穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

歴史

尾崎行雄と脱亜論

尾崎行雄はとにかく日本の悪口を言う。手当たり次第に罵倒する。そのくせ英米を筆頭とする西洋文明に対しては、彼の毒舌はまったくなりをひそめてしまい、却って美点ばかりを取り上げるから ――外尊内卑の軽薄漢。 ――盲目的な西洋崇拝。 等々と、当時から雨の…

天皇と雨 ―幌を取り去れ―

記録的豪雨を観測した翌日だ。 何か、雨にまつわる記事でも書こう。 そう思ったとき、真っ先に浮かんだのが昭和天皇の竜顔だった。 陛下がまだ御幼年――皇太子殿下であらせられた時分の話だ。ご見学のため、佐渡ヶ島を訪問する機会があった。 現地の人々はこ…

檜と赤福 ―『明治の御宇』より、伊勢神宮に纏わるこもごも―

二十年周期で伊勢神宮は一新される。 二つの正宮、十四の別宮、鳥居、御垣、装束、神宝等々、果ては宇治橋に至るまで、一切合切総てがだ。 その造営のために用いられる木材は、悉皆檜でなければならぬと『明治の御宇』にて栗原氏は書いている。 それも檜であ…

徳川幕府と大英帝国 ―後編―

その日、1616年9月1日。 アダムスはリチャード・コックスを伴って登城した。 家康の名の下に許可されていた英国の様々な特権を、新たな「天下様」である秀忠の治下に於いても保証してもらわんがためである。 言うなれば、契約の更新だった。 (Wikipediaより…

徳川幕府と大英帝国 ―中編―

ウィリアム・アダムスの介添えにより、ジョン・セーリスの対日交渉は彼自身信じかねるほどうまく運んだ。 そのあたりの消息を、略譜風に述べてみたい。 1613年 1月某日、セーリス、バンタムを出航。 6月11日、平戸へ到着。平戸領主松浦法印鎮信、江戸に急報…

徳川幕府と大英帝国 ―前編―

1611年4月、イギリスはテムズ川の河口から三隻の船が外洋へと旅立った。 船団を率いるはジョン・セーリス。当時の国王・ジェームズ一世の国書をあずかり、遥か極東の島国に届け、以って通商を開くことが彼に与えられた使命であった。 それからおよそ一年半後…

ゴールポストを動かす国 ―事大主義の毒―

前回の記事、「豊臣秀吉の同化政策 ―文禄の役前夜譚―」の続きである。 関ヶ原の戦勝により一挙に天下の権を掌握した家康の背には、至極当然の流れとして前の天下人である秀吉の起こした対外戦争の後始末まで継承することになる。 なにしろ秀吉という男は、大…

豊臣秀吉の同化政策 ―文禄の役前夜譚―

文禄元年(1592年)三月というから、朝鮮出兵の第一回目、「文禄の役」を間近に控えたある日のことだ。 太閤豊臣秀吉は、この戦争を監督するため大阪城から腰を上げ、大陸によほど近い肥前名護屋の大本営に移らんとした。 そのとき居並ぶ群臣の中から、勇を…

中華思想への反撥者たち

応神天皇の御代(みよ)というからよほど古く、話は半ば神話の色を帯びてしまうが、とにもかくにもこの時代。 高句麗の王の使節が、国書を携え渡海してきたことがあった。 百官有司、威儀を正してこれを迎え、恭しくその表文を捧呈する用意がたちどころに整…

家康の遺産 ―「久能山御蔵金銀受取帳」並びに「駿府御分物御道具帳」より―

江戸城無血開城に於ける挿話である。 薩摩藩士で当時西郷隆盛の参謀役を勤めていた海江田信義が城内の府庫を改めたところ、積まれている金の量が、意外に少ない。思わず立ち会いの山岡鉄舟を顧みて、 「もっとあるはずじゃが?」 と訊ねたのが、迂闊だった。…

ドン・バルトロメオ譚 ―「最初のキリシタン大名」について―

父親の葬儀で位牌に焼香をぶっかけたというのは織田信長のあまりにも有名なエピソードだが、戦国時代にはこの逸話に匹敵するか、あるいはもっと凄まじいことをやってのけた奴がいる。 肥前の大名、大村純忠のことである。 この男があるとき祖先の仏寺に参詣…

文明の継承者 ―ジョン・ラスキンとセシル・ローズ―

生れてから自分は、こんな汚い町を見たことがない。もう数ヶ月間、雨が一滴も降らない。温度は日向で160度、日蔭で97度だ。町から5マイル四方に一本の木もなく、草を見ようと思ったら、20マイルは行かなければならない。家という家は、悉くナマコ鉄板。喉を…

ひらけゆく江戸 ―家康公の御英断―

神田山が崩されたのは、慶長八年(1603年)のことだった。 「爰(ここ)もかしこも汐入の葦原にて、町屋侍屋敷を十町と割り付くべき様も」ない――すなわち海水が入り混じり、葦ばかりが生い茂る当時の江戸を、人間が集団生活を営むに適した確固たる大地に生ま…

武蔵野・江戸の原風景 ―権現様の関東入国―

家臣たちは、おおかた鎌倉か小田原あたりになるだろうと予測していた。 北条征伐の後、関東二百五十万石に封ぜられた家康が、その居城として定めるべき城は、である。 それがいざ蓋を開けてみれば「江戸」などというとんでもない大田舎の名が飛び出してきた…

徳川家康と岩崎弥太郎 ―紙一枚たりともおろそかにせぬ男たち―

既に幾度か取り沙汰した『修養全集 11 処世常識宝典』は、流石に昭和というあの時代に編まれた修養本なだけあって、倹約を奨励する記述が至る所で目に入る。 それは単に理論をもてあそぶのみでなく、 薪などは薪と薪との間を適当に空かせて、火力が鍋や釜の…

井上馨と波佐見金山 ―明治四十四年の失態―

昨日紹介した『修養全集 11 処世常識宝典』には、実のところ渋沢栄一翁も小稿を寄せてくれている。 「叱言(こごと)の言ひ方」と題したその中で、翁は明治の元勲・井上馨を引き合いに出し、 叱言をいふ際には、必ず他人の居らぬ処ですべきである。故井上馨…

ペルーのコカ・チューイング

西洋文明とコカの最初の接触は、1533年、スペインの軍人であるフランシスコ・ピサロが200名弱の兵を率いてペルーを征服したときだった。 原住民たるインディオにとって、コカほど神聖なものはまたとない。その葉を噛めばたちどころに悲しみは癒え、もう一歩…

欧州大戦下のウィンストン・チャーチル ―アスキス首相の日記から―

彼は歴史の梶をその手に握った男であった。 ハーバート・ヘンリー・アスキス。 第一次世界大戦勃発当時、大英帝国の首相を務めていた人物である。 (Wikipediaより、アスキス) 結果的には彼の指揮するところによってイギリスはドイツに宣戦布告するのだが、…

祖国の誇り ―アテナイからイギリスへ―

「アテナイ人には愛国心を教えることを要しない。彼らはただ一目アテネの都を見ることによってこの国に対して恋に陥るであろう」 ただでさえ偉大であった古代アテネをいよいよ偉大にした男、かの都市国家に繁栄の絶頂を齎せし導き手として人類史に不朽の金字…

大正皇后の御聖徳 ―関東大震災慰問編―

――何十年かぶりに、東京からでも富士の高嶺がありありと拝めた。 古老をして斯く言わしめたほどに、地上物の一切合財を破壊し尽くした関東大震災。 大正十二年九月一日に発生したこの未曾有の災禍を受けて、時の首相・山本権兵衛率いるところの内閣は「復興…

鉄道王の大激怒 ―小村寿太郎とエドワード・ハリマン―

前回、せっかく小村寿太郎に触れたのだ。 ここはひとつ、彼と併せて語られることの多いアメリカ合衆国の鉄道王、エドワード・ヘンリー・ハリマンについても語らねば、なにやら勿体ないような感じがする。 ゆえに、書こう。 (Wikipediaより、ハリマン) フロ…

小村寿太郎の評価について

いったい小村寿太郎という人物は、外交官として有能だったのか、どうか。 この疑問を解き明かすには、なるたけ多角的な視点から彼を観察せねばなるまい。差し当たってまず第一に、1905年8月10日以降、アメリカ、ポーツマスにて日露戦争講和条件の諾否をめぐ…

尾崎行雄と偽装大国

咢堂こと尾崎行雄が、軽井沢の別荘に起居していたころ。彼にはひとつの習慣があった。 早朝、日の出とほとんど時を同じゅうして戸外に出、浅間山の広闊なる裾野にて乗馬運動を楽しむのである。 ところがその日、いつもの日課をこなすべく玄関を出でた咢堂は…

『柳樽』川柳私的撰集 ―其之弐―

里のない 女所(にょうぼう)は井戸で 怖がらせ 井戸をどうやって脅しの道具に使うのかというと、こういう次第だ。 まず、袂に重そうな石をどっさり詰め込む。 身がずっしりと重くなったところで、次に井戸の縁に腰を下ろして体を揺らし、今にも落下しかねな…

不義密通の報い也 ―火刑、八つ裂き、生き晒し―

時は中世ヨーロッパ。愛妻家で知られたとある貴族は、しかし妻の浮気を知るに及んでそれまでの性情を一変させた。 彼は妻を捕らえると、その歯を一本残らず引き抜いて、治療もせずに壁の中のわずかな隙間に監禁し、そのまま死ぬまで放置したのだ。 身じろぎ…

更紗兎とチベタン・マスティフ ―投機対象の動物たち―

明治初頭の日本に於いて、天竺鼠ことモルモットが錦鯉よろしく愛玩され、異常な値上がりを見せたことは、上記の記事にて以前述べた通りである。 が、同時期に異常な値上がりを見せた生物は、ひとりモルモットのみではなかった。 兎も同様だったのである。や…

古老の教え、感傷の盆

新橋―横浜間に鉄路が敷かれ、そこを汽車が往来するようになり、その運賃が二十銭だったころの話である。 遊郭の格子先に腰を下ろして煙草をふかし、「東京」と改称されてまだ間もないこの大都市の通りを行き交う人波を、何の気なしに眺めている青年がいた。 …

「ギブミーチョコレート」の系譜

維新史で江戸がクローズアップされるのは、たいてい彰義隊騒動以後であり、それまでこの百万大都市は風雲をよそに眠りこけていたかのような観がある。 が、事実は決してそうではない。 時勢の影響は、しっかりと随所に於いてあらわれていた。 徳川慶喜が江戸…

当たり屋の先祖、文箱割り

江戸時代、京の貧乏公卿たちが好んで用いたゆすりたかりの手口があった。「文箱割り」と呼ばれる技である。 菊の御紋のついた文箱を使いに与え、市街に送り出すところからそれは始まる。使者は丹念に獲物を物色し、やがて「これは」と思った相手を見つけると…

土井晩翠激情の歌 ―黒龍江虐殺事件―

19世紀も残すところ五ヶ月を切った、1900年8月3日。 中国大陸東北地方、黒龍江にて耳を塞ぎたくなる惨事が起きた。 虐殺である。義和団事件の混乱を幸い、この機に乗じて満蒙一帯の支配を盤石ならしめんと画策した帝政ロシアの手によるものだ。 (Wikipedia…