾文字か。 古き時代の暦の名残り。十干十二支の組み合わせは、実に多くの迷信を生んだ。 (W…

正月惚けの治療薬 ―川柳渉猟私的撰集―

思考がどこか惚けている。 正月気分で緩んだネジが、未だに二つか三つほど、締まりきっていない感じだ。 しゃちほこばった文章は、角膜の上をつるつる滑って逃げてゆく。 こういう時には川柳がいい。 するりと脳に浸潤し、複雑な皴を無理なく伸ばす。そうい…

薩人詩歌私的撰集 ―飲んでしばらく寝るがよい―

鹿児島弁は複雑怪奇。薩摩に一歩入るなり、周囲を飛び交う言葉の意味がなんだかさっぱりわからなくなる。これは何も本州人のみならず、同じ九州圏内に属する者とて等しく味わう衝撃らしい。 京都帝国大学で文学博士の学位を授かり、地理にまつわる数多の著書…

歩兵第三十五聯隊金言撰集 ―越中・飛騨の健児たち―

大日本帝国の軍人たちは、実にこまめに日記をつけた。 明日をも知れぬ最前線にあってさえ、日々の記録を紙上に残す重要性が理解され、将校・士官のみならず、兵に至るまでそれ(・・)をした。 精神教育の効果を期待し、大っぴらに推奨した部隊というのも存…

ごった煮撰集 ―月の初めの「ネタ供養」―

金を散ずるは易く、金を用ゐるは難し。金を用ゐるは易く、人を用ゐるは難し。人を圧するは易く、人を服するは難し。 大町桂月の筆による。 短いながらも、登張竹風に「国文を経(たていと)とし漢文を緯(よこいと)として成ってゐる」と分析された、桂月一…

雑誌広告私的撰集 ―昭和26年のウィルキンソン炭酸水―

先日紹介させてもらった『酒のみとタバコ党のバイブル』は、繰り言になるが月刊雑誌の亜種である。 雑誌なだけに、広告がふんだんに載せられている。 扱っているテーマがテーマだからであろうか。胃の薬だの保険だの、健康絡みの商品がとかく目につく印象だ…

国家の消長 ―かつて日本は広かった―

古書を味読していると思わぬ齟齬にぶちあたり、はてなと首を傾げることが偶にある。 最近ではオーストラリアの総面積を「日本のおよそ十一倍」と説明している本があり、ページをめくる指の動きを止められた。 ――いやいや、かの濠洲が、そんなに狭いわけがな…

言霊の幸ふ国に相応しき ―歌にまつわる綺譚撰集―

中根左太夫という武士がいた。 身分は卑(ひく)い。数十年前、末端部署の書役に任ぜられてからというもの、一度も移動の声がない。来る日も来る日も無味乾燥な記録・清書に明け暮れて、知らぬ間に歳をとってしまった。ふと気が付けば頭にも、だいぶ白いもの…