穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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1984年の新世界


 添田知道の認識下にて、「威儀を正す」は「恰好をつける」の同義語らしい。

 


「今時裃を着けて歩いたら人々は嗤ふに違ひない。これは時代環境が生んだ儀礼的風俗だ。裃をつけるといふことは威儀を正すことだろう。威儀を正すといふことは恰好をつけるといふことだろう。恰好のつけ方も時代と共に変遷する。既に古りすたれたるかゝる恰好的習俗が段々滑稽なものに映って来るのは中々に興味深いことではないか」

 


 なるほど確かに上質な目のつけどころであったろう。


 何を以って「美」とするか。

 

 

 


 格好良さの変遷と、時間的間隔に比例する滑稽感の増大は、ひとり服飾に限るまい。


 信念とか心構えとか規範とか、そういう無形の、精神の領域に於いてもやはり、同じ原理がはたらくはずだ。


 ハクスリーの考えた『すばらしい新世界』の文明人が、シェイクスピアに流れる情緒をまったくさっぱりこれっぽっちも理解できずに、腹を抱えて笑い転げるより他に為す術が無かったかのように。


 人の心もまた移ろうのだ。その兆候を察知したとき、自分が徐々に「旧物」に、「前時代」になりつつあると理解したとき、生きることの物憂さが意識の底から浮上する。


 要は厭世的になる。


 こんな時代と出くわす前にさっさとくたばっておくべきだった、つくづく長生きが厭になったと愚痴をこぼすようになる。


 オーウェルにもまた、そんな瞬間があったのではなかろうか。

 


「つい最近まで、英語国民の冒険物語の特徴は、主人公が「かなわない相手」と戦うことにあった。ロビン・フットから水夫ポパイに至るまで終始そうだったのである。おそらく西欧の基本的神話は巨人殺しジャック(『ジャックと豆の木』)なのだが、これを現代風にするには小人殺しジャックと命名しなおさなくてはなるまい。そしてすでに、大男に味方して小男と戦えと陰に陽に説く文学が相当出回っているのである

 


 少なくとも欧洲人の精神界の行く末に、暗澹たるものを感じていたとは十二分に言い得よう。

 

 

(『Cyberpunk 2077』より)

 


 ちなみにジョージ・オーウェルはハクスリーの作品につき、

 


「『すばらしい新世界』は快楽主義的ユートピアのすぐれた風刺画カリカチュアであった。それはヒトラーの出現するまでは可能であり、しかも目前に迫っているように思われたが、現実の未来とはなんのかかわりもない世界であった。われわれが現在進みつつある方向は、何かスペインの異端審問より以上のもの、おそらく、ラジオや秘密警察のために、はるかに悪くなっているものである

 


 このような批評を行なっている。


 ハクスリーがオーウェルを、ひいては彼の作品である『動物農場』『1984年』をどう評していたかに関しては、残念ながら筆者わたしの知識の中に無い。

 

 

 

 

 


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異常民具愛好家


 橋浦泰雄という画家はちょっと変わった美的センスの持ち主で、雪舟・・だの元信・・だのと、いわゆる大家の作品にあまり興味を示さなかった。


 先達に対する敬意はむろん持っている。が、擦り寄り、拝跪し、礼讃し、舐めしゃぶるように凝視する、そうした熱度はついぞ抱けなかったとか。


 どころかむしろ鑑賞すればするほどに、日本人の生活目線とのズレを否が応にも感じてしまい、名状しがたい厭味が募る。例へばあの点景人物の大部分が、支那人だと云ふ事実によって見ても、これ等の作家の美と感じた内容を推知することが出来る。むろん此の観念が技法に影響せぬ筈はない。それでなくても明だとか宋だとか、北画南画とその出所に喧しい連中である」。そんなこんなで親しみにくくなってゆく。──…

 

 

Kano Motonobu - Eight Views of the Xiao-Xiang Region (Shosho Hakkei) - 2001.56.1 - Yale University Art Gallery.jpg
(Wikipediaより、狩野元信作「瀟湘八景図」)

 


 彼の趣味とはもっと静かで、素朴なところに在ったのだ。


 すなわち彼が好みしは、純粋に日本人の生活中より生まれし美。


 橋浦泰雄は、民具を愛した。


 そこらの農家の軒下に何の気なしにぶらさがっているような、笠、蓑、ひょうたん、草鞋、籠。ごくありふれた日用品の中にこそ探美欲求の満足を得、創作のインスピレーションの源とする。奇人の類であったのだ。

 

 

 


民具類の美しさは、むろんそれを作る個々人の技術にもよるのであるけれども、一番重要な点は、その品物なり作法が、家乃至村の古くからの伝承に拠って居ることである。さうした作品は大抵美しい。衣食住冠婚葬祭の用具、或ひは農具漁具類凡てのものが美しい。東北地方によく見る平常着のミヂカ、巧緻なるサシコ模様、蓑や笠の装飾。会津の檜枝岐、飛騨の白川、九州阿蘇地方の民家の屋根。全国各所に見られる蒲の葉で編んだ背負袋、脛当の類。越中山中の五箇で作るコスキ(雪掻き具)、土佐山中の檮原村の天秤棒の如き、その一刀一刀の削り方さへ美しさを湛へて居る

 


 橋浦はまた、柳田国男に師事しての民族学者の側面も持ち、その縁からか日本民族学会の創立に寄与もしたそうだ。


 そういう彼の背景に、これはまことに相応しい口吻だったに違いない。


 ああ、何年かぶりに生田緑地を、日本民家園を訪れたくなってきた。


 あそこの水車は、

 

 

 

 

 あの樋は、

 

 

 

 

 今日でもなお変わることなく、粛々と水を運び続けているのだろうか。


 久方振りに確認するのも悪くない。

 

 

 

 

 

 

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文化と維新志士どもと


 知人の宅の玄関にとてもみごとな蘭の墨絵が掛かっているのを発見し、しばしの間、眺め続けた。


 視線釘付け、惚れ惚れしたといっていい。


 さぞや名のある支那の画人の作なのだろうと推察し、あとで由来をただしてみると、


「とんでもない、あれは山縣有朋公の筆ですよ」


 意外や意外、欠片も想像していなかった男の名前が飛び出して、精神に異常な打撃を受けた。それこそまるで月がいきなり燃え上がり、夜天を焦がす火の玉と化し、軌道を外れて地表こちらへと落ちて来るのを目の当たりにしたような。……

 

 

(『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』より)

 


 武者小路実篤の体験したことである。


 従来彼は山縣に、決して好意的でない。むしろ真逆だ。妖怪めいた胡乱な輩と認識し、得体の知れない不気味さを、軍部に対する反撥と共に抱いていたものだった。


 そういう「山縣嫌い」の一人であった実篤が、多少なりとも彼の仁を異なった眼で見はじめたのは、実にこれがきっかけと云う。

 


山縣と云ふ奴は嫌ひだったが、画を見たら好きになった。志賀がいつか庭を見て感心してゐたことを思ひ出した」

 


 上がすなわち、本人の談。

 

 

Prince Yamagata Aritomo at Villa Kokían in Odawara (1908).jpg
(Wikipediaより、山縣有朋)

 


 人間とはなんと他愛のない生き物か──と、呆れをもよおすべきなのか、それとも「芸は身を助く」の実例と逢えた幸運に無邪気に喜ぶべきなのか。


 静かに自己を内観すると、どうも三・七で後者が強い。


 これはおそらく筆者にも類似の体験がある所為だ。私もかつて久坂玄瑞──奇しくも山縣有朋同様、長州系維新志士──が、

 


  桜植ゑたり戦さをしたり
  これぞ誠の日本武士

 


 フランクとすらいっていい、斯様な歌を詠んでいたと知ったとき、それまで「激徒」の二文字で終始していた印象が、さも鮮やかに塗り替えられる瞬間を味わったがゆえにこそ。


 武者小路実篤の心理変化に、多少なりとも共感可能なのだろう。


 趣味は思わぬ縁をたどりて人に利福を連れてくる。


 人間、いろいろを持たせておくものだ。

 

 

 


 自分の嫌ってゐる人間が、自分の讃美してゐる行為に出たとき、その人間が好きになるか、その行為が嫌ひになるか、どちらかである。そしてそれによって、そのどちらの感情が強かったかが知られる。


──生田春月

 

 

 

 

 


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傑作の条件 ─ある劇作家の娯楽観─


「優れた芝居は二次創作を生んでこそ」


 大胆極まる主張をしかも、大正時代の昔に於いてやってのけた奴がいた。


 その人物とは、仲木貞一


 新国劇や松竹キネマを渡り歩いた、石川生まれの劇作家である。

 

 

 


 自論を述べるに彼はまず、当時の物質文明の住民の精神の荒廃を、──社会という肥大しきったシステムが人間個々の魂をどれほど無慈悲に圧殺しつつあるかについて弁じたて、以って前置きとした上で、

 


「人間の、人間たる情意的の生活が段々出来なくなって行く。それを満足させる為に、娯楽を求める。二階の小さな窓に朝顔鉢をおくのも、とこにダルマの像をかけるのもそれだ。機械となって働いてた人が、それを眺めて感情を満足させるのだ。所で、此等感情を最も強く刺戟してくれるのは、所謂芝居なり活動なり音楽なりだ。…(中略)…これらの見る物、又は聴く物に接してゐる時、誰でも、その度合の大小はあるが、必ず様々の事を考へる。そして、即ち頭の中に、色々な幻想を描くに相違ない。即ち各位は作者となって、創作をやらかすのだ。これはかなり頭を使ふ事なのだが、然し頗る愉快な事なのだ。これを、皆は無意識にやらかすのだ。芸術品とは、各位の頭に創作をさせるやうな物と云ふ事が出来るのだ

 


 斯く諄々と説いてくれたものである。

 

 

 

(『DEATH STRANDING』より)

 


 映画やアニメを鑑賞する際、先の展開を予想して答え合わせに挑むのは誰もが通る道だろう。


 更に進むと、映像を眼で追いかけつつも脳内で、自分にとってより・・快い展開を勝手に妄想しはじめる。その妄想を綴り合わせて絵にし、あるいは文章にする。我と我が身に徴しても、痛いぐらいに覚えのあることである。


 他人ひとの褌で相撲を取るやつ、厚顔無恥な盗人め──と罵倒されても文句の言えない行いを、しかし仲木は「至って正しい楽しみ方」と肯定してくれている。


 なんとありがたいことか。

 

 

(『BIOHAZARD VILLAGE』より)

 


 もともと彫刻といふものは見るだけでは物足りないから触って見たいといふ所謂触感を誘ふまでにその作品が出来てゐれば、頗る傑作だといふことが出来るのである。目下の展覧会場ではこんな振舞をやったらそれこそ大騒ぎになるが、われわれは、たゞ見るだけでなく撫でて見たいと思った時には、自由に触れていゝやうな彫刻をゆくゆくは諸君の前に提供したいと思ってゐる。


──朝倉文夫

 

 

 

 

 


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ビルマの毒刃 ─アサシンと化した仏教徒─


 ゆったりとした服装は、凶器を隠し持つにい。


 その原則に忠実に、──ビルマの僧侶は法衣の下に暗殺の毒刃をしのばせた。


 イギリス統治下時代の話だ。

 

 

 


 抵抗運動の担い手として、ブディストどもはかなりの有力基盤であった。


「民衆の喜捨で生活している我々が、その民衆の希望のぞんでやまぬ『独立』のため、いわゆる民族の未来のために行動するのは当然である」。そうした理屈に、主に基く。ここで謂われる「行動」は、むろんテロルの色彩を濃厚に含むものである。不惜身命、一殺多生の信念が、青年層の僧侶の間に特に蔓延り、彼らを次々閻魔の遣いへ変えたのだ。


 少なからざる英国人が彼らの魔手に傷つけられて、あるいはそのまま黄泉の国へと送られた。

 

 

(『Detroit: Become Human』より)

 


 凄愴酸鼻な血の歴史。その側面から語るなら、アサシンクリードの舞台としてもビルマは有望そうである。


「献身」を為した僧侶らは、追跡を振り切る目的で、多く寺院パゴダに逃げ込んだという。このあたりの消息は、日本の幕末史にも似る。天誅を実行した志士もまた、幕吏の眼を晦ますために寺を利用したと聞く。寺社奉行がどうのこうのと管轄上のしがらみやら何やらで、捕り手が臍を噛むような制約を多々課せられたとか。よく似た社会状況が、ビルマに於いても成立していた。


 ところで幕末と言えばだが、近ごろ極めて衝撃的なエピソードを耳にした。


「最後の将軍」にまつわる話だ。

 

 

Tokugawa Yoshinobu with rifle.jpg
(Wikipediaより、徳川慶喜)

 


『明治維新の全貌』という書の中で藤井甚太郎が語っていたところなのだが、どう・・ショッキングか、論より証拠、まず一読を願いたい。

 


「元治元年の八月、英米仏蘭四国の艦隊が長州の砲台を攻めて占領した、その時に長州藩の或る一人の如きは、長い槍を持って海岸に立ち『この槍が船に届かないのが残念だ』と言って憤慨したと云ふことでありますが、どうも攘夷と云ふことは兵器に関係するものでありますから、中々うまく行かない。このことに付ては慶喜公も私にお話があった。京都に行って公卿の所に行き、『日本の今日の国防力では攘夷は出来ませぬ』と話すと『成程さうか。それはさうだらう』と言はれるからこれならば大抵攘夷の出来ぬことが分ったなと思って帰って来て、翌日行って『攘夷のことはよくお分りでございませう』と言ふと、『よく分ったが、矢張り攘夷は出来る。あゝ言ったけれども、日本人には大和魂と云ふものがある』斯う言はれる。之には致し方がなかったと慶喜公が言って居られました

 


 何かにつけて優柔不断、方針をすぐ左右する、挙句の果てには自分の部下まで欺いて大坂城から逐電したりと、徳川慶喜に関しては毀誉褒貶の激しい人と述べる以外にないのだが。


 上の内容が真実ならば、流石に同情が強くなる。

 

 

 


 公卿などしょせん、背後に控える傀儡師、不平浪士の脚本のまま踊り囀る生き人形に過ぎまいが──。


 兎にも角にも、精神で物質を圧倒できると青筋立てて主張する誇大妄想狂どもが幅を利かせはじめたら、わかりやすく末期の徴だ。

 

 

 

 

 


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石塚式芋薬


 腫物にはどじょうと芋が効くと云う。

 

 

 


 喰うのではない。喰って滋養を摂取して抵抗力を高めるだとか、そういう迂遠な手順を踏むにあらずして。──もっと、遥かに直截に、患部にピタッと貼りつけるのだ。


 芋薬とか鰌療治とかいった奇妙な呼ばれ方をする、斯かる手口はくだんの「食医」石塚左玄が案出し、広めんとしたものである。

 

 いや、「案出」と書くよりも、「復古」し「整備」したとでも表現しておく方がより実相には近かろう。同様の治療方法を記載した書は昔から、漢方医界にそれなりに存在したとも聞くゆえに──。


 まあ、そのあたりの詮索は今、措くとして。


 ともあれ左玄に則ると、芋薬とはまず里芋の皮を剥き、


 露わになった身をおろし金ですりおろし、


 およそ同量のうどん粉を入れ、


 更に生姜を少々加え、


 すり鉢にて丹念に混ぜ合わせることにより生成される物体で、


 こいつを杓子やヘラ等で二分の厚さに塗った後、ガーゼや木綿、油紙にて被いをし、包帯にて固定する。そのようにして使用する。肋膜炎や盲腸や、リウマチスに対しても効果を発揮したそうな。

 

 

 


 鰌療治は至ってシンプル、「名は体を表す」そのままに、


 鰌を二つに裂いた上、


 骨を除いた物体を幾つも幾つも拵えて、


 これをペタペタ、貼ったり巻いたりするだけだ。


 その際に、皮のついている側だけが患部に接触するように配慮するのが大事なところ。


 ぬめり・・・が乾ききる前に新しいのに替えるのもまたポイントで、こちらは例えば瘭疽なんぞに効果覿面だったとか。

 

 

Weather loach.jpg
(Wikipediaより、ドジョウ)

 


 所詮、いずれも抗生物質普及以前の工夫だが。まあ、現代社会に於いてさえ、解熱のためにキャベツを頭に被せたり、ノドの痛みを取り去るためにネギを首に巻いたりと、そういう真似に及ぶ手合いは一定数居るわけで。


 それやこれやを考え合わせてみた場合、野蛮時代の風習と、一概に馬鹿にしていいものでもないだろう。

 

 

 

 

 


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鯉は強し ─山梨県の揺れた夜─


 いつの世とても「天災」ばかりは予測がつかぬ。


 つかぬからこそ「天災」なのか。


 すべてはたまたま・・・・なのである。たまたまとある省庁の長官閣下が長野に出張している際に、浅間山が火を噴いた

 

 

AsamaYamaS.jpg

(Wikipediaより、浅間山)

 


 たまたま麓の田園地帯を視察していた一行は、まず上からの爆発音に身をすくませて、次いでほとんど間髪入れずに生起した、足下からの狂瀾怒濤に度肝を抜かれ、飛びあがって驚いた。


 田には水が満ちていた。


 その水中に放されていた鯉どもが、突発した天変地異に泡を食い、めちゃくちゃに跳ねまわったのだ。


 なにしろ三百数十町歩、東京ドーム七十個前後の面積が、一斉に沸き立つような大騒ぎ。「流石長官も浅間山の爆音以上に驚いたと云ふ一つ噺が残って居る」──。

 

 

 


 以上述べしは、東京府水産試験場長・笠村確が往年明かせしエピソード。

 

 彼の話は、

 


「まだある。鯉は生活力が頗る強い。炎暑中でさへ新聞紙に包んだ儘で二時間位は優に生きて居る。包を開いた時は死んで居る様だが、盥などに入れ新水をぢゃあぢゃあかけてやれば段々生き返って来る、冬なら湿った藁などに包めば二日位は楽に生きて居る。又、盛夏中稲田の水温が三十六七度に昇っても平気で泳いで居る」

 


 更にこのような連鎖を起こす。

 


鯉の生き血は不思議と急性肺炎の高熱を下げるのに効く。先づ鯉の頭を切り落し血を盃に受け血が凝固しない内に一息に飲み干す。然るときは四十度近くの高熱はすぐに平熱近くに降る。之は私が体験したのではない、私の友人が急性肺炎に罹り高熱で苦しみ、同君の希望により早速大鯉を三本届けたが、其の血を飲んで同君は完全に病を治した。それから同君の鯉の礼讃は物凄く、頻りに鯉の効能を吹聴して居る。鯉の血液が霊薬たることを信じて居る人は強ち同君だけではあるまい。尚この他にも薬にしたいからと云うて私の方へ分譲を申込んできた人は恐らく三十人以上はあったらう

 


 こんな調子で、鯉の魅力の伝道事業に余念のない人である。

 

 

Cyprinus carpio 2008 G1 (cropped).jpg

(Wikipediaより、鯉)

 


 ──富士五湖に棲まう鯉どもも、昨夜の揺れにはさぞかし慌てたことだろう。


 第一筆者わたしの心からしてあまり平静とは言い難い。


 その動揺する心のままに文字を打たせていただいた。


 少しは常軌に復せたろうか。

 

 

 

 

 


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