穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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歴史

敗戦国のみじめさよ ―そしてハーケンクロイツへ―

『読売新聞』は幸運だった。 大正十年、彼らは期するところあり、ちょっと特殊な展覧会を開催(ひら)くことに決めている。 特殊とは、むろん出展される品。 第一次世界大戦中に帝政ドイツが刷り出したプロパガンダ・ポスターである。戦意高揚、スパイ警戒、…

壁に耳あり障子に目あり、ならもう全部焼き払え

屋根に関して、まま行政はやかましい。 東京、神奈川、京都あたりの一部地域でソーラーパネルの据え付けが義務化されつつあるように。 明治四十年代も、市民の頭上に「官」が嘴を入れてきた。茅葺屋根の根絶を、「お上」の威光を以ってして推し進めんとした…

喜ばしき欠落

明治三十九年一月十四日午前十時三十九分、東京、新橋駅頭は空前の熱気に包まれた。 凱旋したのだ、英雄が。 日露戦争の将星人傑多しといえど、わけても一際異彩を放つ、嚇灼たる武勲所有者。おそらくは東郷平八郎と国民人気を二分する、陸軍界に於ける聖将…

尊皇攘夷の秋は今 ―明治三十七年、対馬―

もはや開戦秒読みの時期。 再三の撤兵要求を悉く無視し撥ねつけて、帝政ロシアが持てる力と欲望を極東地域に集中しつつあったころ。 スラヴ民族の本能的な南下運動を阻まんと、大和民族が乾坤一擲、狂い博奕の大勝負に挑まんとしていたあの時分、すなわち明…

赤い国へと、血は流れ

日本人が死亡した。 遠い異境の地に於いて、政変に巻き込まれた所為だ。 政変とは、すなわちロシア二月革命。ペトログラードで流された血に、大和民族の赤色も、いくらか混じっていたわけだ。 (Wikipediaより、二月革命) その死に様は陰鬱に彩られている。…

空の鐘楼

奥平謙輔が実権者として佐渡ヶ島に乗り込んだのは、明治元年十一月のことだった。 翌年八月には職を擲(なげう)って帰郷とあるから、彼の統治は一年足らず、十ヶ月かそこらに過ぎない。 だがしかし、と言うべきか。斯く短期にも拘らず、佐渡ヶ島が負わされ…

大和民族の精神解剖 ―占領軍の立場から―

日本国憲法は前文からして間違っている。「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」? 寝言をほざくな、そんなの(・・・・)が、日本の周囲(まわり)のいったい何処に存在してやがるのか。 支那に南北朝鮮に、それからもちろんロシアも含め。どいつも…

惜別 ―さらば、福翁―

明治六年の発布以後、徴兵令は数次に亙って改訂され、補強され。より現実の事情に即した、洗練された形へと、段々進化していった。 初期のうちには結構あった「抜け道」、裏技の類にも、順次閉塞の目処がつき。 だが、なればこそ横着なる人心は、僅かに残っ…

ハワイ王国葬送歌

ここに一書あり。 大雑把に分類すれば嘆願状に含まれる。 さるハワイアン女性からアメリカ国民全体へ訴えかけた文である。 一八九三年二月十三日というのが、その書の提出(だ)された日付であった。 左様、一八九三年、ハワイ王国落日の秋(とき)――。 (ハ…

赤く染まったハンガリー

この世のどんな悪疫よりも性質(タチ)のわるい病患が、一次大戦終結後のヨーロッパに蔓延った。 共産主義のことである。 マルクス教と言い換えてもよい。 (Wikipediaより、カール・マルクス) イタリアでも、ポルトガルでもアカのカルトは跳梁し、社会を喰…

小金井巡礼 ―江戸東京たてもの園を散策す―

高橋是清邸に惹かれてやって来た。 江戸東京たてもの園、都立小金井公園の一角を占める野外博物館である。 その名の通り、十七世紀――江戸時代からこっちにかけて四百年、関東平野に築造されたあれやこれや(・・・・・・)の建物を、集めて維持して展示して…

白昼夢「大陸維新」

頭山満が支那へと渡る、玄洋社の志士五人を連れて――。 この一報に、 「ただでは済まない、何かが起こる」 朝野官民のべつなく、実に多くの日本人が同じ戦慄に苛まれ、神経過敏に陥った。 (Wikipediaより、頭山満) まあ、無理はない。 なにせ、時期が時期だ…

継がれゆくもの

商人の仕事は金儲けだ。 守銭奴が彼らの本質である。 世界に偏在する富を、己が手元に掻き集めること、一円一銭一厘たりとも忽(ゆるが)せにせず、より多く。それ以外にない、ある筈もない。またそうしてこそ、それに徹してみせてこそ、敏腕とも呼ばれ得る…

栗本鋤雲を猜疑する ―彼の伝えたヨーロッパ―

身を滅ぼすという点で、疑心暗鬼も軽信も、危険度はそう変わらない。 しかるに世上を眺めるに、前者を戒める向きは多いが、後者に対する予防というのは不足しがちな印象だ。「疑う」という行為自体に後ろめたさを感じる者も少なくないのではないか。ことによ…

追憶・東京日日新聞

『東京日日新聞』の調査に信を置くならば、満洲・ソ連国境地帯はキナ臭いこと野晒しの火薬庫も同然であり、昭和十年と十一年と、たった二年の期間の中に四百を超す不法行為がソ連側から仕掛けられたそうである。 もっともこれはあくまでも、「事件」として表…

語り部、ふたり ―咸臨丸夜話―

咸臨丸の航海は次から次へと不便続出、安気に暮らせた日こそ少ない、冒険というか、苦行であったが。わけても特に苦労したのは、水に関することだった――。 当の乗組士官たる、幕臣・鈴藤勇次郎はそんな風に回顧する。 左様、鈴藤勇次郎。 江川太郎左衛門に兵…

志士の肖像 ―板垣退助、会津戦争の戦利品―

中江兆民は奇行で知られた。 とある酒宴の席上で、酩酊のあまりにわかに下(・)をはだけさせ、睾丸の皮を引き伸ばし、酒を注いで「呑め呑め」と芸者に迫った件なぞは、あまりにも有名な逸話であろう。 その兆民の語録の中に、 「ミゼラブルといふ言葉の標本…

志士の肖像 ―井上馨のねぎま鍋―

「おれは料理の大博士だ」 とは、井上馨が好んで吹いた法螺だった。 ――ほんまかいな。 と、疑わずにはいられない。 発言者が伊藤博文だったなら、納得は容易、抵抗らしい抵抗もなく、するりと呑み下せただろう。伊藤の素性は、武士とは言い条、下級も下級の…

治乱興亡、限りなし

ギリシャは「勝ち組」のはずだった。 第一次世界大戦で、彼らはちゃんとつくべき側についていた。連合国に属したのである。おかげで戦後のお楽しみ、パンケーキ(領土)のカッテング(分割)にも与(あずか)れた。オスマントルコを喰い荒らし、アナトリア沿…

呪わしき凍土

飢餓ほど無惨なものはない。 飢えが募ると人間は容易く獣に回帰する。空き腹を満たすことだけが、欲求の全部と化するのだ。 朝めしはスープを、――それもキャベツと小魚だけがおなぐさみ(・・・・・)程度に浮いている、塩味のスープを飯盒の蓋に半分ばかり…

敵から学べ、より深く ―長脛王は弓が好き―

そのころ、叛乱があった。 きっかけは、まあ、益体もない。 ウェールズ人にイングランドの慣習を強制しようとしたところ、彼らはほとんど焚火に向かって放り込まれたマグネシウムのようになり、金切り声で拒絶を叫び、たちまち武装を整えて蜂起の運びとなっ…

北清役夜話

類焼の危険は常にある。 大陸に戦雲みなぎれば、その影響は間髪入れず島国日本に波及せずにはいられない。 アヘン戦争がいい例だ。あれで日本の知識層らは外夷のおそるべきを知り、危機意識を過剰なまでに膨れあがらせ爆裂させて半狂乱の態をなし、ところ構…

蜜月関係 ―技術と戦争―

南阿戦争の期間中、英軍は補給に一計を案じた。 真空乾燥器の活用である。 蔬菜類をこの機械にぶち込んで、水分という水分を除去、体積の大幅な縮小と長期保存に便ならしめた代物を、前線めがけてどっと送り込んだのだ。 (Wikipediaより、ボーア戦争) 今で…

藩政小話 ―南部盛岡馬市場―

毎年八月晩夏のみぎりに達すると、南部盛岡城下の街は俄かに騒がしさを増して、士農工商のべつなく誰も彼もが気忙しそうに動き出す。 江戸から客が来るためだ。 「将軍家用馬買上」のため、白河関をくぐり抜け、日本列島の上半身をはるばると、公儀役人の一…

戦場の狼、政界の豚

「戦場での猪武者が、政治の庭では豚野郎に堕しおった」 九郎判官義経という国民的偶像を、ここまで情け容赦なくこき下ろすやつも珍しい。 三宅雪嶺、昭和十四年の言だった。 (Wikipediaより、三宅雪嶺) 「あいつはいったい、何をメソメソ、腰越状なぞ書い…

ハイ・ボルテージ

『ARMORED CORE Ⅵ FIRES OF RUBICON』の戦闘メカ(AC)は、麻薬性の物質を燃料として駆動すると耳にした。 なんなんだその世界観、魅力的にも程がある。昂り過ぎてどうにかなっちまいそうだ。素敵滅法界なこと、掛け値なしな舞台背景。今すぐ全てを焼き払い…

露人去りて後

ベーリング海は魚族の宝庫だ。 汽船どころか帆船時代に於いてさえ、四十五万三千三百五十六匹の鱈を獲った船がある。 彼女の名前――どういう次第か、フネは往々、女性人格を附与される――は、ソフィ・クリステンセン号。総計五ヶ月、出漁しての成果であった。 …

テラインコグニタ ―合衆国の北西部―

日本の鉄道運行が時刻表に極めて忠実なることは、戦前すでに定評があった。 一九三〇年代半ばごろ、この島国を旅行したエドワード・ウェーバー・アレンというアメリカ人が書いている、 「日本の汽車は特色がある。 狭軌で、遅く、国有経営である。たまには臭…

第二次大戦ひろい読み

一九四一年、レンドリース法、議会を通過。 この一報が電波に乗って日本国に伝わるや、日頃「米国通」を以って任ずる一部の言論人たちに、尋常ならざる波紋が起きた。 震撼したといっていい。 就中、鶴見祐輔に至っては、同年五月に寄稿した「ルーズヴェルト…

満洲移民五十万 ―第二次日露戦への備え―

児玉源太郎の訓示を見つけた。 あるいはその草稿か。 南満洲鉄道会社創立委員長として、同社の使命――大袈裟に言えばレゾンデートルとは何か、杭でも叩き込むような力強さで定義づけたものである。 蓋し味わう価値がある。 (Wikipediaより、児玉源太郎) 「…