穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

故郷にて ―新道峠ツインテラスからの眺望―


 所有権を静岡相手に奪い合ってるだけはあり。


 富士を仰ぐに恰好の地は、山梨県内ふんだんにある。


 就中、新道峠展望台は個人的にイチオシだ。富士の雄大のみならず、河口湖の明鏡をも併せて堪能し尽くせる。

 

 

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 絶景といっていいだろう。


 この眺望の実現のため、県は相当な予算を費やした。


 無料で乗れる送迎バスを設置したりと、とにかく彼らは本気のようだ。観光地の名声を更に更に高からしめんと、本気で力を入れている。


 久々に帰省したついで、その努力に一助を添えてやりたくて、このような記事を書かせてもらった。

 

 

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 そう、私は今、山梨に居る。

 

 

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 そこかしこに立ち昇る野焼きの煙、本当に故郷は変わらない。

 

 

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 道端にたたずむ打ち棄てられた自販機も、もはやある意味「お馴染み」だ。


 UCCコーヒーの、何世代前の機体であろう。

 

 

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 ラインナップの少なさと、価格設定が一律百円であるあたり、ワンハンド高級アイスクリームに負けず劣らず大時代的な代物である。

 

 

 

 

 

 

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続・先住民のオーロラ信仰 ―冥い黄泉路を―


 人は死んだら何処へ行く?


 命の終わりはただの無か、それとも更に先があるのか?


 きっと誰もが思春期あたりにこんなことを考えて、眠れぬ夜を過ごしたのではあるまいか。


 その懊悩の坩堝から、天国も地獄も生まれ出た。

 

 

Jigoku no mon

Wikipediaより、地獄の門ロダン作)

 


 アラスカ・インディアンの社会に於いてもまた然り。肉体を離れた魂は黄泉路を辿り、やがて安寧と幸福に満ち満ちた極楽浄土へと至る。そう彼らは定義した。


 ただしそれは、無事に黄泉路を通りきれれば、のお話だ。その旅路には、当然ながら試練が伴う。


 独特なのはこの試練の内容で、如何にも彼ら先住民の生活様式を反映したものになっている。


 以下、原始美術を追い求め、北に南に異境の曠野を流離さすらった情熱的な日本人、宮武辰夫の書いたところを再び引こう。

 


…死者は現世と同じく犬の案内で他界に赴くが、その道々いくつかの国々を通過しなければならない。その国々には狼の国や、犬の国や鯨の国等があるが、このうち必ず通過しなければならないのは犬の国で、生前犬を虐待したものは、この犬の国を通過する際に、犬達にひどく噛まれなければならない。反対に生前犬を愛したものは、犬に護られて楽土に行くことができるといはれてゐる。(『世界地理風俗体系 18』172頁)

 

 

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 犬橇こそは永いこと、極地に於ける主要交通手段であった。


 先住民の生活は、犬なくして一日だって成り立たぬわけだ。


「犬は人間の最良の友」とは彼らにとって疑う余地なき常識で、なればこそ虐使するなど万が一にもあってはならない。禁忌を禁忌たらしめるため、先住民はこの四ツ脚に閻魔と守護天使の役を同時に与えた。

 


 また他界の楽土に赴く道々の獣の国は真暗であるが、生前犬を可愛がってゐたものは、オーロラの光が現はれて、何の苦もなく歩むことができ、空腹になれば犬が鮭の肉をもって来ると信じ伝へ、以上の信仰から生れた伝奇物語にも面白いものがある。(同上)

 


 そしてやはり、極光が顔をのぞかせる。

 

 

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 此岸に於いても彼岸に於いても、この壮麗なる天文現象は人に恩恵を齎すらしい。

 

 

 

 

 


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「高貴なる義務」の体現者 ―慶應義塾の古参ども―

 

 波多野承五郎高橋誠一郎石山賢吉小泉信三――。

 

 古書蒐集に耽るうち、気付けば私の手元には、少なからぬ慶應義塾出身生の著作物があつまった。


 綺羅星の如き人傑たちといっていい。


 その想痕に、ざっと目を通しての所感だが。――どうも彼らはいったいに、責任観念が強烈で、「義務」を重んずる傾向がある。


 これを学風と呼ぶならば、おそらく開祖、福澤諭吉に端を発する学風だろう。


 福澤の薫陶に直に浴した――古めかしい言い回しを敢えてするなら――、古参高弟の一人たる武藤山治の文章に、このような下りが見出せる。

 


 責任を正当に行ひ得るものは、一身にありては他の模範となり、一家にありては平和となり、一国にありては富強文明となる。之を例せば支那人は責任を解せざるもの多し。彼の厖大を以てするも猶列国の侮蔑を免るゝ能はず。朝鮮も亦実に然り。個人責任の直ちに国家と関連すること斯くの如し。

 


 象徴的といっていい。


 明治三十四年七月二十五日に印刷された、『鐘紡の汽笛』第一号より引っ張ってきたものである。


 このとき未だ支那の国号は「清」であり、朝鮮は併合されていない。

 

 

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朝鮮半島、江華山城南門とその附近)

 


 文章は更にこう続く。

 


 泰西諸国の富強なる所以を研究せば、個人責任の大切なりを信ずるに帰着す。我国に於ても、維新以前武士道なるものありて頗る責任を尊重したり。若し彼等にして責任に背く事あらば、其申訳の為に屠腹することを辞せざる習慣なりき。責任なるものゝ死と相伴ふに至りては其大切なることを論ずるを要せず。人或は之を蛮風と云ふ、或は然らん。然れども余は其の心の高潔なるを賞せざるを得ざるなり。

 


「泰西諸国の富強なる所以を研究せば、個人責任の大切なりを信ずるに帰着す」――。


 冒頭に於けるこの見解の裏付けとして、やがて武藤は格好の素材を手に入れる。


 第一次世界大戦勃発直後、イギリスで誕生うまれた逸聞だ。


 舞台はロンドン西域の私立学校、イートン・カレッジ。1440年の創立以来、都合二十名もの英国首相を輩出してきた名門中の名門校。男子全寮制を布くこの施設には、1914年8月4日――ドイツに対する宣戦布告のその日まで、ざっと二千名の若人どもが生徒として在籍していた。

 

 

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イートン・カレッジ

 

 

 ところが開戦の号砲が響き渡るやどうであろう。たちどころに「学生二千名の中、不合格者二百名を除き、一千八百名が募集に応じ」てしまったからたまらない。(『実業読本』)


 全体のおよそ九割だ。


 九割が従軍を志願して、ドーバー海峡の向こう側へと渡ってしまった。


 非現実的なまでの数値である。正直我が眼を疑った。後の校舎の眺めときたら、どんなにか閑散としただろう。――…いや、これは泰平の世の読書人の甘い感傷に過ぎないか。ノブリス・オブリージュの理念に燃える当人たちの心には、入り込む隙間のないものだ。


 更に武藤を大感激させたのは、イートン生徒の数多くが「士官となる資格があったにも拘らず、当時兵卒の応募者が少ないといふので、自ら兵卒となって出征」したことである。


 脱帽するよりほかにない。


「高貴なる者の義務」というのも、ここまで来ると一種凄絶の相すら帯びる。

 

 

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(英国野砲大隊。撤退するドイツ軍を追撃中)

 


 彼らの多くが、まったく多くが、1919年まで生きられなかった。


 人造地獄、西部戦線。おそらく同時期の地球に於いて最悪の場所。血染めの大地に鋼鉄の暴風四時吹き荒れる、本場の悪魔も尻尾を巻いて逃げ出しかねない惨禍の中で、ノブリス・オブリージュの体現者らは次々物言わぬ肉塊へと変わっていった。


 彼らの名前はプレートに刻まれ、イートン・カレッジの廊下の壁で厳かに煌めいていたという。


 講演の席で、著述の上で。


 以上の話を、武藤山治は繰り返し用いたものだった。


 最期を含めて、きっちり語った。その上で青年たちの心意気を激賞した。「独りイートンの学生のみに止まらない。吾国の帝大や、慶應、早稲田とも言ふべき、ケンブリッジ、オックスフォード、その他の大学学生は皆勇んで出征した。また民間に於る銀行、会社の事務員等も、進んで応募した。この一事を以ってしても吾等は自尊心より成る個人主義の国民は、個人としても国家の一員としても、共に尊ぶべき強い利他心及び奉公心を有するものなるを知って、自ら深く省みる必要がある」と。

 

 

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武藤山治

 


 自由の国の個人主義者が、ときに発揮する犠牲心――。


 一見矛盾めかしく思われる、斯様な人間風景は、しかしながら小泉信三に言わせれば、べつに不合理でもなんでもない、ごく当たり前のことらしい。彼も彼で、このテーマに関しては、一家言ある人だった。

 


 万一にも国土が不当に侵害された場合、先ずこれを擁護し、防衛するのは、その侵害された国民自身でなければならぬ。それが即ち独立国というものであって、それをなし得ないものは独立国民ではない。(中略)自衛権なき国家というものは、生命なき生物というにも等しい自己矛盾であるから、いかなる憲法の条章も、苟もそれが独立国の憲法である以上は、この根本の本義と衝突しないようにこれを解釈しなければならぬ。それは自明の中にも、自明の道理であって、改めていうことでもないであろう。(『一つの岐路』)

 


 小泉はこれを戦後に書いた。


 軍人、軍隊、軍部に対する世間一般のイメージが史上最低の領域にまで墜落し、「平和」「中立」「非武装」の美名が錦の御旗か何かの如く高揚されている時期に、あくまで武備の必要性を訴えた。たとえどれほどの罵詈讒謗が押し寄せようとなお倦まず、決して自説を譲らなかった。


 それが自己の責務だと、確信しぬいていたのであろう。


 慶応義塾の古参たるに相応しい、凛冽な意気の持ち主だった。

 

 

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先住民のオーロラ信仰 ―百年前のアラスカで―


「おお、光の神よ!」


 三分前まで正気に見えた。


 母を手伝い家事にいそしむ、純朴な少女に見えたのだ。


 それが今やどうであろう、印象は完全に一変している。


(狂女であったか、この娘――)


 頓狂な叫びを上げるなり、


 引き千切るような慌ただしさで服を脱ぎだし、


 一糸まとわぬ姿になると、


「おお、光の神よ!」


 再び叫んで、脇目もふらさず戸外へ駆け出す、


 そんな所業を目の当たりにした以上、客人としては頭脳の調子を疑いたくもなるだろう。


 ましてやここは腰蓑一丁だろうと過ごせる、熱帯の如き場所でない。むしろその逆、正反対といっていい。


 極北である。


 寒風身を切るアラスカである。


 インディアンが居住する、簡素なつくりの丸太小屋の中である。

 

 

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 外には雪が層を為し、ただ犬橇の跡だけが、のっぺりとした白銀に微かな影をつけている。


(なんということだ)


 大日本帝国からの旅人、原始美術の探究者、宮武辰夫は愕然とした。あんな状態で、こんなところをうろついて、無事でいられるわけがない。「凍死」の二文字が、厭でも脳裡を乱舞する。勢い込むこと、ほとんど弾機仕掛けのようにして、一家の長を顧みた。


「慌てることはない」


 古木と見紛う皮膚の老爺は、どっしり腰を落ち着けたまま口を開いた。


「娘は祈りに行ったのだ――今、出始めたオーロラにね。あれは向こうの小屋の若者に想いを寄せておるでのう」

 

 

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 星空にゆらめくオーロラの下、素っ裸で真摯に祈りを捧げれば、あらゆる願いは成就する。


 そういう信仰が、アラスカ・インディアンの一部部族の間では、宮武の歩いたこの当時――二十世紀前半に於いても根強く保たれていたらしい。

 


…私も外套の襟を立てて小屋を出た。そしてやみであるべき、大空を眺めた時、私は唖然とした。この神秘的な奇蹟をどう語ってよいか、あまりの偉大さ、あまりの美しさ! その時の私はただ、おのづから何ものかに額づきたい敬虔な念に打たれた。最初、紺碧の大空に淡い虹のやうなものが動き始めたが、だんだんひろがって、大空の果から果まで、大きい布のやうなものと変った。恰もスカーツを下から見上げたやうに上の方は、果しなく大空に溶け入ってゐるが、下は切ったやうである。そのスカーツの皴がふわりふわりと動いて、刻々と色と形を変へる。それが極地に近い、晩秋のできごとである。目をこの光の大空から、地上へうつすとそこには、はてしない氷の平原が続いて、オーロラの光の変る毎に、雪野のひろがりも空と同じく美しい色に染まっていった。(『世界地理風俗体系 18』164頁)

 


 大自然の創り出す神秘と驚異。情緒たっぷりな筆致で以って、宮武辰夫はその光景を描写する。


 当人の受けた戦慄が、如何に深甚なモノであったか。手に取るようにわかるであろう。


 考えてみれば巨岩・巨木の類にも、人は容易に「神」を見出す。


 況や極光に於いてをや。先住民の信仰に、少しも怪しむべき箇所はない。

 

 

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(オーロラに祈る先住民)

 


 極北の凍土から赤道の密林に至るまで。原始美術を追い求め、宮武辰夫が世界各地を行脚したのは1919年から21年にかけてであった。


 現在より溯ること、およそ百年。


 一世紀を過ぎてなお、オーロラの美しさは変わらない。


 が、しかし、それを仰ぎ見る人の心はどれほど変化しただろう。


 少なくとも、雪原の中、全裸になって跪き、祈りを捧げる女性の姿は、もはや絶えたのではないか。

 

 

 

 

 

 

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男のサガは ―軍国少年小泉信三―


 私の小学生時代。同じクラスに、重度のガンダムファンが居た。


 本編を視聴て、ガンプラを組む程度のことでは到底満足しきれない。彼の熱狂ぶりたるや、十やそこらの子供の域を遥かに超えて、ほとんど大人顔負けの、堂に入ったものがあり――例えばモビルスーツ個々の型番。


 初代ガンダムならばRX-78-2


 ウイングガンダムならばXXXG-01Wといった具合の、


 このややこしい数字とアルファベットの配列を正確に記憶していたし、機体のトン数や頭頂高を訊ねても、常に即答して外さなかった。


 武装については言うまでもない。∀ガンダムに積まれている縮退炉が如何に凄まじい代物か、頬を紅くして語る姿を今でもありありと思い起こせる。


(なんという男だ)


 私が彼を見る目には、畏れにも似た感情が、蔽い難く滲んでいたはずである。

 

 

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 この旧友が小泉信三に酷似していると気がついたのは、ごく最近になってから。慶應義塾元塾長たるかの御仁の随筆集、『一つの岐路』を読み込んでいるときだった。

 


 船は単なる物体ではない。それは活き物である。人間と同じく船には国籍というものがある。そうして動物を愛する青年があるように、船を愛する少年があるのは、少しも不思議ではない。私もその一人であった。況や軍艦をや。私は帝国軍艦の写真を集め、また、しきりに軍艦の画を描き、軍艦のトン数、速力、馬力、備砲等を暗記する少年になった。

 


 思わず声を上げかけた。


 これが男のサガであろうか。


 本能と換言してもよい。少年は少年であるゆえに、無骨な兵器に血を煮立たせる。


 いいも悪いもない。二元論を超越して、それはそういうものなのだ。

 

 

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(戦艦「長門」)

 


 旧友と次に再会したら、この話で盛り上がろうか。いやしかし、彼は小泉信三の名前など、聞いたことすらないだろう。


 書くのと喋るのとはまた違う。うまく説明できるかどうか。なんともはや悩ましい。

 

 

 

 

 

 

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フランス偶感 ―革命前後と大戦直前―


 革命という非常手段で天下の権を掌握した連中が、その基盤固めの一環として、旧支配者を徹底的に罵倒するのは常道だ。


 彼らが如何に搾取を事とし、苛政を敷いて民衆を虐げ、しかもそれを顧みず、ただひたすらに私腹を肥やして悦に入ったか。酒池肉林への耽溺ぶりを、声を限りに叫ぶであろう。


 事実の有無は、その際まったく問題ではない。国家の生血を吸い上げる蛭の如き印象を兎にも角にもなすりつけ、それを退治たおのれらの背に、大義の光輪を輝かせること。それが何より優先される。


 古今東西、幾度繰り返し展開された情景か、数えるのも愚かしい。


 だからこれも、そんなプロパガンダの一環かと初見の際には思ったわけだ。


 曰く、革命――バスティーユ監獄襲撃に端を発する大革命――以前のフランスでは、「藍税」なる特殊な税制が行われていたという。

 

 

Prise de la Bastille

Wikipediaより、バスティーユ襲撃

 


 慢性的な財源不足に悩まされた挙句の果ての「窮余の一策」。政府の専売商品たる藍、インディゴの名でも広く知られるこの染料を、七歳以上の全人民に毎年七ポンド以上購入せよと、これが新たなフランス国民の義務であるぞと、こう宣布してのけたというのだ。


 押し売りも真っ青な所業である。


 既に限界ギリギリの生活を強いられている庶民にとって、これほど馬鹿げた負荷はない。


「文化幸福の国民生活の雰囲気はただこれを大都会に尋ぬべきのみであって、地方幾多の僻邑寒村に至っては、痩せ枯れた風情見るに忍びず」――革命勃発二年前からフランス入りして数多を目にした英国紳士、アーサー・ヤングの言である。

 

 

Arthur Young (1741-1820)

Wikipediaより、アーサー・ヤング)

 


 確かに彼は「痩せ枯れた僻邑寒村」をつぶさに歩いた。


 そして忘れ難き出逢いを果たした。


 名も知れぬ農婦がその相手である。


 多年の労苦の結果であろう、彼女の腰はひん曲がり、見るからに歩行が辛そうで、顔には深い皴が刻まれ、皮膚のこわばりも凄いばかりで、「老婆」以外のどの印象も、その風体からは浮かばなかった。


 七十歳――どんなに低く見積もっても、六十の峠は越しているに違いない。ヤングは順当に考えた。ところがいざ訊ねてみればどうだろう、ものの「二十八歳」という、衝撃の答えを打ち返されたではないか。


 事前予測の半分以下の時間しか、彼女の身体は経験していなかったのだ。


「旅行をしたことのないイギリス人には、フランス農村女性の圧倒的大多数の容姿は想像つくまい」と、驚愕も露わにヤングはその著『フランス紀行』に書き綴ったものである。


 こういう暮らしを余儀なくされている人々にとって、藍がいったい何だというのか。


 買ったところで、いったい何を染めよというのか。馬鹿げているにも程がある。創作にしてもリアリティがないと一蹴されそうな悪逆無道の「設定」を、もし本当に実行したなら、そりゃあ革命の一つや二つ、起こされて然るべきだろう。

 

 

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ボルドーの葡萄畑)

 


 以上、藍税以外にも、フランスにまつわる奇話は多い。


 大正二年、明治大学で開催された演説会で、渡辺貴知郎なる弁者より、こんなエピソードが示されている。

 


…世界流行文明の中心を以て有名なフランスは、今日生活難の結果、青年男女共に神経衰弱症に罹らぬ者なく、所謂アプサントの酒を以て漸く不眠症と闘ってゐるのであります。全く結婚不能の者が沢山あるといふ事です。またたとひ結婚しても、堕胎や避妊をさかんにするので、出産率は時々刻々に減少するばかりなのです。そこで、仏国政府は初め所謂る「産児二人制」を以て出産を強制したが行はれないので、「産児一人制」を実施するに至り、更に最近は婚姻者の数が愈々減少したので、結婚後三年以上を継続した者には免税又は高等文官試験を免除するといふやうな出産奨励規則も発せられてゐるのであります。仏の女は妻となることを欲するけれども、母たる事は絶対に厭だといひ、男は夫たることはよいが、父たることは真平御免だといふやうなことになったのであります。(大正三年発行『第二青年雄弁集』37~38頁)

 


 この有り様は、どこか現代日本の世相と被る。

 

 

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(フランス、二十世紀農村の昼)

 


 ヨーロッパの天地に於ける私の興味は主にイギリス・ドイツの二国に対し集中し、フランスについては割と等閑に附す向きがあった。


 なんなら長谷川哲也の『ナポレオン』が唯一の窓口という観すらあった。


 しかし、今。それはだいぶ勿体ないことではないかと、「窓」を拡張したいという衝動が、私の中で渦巻いている。


 差し当たり、次に神保町を歩く際、特に注意して棚を漁るか。

 

 

 

 

 

 

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ごった煮撰集 ―月の初めの「ネタ供養」―

 

 

金を散ずるは易く、金を用ゐるは難し。
金を用ゐるは易く、人を用ゐるは難し。
人を圧するは易く、人を服するは難し。

 


 大町桂月の筆による。


 短いながらも、登張竹風に「国文をたていととし漢文をよこいととして成ってゐる」と分析された、桂月一個の特徴的な文体を、よく表徴したものだろう。


 先日の記事に盛り込もうかと思ったが、ついに適当な場所がなく、お蔵入りを余儀なくされた。


 で、改めて「蔵」の中を見廻すと。――どうもこういう、いずれ使おうとぶち込んだまま、ついに機会を見出せず、いたずらに時を重ねてしまった標語詩句の類というのが、結構な数に上っている。

 

 このまま後生大事に抱えていても、ついに日の目を見せてやれる気がしない。


 ラストエリクサー症候群と似たような気配を感じるのだ。


 そこで今回、思い切って放出に踏み切ることにした。一貫したテーマの存在しない、まさに「ごった煮」そのものだが。それでも個々の素材は間違いなく一級品を撰んだと、胸を張って言い切れる。


 しばしお付き合いを願いたい。

 

 

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山形県酒田市米蔵、山居倉庫。昭和初期撮影)

 

 

是非宮本武蔵先生ニ私淑セヨ。
是非清正公ニ没入セヨ。
是非菊池一族ニ帰一セヨ。
是非阿蘇雄大ニ同化セヨ。
是非大西郷ノきん玉ヲ握レ。

 


 熊本陸軍幼年学校集会所、その壁掛けに墨痕淋漓と記してあったという標語。


 なんでも出身将校からの寄せ書きだとか。


 同校は熊本城内の一角に置かれていたと聞き及ぶ。


 西南戦争の焦点がひとつ、五十二日の籠城戦。最後のユーモラスな一行は、つまりそういうことなのだろう。

 

 

Kumamoto Castle oldphoto 1874

Wikipediaより、明治初期の熊本城)

 

 

朝の一杯不老長寿、
昼の一杯価千金、
夕の一杯無上快楽。

 


 神田同朋町に戦前存在したという、呑み屋「酒場新助」は、店内の壁の一辺にそれは大きな鏡を据え付け、名物とし、好評を博していたという。


 上の標語は、その鏡面にこれまた大きく描かれていたとされるもの。


 書き手の、すなわち店長の人柄が躍如としている。なるほど彼の注ぐ酒は、さぞかし美味かったに違いない。

 

 

白妙に
粧ひし君が
姿をば
映して寒く
三日月の池

 


 明治の元勲・井上馨


 その気性の荒さから雷親父と恐れられ、さんざん周囲を手こずらせた彼の人が、山梨県屈指の景勝の地・山中湖を訪れた際に詠んだもの。


 富士が初冠雪を迎えたこんにち、よく時宜を得た詩だろう。

 

 

Mt.Fuji from Mt.Teppoginoatama 20

Wikipediaより、山中湖と富士山)

 


 時宜を得るといえば、ついでにこれも引いておきたい。


 英国王エドワード八世が「恋に殉じて」、在位わずか三百二十五日の短きにして退位の運びとなった際。


 英国王は離婚歴のある女性を妻に出来ない仕来りにも拘らず、二度の離婚歴を有するウォリス夫人と結婚するため、王冠を投げ出した息子に対し、母たるメアリー皇太后は親書を与え、その中でこう述べている。

 


 あなたはあなたが人に与えたショックがわかっておられないと思う。戦争中あれほどの犠牲に堪えた人々は、その人々の王であるあなたが、それよりも小さい犠牲を忍ぶのを拒むとは、考えられないことなのです。
 私には、終生私の国が何よりも先きでした。それを変えることはどうしても出来ません。

 

 

Queenmaryformalportrait edit3

Wikipediaより、メアリー・オブ・テック)

 

 

 この一節を以ってして「悲痛なる母の嘆きの言葉であり、そうしてまた、一国の国母たる人の言葉である」と激賞したのが小泉信三


 彼は云う、「『私は何時でも、私の国を何よりも先きにして来ました』とは、ちがった境遇にあるものの口には上らない言葉である。例えば、三年前、五年前に選挙された大統領の妻、あるいは一党独裁国の党書記長の妻は、このようにはいわないであろう。よし仮にいっても、真実な、自然のひびきを持たないであろう。
 党を超え、階級を超えた、国の利害と栄辱が問題となるとき、それをもっとも自然に、直接に感ずるものは、伝統ある国の世襲君主を第一とする。それは今日吾々も記憶しなければならぬことであると。

 

 サッチャー然り、エリザベス然り。


 英国の女性はまったく強い。


 ついでに補足しておくと、エドワード八世のスキャンダルが発生したのは1936年


 従って文中の「戦争中」とは、欧州大戦――第一次世界大戦を指している。

 

 

Bundesarchiv Bild 102-13538, Edward Herzog von Windsor

Wikipediaより、1932年のエドワード)

 

 

大丈夫
故郷の空
今還る

 


 戦死者を悼むための詩。

 

 

赤松の
幹の色さへ
温かき
わが故郷ふるさと
帰り来にけり

 


 戦地から生還した者の詩。

 

 

からからと
ニーチェ笑ふや
春の風

 


 こちらは登張竹風の作。


 ニーチェを日本に紹介した第一号の彼なればこそ、およそ平々凡々なこの句にも特別な可笑しみが宿せるだろう。


 竹風といえば、私の手元の『遊戯三昧』見返しにはこんな書き込みが施されていた。

 

 

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敬贈
 竹馬国時
    竹風生(印)

 


 と読めばいいのか。


 著者直筆の署名入り。ラクラする。なんと蠱惑的な響きだろうか。


 おそらくは登張竹風が、「国時」なる幼友達に贈ったものか。本書が初版であることも、この予想を裏付ける。

 

 

 

 

 

 

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