「何か」が書かれていればいい。
基本的に我々は、単に活字を眼で追うだけでも楽しい民族なのだろう。
情報を脳に突っ込むことで発生する快楽が、総じてだいぶ強めなように思われる。

──日本人の識字率の高さについては定評がある。
開国以来、それは屡々驚異とされて、西洋諸国の思想界──列強白人社会にも、決して小規模ならざる波紋を生じさせて来たものだ。
一九三八年の段階でこの国家には千四百三十四種の日刊新聞が存在し、それらをまとめた所謂累計発行部数は千九百万を数えたと云う。
「これは平均して、全国の各家族に一部宛の比率を凌ぐ発行高となってゐる。その数、その発行高、その頁数に於いて、日本の新聞は他の東洋諸国を遥かに凌駕してゐる」
と、感歎もあらわに当時筆を動かしたのは、ウィリアム・ヘンリー・チェンバレン。
『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙の特派員。
合衆国の記者である。
続けざまに彼は評した、
「これは、主として、日本が東洋に於いて義務教育を実施してゐる唯一の国家だからである」
と。
確かに顧みてみれば、戦後
一九四七年以降ですら
況してや三十年代ならば、推して知るべし。日本が如何に東亜に於いて特異な国であったかも、おのずと了解されるであろう。

(カルカッタ近郊)
なるほどこれでは我々こそが有色人種の指導的立場に躍り出て、「解放」の任を全うせねばならないと、アジア主義的情熱を、当時の若い連中が逞しくしたのも無理はない。
恵まれているという自覚。優越感は往々にして、使命感の格好の苗床なればこそ。
もっとも膨大な発行部数に、中身が、質が、きちんと追随していたかどうかは、また別問題に属するが──…。

(大毎本社印刷所)
昨日迄軍閥の機関であった新聞は、挙げて過去を清算し、掌を翻すが如く占領軍を謳歌し、軍部及過去の指導者を攻撃し始めた。他人を攻撃し又は誣ゆることは自分を擁護し、自分の責任を軽くするものと早合点した。終戦直後の昨今の状況程情けない日本の姿は又とあるまい。
──重光葵
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