穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

断章

北門小話

「北海道では馬乗りでなければ選挙に勝てない。内山吉太が屡々勝利を博し得たのも、馬術に長じていたのが第一だ」 北海道の特殊性を表現するに、楚人冠はこのような論法を以ってした。 彼の地は広い。東北六県に新潟県を併せてもなお幾許(いくばく)か及ば…

福澤諭吉の戦争協力 ―『日本臣民の覚悟』―

引き続き、『学府と学風』に関して記す。 前回は書き込みばかりで少しも内容に触れられなかった。 今回はここを補ってみたい。 本書の中で小泉は、よく日清戦争の当時に於いて福澤諭吉が如何な態度を示したかを引き合いに出す。現在進行形で支那を相手に戦火…

慶應義塾出征軍人慰安会ヨリ ―八十島信之助の署名―

前の持ち主が意外な有名人だった。 昭和十四年発行、小泉信三著『学府と学風』のことである。 だいたい昭和十二年から十四年までの期間に於いて、小泉が行った講演・演説・祝辞の類を纏めた本書。その奥付に、以下の書き込みを発見したのだ。 昭和十四年十一…

ベルの燈台

フランス北西、ブルターニュ地方はキプロン半島の沖合に、ベル=イル=アン=メールという島がある。 優美な島だ。 名前からしてもう既に、その要素が含まれている。フランス語でベル(Belle)は「美しい」を、イル(Île)は「島」をそれぞれ意味するものら…

アメリカ三題 ―楚人冠の新聞記事から―

思わず声を立てて笑った。 楚人冠全集第十四巻、『新聞記事回顧』を読み進めていたときである。 頁を捲った私の眼に、このような記事が飛び込んで来たのだ。 嘗てパリの労働者間に酒類に代へて石油飲用の流行したることあり。又露国が戦時禁酒を行へる当時、…

1925年のダマスカス ―フランス軍、暴徒に対して爆弾投下―

1925年、シリア、ダマスカスの市街に於いて。 フランス軍は暴徒鎮圧に爆発物を投入し、ナポレオン・ボナパルトの勇壮な精神の輝きが遺憾なく受け継がれていることを内外に示した。 (長谷川哲也『ナポレオン 獅子の時代』13巻より) 順を追って説明しよう。 …

トルコアヘンは大人気 ―イスタンブールの日本人―

「ウチのアヘンはもの(・・)が違う。紛れもなく、世界最高品質だ。一度でもその味を知ってしまえば、二度と再び他国製では満足できなくなるだろう――」 そのトルコ人の自慢話がまんざら誇張でもないことを、大阪朝日の特派員・高橋増太郎は知っていた。 彼…

英雄的独裁者 ―特派員の見たトルコ―

1927年10月28日、トルコは死の如き静寂に包まれた。 政府がその威権を発動させて、全国一斉に外出禁止を布(し)いたのだ。 目的は、戸口調査こそにある。 オスマントルコ時代に行われていたような不徹底さを全然廃し、今度こそ完全に己が姿を直視せんと、当…

山吹色の幻夢譚 ―昭和七年のゴールドラッシュ―

昭和七年はゴールドラッシュの年と言われた。 水底(みなそこ)に沈んだ宝船、山奥に秘められし埋蔵金、海賊どもが無人島にたっぷり集めた略奪品――。 未だ見ぬ幻の黄金を求めて。遥かな時の砂の中から我こそそれを掘り出さん、と。日本全国津々浦々、誰も彼…

南の島のレッド・パージ ―緑の魔境の収容所―

ある日、牛が盗まれた。 ジャワ島東部、日本人和田民治が経営するニャミル椰子園に於いてである。 これが日本内地なら、迷わず警察に通報する一択だろう。一時間もせぬうちに附近の交番から巡査が駈けつけ、同情の意を表しながら現場検証に取り掛かってくれ…

切腹したがる子供たち ―志村源太郎・岡本一平―

志村源太郎という男がいた。 山梨県南都留郡西桂村の産というから、神戸挙一の生まれ故郷たる東桂村とはごく近い。 ほとんど袖が触れ合うような隣村関係といってよく、志村が日本勧業銀行総裁に、神戸が東京電燈社長の椅子に就いて以降は、互いに意識し合う…

盲人による美術鑑賞 ―寺崎広業、環翠楼にて按摩を試す―

箱根塔ノ沢温泉に環翠楼なる宿がある。 創業はざっと四世紀前、西暦1614年にまで遡り得るというのだから、よほどの老舗に違いない。 「水戸の黄門」こと徳川光圀をはじめとし、多くの著名人がその屋根の下で時を過ごした。 秋田県出身の日本画家、寺崎広業も…

天穂のサクナヒメ ―青木信一農学博士をかたわらに―

『天穂(てんすい)のサクナヒメ』を購入した。 『朧村正』を夢中になってプレイした過去を持つ私にとって、決して見逃せぬタイトルである。和を基調とした世界観といい、横スクロールアクション的な戦闘といい、かの名作を彷彿とさせる要素がてんこ盛りであ…

続・植民地時代のジャワの習俗 ―道路・散髪・美容術―

お国柄というものは、植民政策の上に於いても如実に反映されるらしい。 たとえばオランダ人は道路を愛する。 左様、その重視の度合いは最早偏愛としか看做しようのないものであり、このためたとえば和田民治が根を下ろしたジャワ島などは、網目の如く車道が…

植民地時代のジャワの習俗 ―出産・育児篇―

和田民治という男がいた。 明治十九年生まれというから、ちょうどノルマントン号事件が勃発した年である。 三十路を越えてほどもなく、蘭印――オランダ領東インドに渡った。 以後、およそ二十年もの長きに亘り、彼の地で開墾・農園経営に携わり続けた人物であ…

続・文明堂と帝国海軍 ―軍縮をきっかけとして東京へ―

宮崎甚左衛門が人に使われる立場から、人を使う立場に移行したのは、大正五年十月二十五日のことである。 この日、彼は佐世保の街に文明堂の支店を開いた。 一国一城の主になったのである。男としての本懐であろう。それはいい。ここで疑問とするべきは、 ――…

文明堂と帝国海軍 ―長官室にフリーパスのカステラ屋―

地下鉄三越前駅から文明堂東京日本橋本店に行く場合、A5出口を使うのが、経験上いちばん手っ取り早く思われる。 ここを出たら、後は右手側に直進するだけでいいのだ。 二分もせずにこの看板が発見できることだろう。 先日カステラを買った際には、おまけとし…

「今に見てろ」という言葉 ―踏まれても根強く保て福寿草―

宮崎甚左衛門の『商道五十年』を読んでいると、「今に見ていろ」等逆襲を誓う意味の言葉が散見されて面白い。 前回の記事からおおよそ察しがつく通り、この東京文明堂創業者は極めて律義な性格で、しかしながらそれゆえに、劫を経た古狐のように悪賢い世間師…

焼け野原での墓参り ―宮崎甚左衛門の孝心―

――カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂。 「有名」などという言葉では、慎まし過ぎてとても現実に即さない。 あまりにも人口に膾炙されきったキャッチフレーズ。それを発想した男、東京文明堂創業者・宮崎甚左衛門。 現在私の知る限りの範囲に於…

酒、酒、酒、酒 ―このかけがえなき嗜好品―

ドイツがまだワイマール共和国と呼ばれていたころの話だ。 第十二代首相ブリューニングの名の下に、ビール税の大幅引き上げが決定されるや、たちどころに国内は、千の鼎がいっぺんに沸騰したかの如き大騒擾に包まれた。 もともと不満が鬱積している。 政治家…

令和二年の東京受胎

本日発売のゲームソフト、『真・女神転生Ⅲ NOCTURNE HD REMASTER』を買って来た。 「リマスター」とあるからには、当然元々のソフトが存在している。 2003年にアトラスから発売されたPS2のタイトルで、その中古品が秋葉原の店頭に並んでいるのを幾度か見た。…

パナマ運河と黄熱病 ―文明国の面目躍如―

医療行為の最善が予防にあるということは、いまさら論を俟たないだろう。 孫子の兵法になぞらえるなら、戦わずして勝つの極意そのものである。 日本でも早くからこのあたりの要諦に気がついていた人はいて、中でも高野六郎という医学博士は、その最も熱烈な…

医者の随筆 ―将棋・外套・原子爆弾―

医者の随筆は面白い。 医者を(・)書いた文章ではなく、医者が(・)書いた文章である。 高田義一郎、式場隆三郎、正木不如丘、渡辺房吉、福島伴次――結構買ったが、今のところハズレを引いたことがない。どれもこれも、最後の一ページに至るまで、私の興味…

続・米田実という男 ―マスター・オブ・アーツ―

上京して暫くの米田実の生活というのは、まったく「苦学生」を絵に描いたようなものである。 朝はまだ星の残る早くから、新聞売りとして声を張り上げ駈け廻り、それを済ますと図書館に突撃、自学自習を開始する。 さてもめまぐるしい肉体労働と頭脳労働のサ…

米田実という男 ―忘れ去るには惜しき者―

前回、せっかく米田実に触れたのだ。 この人についてもう少しばかり掘り下げてみたい。 私はこれまで彼の著作に何冊か触れ、しかもその都度、得るところ甚だ大であった。半世紀以上も前に著された本であるというのに、その知識は鮮度を保ち、みずみずしい驚…

「ドルの国」との交際術 ―戦前の「アメリカ通」な男たち―

訴訟大国アメリカといえど、これはなかなか珍しい例に属するのではあるまいか。 ロビイストが企業を相手に、法廷闘争を挑んだのである。 1929年8月24日のことだった。 この日、ウィリアム・B・シャラーという人物がにわかに世の表舞台に躍り出て、三つの大造…

繁栄の条件 ―国際場裡の腹黒さ―

来るべきものがついに来た。 大日本帝国が帝政ロシアに国交断絶を突き付けたのだ。 もはや極東を舞台として一大戦火が巻き起こるのは誰の眼にも不可避であった。風雲急を告げるこの秋(とき)、もしも彼らに発声機能があったなら、 「俺たちはどうなるんだ」…

ジョン・ラスキンのシェイクスピア評

セシル・ローズの恩師に当たるジョン・ラスキンは、あるときシェイクスピアの作品群を批評して、 「碌な男がいない。この中にはただの一人も、大丈夫がいないのだ」 と吐き捨てた。 (Wikipediaより、ジョン・ラスキン) ラスキンの眼光にかかれば、たとえば…

赤羽橋のいまむかし ―芝東照宮参詣余録―

芝東照宮へ参詣したあと。折角ここまで来たのだからと、しばし四辺(あたり)を散歩した。 で、芝公園の隅の芝生に見出したのがコレである。 横の看板には、「災害用マンホールトイレ」と記されていた。非常の際には蓋を開いて便座を据え、テントか何かで囲…

芝東照宮参詣記

先日、芝東照宮へ参詣(おまいり)に行った。 東京都港区は芝公園の一角に在る、四大東照宮の一角だ。残る三社は、上野東照宮、久能山東照宮、日光東照宮。 そのことについて書こうと思う。 東照大権現神君徳川家康公の御霊を祭るこのお宮には、本来もっと早…