穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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天下国家と汁粉屋と


 流行り廃りは予測がつかぬ。


 昭和十年代半ば、極東にても欧洲にても国家間の緊張が臨界めがけてまっしぐらに高まりつつある一方で、我らが日本国内にては、どういうわけだか「おしるこ」がブームの兆しを見せていた。

 

 

Japanese shiruko with rice cake.JPG

(Wikipediaより、御膳汁粉に玄米餅)

 


 帝都中枢、銀座街頭のあちこちに純喫茶風の「しるこ屋」が次から次へとオープンし、そのいずれもが素ん晴らしい盛況を呈したということである。


 老いも若きも男も女も皆が皆、小豆と米の──餡子と餅のマリアージュに夢中になった。


(なにがなんだかわからない──どうなっちまったんだ、この国は)


 だがしかし、流れに背く者とても、熱狂に追随するのを拒む者も居る。


 それは果たして、ただの単なる逆張り野郎、性根のヒネた偏屈漢だったのか。


 若しくは頭に霜を戴いた、価値観のアップデートを図るにはもはやあまりに年を重ねてしまった古老、旧世代の生き残りどもだったのか。


 種類は多岐にわたったろうが、文士・牛島英輔は、はてさていずれに属したか。


 そのあたりにも思いを馳せつつ、彼の「しるこ屋探訪記」に目を通す。

 


皆に誘はれて恐縮し乍ら暖簾をくゞってみたが、やっぱりどうも尻がむづむづして居心地が悪い。しかもその繁盛ぶりはどうだ! 客は女子供ばかりと思ってゐたら、どうしてどうして、血気熾んな青年からいゝ年をした男までが氷しるこを啜り、みつ豆をぱくぱくやってゐるのには驚いた。…(略)…実際のところ、家族連れでの団欒ならいかにも平和でほゝゑましい情景ではあるが、大の男が野郎同志でみつ豆なんぞせゝり合ってゐる図なんか、どう見ても余り態アないし、意気地があるとも思へない、お寒い一笑景だ。
 敢て警告す。この一廓が軟派不良の徒の巣窟と化さなければ幸いである。
 嗚呼、誰かしるこ・・・を啜って天下を論じたといふためしが嘗てあったらうか

 

 

(戦前、銀座の某喫茶店内)

 


 ──男が甘いもん好きで何が悪りィんだ頭固ぇな老害野郎。


 と、凶暴な衝動の赴くままに胸倉をとりたくなる一方で、


 ──なるほど一理なくもない。


 と、一定の共感も湧いてくる。


 後者は特に、最後の行に対してだ。


 筆者わたしとしても坂本龍馬や高杉晋作、桂小五郎などの志士らが憂国の気焔を吐くときに、膳部にあるのが甘味では何やら台無しな感がする。


 そういう雰囲気に相応しいのは、男子の腸を引き締めて青雲のココロザシを養うために必要なのは、やっぱり酒だ、酒なのだ──と。


 訳知り顔で頷きたがる自分も確かに存在するのだ。

 

 

 


 およそ相反する情動をまったく同時に生み出せる。


 人の心というやつは、本当、つくづく、高性能に出来ている。

 

 

 

 

 


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世界を巻き込む大嵐


「暗黒の木曜日」から、ざっと三年。


「永遠の繁栄」の面影は、合衆国に既に無い。


 好景気が好景気を呼び、成長は次の成長へ、どんどんどんどん連鎖する。自由を重んじ、民主主義に則る限り、神の恩寵は常に我らの頭上へと。──大統領以下、圧倒的大多数のアメリカ人らが信奉していた夢物語は、どうしようもなく壊れてしまった。

 

 

(『DEATH STRANDING』より)

 


 かつて年間五百万台の販売ありし自動車は、今やすっかり閑古鳥、百万台からせいぜい百五十万台の挟間を彷徨うみじめさへと落ちぶれた。


 それに比例するかの如く、鉄鋼消費量もまた、ほぼ四分の一以下へ。石炭需要も随分減った。毎年五億トンからを焚いて熱にしていたものが、二億トンまで急降下。文字通り火の消えた寂しさである。


 これだけでもう、いったいどれだけの工場が稼働停止に追い込まれたか、あまりに容易に想像できて恐ろしくってたまらない。失業者数が一千万人を超えたというのも、むべなるかなであったろう。途方もない経済の縮小だった。

 


「無駄には二種類ある。──一は物資を濫用する道楽者がする事であり、他は物資を使はずに朽させて了ふ不精者のする事である。両者とも無駄をする事に於ては同じである。吝嗇漢は道楽者と同じやくざ者である。双方共その悪癖を矯正するには、まづ正しく『使ふ』ことを知らなければならぬ

 


 と、在りし日に得々と説いていたヘンリー・フォードといえども流石に、前古未曾有の不景気風の吹き荒れまくるこの状況では顔色を失くしていただろう。


 世界恐慌の大嵐の只中にては、何人たりとも平静でなどいられるものか。まったく仕方のないことだ。…

 

 

 


 前回の記事の影響で、筆者わたしの頭は些か数字に毒されている。


 日本のデータ、数量を、あれこれ引用した手前、アメリカのそれ・・も無性に引っ張り出したくなった。


 メモるだけメモって長いこと放置していたあれこれ・・・・を──。


 ちょっとした虫干し、あるいは供養みたいなものだ。

 

 お付き合いいただき感謝する。

 

 

 

 

 


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大正時代のリアリズム


 木炭   千七百四十二万俵
 薪    三千百万貫
 石炭   四十万トン
 コークス 四万トン
 ガス   五十億立方尺


 ざっとこれだけの燃料を、東京市は一ヶ年中に消費する。

 

 

 


 家庭で、あるいは工場で。これだけの資源を費やして、そこから生ずる熱により、東京市の活動は維持されていたという次第。


 後藤新平の市長時代に、発表されたデータであった。


 もっと詳しく言うならば、実に大正十一年度、「東京市政調査会」発会式に臨んでの後藤がやった演説に、織り込まれていたモノである。


 元医師という経歴ゆえか、およそ政策の樹立にも美辞麗句より冷厳たる数字をこそ重んじる、後藤らしさが強く匂い立つだろう。


 この内訳中、ガスが占める割合を後藤は増やしたかったらしいが──ひいてはそれが一般市民の生活の幸福増進に繋がると信じていた模様だが、前途は遥か遼遠としか言いようがなく。元号が昭和に移ろうと、当面の間、薪炭需要は高水準が維持された。

 

 

(市設神田橋食堂)

 


 竈門炭治郎の如き、炭の生産・流通を生業とする手合いには、さぞありがたい話だろうが。

 


「今主たる家庭燃料の薪炭を見るに、その熱量は合せて二億二千六百三十億カロリーとなる。之をガス量に換算すると二百十四億立方尺のガスとなる。…(中略)…薪炭の中には無益に散ずる熱量も相当にあるが、仮りにその全部をガスに換算し、ガス一千立方尺を二円二十五銭とすれば、二百十四億立方尺の価は四千八百六十四万円となる。然るに薪炭平均の効率を七十%とし百五十億立方尺のガスで足りるものとすれば、その価は三千三百七十五万円となる。之を前記薪炭の代価に比すれば、同一の燃料価値を得る為に千四百七十万円を節約することになる、従ってこの燃料の変化が行はるれば、市民はそれだけ廉価に生活し、或はこの節約を他の方面に有利に向け得られる筈である

 


 こういう理想を抱懐している後藤新平の立場としては、切歯扼腕すべき現実以外のなにごとでもなかったに相違ない。

 

 

Shimpei Gotō.jpg
(Wikipediaより、後藤新平)

 


 ──ちなみに「百五十億立方尺」、かつて東京で使われていた全薪炭に匹敵するガス量を、我々にとり身近な単位に換算すると、ざっと「四億立方メートル」


 対して、だ。二十一世紀現下に於いて東京一都で費消される燃料は、都市ガスだけでも一年間で「四十億から五十億立方メートル」という膨大さに達するそうな。


 うたた今昔の感に堪えぬという表現を、ここは用いるべきであろうか。


 数はつくづく、雄弁だ。

 

 

(聖橋)

 


 大正といふ年代は、悪い意味のレアリズム、即ち実利主義や功利主義が最も栄えた時代でありました。それで当時、「大正煙草」「大正芸者」「大正住宅」といふやうな言葉が流行しましたが、すべて「大正」と名のつくものは、安っぽくって、品が悪く、つまりいへば軽便安直といふやうな、悪い意味での実利主義のものでありました。そのため人心も軽佻浮薄に流れまして、一体に日本の文明が、質的に低落した時代でありました。


──萩原朔太郎

 

 

 

 

 


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埃の巣へと手を伸ばし


 総革張り、新菊判五百頁、お値段ポッキリ三円にてご提供──。


 豪華な日記帳だった。

 

 

 


 辞書と見紛うばかりの厚さに、格式を感じる立派な装丁、平たく言えばゴツいデザイン。それ相応に値段も高価。第一書房謹製の「自由日記」がそういうカタチになったのは、むろんのこと理由ワケがある。


 創業者、──長谷川巳之助その人の意向が強く反映された結果であった。


 本製品のコンセプトとして、三日坊主に終わらぬ工夫を凝らそうなどと、彼はまるで思わずに。


 追求したのは、ただひたすらに耐用年数。時の浸食作用に対し強固に抗う点にこそ、重きを置いた挙句の果ての「仕上がり」だ。

 


「元来日記といふものは私達のプライヴェートなドキュメントであると同時に、最も貴重な年鑑として永遠の思ひ出となるものですから、書ける時には一日に幾枚も書き、書けない時には何日も書かないでゐるのが自然です。従って書けたら一年に二冊も三冊も書いて置くべきであり、書けなければ一冊の日記を二年も三年も使って居るべきです。併しさうするには従来の日記は余りに粗悪すぎるので此の第一書房自由日記をつくったのです

 

 

(『DEATH STRANDING』より)

 


 奇抜卓抜、一風変わった個性的な日記観。


 こういう派手にとんがった「売り込み文句」と往々にして逢えるゆえ、独り本文のみならず広告欄まで目を通すのを止められぬ。


 とうに色褪せ、バラけかけ、埃の巣である古い雑誌をそれでも漁る、妙味の確かに一環だ。

 

 

(過去も未来も現在も、人の求めてやまぬもの)

 


 古雑誌の魅力は、「日付」が完全になされていることである。その時々の事件に没入しているため、通史的な本ではほとんど言及されていないような政治上の流行と傾向について教えてくれる。


 かつてある農場の邸宅で行なわれた競売で2シリングで見つけた、1809年から始まる十数冊の『クォータリー・レヴュー』ほどよい買物は、今までしたことがなかったと思う。


──ジョージ・オーウェル

 

 

 

 

 


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ポリコレが 神州無敵を 脅かす


 大正時代の末あたり、震災による創痍から立ち直らんと気力体力知力財力ふりしぼり、努力を重ねる帝都にて、ひとつのプランが潰された。


 プランといっても、何ほどもない、市内名物・花電車の装いに「桃太郎」を使ってみたいと、ただそれだけの計画だ。

 

 

Hana Densha.jpg
(Wikipediaより、花電車)

 


 日本人なら誰しもが知る最も名高い童話の英雄。詳述するのも野暮の謗りを免れぬ、神州無敵・桃太郎を担ぎ出すのは当時の世相からいって、まったく妥当の筈であったが。


 わかりきったその結論に、しかし異論を挟んだ者が。頭でっかちの、青瓢箪の、ヤワなインテリゲンチャどもが、どうも屁理屈を唱えたらしい。


 曰く、「あれは侵略主義を標榜するから、今日の時世に合はぬ。外国の手前差し控へた方がよからう」と──。


 なんたる痴言、愚劣の極みなこの難癖が、しかし結局、お偉方の判断をあっさり左右しちまったからわからない。今日でも日本の政治家は左翼的な論説に意外なほど惰弱だが、その病弊は百年前にも既に顕在化していたようだ。


 そしてそういう「弱腰」に、軍人どもはブチ切れる。


 スマートで、目先が利いて几帳面であるはずの海軍将校さえもまた、ことこの件に関しては顔を真っ赤に憤怒の化身と化したのは、ある意味見もの・・・であったろう。

 


「外国を恐しがる弱腰連が、飛んでもない詭弁を弄して、これを葬らんとするのは、まるで日本男児をすべて去勢するやうなものである。余は桃太郎存置論者だ。太田君の『経済読本』の序文にも、桃太郎と経済との関係を説いてくれたらしい。この物語こそ正義人道の標本として、外国まで大に宣伝すべきである

 


 海軍中将・山本英輔、魂の叫び。彼の著書たる『世界英傑巡礼』からの抜粋である。

 

 

 


 結末が鬼と和解する方向へ、平和的に変化した現代の桃太郎を目の当たりにしたならば、一体全体この山本はどんな反応を示すであろう。


 怒髪天を衝く、猛り狂うならまだしも救いようがある。


 しかし、消沈──悲嘆、落胆、失望、自責。突き抜けた激情が一周廻って平坦フラットに堕ちてしまったら、それこそまさに哀れの極み。正視に堪えない痛ましい姿となるに違いない。

 

 

 


 思い出した。


 そういえば八波則吉も、『国語読本』の編纂作業に関わった際、桃太郎の内容につき変テコな相談を持ち込まれていたっけか。


 なんでも曰く、

 


「由来日本人は、植民には甚だ不適当な国民だと云はれてゐます。それは、成功すれば直ぐに帰国するからです。で、アメリカでは、北でも南でも排斥されます。其の原因の一つは、桃太郎の童話が良くない、金銀珠玉を車に積んで鬼が島から帰国するやうになってゐるから。鬼が島に永住するやうに作りかへてくれないかと註文した人がありましたが、私は、それはいけない、童話は国民性を表現してゐるものであるから、濫りに改作すべきではないと答へて、国定読本には、依然として凱旋するところを絵入りにして出して置きました」

 


 と。


 どちらを向いても政治的な正しさが無粋に首を突っ込んでくる。


 御伽噺の領域ですら、その息苦しさから逃れられない。


 なんとも夢の無いことだ。

 

 

 

 

 


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メンタリストを生んだもの


 はじまりは習字の稽古であった。


 凝り性気質でつむじ曲がりな性格を生来備えていた彼は、手本をひたすら墨守して忠実に再現するだけの作業に、飽き足らなさをどうしても募らせていってしまったらしい。


 定型を破りたくなった。


 だがどういった方向で? ──態と悪筆を装ってめちゃくちゃに紙面を汚すというのはなにやら違う。それはそれで別種の嫌味が鼻につき、自分の征くべき道だとは、とても、到底、思えない。

 

 

(『Ghostwire: Tokyo』より)

 


 では何だ。自分が果たすべき課題、達成すべき目標は、いったいぜんたい何処に在る? ……


 悶々として過ごすうち、ある日、ふっと着想を得た。そうだ、書き順の逆転を試してみよう。


 最後に打つべき字画から、まるきり逆の順序で以って文字を作り上げるのだ。たとえば「上」なら、底の横棒一本線をいの一番に引くように。


 やってみると、これがなかなか面白い。

 

 初期はそれこそ、見れたものではなかったが。膨大な量の紙と墨、血の滲むような修錬を経て、彼はとうとうこの技術をモノにした。正調だろうが逆サだろうが、およそ書き順に拘らず、美麗な文字を作れるようになったのだ。


 彼が尋常の凝り性でなく、偏執狂の気配さえ纏いだすのはここからだ。この成功で、彼は満足しなかった。書き順の次は逆の手を。左右どちらの手を使っても、美しい筆跡を成し得るように。


 上下逆サも試してみよう。──うん、よし、これも練習次第でイケそうだ。


 普通人には到底不可能、そもそもやろうと思わない、何の意味があるのかもまったくさっぱりこれっぽっちも理解できない、人生に於いて益するところ一切皆無でありそうなワザ。しかし彼は憑かれたように、ひたすら腕を磨き続けた。

 

 

(『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』より)

 


 挙句の果ての道の奥。彼はとうとう、超人と化した。


 右手と左手で別々の文章を書きながら、


 傍らの新聞紙に目を通し、


 かてて加えて多人数からの質問にいちいち口頭で返事をしつつ、


 頭の中では相当高度な数学上の問題に暗算で解を導くという、


 上古偉人の御業の再現、「二十世紀の聖徳太子」の誕生だ。

 

 

 


 彼の名前は梶山為夫。百年前に脳機能の多重奏、「梶山式複心理術マルチメンタリズム」を編み出した、広島生まれの天才である。

 

 

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騒ぐ蟲


 半島に来て驚いた。


 ここでは冬でも蠅が出る。


 それも一匹や二匹ではない。汚れた羽音を我が物顔で垂れながら、当然のように群れで越冬してやがる。いったい何処から湧いて出るのか、そこを究明せぬ限り、突き止め殲滅せぬ限り、朝鮮の衛生状態は劣悪不快の謗りを免れないだろう。……


 京城帝国大学教授、寄生虫学専攻理学士・小林晴治郎による、苦渋塗れの報告である。

 

 

Keijo Imperial University-old1.jpg
(Wikipediaより、京城帝大理学部正門)

 


 一応、原文を引いておくなら、

 


「朝鮮では冬でもイエバエは発生して居る、故に前に述べた如く冬も幾千、幾万匹捕る事が出来る。然し其発生場所がドーモ分らない。此発生源を究めて、之を除かなくて、単に出て来る蠅を捕っただけでは春の発生防禦には効が少いが、残念にも未だその目的を達しない。此点、内地ではこんな風な冬の発生が余りない様である」

 


 ざっとこの通りの次第。


 現代ですら彼の地は蠅の多い国。ましてや前世紀となれば、そりゃもうごまん・・・と、陽を翳らすほど出ただろう。当時朝鮮に出張を命ぜられた官員が、はやそれだけで病気になるかと恐怖して、顔を真っ青にした挙句、「最悪の事態」に備えんと遺言状を書いて託しておいてから出立したとの巷説も、あながち無根でなさそうだ。

 

 

(鎮南浦)

 


 まあ、それはいい。


 寄生虫学つながりで、いまひとりほど備忘録から引っ張り出したい者がいる。


 宮入慶之助である。


 日本住血吸虫の中間宿主──ミヤイリガイ──を発見したということで、甲州に於ける知名度は割かし高い碩学だ。


 否、高いどころで済むものか。


 山梨に人のある限り、風土病根絶の功労者として、かの名は不朽に近かろう。

 

 

Ph.D.Keinosuke Miyairi.JPG
(Wikipediaより、宮入慶之助)

 


 そういう宮入博士が嘗て、ある場、ある時、ある機会にて、語っていたものだった、

 


苟も一事を人の目につく程度に為し遂げるには、どうでも辛抱が必要、しつこく其事に執着せねばならぬ。小児の歩み習ふ時の様が何よりの手本、やうやっと立ったと見るとストンと尻餅、ニコニコしながら無限に反復する。此の先づ二本の脚で立ち、後の脚を前へ進め進めして歩む稽古が一切万事練習の手本」

 


 人生訓の如きものを、いみじくも。


 どこか徳川家康公の生き様を髣髴する内容に、筆者わたしの胸はときめいた。どうも私の内部には、権現様こそ日本史上最大・最強・最高の英雄なりと定期的に絶叫したがる衝動あるいは蟲のようなモノが居て、そいつがいたく刺戟されてしまった模様。

 

 辛抱・努力・忍耐は、時の涯てまで無限に讃えられるべき人の美徳に違いない。

 

 

(府中東照宮にて撮影)

 


 凡そ人を相手にするとき、相手の心を読むが大切。相手を測量するには先づ自分を知らねばならぬ、自分の悪い所を去り、足らない所を補ふには書物を読むが近道、歴史、伝記、小説の類を精読する。
 精読とは、外国の文ならば日本語に翻訳する、少くとも要点を抜き書きする、貝原益軒の養生訓は抜書を集めたもの、夏目漱石の自信の固まり始めは、ロンドンの下宿屋で抜き書きし抜き書きし、蠅の頭のやうな細い字で書きつけたノートが積もり積もりて五、六寸の高さに達したときだと、文学論の序に書いてある。


──宮入慶之助

 

 

 

 

 


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