穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

歴史

映画浄化十字軍 ―ヘイズ・コード成立奇譚―

自由の国とは言い条、アメリカでは時として、とんでもなく馬鹿げた規制が罷り通るものらしい。 悪名高き禁酒法のあの時代、大激動に見舞われたのは独り酒精関連でなく、映画業界も同様だった。「映画浄化十字軍」なる大仰な名前の運動が、ローマ・カトリック…

現人神スチンネス ―「Das walte Hugo」―

知れば知るほど、こんな人間が現実に存在し得るのか、と、驚きを通り越して呆れが募る。 Hugo Stinnes。 一連のアルファベットの日本語表記は、スチンネスだのスティルネルだの、はたまたシュティネスだのいろいろあって、煩雑なことこの上ない。差し当たり…

家康公と東郷元帥・後編 ―猛火を防いだ物惜しみ癖―

吝嗇――物惜しみする心の強さも、東郷は家康に劣らなかった。 たとえば菓子や果物の類を贈られたとする。受け取った東郷、箱を捨てないのはもちろんのこと、その箱を覆っていた包み紙や、あまつリボンの一本までをも、破らないよう注意深く取り外し、皴をのば…

家康公と東郷元帥・前編 ―不自由を常と思へば不足なし―

反応に困る光景だった。 当家――海江田邸に長年仕えるお抱え車夫の松吉が、眉間のしわ(・・)も深々と、ひどくむっつりした表情で、水を飲むでも物を喰うでもないくせに台所に蟠踞して、周囲の空気を沈ませているのだ。 発見者は異様な感に打たれたが、かと…

東郷元帥と烈女たち ―乃木静子と東郷益子―

東郷平八郎が乃木希典を第三軍司令部に訪問したのは、明治三十七年十二月十九日のことだった。 このとき、旅順要塞は未だ陥落していない。 が、港湾内のロシア艦隊。こちらの方はほぼほぼ海の藻屑と化しきって、長く続いた攻囲戦にもどうやら一定の目処は立…

ロシア人の侮日感情 ―「日本人を皆殺しにせよ」―

開戦前の当地に於ける侮日感情の激しさときたら、そりゃもう箸にも棒にもかからない、度を逸しきったものだった。 ロシア人たちは体格の有利を笠に着て「極東の猿」を嘲笑い、 「あのような矮躯から、どうして十分な気力体力が絞り出せるか」「コサック騎兵…

裏側から見た日露戦争 ―ドイツ通信員の記録より―

帝政ドイツの通信員、マックス・ベールマンは呆然とした表情で、ハルピンの街頭に突っ立っていた。これは真(まこと)に、戦時下に於ける光景か。 市内は到る処遊戯歓楽に耽り、二ヶ所の劇場は孰れも喜劇を演じて居り、舞踏場は孰れも醜業婦に充たされ、倶楽…

ロシアンセーブル物語 ―シベリア開発を支えた毛皮―

黒貂(くろてん)こそは、実にシベリアを象徴する野生獣でなければならない。 ロシア人の東進にかける熱情は、屡々「本能の域」と評された。「不可避的傾向」とみずから告白したこともある。なるほど僅か100年前後の短期間中にウラル以東の無限に等しいあの…

鎖と笞の土地 ―シベリア鉄道建設哀史―

シベリア鉄道着工当初。―― ユーラシア大陸を東西にぶちぬくと言っても過言ではない、この人類史的大事業を遂げるにあたってロシア政府は、囚人の使用を最低限にとどめるべく努力した。それよりも、なるたけヨーロッパロシアに犇(ひし)めいている労働者を動…

近江商人とユダヤ人

どことなく、近江商人に似ているように思われた。 遡ること一世紀半前、夢を抱いてアメリカに渡ったユダヤ人たちの姿が、である。 新大陸にたどり着いたこの人々がいの一番にやることは、およそ相場が決まっていた。 先着の同民族からわずかばかりの資本を借…

不遇をかこつ日本人 ―ボルネオと満洲の事例から―

西ボルネオの港町、ポンティアナックが未だオランダの統治下にあった頃のこと。やがては赤道直下の諸都市群中、最大規模に膨れ上がるインドネシアのこの街も、第二次世界大戦以前に於いては人口せいぜい三万程度の一植民地に過ぎなかった。 (ポンティアナッ…

鮎川義介、危機一髪 ―日比谷焼打ち事件の火の粉―

歴史を揺るがす大事件に、なにかと際会しがちな人物だ。 鮎川義介のことである。 日比谷が焼けた現場にも、この人はいた。最前列で見物していた。 ポーツマス条約の内容が報道されてからこっち、 ――こんな馬鹿な条件があるか、屈辱もまた甚だしい。 ――十万の…

エピキュリアンなみやこびとたち ―石田幸太郎の観察―

もし仮に、時の法則を誤魔化して、百年前の日本人を現代(いま)に連れてこられたとして。 東京の街並みを見せたところで、これがかつての江戸であると合点し得る人物は、おそらく一人も居はすまい。 それほどまでにこの関東平野の新興都市は変化しすぎた。…

露鷲英獅の具体例 ―房総半島狼藉の顛末―

対外姿勢の軟弱を倒幕の重大な口実として成立した明治政府は、しかしその初期に於いて明らかに、旧幕府よりも外圧に対して弱腰だった。 その理由の詮索は、ひとまず措こう。 眺めたいのは具体的な例である。大は堺事件から、小はこんなものまである。「露鷲…

「桜田門外の変」始末 ―井伊直弼、死なせてもらえず―

封建の時代、貴人はたとえ死んだとしても、容易に死に(・・)切らせて(・・・・)はもらえない。 処世上の便宜のために、公式にはなお生きているものとして扱われる事例が屡々あるのだ。もっとも顕著な例としては、太閤秀吉が該当しよう。 慶長三年八月十…

リアル『ドグラ・マグラ』 ―式場隆三郎のコレクション―

18世紀のイギリスで、その紳士はちょっとした名物男として名を馳せていた。 グローリング卿と呼ばれるその人物を一躍紙上の人としたのは、彼が極端な女嫌いという、その天性の性癖による。 いや、その烈しさは「嫌い」などという微温的な表現で済まされるよ…

アスキスと河合栄治郎 ―日英の自由主義者たち―

高橋是清、吉野作造、下村海南、武藤山治、柳田国男――。 昭和二年刊行の『経済随想』には実に多くの著名人が名を連ね、思い思いの切り口で時局を論じているのだが、中でも私をいちばん仰天させたのは、河合栄治郎の「自由主義」なる小稿だった。 彼の言を信…

セキセイインコとジュウシマツ ―続・投機対象の動物たち―

「民俗学」と聞けば大多数の日本人がただちにその名を連想するに違いない、かかる道の大権威。――柳田国男が、昭和二年に瀬戸内海の北木島を訪れた日のことである。 船中だろうがそのあたりの道端だろうが、島民が三人以上集まれば、話題は決まってセキセイイ…

旗本くずれの姦婦成敗・後編 ―斬ってこそ―

新政府による徳川家処分が決定したのは明治元年五月であった。 この月の二十四日より、二百五十年以上の長きに亘って「大公儀」の呼び名と共に日本国を統治してきた覇者の血は、一転駿府七十万石の小身に堕とされ、家督も田安亀之助こと徳川家達に相続された…

旗本くずれの姦婦成敗・前編 ―明治の椿談―

戊辰の硝煙をくぐって以来、大久保金十郎という旗本くずれは、心の芯棒がどこにあるやら見当のつかない男になった。 (なにやら、夢のような) と、日に何度思うかわからない。 自分が神田駿河台で二千七百石を食む旗本の長男に生まれたことも。 武門の子と…

世界の愛したゲイシャガール ―新しきもの、旧きもの―

日本人が自国の上に描く理想と、外国人が期待するあらまほしき日本像とが、常に一致しているとは限らない。 否、そうでないことの方が圧倒的に多かろう。新渡戸稲造博士が論文中で ――芸者は遠からず消えゆく種族。 と発表すると、そんな、つれない、なんたる…

併合後の朝鮮半島 ―ベルギーとアメリカの視点から―

お得意様といっていい。 日本にとって、ピエール・ダイイという記者は、である。 ベルギーの仏語系新聞「Le Soir(ル・ソワール)」所属のこの人物は、ユーラシア大陸を隔てたヨーロッパから極東の海上に浮かぶ我が島国へ、足繁く訪問してくれた。 神戸、大…

日本は「アジアの盟主」たりうるか ―20世紀からの声―

『外人の見た日本の横顔』を読んでいると、ほとんどの書き手が近い将来、日本がアジアの主導的地位を占めることを疑っていない。 国力、気概、諸々の要素を勘案して、それが一番順当であると無造作に受け入れている雰囲気がある。 コロンビア大学の法学教授…

ベルギー人の明治維新評 ―昭和二年の日本にて―

この時代、「デモクラティック」という単語が日本人の口癖のようになっていた。 護憲運動華やかなりし、大正末から昭和初頭にかけてのあの頃。猫も杓子もデモクラシーを熱唱し、それさえ実現したならば不況の暗雲は一掃されて、給料も上がり、うまいものがた…

排日盛んなりし支那 ―東恩納の見た福建―

温泉の効能を一番最初に教えたのは、猿や鹿などの物言わぬ野生動物であったとされている。 傷ついた鳥獣が湯気立ち昇るその中に凝然と身を浸すうち、だんだん元気を回復し、ついには元の活発さを取り戻す――一連の経過を目の当たりにして、人間もこれに倣いは…

ジャワの名物、首と大砲 ―Ex me ipsa renata sum―

昭和八年をほとんどまるごと費やして南溟の国々を行脚した、一連の旅を東恩納寛惇は、以下の如く総括している。 私の一年に亙る旅行の目的は、日本を中心とする東亜諸民族の過去の足跡を辿る事にあった。然るに、それ等の足跡は、最近二三百年の間に、欧米人…

『母国印度』 ―志士ラス・ビハリ・ボースの詩―

東恩納寛惇の『泰 ビルマ 印度』を読んでいて、ちょっと気になったことがある。 インド亜大陸を紀行中の東恩納の想念に、しばしば「ボース」という名が登場するのだ。 釈迦の時代から変わらず――否、下手をするとそれ以上の酷烈さで――運用されるカースト制度…

迷信百科 ―松房の実・石楠花の枝―

岩手県奥州市水沢一帯の村落では、だいたい昭和のあたまごろまで、とある奇妙な習俗が行われていた。 うら若き乙女が男を知らぬまま世を去ると、その棺にマツブサの果実を入れるのである。 (Wikipediaより、マツブサの樹) マツブサ。 漢字では、松房と表す…

伊藤文吉と鮎川義介 ―血を継承する男ども―

灘五郷の酒「白鹿」については、日産コンツェルン創業者、鮎川義介にもいわく(・・・)がある。 彼にはアル中の親友がいた。 ビール、日本酒、ウイスキー等アルコールなら何でもござれ、一日の摂取量が二升を割ったらおれは死ぬと豪語していたその人物こそ…

年俸一ドルの外交官 ―鮎川義介とスタインハート―

鮎川義介が訪独の旅から帰還して、そう日を置かぬうちのことである。 駐ソ米国大使の首がすげ変った。 新たにやって来たのはローレンス・アドルフ・スタインハートなる男。フランクリン・ルーズベルトとは大学に於ける同窓で、聞くところによると年に一ドル…