穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

アイルランドのタウセンド ―人の未知なる部分について―

寝つきの悪さに悩まされている。 ここのところ、どういうわけか夜中布団に入っても、なかなか「眠り」が訪れてくれず、一時間以上も瞼の裏の闇を見つめて悶々とすることが多いのだ。 おかげで日中でも思考がときに粗雑化し、集中を保つのが難しくなり、この…

赤木しげると上野陽一 ―「まとも」の不在を説いた人々―

自分探しがしたいのならば、精神病院を見学しに行くといい――。 そう奨めたのは産業能率大学創始者、「能率の父」上野陽一その人だった。 (何を言い出すんだ、この男) 私は面食らう思いがした。至極順当な反応だろう。が、話の続きを聴くにつれ、懐疑は次第…

石黒忠悳の座談術 ―「兵役逃れ」への対処―

義務はなるたけ回避して、権利は最大限に主張する。どうもそれが、近代式の「賢い生き方」というヤツらしい。 さる子爵の一門も、ご多分に漏れず賢明に生きようと心がける人々だった。 この家の次男坊の年齢が、もうじき二十歳に達せんとした秋(とき)であ…

直木三十五の大阪評 ―遠き慮りなき者は、必ず近き憂いあり―

「朝は早く、夜は遅く」――。これこそが、昭和十三年までの日本の商店のモットーだった。 鶏鳴暁を告ぐる以前に店を開け、草木の寝息を聞き届けてから漸くのこと暖簾を入れる。早朝から深夜までの超長時間営業。しぜん、従業員への負担は並大抵のものでない。…

上野動物園の血闘 ―老猪の見せた「受け返し」―

生き物相手のお仕事だ。四十年も動物園に勤めていれば、眼を疑う突飛な事態に出くわすこととて一再ならずあるだろう。 「けれど、明治三十三年のアレはとりわけ群を抜いていたよ」 上野動物園の名園長、「動物園の黒川さん」こと黒川義太郎園長は、晩年人に…

映画浄化十字軍 ―ヘイズ・コード成立奇譚―

自由の国とは言い条、アメリカでは時として、とんでもなく馬鹿げた規制が罷り通るものらしい。 悪名高き禁酒法のあの時代、大激動に見舞われたのは独り酒精関連でなく、映画業界も同様だった。「映画浄化十字軍」なる大仰な名前の運動が、ローマ・カトリック…

夢路紀行抄 ―変態する同居人―

夢を見た。 鳥が猫になる夢である。 夢の舞台は、現実の私の部屋と変わらない。そっくりそのままといっていい。枕元の時計の位置まで完全に再現されていた。 ただ一点、明確な差異は、窓のサッシに鳥の巣が出来ていたことか。 藁や枯草を組み合わせて設えら…

シュプリューゲンの雪崩決闘 ―岐阜の地震に思うこと―

真っ白な瀑布が山襞を滑り落ちてゆく――。 昨日13時13分、岐阜県飛騨地方深さ10㎞を震源として発生した地震。マグニチュード5.3のエネルギーは隣接する上高地の山体を揺さぶり、数ヶ所に渡って雪が崩れた。 あの映像を見て、ひとつ思い出したことがある。 溯…

現人神スチンネス ―「Das walte Hugo」―

知れば知るほど、こんな人間が現実に存在し得るのか、と、驚きを通り越して呆れが募る。 Hugo Stinnes。 一連のアルファベットの日本語表記は、スチンネスだのスティルネルだの、はたまたシュティネスだのいろいろあって、煩雑なことこの上ない。差し当たり…

昭和七年の不審者情報 ―鶏の祟りに苦しむ男―

その不審者が淀橋署に引っ張られたのは、昭和七年十一月二十五日、草木も眠る丑三つ時もほど近い、午前一時のことだった。 柏木三丁目あたりの通りを、鶏の鳴き真似をしながらほっつき歩いた罪に因る。まだまだ日の出は遠いのに、こんなことをされてはたまら…

「書き込み」小話

ここ数日来、幾度となく引用させていただいた『東郷元帥直話集』には「書き込み」がある。 その巻末、本文終了後のひろびろと空いた余白の中にしたためられた文章だ。 東郷元帥の面影をまのあたり、観る如く、極めて、興湧く之を読む、加治屋町の生んだ大英…

家康公と東郷元帥・後編 ―猛火を防いだ物惜しみ癖―

吝嗇――物惜しみする心の強さも、東郷は家康に劣らなかった。 たとえば菓子や果物の類を贈られたとする。受け取った東郷、箱を捨てないのはもちろんのこと、その箱を覆っていた包み紙や、あまつリボンの一本までをも、破らないよう注意深く取り外し、皴をのば…

家康公と東郷元帥・前編 ―不自由を常と思へば不足なし―

反応に困る光景だった。 当家――海江田邸に長年仕えるお抱え車夫の松吉が、眉間のしわ(・・)も深々と、ひどくむっつりした表情で、水を飲むでも物を喰うでもないくせに台所に蟠踞して、周囲の空気を沈ませているのだ。 発見者は異様な感に打たれたが、かと…

東郷元帥と烈女たち ―乃木静子と東郷益子―

東郷平八郎が乃木希典を第三軍司令部に訪問したのは、明治三十七年十二月十九日のことだった。 このとき、旅順要塞は未だ陥落していない。 が、港湾内のロシア艦隊。こちらの方はほぼほぼ海の藻屑と化しきって、長く続いた攻囲戦にもどうやら一定の目処は立…

ロシア人の侮日感情 ―「日本人を皆殺しにせよ」―

※2022年4月より、ハーメルン様に転載させていただいております。 開戦前の当地に於ける侮日感情の激しさときたら、そりゃもう箸にも棒にもかからない、度を逸しきったものだった。 ロシア人たちは体格の有利を笠に着て「極東の猿」を嘲笑い、 「あのような矮…

裏側から見た日露戦争 ―ドイツ通信員の記録より―

※2022年4月より、ハーメルン様に転載させていただいております。 帝政ドイツの通信員、マックス・ベールマンは呆然とした表情で、ハルピンの街頭に突っ立っていた。これは真(まこと)に、戦時下に於ける光景か。 市内は到る処遊戯歓楽に耽り、二ヶ所の劇場…

与謝野夫妻と山本実彦 ―屏風の歌に在りし日を偲ぶ―

晩年、渋沢栄一は、「論語」を書きつけた屏風をつくり、その中で寝起きすることを何よりの愉快としたらしいが、改造社社長、山本実彦も似たような逸話を持っている。 彼の場合、屏風に墨を入れたのは、与謝野鉄幹と晶子の夫妻に他ならなかった。 (左から、…

昭和十一年の森林窃盗 ―山本実彦の記録から―

改造社の文庫本なら、私も何冊か持っている。 例えば、ここに掲げた二冊。菊池寛の『無名作家の日記 他二十三篇』に、横井時冬『日本商業史』。 手に取ると、紙とは異なる滑らかな触感が伝わってくる。よく磨き上げられた胡桃の殻が、あるいは近しいやもしれ…

迷信百科 ―自殺者の魂、その行方―

なにゆえ人は、みずから命を絶ってはならぬのか? この命題に、過去多くの民族が、 ――自殺者の魂は、決して極楽に往けないからだ。 と回答してきた。 彼らに死後の安息なぞは訪れず、殺人犯や強姦魔――恥を知らない人面獣心の罪人どもと同様に、地獄の底で獄…

大震災下のビブリオマニア ―穴を掘る者、阿部秀助―

由々しき事態が進行している。 未読の古書が切れそうなのだ。 世に垂れ込める大暗雲、忌々しいコロナ禍により、贔屓にしている神保町の古書店が、片っ端から休業していることに因る。日本どころか世界でも有数だった「本の街」は、今や繕いようのないシャッ…