穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

※当ブログの記事には広告・プロモーションが含まれます

毒薬の誘い


 フリードリヒ大王は愛用の机の引き出しに、毒の小瓶を隠し持っていたという。

 

 小瓶といっても、人間ひとりの息の根を強制終了させるには十分過ぎる量である。

 

 

(「毒を操る程度の能力」)

 


 ──なんのために。


 と、誰もが思った。


 万一戦(いくさ)で大失敗をやった際、生けどりの恥辱を味わう前に自分で自分を始末するため、俗にいわゆる「最後の用意」であったのか。


 それとも晩年の大王は、古今東西、権力の頂点を極めた者にありがちな、あの寂寥と孤独とにだいぶ心を蝕まれていて、ときに何もかもが虚しくなり、死のみが唯一おのれを救う手段であるかと錯覚し、服用すればたちどころにこのわずらわしい肉の檻から安楽境へ魂をさし昇らせてくれるであろう霊妙神秘な化合物を掌中にて弄ぶのが、大事な癒しになっていたのか。

 

 

(我が魂を癒すもの)

 


 確かめようにも本人は既に世を去って、生者と口を利くことは永遠にできなくなっている。


 毒の小瓶は、大王の死後に発見されたものなのだ。


 よってこの件に関する限り、彼は秘密を棺桶にまで持って行ったことになる。


 決して明かされない真意。絶対の謎であるだけ人々は、余計好奇心を煽られる。その空白を埋めようと、あらん限りの妄想力を発揮して、思い思いの物語を紡ぎだす。

 


「文字の表面の意味だけでなく、その底に籠る味をさえ察し得るような素養の豊かな人との音信は、概して難解なことを書いておくのが最も賢明だ。そうすると友人には本当の文意を掴む自由を完全に与えることになる」

 


 やがてゲーテが暴きだす人間心理のカラクリは、この場合にも遺憾なく作動していたようだった。

 

 

Friedrich ii campenhausen.jpg

(Wikipediaより、フリードリヒ大王)

 


 ことほど左様に人間は考えることが好きである。


 筋力にしろ脳力にしろ、自己に備わる能力を行使するのは快感だ。


「人間は、明白に、思考する為に作られたものである。これこそ彼の全威厳であり、全価値である。従って彼の義務は、正当に思考することである」──敢えてパスカルに俟つまでもなく、我々はたぶん生まれつき、そういう風に出来ている。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

死に生きる者


 ロシアには執刀中の外科医が突然、死んだ事例があるらしい。


 小酒井不木が書いている、

 


「露国の有名な医家ボダノフスキーは一患者に手術を施し、殆ど之を終了したとき一助手わが意に従はぬを怒って忽ち卒倒して死んだ」

 


 と。

 

 

(『Cyberpunk 2077』より)

 


 この場合、言うまでもなく患者こそいい面の皮であったろう。なんて馬鹿げた画竜点睛、リアルにあるべき沙汰事か。そう抗議して許される。


 流石に麻酔で意識は沈んでいたろうが、それにしたって覚醒後、自分の手術(オペ)の最中に急に先生がくたばりましたと一連の経過を聞かされたなら、どんな感情が芽生えるか。


 決して気分爽快とは参るまい。


 せっかく病巣は摘出したのになんたることか。下手をすれば予後不良にも陥りかねない、それだけショッキングなことだ。

 

 

(『BIOHAZARD VILLAGE』より)

 


 いったい不木という人は、自身からして平素生命(いのち)を脅かされる、背中に病魔をべったりとへばりつかせている所為か、人間の死にざまというものに大なる興味を持っていて、多種多様なそれら噺を蒐集したがる癖がある。


 まるでそれらを踏まえた上で、いざや自分の番が来た際、どのような態度をとるべきか──相応しい死んで逝き方を検討しているかのように。

 


「アリストテレス、プリニウス、キケロなどの記録には喜悦のために死んだ例證を多く記載し、有名な哲学者ライプニッツの姪は、叔父の死後形見として黄金製の玉手箱を貰ひ、喜びの余り死んで了った。ギリシャの名医ガレンは喜悦の情は寧ろ憤怒の情よりも危険だといって居る」

 


 そういえば以前、日本でも、パチンコで大当りを引いた瞬間、「ヤッター」と叫んで倒れて死んだ妙な野郎がいたような。

 


「ルイ・ブルボンは亡父の白骨を発掘せし際、恐怖の念に駆られて死に、文芸復興期の最大解剖学者ヴェザリウスは一少女を解剖したとき其の心臓がなほ微動をして居たのを見て悶死したと伝へられて居る。文学的作物には屡々これが題材として取り扱はれて居る」

 


 これら情報をいちいちまとめた不木の心事に想いを馳せると、何か物凄い迫力を感じずにはいられない。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

後生だ、金を貸してくれ


 安田善次郎。


 言わずと知れた財閥の主。


「銀行王」の異名を頂戴するほどに巨大な資本を抱える身でありながら、しかし反面、私人としての性格は恬淡と呼ぶが相応しく。──袂にずっしり、厚い財布をぶち込んで出歩くことなど思いもよらぬ、むしろ嫌った人だった。


 ゆえに出先で想定外の金銭トラブルに見舞われて首が回らなくなることも、一度や二度ではなかったそうな。

 

 

Zenjiro Yasuda.jpg
(Wikipediaより、安田善次郎)

 


 こんな逸話(はなし)がある。さる年の夏、浅野総一郎が涼を求めて箱根へ脚を運んだところ、豈図らんや彼の地には、既に安田が予てより、同目的で滞在していた事情が判明。


 渡世の義理の一環で挨拶を入れに参上すると、どうしたことか、安田の顔色がすぐれない。常に似合わず濁った表情、如何にもきまり悪そうだ。


 ──ぜんたい何があったのか。


 不審に思い、それとなく探りを入れてみたところ、安田はやおら意を決し、

 


「浅野さん、金があったら少(ち)と借してもらいたい、実は宿屋の払が出来ぬので弱って居る所だ!」

 


 仰天の事情を打ち明けた。

 

 

(箱根関所にて撮影)

 


 浅野は一瞬、目を丸くして、しかしすぐさま気を取り直すと今度は呵々と大笑し、

 


「安田さん! 貴君に金を貸せるとは有難い、何日(いつ)も私は貴君から借りてばかり居るのだから…」

 


 浅野が平素安田から多額の金を引っ張って──鯱張った言葉遣いに直すなら、融資を受けて事業を経営(まわ)していることは天下に隠れもなき事実。


 なればこそ突発したこの事態、夢にも描いた例(ためし)のない顛倒に、彼はたまらぬ風流心を呼び起されたに違いない。浅野はその場で三百円の現金を懐から取り出して、安田に提供したという。


 大正時代の三百円は、どう控えめに観測しても現代に於ける百五十万円の価値を持つ。


 財界の巨頭同士の綺談に添える小道具として、不足はなかったはずである。

 

 

Asano Sōichirō.jpg
(Wikipediaより、浅野総一郎)

 


 政治家でない私には政治の事は能くわからぬが、元来議会といふものは国民から絞り取った税金を使ふ協議ばかりして居る様に見える。使ふ事許り協議せずに少しは儲ける事を協議してもらひたい。


──浅野総一郎

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

沼波式処世術


 沼波瓊音(ぬなみけいおん)が物凄い。


 明治十年生れの俳人、右翼にして国学者。ずいぶん素敵な肩書きを持つ彼を最初に知ったのは、森銑三を通じてである。

 


「四方太とか、鼠骨だとか、瓊音だとか、今では一向に人気もない人の逸聞を拾ひ読して私の喜んでゐるのを、わけの分らぬこととして、なぜもっと名の聞えてゐる人々のものを読まうとしないのかといふ人があるかも知れない。それに対して答へて置かう。私は世間の人気だとか、流行だとかいふものに左右せられて、自分の読むものを選定することをしない。私はただ私の好むところに従へば、それでよいのだ。四方太、鼠骨、瓊音の三氏の之はそれぞれに傾向を異にしてゐるが、その文章にはそれぞれに生命が宿ってゐる。それを私は尊く、ありがたく思ふのである」

 


 戦後昭和中期には、既に半分、消えかけていたマイナー文士。


 しかしそんな「知る人ぞ知る」存在を、森銑三は珍重している。

 

 

(『METAL GEAR SOLID V』より)

 


 森の審美眼、人物眼は信用できる。よって興味を持っていた。いつか現物を拝めたら──淡い期待を、意識の端にとどめ続けた。


 ところがだ。いざや機会に恵まれて、それ以上(・・・・)だと理解した。ああ、「生命が宿ってゐる」とは、なんと控え目な評価だったか。「処世の秘訣」と銘打たれた小稿に、一発で理解(わか)らされたのだ。

 

 なにせ、なにしろ、

 

 

「人の機嫌を取る事が一切成功の根本儀なり、処世法の第一義なり。学問技芸の如き、勤勉誠実の如き、総てこの機嫌取りの手段として意義あるなり。苟もかりそめにも機嫌取りを第二にして、学を修め芸を磨き或は己が人格の向上などを第一とせむには、人罰立所に至って、貧窶骨を劉(か)り、甚だしきは餓死するに至る。懼るべく恐るべし」

 


 冒頭からしてこれこの通り、気合が入りすぎている。フルスロットルもいいところ、エンジン全開な塩梅である。

 

 

 


 幇間侮るべからずと、オベッカ讃歌を高唱したのは福澤桃介も然りだが、沼波は更に輪をかけて、行くところまで行ってしまった、徹底しぬいた感覚だ。

 

 現に見よ、

 


「話材と同じく必要なるは質問なり。先方の直ぐに楽々と答へ得らるゝ事を、いろいろ質問して、先方に口をきかするなり。話材を貯へて行ったとて、こちらばかり語るべからず。先方に語らする方、こちらより多からしむるやう心掛くべし」

 


 この素晴らしく実用性に満ちた指南の数々を。

 


「人を賞(ほ)むることは頻繁にすべからず。たまさかにして、しかも其時は目を大きく、肩を聳やかし、さも心のドン底から感激したる振り宜しくあるべし。一度賞めおけば、向う半年ぐらゐは効目続くなり。其人がひそかに得意がってる事にて、まだ誰も賞め手無きを、我れ真先に賞むること、頗る効目多し」

 


 なんと微に入り、細を穿った具体的な説明か。


「猿に読ませる心算で書け」と、綴方の極意に通暁しきった、練達の業を思わせる。

 

 

 


「時事問題起りて、天下の人心二つに分れたる際は、決して自論を吐くべからず。人の云ふ所を、熱心をよそほふて聞いて居り、問題の通過するを待つべし。まことに時事問題は処世法の難関なり。この際必ず必ず事の正否など考ふべからず。側杖を食はぬやうとのみ心がくべし」

 


 風見鶏最高、寄らば大樹の蔭、潮目のはっきり読めるまで、ノラリクラリと茶を濁せ。


 こんな灰色のエキスパートが大日本帝国にも居ったとは。


 誇らしさで胸が詰まりそうである。

 


「とかく人の機嫌を取る事を二六時中忘れずば、いつと無く金銀四方より集まり来って、大福長者となる事疑ひ無し。さて長者になりすまして後も、なほなほ同じやうに機嫌取りを続けずば危きことあり。人間は人の機嫌を取りに生れて来た者と思ひ、これを一生の役と心得べし」

 


 人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急いてはならずと、ここに至って、家康公のテイストも。

 

 

 


 いやさ、まったく脱帽だ。


 実に沼波の処世法こそ千古の金言。


 道徳の教科書に採用し、義務教育に組み込まるべき、浮世渡りの手本であった。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

潜むもの


 菊池寛の妻である包子という人物は、天性、よほどの人嫌いであり。──夫の客が訪ねてきても、滅多に応対などしない。


 挨拶に出るのを、基本的に拒絶した。声すら聞かせることは稀。襖の蔭からそっと手だけをのぞかせてお茶出しをしてくれたなら、まず大出来といってよく、とかく人目を忍ぶこと、極端なまでの方だった。

 

 

(『まつろぱれっと』より)

 


 当時に於ける礼儀作法の常識を、大きく逸した挙措だろう。


 この影法師、「手だけの女」を前にして、来客どもは皆一様に唖然とし、ややあってから


 ──まるで警戒心の強い猫のような。


 と内心密かに呆れつつ、表面上ではシャイな奥方様ですなあと曖昧に笑んでおくことが、まあせいぜいな反応だった。


 現代を生きる筆者(わたし)としては、少女ギャグ漫画の白眉、『B.B.Joker』にちょっと似たキャラクターが居たっけか──との感想が頭をもたげもする景色。


 いいとこのお嬢様であることも、かくも異様な含羞の、ひとつの淵源やも知れぬ。

 


「僕が結婚したのは大正六年四月だが、郷里高松で式を挙げて東京へ帰る途中、名古屋に降りて見物した、そのとき妻が、自分の小遣で僕に眼鏡を買ってくれたのを憶えてゐる。…(中略)…妻の実家は、僕の家よりずっと金持なので、若い頃は僕より贅沢だった。しかし今では僕の方は贅沢になったが、妻の生活は以前と較べて、そんなに変ってもゐない」

 


 とは、旦那の菊池寛の弁。


 逆玉あるいはヒモから成り上がりを決めた、世にも羨ましき色男の口吻である。

 

 

Photo-Author-Kan-Kikuchi-Smoking.png
(Wikipediaより、菊池寛)

 


 実は最近、彼の主催していた大衆誌、『文芸春秋』をまとまった数、手に入れた。


 すべて昭和十年代、一冊五百円程度の廉価で、だ。


 掘り出し物をぶち当てた、その嬉しさからついこんな小話を語る気にもなった。


 要するに私は浮ついている。


 浮かれ気分の産物である。


 とりとめのない雑文も、どうか御寛恕願いたい。

 

 

 


 春になると私は新酒の味を思ひ出す。つぶれてしまった亡妻の実家が以前酒造りの家だったので、春にはよく新酒をもらった。あの麹くさい、少し薄にごりのした、甘味のある、強い新酒の野趣は格別である。


──高村光太郎

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

同志実篤


 武者小路実篤を現代風に擬すならば、彼はさしずめ「母親がイオンで買ってきてくれた服を着て、何歳(いくつ)になってもそのままで、それで通して、何の疑問も覚えずに生きれる」式(タイプ)の男性だ。


 本人の告白に従えば、

 

 自分の意志で、

 

 自分の感性のみに依り、


 自分の着るべき服を選択(えら)んだ経験(ためし)など、


 生涯絶無であるそうな。

 

 

AEONMALL-KofuShowa.JPG

(Wikipediaより、イオンモール甲府昭和)

 


 前半生では、すべて母親の世話になり。

 

 結婚以降、その役は、妻の手中にまるっとキレイに移行した。


 ことの説明はそれで全部終わってしまう。「着飾る」という行為に対する興味、情熱、関心を、先天的に削ぎ落とされて誕生したかの如き者。それがどうやら武者小路実篤らしい。

 


「自分は着物のことについては非常に無頓着である。妻をもつ迄は着物のことは母に一任し、妻が来てからは妻に一任して、自分では一枚の着物も買はずにすました。どんなのが流行か流行でないかは勿論、どう云ふのが上等で、どう云ふのが下等か知らない。…(中略)…だから女の人がどんな着物を着てゐても別に気がつかない。あまりその人の根性が出てゐない限り気にならない。妻の着物についても自分は何の意見も持ってゐない。着物の値などは自分はしらずにすまして来てゐる」

 

 

(糸を紡ぐ女たち)

 


 一連の記述に触れてからこっち、筆者(わたし)の中で武者小路実篤に対する好感度は、とみに上がった。


 これは畢竟、私にも、彼と共通する気質(モノ)が──とてもよく似た性格上の偏りが存在するからに相違ない。

 

 少なくとも衣食住の三要素中、いちばん「衣」を軽視している。それが私だ。私という人間だ。


 人は己に近きを愛す。単純ゆえに強力な人情の原理に従順だったまでである。

 

 

Saneatsu Mushanokōji Kinenkan20251005.jpg

(Wikipediaより、武者小路実篤記念館)

 

 

 ニーチェの思想を知ったといふ場合は、ニーチェを読んで烈しい興奮をした場合である。ボードレールの思想を会得したといふのは、ボードレールの趣味に魅了されたといふ意味である。知るべし芸術に於て、また宗教に於て、思想は同時に情緒であり、「知る」といふ意味は「感ずる」といふ意味に外ならないことを。


──萩原朔太郎

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ

 

常陸国一之宮


 確かに初めて歩く道。


 なのに何故だか懐かしい。


 正体不明の郷愁へ人を遮二無二追い立てる、不思議な場所が世にはある。


 ──先日、鹿島神宮を参詣した折、私の胸を刺したのは、まさにそうした感覚だ。

 

 

 


 左様、常陸国一之宮。

 

 

 


「鹿島」という名の因って来たるところについては諸説存在しているが、「鹿の数多棲まう島」から派生したとするものが、いちばん素朴で喉の通りもよろしきように思われる。

 

 

 

 

 読んでそのまま字の如く、結構至極ではないか。

 

 

 


 地名が有するある種の力、精神上の影響につき、一家言ありしは横光利一。

 


「新八景の投票を見るのは此頃朝毎の楽しみである。その土地は知らなくとも、その土地の名称を見ると、ほぼ感じが分るものだ。土地の名称と云ふものは、誰がつけたとも分らず、自然に生れて来たものが多いのも、また一つの興味の原因だ。土地から生れて来た名は多くの場合象徴的で、此の象徴性を験べてみれば案外文学的な芸術法則を発見するかも分らない」

 


 彼の筆致はこのようにして延びてゆく。


 ほどなくそのペン先は、我々山梨県民の至宝の上にも及ぶのだ。


 とどのつまりは富士山へ、解剖刀を差し込んでいる。

 


「富士と云ふ名も悪くはないが、山の感じが少しもない。多分これは、人々は山だと思ってゐないのに違ひない。富士も不二も、雲や雪を感ずるだけで、幅もなければ高さもなく、深さもなければ古さもない。しかし、新しさと形だけは確かにある。簡素で鮮かで澄明で、気品があって善良だ。しかし何よりも淑やかさがあまりに勝ってゐる」

 


 富士はやっぱり淑女(おんな)なのか。


 木花咲耶姫の鎮座まします時点で既に何をか言わんや、察すべきではあるのだが。


 ちなみに鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神。日本神話屈指の武神。

 

 

 


 まったくそれに相応しい、森厳な気が境内には満ちていた。

 

 

 

 

 そして奥参道を進んだならば、

 

 

 

 

 その果てには、嗚呼、

 

 

 


 これだ。

 

 

 


 これを見たかった。

 

 

 


 これこそが音に聞こえし御手洗池。


 昭和五年刊行の『日本地理風俗大系 関東南部』のグラビアで一目見てからずっと惹きつけられていた。

 

 

 


 虜になったといっていい。いずれ機をみて現物を拝みに行ってくれようず──と、焦がれ続けて幾年か。念願の景色は、今ここに。

 

 

 


 期待を超える美しさ。鳥居を圧する巨木のカタチに面影が。一世紀弱でここまで太く成りおおせたか? 我知らず溜息を零さずにはいられない。

 

 

 


 やはり神域には汲めども尽きぬ清澄なる霊泉が伴わなければはじまらぬ。そんな思いを強くした。

 

 

 

 

 


ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
 ↓ ↓ ↓

にほんブログ村 本ブログ 古本・古書へ