穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

アミアンのピーター ―Peter of Amiens―

 

 またの名を、「隠者ピエール」
 なにやらダークソウルにでも登場しそうな名乗りだが、歴とした実在の人物である。


 ある意味で、中世ヨーロッパ屈指の弁舌家といっていい。


 なにしろ彼は、あの・・十字軍の先導者だ。


 およそ200年にも及ぶ、聖地奪還大義に掲げたキリスト教徒のイスラム教圏に対する攻勢は、この男のわずか三寸の舌先によって招来されたとの見方も成り立つ。

 

 

0 Saint Pierre l'Ermite - Amiens

Wikipediaより、アミアンの隠者) 

 


 ピエールが聖地奪還の必要性を痛切に感じるようになったのは、実際にエルサレムまで巡礼し、彼の地がイスラム教徒に占領されている現実をつぶさに目に焼き付けてからだとされる。だがしかし、一方には彼はエルサレムまでたどり着けず、その途中でトルコ人に捕まって拷問されて追い返されたという説もあり、このあたりちょっと曖昧である。


 確かなのは、聖地巡礼の過程に於いてピエールは、イスラム教徒のためによほど不快な目に遭わさたということだ。


 このためただでさえわだかまっていた異教徒への敵意が限界を超えて加熱され、もはや彼らを人間として見るゆとりさえ、ピエールは失ってしまったらしい。


 顔どころか首筋まで真っ赤にしてヨーロッパに帰った彼は、その衝動が命ずるままにローマ教皇ウルバヌス二世に謁見し、あの「悪魔の使い」どもをいっぴき残らず聖地から追い払わねばならぬと熱烈に説いた。


 折しもフランス国王フィリップ一世との間にくだらぬことから確執を起こし、イタリア南東部のアブーリアに避難していた教皇は、この熱弁にいかにも感じ入った風をみせ、手ずから教書を与えさえしている。

 

 

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 聖地奪還のため世論を喚起せよとの使命を託したその教書には、ピエールの人物評めいた下りもあって、


 ――その身体は小にして、一見物の数にも足らないが、内部には霊活なる機智を蓄えている。観察頗る精密にして、その雄弁は大河の如く滔々として止むことがない。


 といった意味のことが記されていた。
 まず、激賞といっていい。
 教書を差し下されたピエールは、当然のことながら感激した。彼は自分の生れてきた意味を完全に理解し、使命を全うするべくフランス中を演説して行脚した。


 といって、ピエールにはデモステネスのような磨き上げられた雄弁術など備わっていない。


 学識もあまりなかったらしい。しかしながら神の御許に跪き、一切を投げ出して悔いはないという信仰心なら、おそらくデモステネスの数百倍は持っていたろう。


 演説の最中、彼は屡々絶叫し、キリストやマリアの名を金切り声で連呼して、自分は天国からの手紙を受け取ったとも明言し、ある時などはキリスト自身が自分の前に現れてイスラム教徒の手から聖地を解放するように、西欧諸国民の精神を鼓舞作興せよとの重責を託してくれたと主張した。


 素人ゆえに、ペース配分など考えていない。


 演説途中で咽喉が嗄れ、それ以上声を出せなくなることとてザラだった。
 そういう場合ピエールは、意味をなさない叫喚をあげて泣き喚き、胸を叩いて、日ごろから携行している大十字架を指し示し、意志を表現したという。


 マルクスの開祖にして御本尊、例のカール・マルクス「宗教は阿片なり」と説いたそうだが、隠者ピエールを見る限り、鎮静作用のある阿片というより脳を極度の興奮に誘うメタンフェタミンに喩えた方が、あるいは正確かもしれない。


 同時にこの情景からは、SKYRIMスカイリムのホワイトランでタロスに向かって昼夜を分かたず熱烈な愛を告白しているヘイムスカが連想される。彼もまた、


「無敵のタロス! 的確なタロス! 難攻不落のタロス! あなたを称賛する!」


 とか、


「そして称賛に値する、なぜなら我々は一つだからだ! タロスが昇華し八大神が九大神になる前、タロスは我々と共に歩まれた、偉大なタロス、神としてではなく、人間として!」


 とか、


「タロスは人間の真なる神である! 人間から昇華し、霊魂の領域を支配した!」


 とかいった具合に、自らの信仰する神の名を、喉も裂けよばかりの熱心さでひたすら叫び続けていた。

 

 

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 が、ヘイムスカーと隠者ピエールとで決定的に異なる点は、前者がホワイトワンの住人からもあまり相手にされることなく、一種の奇人扱いされていたのに対し、後者の方はどういうわけか、民衆からの絶大な支持を集め、無数の信奉者を獲得したということである。


 赤誠人を動かす――否、それ以上に、時代の魔力というものだろう。


 今なら間違いなく黄色い救急車の世話になるに違いない人間が、1000年前のヨーロッパでは聖者として罷り通ってしまうのだ。


 聖も狂も善悪も、時の流れに従って、総ては移ろうのだということが実感される。

 


 隠者ピエールへの喜捨は、それこそ夕立の如く雨注した。
 彼はそれを少しも私せず、受け取るなり右から左へ、貧者や病者、所謂「恵まれぬ人々」のために与えた。
 この清廉さを目の当たりにした人々は、


 ――これはいよいよ「本物」だ。


 と、より一層ピエールを崇め、彼が導くのであればどこまでも付き従う決意を固めた。


「地獄への道は善意によって舗装されている」とはよく聞くが、それをここまで忠実に表現した例も珍しい。


 そしてついに1096年。史上初の十字軍、民衆十字軍がピエールを中心に結成されて、大挙エルサレムめがけて押し出した。

 

 

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 その結果について、詳しく語ることは他日に譲ろう。


 直截に言うなら、隠者ピエールが歴史の中で果たした役目というのは結局のところ、笛を吹いてレミングの群れを海へと導き、次々に水死させることに過ぎなかった。


 まあ、この「レミングの群れ」どもも、通り道を散々に食い散らかしてひとかたならぬ疫害を与えて行ったのだから、あまり同情の余地はないが。

 


 暗黒時代には、それに相応しい弁舌家が出るらしい。

 

 

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夢路紀行抄 ―八面玲瓏―

 

 夢を見た。
 富士を仰ぐ夢である。
 確か、借りていたDVDの返却期限を勘違いしていたのが事のはじまりだったと思う。てっきり明日だと思い込んでいたのが、今日だったのだ。


 あと六時間もすれば、延滞料として余計に金をとられてしまう。


(これはいかぬ)


 と思ったが、外は土砂降りの大雨だ。
 地を抉る勢いで叩きつけるこの水壁をついて外出するのは、いかにも物憂い。


 が、金の前には多少の肉体的疲労がなんであろう。


 結局、強行軍に踏み切った。
 ところがその半ばから、歩いている道がどうにもおかしい。
 視界の悪さが災いしたか、ふと気が付けば私は本来の目的地から遠く離れた、銭湯の前に立っていた。


 その看板を目にした瞬間、私の心理に一種奇妙な変化が起きた。延滞料も何もかも綺麗さっぱり忘れ去り、ただ熱い湯に浸かりたいとしか考えられず、あれよあれよという間に支払いを済ませ、露天風呂に体を沈めて関節の凝りを揉みほぐしていたのである。


 雨は既に止んでいた。


 そんなものがあったのか、といわんばかりに透き通った夜空である。


 降りしきる月光の中、白妙に雪化粧した富士の高嶺が、八面玲瓏と讃えられたそのままに、凝然と聳え立っていた。

 

 

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 七月であるにも拘らず、あの雪のみごとさはどうであろう。


(なにぶん、ここ最近の肌寒さだ)


 先刻の大雨も、あれほど標高の高い場所ではみな雪になったに違いない、と無造作に自分を納得させた。

 


 ――と、場面が一瞬で切り替わったのはその時である。

 


 私は自室に戻っていて、冷蔵庫の扉を開けていた。


 紙パックの牛乳を取り出してみると、なんと賞味期限が一ヶ月も前に切れている。


 未開封だが、流石にこんなものを飲むわけにはいかない。腹を下すのは必定だろう。廃棄するに如くはない。


 ところがいざ排水口に流してみると、別段変色もしていなければ異臭もしない。ちょっと勿体なかったかな、と惜しんでいると目が覚めた。

 


 山梨出身でありながら、富士の姿を夢に見たのはこれが初めてのことである。


 縁起よし。
 運が開ける兆候か。
 そう思い込んでいた方が、人生は華やかになるだろう。

 

 

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デモステネスの大雄弁 ―下・その最期―

 

 デモステネスとは、いったい何者なのだろうか。


 崩れ落ちんとする前時代の社稷を支えたいが一心で、物狂いしたように叫びまわり駈けまわり、あくまでも新体制を拒絶する――。


 狂瀾を既倒に廻らさんと憑かれたように足掻いてのける、この種の保守的情熱の持ち主は、洋の東西を問わず、遥か神代の昔から、それこそ無数に居ただろう。


 強いて我が国に類型を求むるとするならば、維新回天の秋、亡びゆく徳川の世をそれでも薩長の暴虐の魔手から守護まもり抜かんと決起した、榎本武明大鳥圭介彰義隊などの旧幕臣
 会津をはじめとした東北諸藩。
 新撰組見廻組などの浪人結社。
 戊辰戦争の敗者となったこれら諸々の男どもは、忠義者ではあるものの、日本国の近代化という大目的から眺めれば、単にその妨害者たるの範疇を出ない。

 

 

Encounter at Fujimi Toyogobashi bridge

Wikipediaより、鳥羽・伏見の戦い) 

 


 そこはデモステネスも同様だ。
 ギリシャを併呑したマケドニアアレキサンダーの指揮の下、例の大遠征を行ったればこそギリシャ文化とオリエント文化との衝撃的な――まったく天体の衝突にも比するべくに衝撃的な――出逢いが成就し、ヘレニズムという、絢爛無比なる一大文化が爆誕したわけである。


 極端な物言いを敢えてするなら、マケドニアに呑み込まれたことによってそれまで地中海の一地方に過ぎなかったギリシアは、世界のギリシャへと大飛躍を遂げたのだ。


 人類史に対する貢献度合いから判断すれば、アレキサンダーこそ大英雄と呼び讃えるに相応しく、デモステネスなど旧弊に凝り固まった排外的民族主義者に過ぎない。

 

 

AlexanderTheGreat Bust

Wikipediaより、アレキサンダー) 

 


 だが、しかし、だとしても。


 時代の節目、世が大きく移り変わらんとするその秋に、こういう人間が出て来なければ歴史とはなんと味気ないものになるだろう。


 ファニー・ヴァレンタイン大統領はいみじくも言った、

 


この人間世界の現実…
新しい時代の幕開けの時には必ず立ち向かわなくてはならない「試練」がある


『試練』には必ず
「戦い」があり「流される血」がある
『試練』は「強敵」であるほど良い…


試練は「供えもの」だ
りっぱであるほど良い

 


 と。


 至言であろう。
 その「戦い」もなしにサラサラと、なにやら水が樋を滑るような抵抗のなさであっさり世が切り替えられてしまっては、何というか、人間そのものが薄っぺらく見えて来る。


 果たしてデモステネスは戦いを挑んだ。


 迫りくるマケドニアの脅威を攘ち払うのだとしきりに訴え、世の潮流を反マケドニアに糾合し、アテネ・テーバイ同盟の成立に大きく寄与。結成された連合軍を以ってしてカイロネイアの戦いに臨み、結果目も当てられない大敗北を喫したことは以前に述べた。


 並大抵の男ならここで意気消沈し、世の表舞台から引っ込んでいい。


 が、デモステネスは執拗な性格を持っていた。あれだけ手酷く叩きのめされたにも拘らず、彼の反マケドニア熱は翳るどころかますます盛んに燃え上がり、アテネに於いてなおも有力な地位を占め続けた。


 デモステネスは、やはり常人ではないのだろう。そんな彼が、一人の愚者の存在によって唐突に失脚を遂げるのだから、人の世というのはわからない。

 

 

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 ハルパロスと名乗るその愚者は、しかしアレキサンダーの親友という繋がりゆえに彼の政権で財務官なる重職に就き、そのくせ大王が遥かなる遠征に旅立って以後は、


 ――どうせ生きて帰って来るものか。


 とたか・・をくくって管理している公金をしきりに横領、お気に入りの高級娼婦に湯水の如く注ぎ込むなど、放蕩そのものな生活に明け暮れるという、救いようのない男であった。


 ところがハルパロスの思い込みに相違して、紀元前323年アレキサンダーは帰ってきた。酒と女に浸かりっきりで海綿化の進んだハルパロスの脳味噌でも、これが如何にまずい事態かは読み取れる。


 案の定、アレキサンダーは自分の留守をいいことに、鬼の居ぬ間の洗濯とばかりに汚職に手を染め遊蕩に耽っていた太守どもを粛清しだした。


 もたもたすれば、次に首を刎ねられるのは自分であろう。


 ハルパロスは逃げた。


 しかもただ逃げたのではない。6000の傭兵、5000タラントンもの銀貨を30隻の船に積載しての大脱出である。
 目指す先は、アテネであった。

 

 

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 デモステネスを筆頭に反マケドニア勢力の未だに根強いこの地に於いて、単に匿ってくれと願い出るのではなく、共にアレキサンダーを討ち滅ぼそうと勧誘――否、激励したハルパロスの神経は、もはや測り難い域にある。


 どうやら友情を感じていたのは大王のみで、ハルパロスの方はアレキサンダーのことなど別段好きでもなんでもなかったことが、この点からも見て取れる。


 軽佻浮薄を人間の形にしたような、こんな男の口上に乗るほどアテネ市民は馬鹿ではない。デモステネスもまたハルパロスをアテネ港内に入れるべからずとの動議を提出、彼の手を冷厳に払いのけている。


 思わぬ冷遇を受け、進退窮したハルパロスはまたも頓狂なことをやり出した。


 彼はいったん別の岬に船をつけ、そこに傭兵を待機させると財の中から720タラントンのみを持ち出しアテネを再訪。謀反人ではなく一介の避難民であるとしてなんとか市内に入った彼は、しかし直後、アレキサンダー麾下の諸将たちからハルパロスを引き渡せとの要求がアテネに降ったことにより、軟禁状態に置かれてしまう。


 折角の金も取り上げられて、まるで捕まるためにやって来たようなものだった。


 これでハルパロスの命脈は尽きた。
 まもなく彼は相応しい死を迎えるわけだが、それはまあ別にいいとして、問題になったのは彼の持っていた金である。

 

 

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 ハルパロスが拘禁された際、押収された金額は確かに720タラントンのはずだった。
 ところがその後、保管場所と定められたパルテノン神殿に運び入れられた金の量は、わずか350タラントンでしかない。


 残額は何処へ行ったのか。疑惑は疑惑を呼び、やがて大問題に発展した。


 何らかの処置を講ぜねば、激昂した民衆が何をしでかすかわからない。そこでやはりデモステネスの動議によって、この問題を最高法廷に於いて糺断することが決定した。


 幾日にも亘って厳しい審問が行われたその結果、最終的に九名が罪人として裁かれた。消えた金の行方は、この連中がハルパロスからこっそり賄賂として着服していたのだと。


 その筆頭に、なんとデモステネスの名があったのである。


 本件を最高法廷で扱えとした彼の動議はなんだったのか。まるで自分の死刑予約を入れるに等しい支離滅裂なものではないか。
 イギリスの下院議員で引退後に著述業に専念し、ギリシア史』を世に送り出したグロートが、


 ――この判決は法律的にあらずして、政治的なものである。


 と断定したのもむべなるかな。あまりに不可解な点が多過ぎた。

 しかしながら他の多くの政治的疑獄と同様に、この件の真実も永久に解き明かされぬままだろう。


 ただ、厳然たる事実として、デモステネスは有罪となり、アテネから離れざるを得なくなった。


 かつての愛国者が、なんたる悲哀か、孤影悄然と異郷の土に消えるのか――と思いきや、運命はまだこの男を見捨てない。


 そう、アレキサンダー大王の急死である。

 

 

Alexander and Aristotle

Wikipediaより、アリストテレスの講義を受けるアレクサンドロス) 

 


 インド遠征から帰還して、留守の間にあぶりだされた不届き者を粛清しつつ、次なるアラビア遠征へ向けての構想を練っていた僅か32歳のこの覇者は、まったく急死としか言いようのない唐突さで世を去った。


 この報を受け、ギリシャ人達は独立を取り戻す千載一遇の好機が来たと弾かれたように動き出す。


 アテネもまたその例に漏れず、レオステネス将軍を指導者として蜂起に踏み切る。


 この期に及んで、伝説的な反マケドニアの闘士たるデモステネスを蚊帳の外に置いておくなど有り得ない。斯くしてなんという慌ただしさか、たちどころにデモステネス召還の動議は民会に於いて可決され、彼は再び故郷の地を踏む。


 アテネの南西、ピレウスの港に上陸したデモステネスを迎えたものは、執政官及び祭司を先頭にした大行列に他ならない。


 彼はまったく、花道を歩いたといっていい。どこからどう見ても、これは凱旋の光景だった。

 

 

Port of Piraeus

Wikipediaより、ピレウス) 

 


 まるで2100年先の、エルバ島から脱出してきたナポレオンを見るようである。
 その末路まで、デモステネスはナポレオンと同様だった。
 帰還したナポレオンがワーテルローの戦いで敗北し、その百日天下を粉砕され、セントヘレナに送られて、今度こそ完全に命脈を断たれたように、デモステネスもまたクランノンの戦いに敗れ、カラウリア島に逃れたが、ついに追手を振り切ることが出来ず、島のポセイドン神殿で毒をあおって自決した。


 享年62歳。幾度の敗北にも折れることなく、生涯を賭してマケドニアと闘い続けた男はついに死んだ。


 しかしながら彼の遺した弁論の数々は時を超えて脈々と息づき、例えば若き日の大ピットを感奮させて、大英帝国の基礎を築く原動力にもなっている。


 デモステネスはこれからも、無数の思想的継承者を生んでゆくに違いない。


 男の人生など、つまりはまったくそれでよいのだ。

 

 

デモステネス弁論集〈1〉 (西洋古典叢書)

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デモステネスの大雄弁 ―中・信念編―

 

 他の一切を犠牲にし、我が身の骨すら縮めるような、これらおそるべき修練の跡から後世の批評家たちの中にはデモステネスを天才と認めず、ただひたすらな努力の人と論断した者とて少なくない。


 だが、才能とは持続する情熱のことを言うであろう。


 その観測に当て嵌めて考えるなら、デモステネスは確実に天才の範疇に含まれる。

 

 

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 死狂いの果て、デモステネスはついに完成した。
 珠玉としか言いようのない磨き上げられた雄弁術を以ってして、彼が世に訴えたかった信念とはいったい何であったのか。その内実を、大まかながらに書き並べてみる。

 


異民族バルバロイの暴力がギリシャの一都市に加えられたる時には、アテネの手が直ちに伸びて、アポロ神の名の下にこれを退けねばならぬ。


・義務を忘れて快楽に耽り、自分一個の利益を何より優先する悪風が如何に世上に満ちようと、アテネだけはヘラスの中心たるに相応しい節度を忘れず、断じて純潔を維持せねばならぬ。


アテネは帝国を夢見てはならぬ。スパルタの如き暴政を施してはならぬ。


アテネは自由連邦の首領でなければならぬ。


アテネは全ギリシャ人の信頼を得るを目的としなければならぬ。


・若し国家が戦争に際してその服従を要求する際、いやしくも市民たる者は、劣等なる代理者を傭って義務を回避してはならぬ。


・ソポクレス古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人)の言ったが如く、国家は我々を安全に運ぶ船である。万一その船が沈めば船室が如何に優等にして安楽だろうと、何の意味もないことを記憶せねばならぬ。

 

 

Démosthène s'exerçant à la parole (1870) by Jean-Jules-Antoine Lecomte du Nouÿ

Wikipediaより、演説をするデモステネス) 

 


「政策」ではなく「信念」と銘打った理由が、自ずから察せられるだろう。――デモステネスが祖国アテネに捧げた想いの深さ、万丈の蒼海にも匹敵する愛国心も。


 志そのものは高尚だろう。


 目も眩むほど貴い精神性のほとばしりといっていい。


 しかしながら皮肉なことに、高尚であればあるだけ、デモステネスの「信念」は、この当時のギリシャ的現実からどうしようもなく浮いてしまった。

 


 紀元前404年、アテネは前後27年も続いたペロポネソス戦争に敗北した。


 海外領土のすべてを失い、海軍は接収され、国内にはスパルタ軍の駐留を受け、その軍事力をバックに据えた30人の圧制者による支配を受けた。


 有り体に言えば、アテネはスパルタの保護国になった。


 民主派の必死の努力によって間もなく国権は回復されたが、疲弊は覆うべくもない。
 以来、アテネを覆い尽くした雰囲気のほどを概括すると、


 経済は荒廃し、
 思想界は詭弁派によって壟断せられ、
 人心は堕落し、兵役を厭がり、
 傭兵が盛んに用いられ、
 民会は民会で統一を欠き、
 小政党が現出しては離合集散を繰り返すという、
 絵に描いたような末期的症状を各方面にて順調に呈しつつあった。

 

 

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 特に政界の腐敗ぶりは甚だしく、デモステネス自身憤懣に堪えず、


「かつて、政治は財産を作る方法ではなかった。先人たちは政府を以って商業上の投機とみなさず、公共的奉仕とこそ考えた」


 と、あからさまに当て擦ったほどである。


 事実、そうであったろう。
 ペリクレスが改革を行うまで、アテネの政治家とは真実名誉職・・・ だったのだ。
 給料は一文たりとも払われず、ために相当の財産を既に有する貴族でなければ任に堪えることは困難であった。
 そのくせ負わされる責ときたら重大で、些細な失敗をあげつらわれて死刑宣告を突き付けられることもあり、これほど割に合わない職というのもちょっと地上に珍しい。


 が、それでもアテネの民主制度が大過なきまま機能して繁栄の道を進み得たのは、「名誉」を何より重んずる指導者たちの精神性に解を求める以外ない。

 

 

Bust Pericles Chiaramonti

Wikipediaより、ペリクレス) 

 


 それだけに、ひとたび堕落すれば回復するのは至難であった。


 知的階級の中にはこのギリシャ・・・・的現実・・・に絶望し、もはや自力救済は無理とあきらめ、


 ――いっそ、マケドニアの王の下で。


 有能で大度で勇敢な帝王を迎え、その支配を受けることで一気に「腐れ」を押し流すのが上策ではないか、と考える者とて少なからずあったのだ。


 アリストテレスが洞察した、政体の循環――民主制はやがて腐敗し、衆愚政治に堕し、強力な独裁者が興って刷新の清風を吹き込むが、世襲を重ねるうちにそれも悪化し、虐げられた人民の圧縮熱が最高潮に達した時点で革命が起き、また民主主義の世がやってくる――が着々と進行していたといっていい。


 一理ある。死体にいくら輸血しようが、死体は所詮死体のままだ。再び鼓動を刻むことなど有り得ない。さっさと見切りをつけてしまうが吉である。


 ところが、デモステネスにはそうは考えられなかった。常識論とでも呼ぶべき、それに従うには彼の愛国心は旺盛に過ぎた。


 デモステネスはオクタン価の極めて高い我が熱血を送り込めば、死人もまた起き上がって野を駈け廻るに違いないと一途に信じ、そのことをやり、自身の健康を損ねてもなおやめようとしなかった。

 当然、死なざるを得ない。

 

 

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デモステネスの大雄弁 ―上・修練編―

 

 ギリシャ文学の研究がホメロスを抜きにしては成り立たぬように、当時の雄弁を語る上で、どうしても避けて通れぬ名前がある。
 デモステネスがそれである。

 

 

Demosthenes orator Louvre

Wikipediaより、デモステネスの胸像) 

 


 この男がアテネの生んだ最大の雄弁家であることは間違いない。間違いないが、だがしかし、その政治的評価にあたっては、世評は屡々乱高下を繰り返してきた。


 ある時は祖国の自由と独立に最期まで殉じた英雄として。
 またある時は時代遅れな空想にとり憑かれ、大衆を煽動し、無謀な戦争に叩き込み、あたら多くの人命を失わしめた粗大漢として。


 時代による毀誉褒貶の移り変わりの甚だしさをこれほどまでにまざまざと味わわされた人物を他に探せば、それはきっと革命政権下に於いて「息子とさえまぐわうふしだらなオーストリア女」と軽蔑され、メッサリーナアグリッピナと同水準の「毒婦」と見られておきながら、いざ再び仏国が王政に復すや、たちどころに「犠牲心に富んだ聖女」として崇められ、「殉国の女王」として七彩の雲の中に祀り上げられた、かのマリー・アントワネットぐらいのものだろう。

 

 

Vigée-Lebrun Marie Antoinette 1783

Wikipediaより、マリー・アントワネット) 

 


 良くも悪くも、論議を巻き起こさずにはいられぬ男デモステネスは紀元前384年頃のアテネに生れた。


 少年時代の彼は専ら書に親しむを愉しみとし、体育の訓練などは別段受けていなかったと云う。しぜん、薄っぺらな胸板から絞り出される声量ときたら貧弱で、且つ舌が意のままに動かず、よくどもった・・・・
 絵に描いたような青びょうたんの姿であり、ここから後年の大雄弁家たる彼の姿を想像するのは予知能力でもなければ不可能だろう。

 


 転機が訪れたのは16歳の時だった。

 


 伝承によれば彼はこの年、ふとしたことからアテネの政治家カリストラトスの弁論を聴く機会に恵まれ、彼の巧みな身振り手振りや雄渾そのものな音声を至近距離から浴びせられたその結果、呆けるほどに魅せられて、まったく一大感動を発してしまったとされている。


 酒などものの数ではない陶酔が、いつまでも体腔の内側に痺れとなって残り続けた。


 斯くの如く人心を震わせ、大衆の思想と目的とを活殺操縦する芸術を、是非とも我も身に着けたいとデモステネスが願うのは、蓋し必然であったろう。


 ついでながらカリストラトスという、このスパルタとテーバイの勢力均衡の上にこそアテネ繁栄の道はあると信じていた政治家は、しかしこれから7年後の紀元前361年に政争に敗れ、死刑判決を受け、マケドニアに亡命している。
 後にデモステネスが不倶戴天の敵と看做すマケドニアに、である。
 何かしらの暗示を見出さずにはいられない。

 

 

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 それはさておき。


 勇奮措く能わざるして弁論家への道を踏み出したデモステネスだが、その滑り出しは必ずしも順調とは言えなかった。
 当たり前だ。人間は蟲ではないのである。昨日までのどもり・・・が、一朝明けるやあら不思議、蛹が蝶に化するがごとく、舌端火を噴かんばかりの雄弁家に変身しているわけがない。
 デモステネス最初期の演説は大失敗に終わったということで、数々の伝承は一致している。それは聴衆の、嵐のような野次と嘲笑を買っただけのことであった、と。


 しかしながらデモステネスは、


 ――おれは駄目だ。


 とは思わなかった。いや、仮に思ったとしても、その駄目さに甘んずる気は毛頭なくして、


 ――畜生、いまにみていろ。


 と、復讐への渇望が油然として湧き上がってくる性質たちであった。


 彼の精神を支配する、この比類なき反発力が如実に反映されたのが歴史に名高いかの「冠」演説だったろう。カイロネイアの戦いで見るも無残な大敗北を喫しておきながら、それでもこの男は「あの戦争は間違っていなかった」と従来の所信を一ミリも曲げず、ついにはそのことを聴衆に認めさせてしまうのである。

 


 まあ、先の話はこの辺にして。

 


 一敗地に塗れ、屈辱を味わったデモステネスはこれではならぬと自己の改造に取り組んだ。
 その激しさたるや、何かに憑かれたとしか思えない、聞くだに肌の粟立つものである。


 よく聞くのは、彼が地下に籠ったということだ。

 

 

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 文字通り、自宅の地面を掘り下げて部屋をこしらえ、そこで発声や表情筋のトレーニングを積んだのである。


 外の世界に誘惑されぬよう、髪を半分切り落としたとも言われている。なるほどそんな異様な髪型では、恥ずかしくて社交の場になど混ざりたくても混ざれまい。


 不退転の決意と言えた。


 デモステネスの発声練習としては、他に海に向かって叫び続けたというものがある。


 多島海の狂瀾怒濤が絶えず打ちつけ、白く泡立つこと沸騰した湯の如き海面を見下ろす岸頭に立ち、その轟音を貫き通す質の声を練り上げようと目論んだのだ。


 発音を矯正するため、小石を口中に含みながら喋る練習をしてもいる。


 嶮しい山坂を駆け足で登りつつ、しかも発声しながらそれを行うことにより、肺活量の増大を図った。


 自分の文体に更なる光輝を添えるべく、トゥキディデスの名著『歴史』を繰り返し筆写する試みもやっている。――これなどは、頼山陽史記項羽本記』を書き写し、文章能力を練った逸話と軌を一にするものであるだろう。
 天才の考えることは似るものだ。

 

 

Portrait of Rai Sanyo

Wikipediaより、頼山陽) 

 


 そうしてデモステネスは、少しずつ己を研ぎ澄ましていった。


 名声が上がるにつれて裁判関連の相談が市民から持ち込まれるようになると、デモステネスは必ずといっていいほどに、


 ――どうも話を聞いてると、大した損害ではないように思われるのだが。


 そのような口ぶりで、先ず素っとぼけたとされている。


 すると相談者はむきになって声を張り上げ、身振り手振りを交え、通電性の悪いこのにぶちん・・・・の脳味噌に自分の置かれた窮状をわからせようと必死な動作を繰り返す。


 その必死さこそ、デモステネスが欲していたものに他ならなかった。


 作り物ではない、本物の必死さ。その発露としての表情の変化、四肢の動作。
 それらを至近距離から仔細に眺め、観察し、みずからの演説技法に還元することこそ、にぶちんの仮面の裏側で、デモステネスが着々と進行させていた自己修練だったのだ。


 情熱も、ここまで来ると些か常軌を逸していよう。


 正気にて大業はならず。デモステネスもまた、立派な死狂いだったといっていい。

 

 

 

 

 


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夢路紀行抄 ―焼け跡―

 

 よほど現状に不満があるのか、夢の私は学生時代に戻っている率が非常に高い。
 今日の夢もそうだった。といっても、正確には半々だが。


 修学旅行生として荷造りをし、バスに乗り込んだところまではよかったのだが、座った席はどういうわけだか運転席。子供のままの同級生の群れの中から私一人だけが現在の姿となって脱け出して、慣れた手つきでバスを転がし始めたのである。

 

 

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 高速を抜け、次第に車通りのほとんどない裏道に入り、最終的には粗大ゴミの散乱する到底道路と呼べない場所を、しかしながら自慢のハンドルさばきで造作もなく潜り抜け――現実の私は、S字クランクで絶望していた教習所の当時から大して進歩していないのだが――、目的地に辿り着く。


 ところが歴史博物館であったはずのその場所は、窓や玄関から外に向かって影の如く煤が延び、天井が落ちてしっちゃかめっちゃかになっている、有り体に言って焼け跡の廃墟以外のなにものでもなくなっていた。


 なおも内部に向って盛んに放水が行われていることから、つい今がした、おそらくはバスが高速を走っていた間ごろに出火したものと思われる。

 

 

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 どうすんだこれ、と途方に暮れたところで目が覚めた。


 私一人だけが現実の年齢に引き戻された事といい、苦労して辿り着いた目的地が台無しになっていた事といい、この夢、何らかの寓意を含んでいるとしか思えない。
 さっぱり見当がつかないが、いつか頓悟する日が来るのだろうか。

 

 

バックドラフト (吹替版)

バックドラフト (吹替版)

 

 

 

 


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わらべうたに顕れたる幼さゆえの残酷さ ―生田春月の童心論―

 

 

蝙蝠こ
蝙蝠こ
にし草履ぢょうりはくそ草履
俺が草履はかね草履ぢょうり
欲しけりゃ
呉れべえや

 


 およそ一世紀前、明治・大正の昔。
 鄙びた地方の子供たちは、こう歌いつつ下駄や草履といった履物を蝙蝠めがけて蹴り飛ばしていたという。
 歌わないより、歌った方が不思議と命中率が高かったとか。オマジナイとしての側面も、このわらべうたにはあったのだろう。

 

 

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 とはいえ見事撃ち落としたところで、別段喰えるわけでもなければ役所に持って行って銭に換えてもらえるわけでも、むろんない。ミヤイリガイとは違うのである。
 では何のために態々蝙蝠の安眠を妨げ、打ちどころによっては永遠の眠りに就かせてやるのかというと、実は目的など存在しない。


 愉しいからそうするだけだ。


 当時の子供たちにとっては、これが伝統的な「遊び」だったのである。


 いや、ひょっとすると今もかもしれない。私自身、身に覚えのあることだ。幼少時、いくら母に叱られても蟻の虐殺を止めなかったし、バッタを石で磨り潰しては、わけもわからず喜んでいた。


 実際問題、子供の心に他者へのいたわりなど存在しない。同じ人間に対してさえそうなのだから、昆虫や小動物に対してなど、もはや論ずるだに愚かであろう。世間ではよく「童心に帰れ」と、例えば良寛和尚なんかを引き合いに出して唱導されるが、このこともよく注意してやらないととんでもないことになる。


 そのあたりの要諦を誰よりも正確に見抜いていたのは、やはり生田春月だった。

 


 子供は遠慮会釈なく、傍若無人に振舞ふ。自分の欲しいものなら、どんなものでも取らなければ承知しない。
 大人が気の毒で云へぬやうな他人の弱点を、ツケツケと云って憚らぬのは子供である。見馴れぬ人間や、異様な人間に対して、はやし立てて、後をつけまはすのは子供である。人の非常に困ってゐるのを、面白がって喜ぶのは子供である。
 子供には同情などといふ観念は少しもない。
 子供はタイラントである。
 子供は奪うことを知って、与へることを知らない。
 然し、どんなに我儘でも、勝手でも、それが子供だと、一向憎らしくはなくて、むしろそのために一層愛らしく思はれたりする。
 子供は愛されるためのもので、愛するためのものではない。(『生田春月全集 第八巻』121頁)

 


 思わず息を呑まされるほど「抜き身」な見解といっていい。
 春月自身、子供の頃は蛙の生皮を剥いで板塀に張り付けたり、蛇を半殺しにして木の枝からぶら下げて置いたりする悪たれだった。
 ゆえにこそ、この文章には尋常ならざる説得力が秘められている。

 

 

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 元悪童の生田春月、続けて曰く、

 


 私達は子供であってはならない。私達の純真は子供のままの純真であってはならない。それは単なる非常識に過ぎないからである。(中略)良寛の童心は、子供そのままの心ではなかった。無智や無自覚ではなかった。良寛の玉の如き人格は、もって生れた天賦のものには違ひなからうが、また一面、非常な自己修養をも示してゐると思ふ。
 一言にしていへば、良寛の言行の中には、智慧の光が輝いてゐる。
 すべては智慧に帰する。
 愛が智慧に照らされなければ、真実の浄らかな愛となりえない如く、純真も智慧を伴はなければ、無智なエゴイズムであり、単なる非常識で終るであらう。(同上、123~124頁)

 


 金言と呼ぶに相応しい。
 これだから春月は神だと言うのだ。
 童心への回帰が単なるエゴイズムに堕ちないように、我々はこのことを胸に焼き付けておく必要がある。

 

 

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坊主ぼっくり
山芋やーまいも
にーても
焼いても
生臭え

 


 悪童たちは僧侶の姿を見かけるや、こんな唄を歌って盛んにはやし立てたという。
 春月の捉えた子供の特徴、「見馴れぬ人間や、異様な人間に対して、はやし立てて、後をつけまはすのは子供である」ということを、まざまざと証明するものだろう。

 

 

蛙の目玉に
灸すえて
それでも
跳べるか
跳んでみろ

 


 想像するだに該当部分が痛くなる。肛門からストローをぶっさし、息を吹き込み膨らませる現代式と、より残酷なのはどちらであろう。
 どっちにしろ、やられる蛙はたまらない。やはり子供はタイラントだ。

 

 

日本人のこころの言葉 良寛

日本人のこころの言葉 良寛

 

 

 

 


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