穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

アイルランドのタウセンド ―人の未知なる部分について―

 

 寝つきの悪さに悩まされている。


 ここのところ、どういうわけか夜中布団に入っても、なかなか「眠り」が訪れてくれず、一時間以上も瞼の裏の闇を見つめて悶々とすることが多いのだ。


 おかげで日中でも思考がときに粗雑化し、集中を保つのが難しくなり、このままいくと遠からず重大なしくじりを演じそうで気が気ではない。


 こんなとき、野比のび太が羨ましくなる。たったの0.93秒で入眠することが可能であった、おそらくは日本一有名な小学生が。彼の如くまるでスイッチを切り替えるようにあざやかに、意識のオンオフをコントロールできないものか。


 これはあながち夢物語とも思えない。というのも世の中にはもっと凄まじいやつがいて、眠るどころか自らの意思で死んだり生き返ったりできたというから、それに比べれば現実味のある、随分と慎ましやかな願いであろう。


 生と死の境界線上で戯れるその人物は、アイルランド共和国の首都、ダブリン市に住んでいた。


 名を、タウセンドというらしい。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200530171203j:plain

(ダブリン市)

 


 彼の臨死体験は多くの医師の見学に供され、克明に記録されている。以下はそのうちのチェイノなる人物が遺した記述。

 


 彼はいつでも、その好む時に死んで、又自家の努力によって蘇生し得る、彼は仰臥して、暫く不動でゐた。この時脈を取ると、それが次第に弱くなって遂に打たなくなった。それで種々精細な方法を用ひて、之を窺ったが、それでも脈拍は不明であった。
 ドクトル・ベイイルドも、胸部を検して、最小の運動をも感ずることが出来なかった。ドクトル・マクラインは、口に鏡を当てて見たが、その面に少しも曇を生じなかった。一口に言ふと、彼には生の最小徴候をも見出さなかった。(昭和十年、石川成一著『世界奇風俗大観』237頁)

 


 この時代に脳波を測定する術がなかったことが惜しまれる。

 
 とまれ、タウセンドの「死に様」があまりに見事でありすぎたため、集まった医師たちはこの状態から再び息を吹き返すなど到底有り得る話ではない、タウセンド氏は試験に深入りするあまり、とうとう本当に・・・死んでしまったと結論付けた。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200530171503j:plain

 


 ところが彼らの常識的判断は、下したそばからごくあっさりと覆される。

 


…吾等が立ち去らうとする時にあたって、彼の身体が少し動いたのを見た、そこで之を検して見ると、脈も搏ち、心臓の鼓動も次第に恢復して来た。それからやがて深く息を始むるばかりか、又小声で話し出した。(同上)

 


 2012年にもスウェーデン北部の林道で、雪に埋もれた車の中、食糧のないにも拘らず、自己の肉体を冬眠状態に導くことで二ヶ月間を生き延びた男性の話が伝わっている。

 

 この人物は発見時、22℃という極端な低体温状態で、大半の臓器が機能停止していたが、その後の経過は万事順調、後遺症を残すことなくすっかり恢復してのけた。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200530171800j:plain

 


 こういう話を耳にするたび、ジャイロ・ツェペリ


「人間には未知の部分がある」


 というセリフを思い出す。


 この未知の部分、ぜひとも開拓して欲しい。人間はもっと、その機能を拡張してゆくべきなのだ。「不死」は目指さなくともよいが、「不老」はどこどこまでも追及すべきだとのたまったのは誰であったか。うろ覚えだが、全面的に同意する。頭も体も衰えぬまま、百年でも二百年でも生きられるなら生きたいものだ。


 なんだかとりとめもなくなってきた。話の纏めに失敗した感がある。睡眠不足の所為であるに違いない。今夜こそ恙なく眠れるとよいが。酒の力でも借りようか。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

赤木しげると上野陽一 ―「まとも」の不在を説いた人々―

 

 自分探しがしたいのならば、精神病院を見学しに行くといい――。


 そう奨めたのは産業能率大学創始者、「能率の父」上野陽一その人だった。


(何を言い出すんだ、この男)


 私は面食らう思いがした。至極順当な反応だろう。が、話の続きを聴くにつれ、懐疑は次第に納得へと変わっていった。

 

 

Sangyonoritsuuniv

 (Wikipediaより、産業能率大学

 


 まず、上野陽一に言わせれば、まともな人間・・・・・・など地球上に一人たりとて存在しない。それはあくまで理想界にのみ存在し得る概念であり、人はみな変態というのが本当の姿だ。

 


 之を譬へていふと、円のやうなもので、円の中心は正態である。けれども中心は一つの点であって、位置はあるが面積のないものである。この点から外れたものは皆正態とは多かれ少なかれ違ってゐる。即ち変態である。(大正六年『変態心理』)

 


 正常が理想上の産物でしかない以上、我々はみな異常者だ。


 違いがあるとするならば、その濃度と、方向性以外にないだろう。


 上下左右、円のどの領域に位置しているか。中心点からの距離は如何ほどか。あまり外周にぶっ飛び過ぎれば精神病院の御用になるし、かと言って中心点に近ければ近いほどいいのかと言うと、これも実はさにあらず。

 そういう手合いは毒にも薬にもならない代わり、大した仕事をして社会に貢献することもできないというのが「能率の父」の見解だ。


 結局のところ、一番世の中の役に立つのは中心と外周、その中間あたりに分布している人々である。

 


 一体この世の中には、種々雑多な人がゐるので初めて発達して行くのである。正常な何のきずもなく、玲瓏珠の如き君子人で、同じやうな型の人ばかり幾ら集ったとて、どうにもしようがない。少しづつ色々な方面に種々変態ぶりを発揮して、始めて社会は進んで行くのである。(同上)

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200528171020j:plain

Wikipediaより、円)

 


 なんとはなしに『天』に於ける赤木しげるの口吻を彷彿とする内容だ。かの天才も「まともな人間」の不在について、死の間際、後進に向けて一言していた。

 


考えてみろよ
「正しい人間」とか「正しい人生」とか… それっておかしな言葉だろ…?
ちょっと考えると 何言ってんだか分からないぞ………!
気持ち悪いじゃないか… 正しい人間……… 正しい人生なんて…!
ありはしないんだって… そんなもの元々…!
ありはしないが…
それは時代時代で必ず現れ… 俺たちを惑わす…
暗雲…!
俺たちはその幻想をどうしても振り捨てられない…!
一種の集団催眠みたいなもん………!
まやかしさ……
そんなもんに振り回されちゃいけない…!
とりあえずそれは捨てちまっていい… そんなものと勝負しなくていい…!
そんなものに合せなくていい…! つまり… そういう意味じゃ…
ダメ人間になっていい…!

 


 人は狂的分子を包含していて構わない。否、そうであってこそ味のある人間というものだ。


 ただ、自己の狂的分子がどのような色で、どれほどの密度を有しているか? これは揺るぎなく押さえておく必要がある。さもなければ最も重要な自己批判というものが出来ぬではないか。


 さて、ここで漸く「精神病院」の出番である。あらゆる種類の狂人を網羅しきったこの建物を参観すれば、自分と似た傾きを持つ患者というのが必ず見つかる。「五百羅漢には一つとして同じものはないと同時に、自分に似たのが必ずゐるといふが、病院にも必ず自分に似たのがゐる筈である。それを発見し得ない奴は、よほど自惚の強いどうにもかうにもしようのないやつである」――上野陽一のこの文章は、実に味わうべき滋養分に満ちている。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200528171304j:plain

 


 我が身に於いても、実際に足を踏み入れたわけではないのだが、式場隆三郎『妄断神経』を読んでいて、「これは」と思う症例にぶち当たったためしがあった。


 式場の診たところによると、世の中には「便所恐怖症」という妙な脅迫観念の持ち主たちがいるらしい。


 これは何も便器の形に鳥肌を立てたり、あの独特の臭気、薄暗い照明などにおそれを来すというわけでなく、むしろその逆、便所の位置を知っていなくばどんな金殿玉楼にも安んじられない精神作用を指しているのだ。


 重度になると他家を訪問した際も、まず厠の位置を訊ねなければ決して着席しようとしない。その行為が相手の心理にどんな影響を及ぼすか、重々承知しながらも、どうしてもその衝動に抗い得ない。


 私自身、緊張すると尿意が募る体質だから、彼らの苦しみはよくわかる。山梨への帰省のために高尾~塩尻間を結ぶ中央線に乗る時は、決まって車内トイレの付いている先頭若しくは後尾車輌に入ったものだ。

 

 

JR East 115-Sinshu-color

 (Wikipediaより、国鉄115系電車

 


 私は深く共感し、且つ改めて上野の言葉の正当性を噛み締めた。これから先も、『妄断神経』の如き書籍に出逢えたならば積極的に購入して行きたく思う。

 

 

天-天和通りの快男児 18

天-天和通りの快男児 18

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

石黒忠悳の座談術 ―「兵役逃れ」への対処―

 

 義務はなるたけ回避して、権利は最大限に主張する。どうもそれが、近代式の「賢い生き方」というヤツらしい。


 さる子爵の一門も、ご多分に漏れず賢明に生きようと心がける人々だった。


 この家の次男坊の年齢が、もうじき二十歳に達せんとしたときである。二十歳になれば当然国民の義務として、徴兵検査を受けることを余儀なくされる。下帯までひん剥かれ、あの手この手で身体の具合をすみずみまで検査され、兵隊としての資質の有無を判定されるこの儀式。

 

 

Examination for conscription in Japan

 (Wikipediaより、徴兵検査の様子)

 


 下手に優良――甲種合格でも貰ってしまえば、よほど運に恵まれぬ限り入営はほとんど不可避とされた。向こう二年、自己滅却の軍隊生活が待っている。


(冗談ではない)


 そんな貧乏くじを引いてたまるか――ごく自然な人情の発露であったろう。


 よほど旺盛な愛国心の持ち主か、閉鎖的な郷里からの脱出を一途なまでに祈念する貧農の子息ででもない限り、望んで受かりたい代物ではない。


 ところが今改めてこの次男坊を眺めるに、筋骨の発達ぶりといい、眼鏡要らずな高視力といい、親の贔屓目を差っ引いてみてもあからさまに甲種合格を遂げそうな「仕上がり」なのだ。


(しかし、なあに、やりようはある)


 兵役逃れの手段は多い。一般家庭の生まれであれば醤油をラッパ飲みしたり、大事な指を切断したりと、そのあたりがおそらく関の山であったろう。


 むろん、子爵の次男坊ともあろう御方が、そんな苦痛と引き換えの手段を採る筈もなく。


(みておれ、我ら華族のやり方はこうぞ)


 父親は、鼻薬をきかせることにした。


 相手は当時の軍医総監、陸軍内の軍医人事を一手に掌握する男、石黒忠悳ただのりその人である。

 

 

Ishiguro Tadanori

 (Wikipediaより、石黒忠悳)

 


 人事権というものがどれほど権力を生じさせるもとだね・・・・たるかは、敢えて喋々するまでもない。石黒を抱き込むことに成功すれば、検査を行う医師どもに思い通りの報告を書かせることなど朝飯前に違いなく、子爵の作戦は正着といえた。


 折衝役には世知に長けた家令を撰び、石黒邸に派遣する。果たして幸先の良いことに、お目通りにはごくあっさりと漕ぎ付けられた。


(ここからが腕の見せ所だ)


 なにしろ相手は佐賀の乱にも西南戦争にも従軍し、山縣有朋大山巌――長薩両派のトップともそれぞれ親交を深めている文句なしの大物である。
 その人間的迫力に圧倒されず、あくまで主人の命を全うすべく、忠僕は腹に気合を入れ直す。


 時候の挨拶もほどほどに、


「実は手前やしきの御次男様が」


 よどみなく本題を切り出しにかかる。


「今年適齢で、徴兵検査をお受けになりますので、どうか閣下の御尽力で、そこのところを何とかよろしくお取り計らい願いたく、本日は罷り出でました」


 そう言って、持参の包みをうやうやしく差し出す家令。中身は無論、山吹色の菓子――加藤高明の表現を借りれば「珍品」が納められている。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200527171957j:plain

 


(さあどうだ)


 家令の経験からして、こうした誘いに一度で「諾」と言う者は稀だ。皆なんとかかんとか耳ざわりの良い道義論を持ち出して、一旦は固辞する姿勢を示す。


 頑なに見えるその外殻を、しかしどのように蕩かして、柔かな本心を剥き身にするか、彼はよくよく心得ていた。言ってしまえば、交渉とは断られてからが本番なのだ。


 ところがこの忠僕の事前予測は、ごくあっさりと覆された。如何にも感じ入ったという風体で、


「ふむ、ふむ」


 大きく頷く石黒忠悳。
 篤実な田舎の農夫が如き天真爛漫なその所作に、


「あっ、御承知願えましたか」


 つい釣り込まれたのが迂闊であった。


 あくまでも上機嫌を崩さないまま、しかし次に石黒が見せた「返し」というのは、ほとんど日本人離れしているほどに機智にあふれた業だった。


「いや、華冑の身を以って国家のために一兵卒としてお尽くしになろうという御志、まことに敬服いたしました。体格の如何で決まりますので、採否の権は一切検査官にありますから、お請合いは出来かねますが、折角のお頼みゆえ、拙者もなるべく御合格になるよう御尽力致しましょう」


(――しまった)


 血管に氷水を流し込まされるほどの戦慄だった。これならばまだ真正面から、


「こともあろうに、国民の模範たるべき一門に生まれて兵役逃れを企むなどとは不心得千万、あんたにしても、御次男様の合格を祈られるのが当然ではござらんか」


 とどやしつけてくれた方がましだった。それならそれで、


「それは承知しておりますが、なにぶん大切な御次男様、そこを何卒、なにとぞどうぞ」


 と拝み倒しに倒すなりなんなり、やりようはいくらでもあったのだ。


 が、こうもするりと躱されて、まんまと裏をかかれては。


 いまさら「話が違います」などと駁論できようはずもなく、石黒の現出せしめたこの雰囲気にひたひたと添うよりほかになかった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200527172143j:plain

小泉癸巳男 「陸軍射撃場」)

 


 丸い卵も切りで四角、物も言い様で角が立つ。


 口は禍の門、舌は禍の根といって、古来より言葉の危険性を強調し、ついには沈黙を以って最も賢しとするに到った日本人。


 その観測は、あながち間違いとも言い切れない。しかしながら多くの化学物質がそうであるように、善用する手段さえ十分に心得ているのなら、むしろ危険物であればあるほどより多くの利益を齎してくれるのが世の常だ。


 斯かる道に於いて、石黒忠悳は紛れもなく達人だった。

 

 


 黒船来航以前の旧幕時代に生まれ落ちたこの人は、昭和十六年四月二十六日大東亜戦争開戦の年まで長寿を保つ。


 享年、96歳。大正の御代に子爵に叙された石黒だったが、彼の没後、遺族は襲爵手続きを行わず、同年十月に華族たるを喪失している。

 

 

懐旧九十年 (岩波文庫 青 161-1)

懐旧九十年 (岩波文庫 青 161-1)

  • 作者:石黒 忠悳
  • 発売日: 1983/04/16
  • メディア: 文庫
 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

直木三十五の大阪評 ―遠き慮りなき者は、必ず近き憂いあり―

 

「朝は早く、夜は遅く」――。これこそが、昭和十三年までの日本の商店のモットーだった。


 鶏鳴暁を告ぐる以前に店を開け、草木の寝息を聞き届けてから漸くのこと暖簾を入れる。早朝から深夜までの超長時間営業。しぜん、従業員への負担は並大抵のものでない。


 最も割を食ったのは「小僧」や「丁稚」の呼び名で知られる若い衆だった。朝から晩まで働いて、休みといえば正月と盆の二回のみ。


「これは人間の待遇ではない」


 と、現代人ならば叫ぶであろう。事実、こんな環境で健全な発育なぞ期待できよう筈もなく、彼らの身体は青く痩せ、ともすれば幽鬼のようだった。


 工場労働者に引き比べ、彼らの窮状がいまいち伝わっていないのは、やはりああ野麦峠女工哀史といったような代表的文学を持たないからか。宣伝の力の偉大さを思い知らされる限りであろう。

 

 

Old-Nomugi-road

 (Wikipediaより、旧・野麦街道)

 


 とはいえ、雇い主も好きでこんな無茶を強いているわけではない。


 従業員に重荷を載せて、呻吟する有り様に悦を覚えるサディスト揃い――商店主にそんなイメージを持って貰っては困るのだ。


 彼らとて、ロクに客の出入りなく、下手をすれば売り上げよりも照明代の方が多く嵩みかねないような、そんな時間帯には店を閉めたい。ところが迂闊にそれをやると、「あそこの店は不勉強だ」と陰口を叩かれ、客の出入りが減るのである。


 で、浮いた客足を吸収するのは、不利益を承知で人影まばらな時間帯に営業していた店というからたまらない。商売敵に負けたくなければ従来の業務形態を崩すわけにはいかず、こうなってくるともはや意地――それも極めて不毛な意地の張り合いの観がある。


 畢竟、問題解決を図るには「官」の力を頼る以外に術がない。


 そこで昭和六年に、東京呉服商同業組合が声を上げ、内務大臣宛てに「午後十時終業の法律を制定してくれ」といった趣旨の陳情書が提出された。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200526172204j:plain

 


 この陳情書は、連鎖反応を惹き起こす口火のような役目を果たした。東京魚商同業組合以下、雷同する者が次々に出現あらわれ、ついには91団体が賛意の署名を行ったというから、皆よほど疲れ切っていたのだろう。


 政府の方でも厭はない。既に工場法が大正五年から施行されている以上、遠からずして商店にも同様の法律が必要になると予見して、大正末から調査会が出来ていた。ところへこの陳情書を奇貨として、その年の第59回帝国議会に早速のこと


「商店の閉店時刻限定に関する建議案」


 が持ち出され、問題なく可決の運びになっている。

 


 ここまではいい。ここまでは万事順調だった。

 


 が、これより先は思いもかけず話がもつれる・・・・異議ありの声は、西から来た。「天下の台所」たるを未だ失わない大阪の街、そこに根を張る大阪商人。この連中が一丸となり、商店法制定に「大反対」を熱唱したのだ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200526172255j:plain

 


 東と西で人間の気質が違うのは、それこそ我が国上古以来の伝統であるが、まかさここ・・で喰い違うとは予想だにしていなかったことだろう。東京人は不意を衝かれ、半ば呆然とする格好になった。


 そうした意識差を面白いと受け容れた者に以前書いた下田将美が居るのだが、万人が万人、彼のような雅量を備えていたわけではない。


 ――拝金主義の大阪野郎め。連中はまったく、これだから。


 憤りも露わに地面に唾を叩きつけた手合いの中に、作家の直木三十五も含まれていた。
 言わずと知れた、直木賞の基となった彼である。


 この人物の大阪評は、随分とまた手厳しい。以下、原文を引用する。一読すれば、おそらく「直木賞」に対する見方の上にある種の変化が起こるだろう。

 


 大阪人は、目前の利益といふこと以外に、何も考へてはゐない。利益なるものは目前にあると同時に、もっと遠いところにもある。ある場合は、遠いものの方が遙に大きい利益であることがある。大阪に精神的なもの、或は理想がないといふことは、その遠い大きな利益を、いつでも見逃してゐるためである。例へば、昔からの鴻池住友といふやうなところは、いくらか大阪の面目を維持してゐるが、東京に於ける三井三菱浅野安田大倉といふやうな連中の大仕掛けな仕事に較べて、つまりいくらか高いところに目をつけた仕事に較べて見ると、悉く素町人の商売のみである。(昭和八年『京阪百話』375頁)

 

 

Naoki Sanjugo

 (Wikipediaより、直木三十五

 


 すこぶる切れ味のいい掻っ捌きよう、なんとも思いきった断定ぶりだ。


 直木の筆は、行を改めるごとにどんどん烈しさを増してゆく。

 


 東京の実業家は、文学なり思想なりが、娯楽としてある程度の価値をもってゐるぐらゐは知ってゐるが、大阪人はそれを有害なりと信じてゐる。それは現在のみならず、二十年以前にもさうなのであって、これは二十年来少しも進歩しない考へ方なのである。(375~376頁)


 恐らく、大阪人にとっては、精神文化とは何であるかさへ分ってはゐないのであらう。従ってその価値も勿論理解されないのであらう。まして精神文化といふものが、多大の利益を与へるものであるなどゝいふことに至っては夢にも考へられないことなのである。(378頁)

 


 このような観念の持ち主相手に、営業時間を短縮しろ、従業員の休みを増やせと説いたところで焼け石に水――否、寧ろ火に油を注ぐ結果にしかならないだろう。


 現になった。


 大阪からの突き上げを喰らった政府では、商店法制定に対して明らかに腰が引けてしまった。とどのつまり日本の商店は昭和十三年までズルズルと、旧態依然な営業を継続し続けることになる。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200526172839j:plain

 


 なんのことはない。民衆自身が、民衆の不利益を望んだのだ。輿論の声が如何に大きいからといって、それに唯々と服従するのが正解とは限らない。いやむしろ、そういう迎合政治は却って国を衰退に導く。その模範例としていいだろう。


 福本伸行の最高傑作とも謳われる、銀と金のあのセリフが鮮やかに耳によみがえる。単行本7巻収録、第59話の

 


「今 いる政治家の中でもっとも民主的でない伊沢敦志が
 私は好きです
 なんせ
 話が早いですから」


「フフ…
 そうだよな
 民主主義は時間がかかりすぎるよな
 時間をかけて……
 それでも決まればまだいい
 決まらないってんだから話にならない」

 


 このやり取りが。

 

 

銀と金 1

銀と金 1

 

 


 さんざ紆余曲折を経た末に漸く日の目をみた商店法も、昭和二十二年GHQのテコ入れのもと制定された労働基準法に飲み込まれ、ごくあっさりとその歴史的意義を終了させた。


 わずか九年程度の寿命であった。

 

 

直木三十五作品集: 24作品収録

直木三十五作品集: 24作品収録

 

  

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

上野動物園の血闘 ―老猪の見せた「受け返し」―

 

 生き物相手のお仕事だ。四十年も動物園に勤めていれば、眼を疑う突飛な事態に出くわすこととて一再ならずあるだろう。


「けれど、明治三十三年のアレはとりわけ群を抜いていたよ」


 上野動物園の名園長、「動物園の黒川さん」こと黒川義太郎園長は、晩年人にそう語っている。

  

 

Ueno Zoo 2012

 (Wikipediaより、上野動物園

  

 

 西暦に直すと1900年。


 黒川が未だ一介の飼育員に過ぎなかったこの当時、上野動物園には牡牝二頭のイノシシがいた。


 ところがこの四ツ足ども、種族は一致していても年齢の方によほどの開きがあったと見え、牝の若やぎに比べ牡の老衰甚だしく、とてものこと交尾・繁殖が期待できない。困った動物園は対策として、外部から恰好の年頃の牡イノシシを貰い受け、新たにあてがうことにした。


 手続きは滞りなく進行し、春明け初めし弥生の候、ついに「新米」入居と相成る。


 が、初日も初日、檻に入れられて数時間もせぬうちに、もうこの「新米」が問題を起こした。若いだけのことはあり、「新米」には随分のこと血の気が多い。己がテリトリーの内側に自分以外の牡が居る――敵意の有る無しに拘らず存在自体が既に許せなかったものとみえ、この邪魔な老いぼれを抹殺すべく攻撃を仕掛けていったのだ。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200524172641j:plain

 


 ところが老猪も退き下がらない。生殖機能は失くしても、男たるは未だ忘れていなかった。おのれ若僧生意気な、と言わんばかりに盛んに牙を打ち鳴らし、物凄い眼で迎え撃つ。


 鉄格子を震動させて繰り広げられる猛獣同士の潰し合い。火を噴くようなその烈しさに職員たちは手をつけかねて、


 ――弱ったことになった。


 ただ呆然と見守るばかり。
 そのうちに、


(あっ)


 と息をのむ瞬間が来た。


 やはり年齢による体力差はいかんせん。「新米」の牙が、老猪の急所をとらえたのである。


 少なくとも、黒川含む衆人たちにはそう見えた。


(やられた。――)


 さてこそこれで決着か、自然界の掟は厳しいと言いさざめいて、噴きこぼれる血を想像し、顔を硬くする人間たち。彼らはイノシシの牙の威力をよく知っていた。出刃包丁並みの切れ味に、体重と速度がたっぷり乗った、あんな突撃を喰らっては、熊であろうとたじろぎかねない。


 ましてやあの老骨が堪え得るなどと、その場の誰一人として思わなかった。


(……?)


 が、その「思いもかけなかったこと」が、このとき起きていたのである。次第次第に、観客もそれに気付き始めた――自分たちは早合点をしていたのだと。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200524172818j:plain

 


 まず、いくら待っても老猪が倒れぬ。四つの足でシカと大地を踏みしめて、戦意もまだまだ旺盛だ。


 反対に、「新米」の狼狽ぶりときたらどうであろう。鳴き声もどこか弱々しく、威嚇というより哀訴の印象が明らかに濃い。


 それもそのはず、彼氏自慢の鋭牙ときたらその二つとも、どういうわけか付け根から大きく内側にまくれ・・・込み・・、咬合を妨害すること甚だしく、「新米」はもはや口を閉じることすら出来なくなっていたのである。


(いったい何が起きたのだ)


 確かに目の前で見ておきながら、説明できる者は一人も居ない。


 攻撃した側が破壊され、された側はピンシャンしている。まるで合気の実演だ。解説が欲しくば植芝盛平なり塩田剛三なり、その道の権威を呼んでくる必要があったろう。


 若さにかまけて倨傲にふるまう若僧を、海千山千の老骨が練り上げられた技術を駆使して成敗いたす。


 講談にありがちな筋書きだが、それを現実に、しかもイノシシがやるのだからたまらない。まさしく珍の珍たる事例であり、黒川の記憶に殊更深く刻まれるのも必然だった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200524173627j:plain

 


 その後、この「新米」は口が閉じられないのだから満足にめしも喰えないという悲惨な目に遭い、職員たちが「強引な措置」を採ることにより一命だけは拾い得た。


「強引な措置」とは、すなわちひん曲がった牙を折ったのである。


 五人がかりの大仕掛けな作業であった。

 


…まづ野猪を檻の片隅に押寄せておいて一人が鳶口を一牙にかけて、他の三人と力を合わせて更に格子のある方に引寄せ、牙が格子の外に出るやうになってから、一人のものは二貫目もある大きなヤットコを以てゴツンゴツンと牙を打ち、やっとこさと二本の牙を打ち折ってしまった。野猪も可哀想だったが、これは先輩たる老野猪に向って喧嘩を売った、謂はば身から出た錆でやむを得ないこととしても、今になっては無論ナンセンスめいた話だが、当時は吾々も相当苦心をしたものであったと黒川先生が私に語られた。(昭和十六年刊行、鈴木哲太郎著『動物夜話』82~83頁)

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200524173751j:plain

 


 イノシシ肉は別に「山くじら」の呼名もあって、大正四年十一月から翌年一月の三ヶ月間、所謂「旬」のこの時期に千頭もの臓腑を抜かれたイノシシが帝都に出荷されたというから、その味は一般的な都会人にも好まれたらしい。


 それだけ狩ってもこの連中は未だ日本の野山にまんべんなく出没し、畑を荒らし、農家に電柵を張らせることを余儀なくさせる。たくましい限りだ。是非とも肉を賞味して、そのたくましさにあやかってみたいものである。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

映画浄化十字軍 ―ヘイズ・コード成立奇譚―

 

 自由の国とは言い条、アメリでは時として、とんでもなく馬鹿げた規制が罷り通るものらしい。


 悪名高き禁酒法のあの時代、大激動に見舞われたのは独り酒精関連でなく、映画業界も同様だった。「映画浄化十字軍」なる大仰な名前の運動が、ローマ・カトリックマクニコラス大司教を中心として燃え上がり、新大陸の思想界を席巻する勢を示したのである。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200522170522j:plain

 


 この団体は、ある種の反動勢力として生起した。


 1930年ごろのアメリカ映画、その流行り廃りの変遷を、キネマ旬報の名物記者たる内田岐三雄きみおは次のように解剖している。

 


 今から数年前はアメリカではギャング映画が全盛であった。だが、そのギャング映画も、その度を過した煽情主義が社会に悪影響を及ぼす事に漸くにして気がついた当局によって禁圧せらるるに至ってからは、ハタと進路を阻まれて、製作者側はそこで金儲けの道を一時見失った。然し、製作者側は直ちにまた新らしい金儲けを考へついた。それはギャング物の変型である暴露映画、恐怖映画であり、又、音楽映画とそれから不道徳映画であった。もっとも前二者の生命は余り長くないものではあったが、後の二者はずっと最近まで両々相融通し合ひながら続いて来てゐた。(昭和十年、『今日及び明日の話題』92頁)

 


 総じて血を熱くさせ、人を興奮に導く代物ばかりといっていい。


 世界恐慌の不安が重くのしかかる時節柄、積もり積もった鬱憤を一時に晴らす刺激性が求められもしたのだろう。期待に応えるかのように、製作者側もどんどん過激さに拍車をかけた。再び内田の筆を借りると、

 


 例へば、彼等は喜劇的の場面を添へるにしても、従前なら単なる喜劇味であったのを近頃は猥雑な意味を持った喜劇場面を入れる様にしたし、また恋の三角関係といふ様なのも、近頃はそれを姦通事件にする、といふ様な有様であった。(93頁)

 

 

 こんな具合に。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200522170712j:plain

 


 人間社会には、どうやら物理法則が適応される場合がままある。作用には必ず反作用が付き纏う。それを軽減させる工夫もなしに、目先の利益を追いかけてひたすらエスカレートした場合、極端から極端に吹っ飛ぶこととて珍しくはない。


 映画浄化十字軍は、まさにその典型だった。建国以来、アメリカ社会に隠然たる影響力を担保しているキリスト教の信者たち。マクニコラス大司教の獅子吼に対し、この勢力は実に敏感に反応した。


 彼らは青少年の精神を、家庭の平和を、ひいては国家の安寧を守護するという非の打ち所のない目的のもと「不道徳映画を観ない」ことを宣誓し、友人、同僚、隣人たちへ、併せてこの戦いに加盟するよう懇々と説いて廻ったのである。


 一見するとごくありふれた「草の根活動」の印象しか湧いてこないこの行いは、しかしながらたちどころにアメリカ全土で大反響を呼び込んだからたまらない。


 我が国の仏教に比して、アメリカに於けるキリスト教の、なんという力強さであることか。人々は教会から「不道徳」と定義された作品を観なくなったし、それが上映されている映画館に行くことすらやめてしまった。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200522170834j:plain

 


 因みに、カトリックのロードといふ僧正は、昭和九年の前四ヶ月間に133本の映画を見て信徒一同にその報告を廻してゐるが、それによれば、その内、107本は不道徳映画である、(中略)法律的に許容されぬ恋愛のもの26本、誘惑の成功するもの13本、姦淫の生活をしてゐる人物の登場するもの18本、殺人の行はれるもの31本、ギャングスターもの17本、以上で、これらは総て子女の観覧に適せぬもの、といふ事になってゐる。(115頁)

 


 まこと、狭き門と言わねばならない。恋愛だの姦淫だのはまだしも、殺人まで禁止されるとはいったいどういうことであろうか。


 僅かに残った26本の内容が、逆に興味深くなってくる。一連の要素を排除してなお、面白い映画が果たして撮れるものであろうか? どう考えても出がらしの茶より無味乾燥な、毒にも薬にもならない退屈な作品にしかならなそうだが。

 


 案に違わず、休館したり、閉館に追い込まれる業者というのが続出した。

 


 こうなってくると製作元でも対策を講じざるを得なくなる。やがて出来上がったのが、ヘイズ・コードと呼ばれる一連の映画製作倫理規定


 出産シーンや同衾は御法度、キスシーンは三秒限り、密輸や薬物使用の描写なんぞは以ての外だ――そんな清教徒的厳粛精神を盛り込みまくったヘイズ・コードは、おそるべきことに1960年代後半まで寿命を保ちアメリカ映画を縛り続けた。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200522171000j:plain

 


 内田岐三雄が生きていれば、その慧眼を光らせて、さぞ面白い批評文を書いてくれたことだろう。が、なんとも残念至極なことに、この人は1945年、戦争末期の空襲に遭い地上から消滅してしまっていた。


 享年、44歳。


 彼が筆を揮った『キネマ旬報』は今日でもなお刊行が続き、映画情報の提供に勤しんでいる。

 

 

日本映画史110年 (集英社新書)

日本映画史110年 (集英社新書)

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

夢路紀行抄 ―変態する同居人―

 

 夢を見た。


 鳥が猫になる夢である。


 夢の舞台は、現実の私の部屋と変わらない。そっくりそのままといっていい。枕元の時計の位置まで完全に再現されていた。


 ただ一点、明確な差異は、窓のサッシに鳥の巣が出来ていたことか。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200521171135j:plain

 


 藁や枯草を組み合わせて設えられた粗末な褥。カーテンを開くなり斯くもあからさまな異物が視界に飛び込んで来たものだから、


(いつの間にこんなものが)


 流石に吃驚させれらた。


 中を覗くと、卵の殻も新しい、手のひらサイズの雛がいっぴき、身を縮ませて私の顔を見返してくる。


(これは殺せぬ)


 反射的に理解した。


 これが蜘蛛やゴキブリだったら即座に潰して終いだろうに、我ながら現金なものである。


 不法侵入者という点に於いても、また一つの生命という点に於いても、両者の間になんの違いもなかろうに。


(愛らしいというのは、万事得だな)


 雛はおそるべきスピードで成長した。


 私がちょっと冷蔵庫を調べたり、皿を洗ったりしている間にもう形態が変化している。


 立派な若鳩になったかと思えば、次の瞬間には何故かヒルの姿になって、水かきのついた黄色い足でフローリングの床の上をペタペタ歩く。


 ふとした用事で外出し、再び帰って来てみると、奴はもう鳥類ですらなくなっていた。


 つややかな毛並みに、黄金の瞳。肉の付きかたも健康的で抱き心地のいい、みごとな黒猫がそこに居た。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200521171245j:plain

 


 ――とうとう系統樹の枝を飛び越えやがった。


 目の前の奇蹟に、感動が溢れて止まらない。


 更に驚くべきことに、こいつは人語を解すのだ。背中合わせに寝転がっていたところ、


 ――あと一回。あと一回で、やっと仕上がる。


 虚空に向けて嬉しそうに囁く声を、私ははっきり耳にした。


 おそらくは、私が寝ていると思ってつい油断したのだろう。その迂闊さすら可憐であった。猫を相手に、私は狸寝入りをしてやった。


 仕上がったアレの姿というのは、いったいどんな具合だったのだろう。惜しむらくは、それを見届ける前に夢から覚めてしまったことか。声は外見に相応しく、気品のある「お嬢様」的なものだった。もし猫又にでも化けてくれたら、さだめし魔性の美しさを呈しただろうに。

 

 

f:id:Sanguine-vigore:20200521171401j:plain

 


 布団を出て暫くしてから、

 

 ――そういえば。

 

 と、古い記憶を思い起こした。そういえば小学生の時分、実家の玄関の上のところにツバメが巣を作ったことがあったなあ、と。

 

 彼らの負担にならぬよう、注意深くゆっくり戸を閉め、学校に向かったものである。

 

 あいつらの血は、その後どうなったのだろう。淘汰の運命に屈したか、それとも脈々と受け継がれ、今も何処かの空の下を変わらず飛翔しているのだろうか。

 

 願わくば後者であって欲しい。

  

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ