穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

天国への直行便 ―エンプレス・オブ・ジャパン号の遭難―

 

 沈没する船の中。日本人は笑顔で酒を酌み交わし、大いに埒を明けていた。


 明治三十三年十一月五日の深夜、北緯五十度を上回る、冷え冷えとした北太平洋での一幕である。

 

 

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 船の名前はエンプレス・オブ・ジャパン号。ヴィクトリアの港から、日本へ向けて太平洋航路を進むカナダ・メール社の豪華客船。それがふとした天意と人為――不運と不注意の重なりにより、洋上での衝突事故を起こしてしまい、事態は急変。その航程は、どうやら天国への直行便となりそうだった。


(なんということだ)


 この船には、日本人も少なからず乗っている。


 その中に、松波仁一郎の名もあった。


 東京帝国大学教授、海軍大学教官にして海軍省の法律顧問を務める彼だ。洋上での衝突事故に関しては、並外れた知見を有する。


 その知識が語るのだ、


(とても、助からぬ)


 と。


 季節は既に冬近く、風の冷たさは骨を噛むという表現が、まったく誇張にあたらないほど酷烈である。海水温もまた然り。不用意に飛び込もうものならば、心臓がショックに耐えられず、急停止してとどのつまりは土左衛門と化す以外にないだろう。


(ならばこんな浮袋など、身に着けたところで何になる)


 ――どうせ死ぬなら、余計な窮屈はしたくない。


 そう判断して救命胴衣に触れもせず、一歩一歩、確かな足取りで甲板に出た。

 

 

US-Lifevest

 (Wikipediaより、第二次世界大戦中、米軍使用の救命胴衣)

 


(ほう)


 と、松波が感じ入ったのは、自分以外の日本人がことごとく、やはり普段着一丁のまま、泣きも喚きも怒りもせずに、恰も局外に居るかの如く、悠然と澄まし込んでいたことである。


 会話に耳を澄ましてみれば、


「エライ事になったねえ」
「うん、とうとうやったなあ」
「君、浮袋はどうした」
「僕よりも君はどうした」
「そんなものを着けたってどうせ駄目だから止した」
「御同様だ」


 と、まことに暢気なものだった。


(日本人は、どこか神経が鈍いんじゃないか)


 我と我が身を棚に上げ、そう思わざるを得なかった。


 邦人の松波にして既に然り。


 況や西洋人に於いてをや。


 この光景がどれほど奇異に感ぜられたか、想像するに難くない。

 


 西洋人はと見ると、英米仏独人等皆々浮袋をつけてソハソハして居る。然るに日本人丈が一ヶ所に寄合って、落ち着いて居るから西洋人等は我等を眇視して馬鹿と思ったらしい。日本人は馬鹿だね、今自分の船の沈むのが判らないのか、日本人は命が惜しくないのかと思ったらしい、さう思ったと見えて、冷静に談話を交換しつゝある我々を、或は不思議の眼を以って、或は憐憫の眼を以って又或は軽蔑の眼を以って眺めつゝデッキを往来し、乗組船員亦然りである。(昭和十六年『馬の骨』204頁)

 

 

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 共に死にゆく者同士という境遇が、心の隔壁を融かすのに大なる効果を発揮したろう。


 思いもかけず運命共同体となった日本人らは急速に結合を強め合い、


「こんなところに立って居ても仕方ない、寒いばかりで、第一他人ひとの邪魔になるじゃあないか」


 と誰かが言うと、そうだそうだとたちまち呼応、こぞって下の図書室に戻ってしまったから大変だ。


 群集心理の恐ろしさを如実に示す、格好の例であるかもしれない。

 


 気の利いた者はバーへ行って、キュラソーベルモット、紅白の葡萄酒、其他の飲物を沢山持って来た。無論悉く無断で、然り而して全然ロハだ。何れも好きな酒をフンダンに呑む。死ぬ前だからサンザンれといふ意識は多少あったかも知れぬが、マツゴの水なぞと思ふ、ケチ臭い心を持って居る者は一人もない。面白い身の上話を肴として飲るのだから酒は進む、酒は進むから話は益々面白くなる。(208頁)

 

 

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 この宴会場で松波は、


「松波さんは英国で、船舶の衝突法を研究し、軍艦商船衝突論を書いてヴィクトリア女王やドイツのカイザー・ヴィルヘルム、ロシアのニコライ皇帝に献上されたということですから、今ここでご自分が衝突で死ねば本望でしょう」


 斯くの如き、とんでもない揶揄からかわれ方をされている。


「なんぼ衝突論を書いたからって、今衝突で死ぬのは本望じゃねえよ」


 苦笑して答えるより他になかった。


「考えてもみろ、この松波、蛍雪の功を積みて学漸く成り、これから帰ってその蘊蓄の深いところを日本中に拡げようって場面だぜ。その間際に海底の藻屑となる運命は、まあ残念である、実は吾輩死にたくないのだ。――中村君、君はどうだね」


 と、松波は素早く話を振った。


 鉾先を転ぜられたのは、気象学者の中村精男。


 後の中央気象台台長は厳かに頷き、


「僕も今死にたくはないのだ、実は本国の妻の病気がだんだん悪くなっている、生前せめて一目でも会いたいと言うので特にこの快速船ジャパン号を選んだのが悪かったね、大病の妻より僕の方が一足先に逝くことになるから皮肉だよ」


 と、悲惨とも滑稽ともつかないことを喋り通した。

 

 

Late Mr. Kiyoo Nakamura, former director of the Tokyo Physics School

 (Wikipediaより、中村精男)

 


 結局、誰も彼もが無念でたまらなかったのである。こんなものが人生の結末であって欲しくはなかったのだ。にも拘らず神や運命を呪詛したり、自己憐憫の涙に暮れる手合いというのがただの一人も出現あらわれず、あくまで渇いた諦観が場を支配していたということは、確かに驚異とするに足ろう。


「死にたくない」感情を、「しかし到底、どうにもならぬ」と理性で抑えきったのだ。これが勇気でなくてなんであろう。獣から最も離れた行いとして、賞讃されるべきではないか。


 なお、エンプレス・オブ・ジャパン号の沈没は、船員たちの必死の働きの甲斐あって中途で停止。


「浸水は第三船艙の隔壁でい止めました。しかしこのまま日本へは行けませんから、一旦ヴィクトリア港へ引き返すことに致します。皆様そのおつもりで……」


 との報せがボーイによって齎されるや、一同盃を高々と揚げ、「先きとは違ふ意義の酒を飲んだ」ということである。

 

 

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嗚呼みちのくに電波舞う ―東北ラジオ開局の歌―

 

 

奥の細道ラヂオで拓け
四方の便りも居ながらに

はやて来るよとラヂオの知らせ
着けよ船々鹽釜へ

さあさ漕げ々々ラヂオで聴いた
沖は凪だよ大漁船

 

 
 仙台局の放送開始を記念して、と『マイク放談』(昭和十年、国米藤吉著)には書いてあるから、おそらく昭和三年六月十六日のことだろう。この日こそは同市に置かれた日本放送協会東北支部が電波発信を開始した、さても目出度き「ハレの日」だった。

 

 

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秋田県東由利の石沢峡)

 


 祝福には歌が付き物である。


 その原則は、この場合にも遺憾なく適応されたものだった。

 

 

九尺二間にアンテナ立てゝ
世には後れぬ心がけ

四海波風ラヂオを乗せて
処到らぬ隅もない

さんさ時雨るるかや野の里も
ほだの灯りにラヂオ聞く

ラヂオたよりに苦労も解けて
待て居るぞい大漁船

 

 

Siogama port

 (Wikipediaより、震災前の塩釜港

 


 東北六県草莽の士が詩心を尽して綴りあげたる句作の数々。日本放送協会「当選歌」と認められ、初放送時に発表されただけあって、当時の生活風景が自然と網膜に浮かび上がってくるような、そういう優れた作品ばかりだ。

 

 

ラヂオラヂオで子供がなつく
なつく子供は身を立てる

国見がくれに未だ帆が見えぬ
今日のラヂオは時化模様

主の晩酌ラヂオの肴
唄にとろりと流れ山

 

 

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田沢湖面に映る秋田駒ケ岳

 


 パソコンどころかテレビさえも存在しないかの時代、ラジオの価値は計り知れないほど重い。


 ラジオだけが唯一つ、距離と時間の羈絆を脱して、広範な情報共有を実現し得る手段であった。


 その楽しさ、便利さ、快さがよく顕れていると思う。

 

 

明日は雨だとラヂオの予報
みんな出て行け桑畑

主の入船案じて居たが
ラヂオが聴かせる海の幸
 
 
東北巡霊 怪の細道 (竹書房怪談文庫)
 

 

 

 


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実戦本意の弁論部 ―赤門を出た男たち―


 鶴見祐輔在籍当時の東京帝大弁論部では、屡々閑孤かんこ演説というのをやった。


 字面が示すそのままに、極めて少人数を対象とした演説である。


 しかしながら会場は普段同様、講堂を――ゆうに千人でも収容可能な広間を使う。


 聴衆役は空間を贅沢に使用して、決してひとかたまりにはならず、ぽつりぽつりと点在するよう着座する。これは群集心理の発生を大いに妨げ、演者に窒息に等しい苦しみを与える。


 このあたりの消息は、松波仁一郎に於いて詳しい。鶴見と同じく「官吏畑」と通称された東京帝大法科大学出身で、やはり弁論部に属し、部長としての経歴すら持つ彼の著書から引用しよう。

 


 数千数百の聴衆満堂溢るる時の演説も六ヶ敷いが、而も心に張りを生ずるから思ふよりも容易だ、群がる大衆を前に意気軒高、闘志盛んに湧出するから、弁自ら生気を潮来し弁舌は自然滔々となる。然るに之に反し数千の大衆を入るる大会堂、聴く者僅かに十人といふときは全く馬鹿気て演説が出来ない、しかし夫れを忍んで演る所に偉いところがある(昭和十六年『馬の骨』44頁)

 

 

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(松波夫妻)

 


 松波曰く、閑孤演説はより実戦を見据えた活動だった。


 政敵の演説会場に自党の分子を送り込み、幕が上がる直前に一斉にこれを引き揚げせしめ、以って冷や水をぶっかけるという妨害手段は明治三十年代半ばで既に確立されきっており、これを仕掛けられたが最後、「優秀」程度の弁士では「呆然として為す所を知らざる如くなる」のが普通であった。


 単純で、手間もかからず、効果的。


 これが流行らぬわけがない。先ごろ行われた合衆国大統領選でも、似たような騒ぎがあったと思う。オクラホマ州タルサを舞台に上演された一件である。

 

 トランプ氏側が予定していた選挙集会に予約が殺到、参加者百万人超えは確実とばかり見込まれていたのが、いざ蓋を開けてみればどうであろう、会場の三分の一が空席という椿事が起きた。


 結構な騒ぎとして日本でも報道されたが、原理自体はなんてことない、昔からあるごくありふれた手法に過ぎない。野次と合わせて、民主政治の伝統とすら言っていい。

 

 

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(『アサシンクリード オデッセイ』より、アテナイ遠景)

 


 が、多用されるということは、対抗手段の生れる余地もどんどん拡がることでもあろう。


 東京帝大弁論部は、その逸早い顕れだった。


 最も極端な例を挙げれば、たった二人の聴き手を相手に「堂々たる大演説」をやり遂げるよう強いられた部員さえ居たという。


「艱難汝を玉にす」を地で行くような学風だった。こういう切磋琢磨の情景は、見ていて割と快い。

 

 

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小泉癸巳男帝国大学赤門の雪」)

 


 弁論部からは鶴見祐輔以外にも、芦田均・中島弥団次・青木得三・守屋栄夫といった名うての大官が数多出た。


 学生時代の彼らの評価を最後に添えて、本日の締めとさせてもらおう。

 


 弁論会の終った後、部長、副部長、出席教授等は弁士を批評し、今日の中島の演り方は少々セキ込んだ、以後はもっと悠然と、青木得三は美辞麗句を重ね過ぎ却て所説の効果を薄くした、美辞も多きに過ぐるに於て却て逆効果を生ずる、守屋栄夫は落着いて居るが、陰に過ぎて耶蘇の説教じみる、鶴見は能弁だが軽きに失すモット荘重に、なぞと評するのだ、夫れなら教授先生自身立派な演説がやれるかと言へばそれはやれないが、其処は教授と学生だ、教授が立派な演説が出来るかどうかは別問として、教授の批評は学生我慢して之を拝聴せねばならぬ。(44~45頁)

 

 

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夢路紀行抄 ―原始的な精密機械―


 夢を見た。


 電子回路の夢である。


 遮光カーテンを閉め切った部屋、薄ぼんやりとした光源。洞窟を思わせる湿った空気を吸いながら、私はただもうひたすらに、めちゃくちゃな桁数の四則演算に取り組んでいた。


 道具は鉛筆と藁半紙、それと自分の頭のみ。原理はまったく不明だが、スーパーコンピューターの能力を高めるためには絶対不可欠の作業らしい。

 

 

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 部屋には私以外にも、同様の作業に従事する者が何人もいた。どれもこれも、まるで見覚えのない顔である。みなこぞって表情を消し、無駄口どころか咳払い一つこぼすことなく、せっせと鉛筆を動かし続ける。その有り様は、部屋の雰囲気とも相俟って、どこか魚の群れに似ていた。


 斯く言う私自身とて、端から見れば立派な「魚」であったろう。ノルマをこなし、仕上がった答案を問題のスパコンに読み込ませにゆく。部屋の片隅に置かれたソレは、どう見てもウォーターサーバー以外のなにものでも有り得なかった。


 が、いつぞやにIBMが発表した量子コンピュータIBM Q」のモデルも、遠目からは一風変わったシャンデリアに見えなくもない、変わった形状をしていただろう。シャンデリアとウォーターサーバー、この二つにどれほどの違いがあるというのか? 


 少なくとも夢の世界に於いて、それは些細な問題だった。

 

 

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 適当な隙間に折り畳んだ藁半紙を突っ込んで、私は部屋を後にする。


 休憩時間の開始であった。


 ロビーのソファーに腰を下ろして、懐からスマホを取り出す。


 そこまではいい。ところがいざ起動してみるやどうであろう、ウイルスに感染しているではないか。


 梅干しみたく瓶詰めにされた目玉の画像が壁紙として固定され、通常の反応を返さない。


 ――帰り際に修理に出そう。


 そう思って電源ボタンを一押ししたが、こはいかに、画面は相も変わらず点いたまま、消灯の気配が微塵も見えぬ。


 焦慮する間に、事態は更なる悪化を開始。スピーカーから中国語めいた発音で、「緊急メンテナンスが必要です」だのなんだのと、癇に障る警告が次から次へと掻き鳴らされる。音量は最大に固定され、一切の操作を受け付けないこと勿論である。


 忌々しいと、臍を噛まずにはいられなかった。こういう場合、すぐさま電池をひっこ抜けない仕様であるのは如何にも不便と、テクノロジーの発達を呪いたくなる気にさえなった。

 

 

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 私は窮した。窮するあまり、突飛な手段に打って出た。


 トイレに走り、タンクを開けて、その中にスマホを沈めたのである。


 音が止むことはなかったが、なに、再び蓋を閉めてしまえば、そうそう漏れ聞こえたりするものか。そのうち電池も尽きるであろう。よかった、これで当座は凌げた。……


 そんなことを考えていたように思われる。


 危地に於いてこそ人の真価が試されるというのなら、昨夜の私はどうしようもなく落第だろう。


 目覚めを迎えてさっそく粘膜に殺到してきた疼痛感にくしゃみを連発させながら、二重の意味でうんざりせざるを得なかった。

 

 

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練習帆船おしょろ丸の奇禍 ―拿捕され続ける日本船―

 

 昭和十二年八月某日、オホーツクの沖合で、一隻の日本漁船が拿捕された。


 船は二代目おしょろ丸。函館高等水産学校の練習帆船として十年前に竣工されたものであり、その日も同校の生徒二十名を甲板に乗せ、蟹刺網の操業実習を行っているところであった。

 

 

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(練習帆船おしょろ丸)

 


 当然、武装など皆無そのもの。機関室の床をひっぺがしても、拳銃一つ出て来はすまい。


 だから、突如出現したソヴィエトロシアの特務艦、オロスコイ号に猟犬の如く周囲を旋回されても。


 それが不当な威嚇行為と重々承知しながらも、彼らはただ息を殺して事態が過ぎ去るのを待つしかなかった。


 が、無力な者の祈りというのは、ほとんど踏み躙られるためにのみ存在している観すらあろう。


 この場合も、そうだった。オロスコイ号はやがて威嚇に飽き足らなくなり、直接牙を突き立てるべく、おしょろ丸に飛びかかって来た。

 


 端艇が下された。弾を充填したピストルを持った露助に取捲かれ、大垣船長はオロスコイに引致された。露助は傍若無人にも船内をくまなく捜索した。そこで一週間も露助の厳しい折檻を受けたのであった。此事は当時ラジオによって、全国に放送された。岡本信男著『海を耕す』141頁)

 

 

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(大垣船長)

 


 ――よりにもよって。


 と、書いてしまって構うまい。よりにもよって「学生たちの練習船を被害者にしたのがまずかった。これほど耳朶に響きやすいフレーズというのも珍しかろう。未来ある有意な若者は、いついつだとて国家の宝なのだから。


 国民感情はただちに激発。 赤魔せきまソヴィエト許すまじの一大センセーションを惹き起こし、そんな輿論に背中を突き飛ばされるようにして、外務省は「厳重なる申し入れ」を行っている。苟も文部省練習船と学究に国境なき学徒に対して、かかる暴挙は遺憾千万、言語道断の所業であると。


 これに対して、ソ連は果たして恐れ入ったか? いいや否。更なる挑発を以って報いた。


 ペトロパブロフスクの基地から爆撃機を発進せしめ、「カムサッカ東岸クロノトスキー岬沖合五浬の海上に、錨を入れて操業中の我が鮭鱒母船(太平洋漁業株式会社)信濃丸、笠戸丸、神武丸等の船上を、低空飛行して威嚇」してのけたのだから凄まじい(143頁)。

 

 

Petropavlovsk Kamchatsky at night

 (Wikipediaより、ペトロパブロフスク、夜の港)

 


「赤魔」の「赤魔」と呼ばれる所以を、十分以上に見せつけてくれたものだろう。


 現代に於いても日本の漁船は、度々ロシアに威圧され、場合によっては拿捕されている。


 2006年など第31吉進丸水晶島付近で銃撃を受け、乗組員一名が死亡する大惨事を見た。


 つい一昨年の2019年にも歯舞群島付近でタコ漁をしていた五隻が拿捕され、罰金640万ルーブルを支払って漸く解放に至ったあたり、事態は何も変わっていない。


 このあたりで我々は、永井柳太郎と双璧をなす雄弁家、鶴見祐輔の言葉を思い出さねばならないだろう。

 


 綺麗なところだから問題になるんだ。天地の恩恵の満ちた土地だから、各国民族が争って入らうとするのだ。醜くい争は、いつも美しいものを中心として起るのだ。(昭和九年『死よりも強し』580頁)

 


 これは確かに、真理の一端に触れている。


 世界を回すは古今通じて力の論理。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」云々たらいう最高法規の前文は、所詮痴人の寝言に過ぎない。今後も北海をめぐっては、ロシアとの衝突が絶えないだろう。北方領土? 寸土たりとて手離すものか。ああいう民族の「良心」に期待する方が、むしろ狂気の沙汰なのだ。

 

 

変見自在 コロナが教えてくれた大悪党

変見自在 コロナが教えてくれた大悪党

 

 

 

 


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漁師たちの暇潰し ―ハコフグ製のタバコ入れ―


 人間とは悲しいまでに文化的ないきものである。


 無聊に対する慰めなくして、三日と生きれるものでない。


 明治三十七・八年、満洲の曠野に展開し、ロシア軍と血で血を洗う激闘を繰り広げていた日本陸軍にあってさえ、ときおり歌舞伎の興行をやり退屈を紛らわしていたものだ。

 

 

Formation of a division of the Japanese 1st. Army after the Battle of Mukden

Wikipediaより、奉天会戦後の日本軍第一師団) 

 


 内地から本職プロを呼び寄せたのでは、むろんない。


 役者・演出・道具立てに至るまで、すべて兵たちの自弁であった。女形さえ蓬髪垢面の仲間内から選出している。素人芸もいいところ、ひとつとして稚拙ならざるはなかったが、それでも毎回大喝采を浴びたというから如何に精神が渇いていたか窺えよう。


 ひどいのになると、同僚の墓の絵を描いて、しかもそれを本人に見せつけ、嫌な顔をされて喜ぶ変態じみた野郎までいた。


 おまけにそれが娑婆っ気の抜けない新兵ではなく、既に銃火の洗礼を受け、敵味方の死体の山を乗り越えてきた堂々たる尉官なのだから堪らない。

 


 芳野少尉は中隊長以下四名の石碑の画を描いて頻りに戯言ふざける、一体芳野少尉は恁う言ふことに無頓着であるのか又は僕の様に神経過敏でないのか平気に「人の死」と云ふことに就ての悪戯をする、鳳凰城で滞在の時に「多門二郎之墓」と云ふ墓標を綺麗に描いたのを見せたら僕が「縁起が悪い、止めて呉れ」と云った、すると「そうですか、それではかうだ」と云ひながら消して今度は自分の名前に書き代へたことがある、(多門二郎著『征露の凱歌』227頁)

 

 

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(第一軍陣中相撲大会の様子)

 


 軍人に於いて既に然り。


 況や漁師に於いてをや。岡本信男の『海を耕す』には、海の男ならではの暇潰し術が盛りだくさんに載っている。


 それらのうち、特に興趣に富んだものを抜き出してみよう。商品価値のない、しかし網膜に鮮やかな珍魚奇貝こそ彼らにとっての玩具であった。


 たとえばハコフグ

 

 

Lactoria fornasini 2

 (Wikipediaより、ハコフグ科シマウミスズメ

 


 鱗から発達した骨板で全身を鎧のように覆い尽くしたこのいきものを、「亀の手足をもぎとって、これに鰭をつけたようである」と表現したのは、蓋し玄妙であったろう。「全く函の様に立体的で、網から出ると鰭をピクピク動してゐるが体は絶対に動かない。一度横にすると起上ることは出来ない。(中略)之を三分の二の所から二つに切り、内臓を出して天日に二三日位乾して、ニスを塗ると上が蓋となり、立派な煙草入になる」(『海を耕す』209~210頁)。


 想像してみる。


 赤銅色に日焼けしきった大丈夫から、


 ――一本どうだい。


 と、フグの剥製を差し出される光景を。


 おそらく意図を解しかね、まじまじと相手の顔を凝視するに違いない。私はそういう、発想の飛躍に乏しい性質だ。


 ハリセンボン、タツノオトシゴもやはり内臓を抜き取って、天日に乾してニスを塗ると渋みのある、いい飾り物になったという。陸で待つ家族の土産にと、工作に勤しむ船員は思いのほか多かった。

 

 

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 ヘコアユを栞に仕立てる名手もいたし、カツオの尾鰭を釜で蒸しあげ、小骨を取り出しオキシフルで消毒しつつ漂白し、太い方に食紅をつけて爪楊枝にする物好きもいた。日本人とはなんと凝り性な民族かと、つい大きな括りで考えたくなる。


 あと、興味を惹かれたのは、やはりカブトガニに関してだろう。

 


 カブトガニは時々沢山入って来て処理に困ることがある。鋼鉄の様な尾を持って一つづつ海に投げ込むと、喜んで海底に沈んで行く。利用価値なき幸なる動物よ。(214~215頁)

 


 なんともはや、時代を感じる下りではないか。


 カブトガニに「利用価値がない」などと、もはや昔の夢物語。その青い血が内毒素の検出薬として非常に優秀なことを確認されて以降、大量に捕獲されては工場で、文字通り生血を絞られる憂き目に遭った。

 
 否、現在進行形で遭い続けている。昨今のコロナ騒動で、またぞろ需要が高まったと耳にした。

 

 

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(デッキ清掃中の地洋丸) 

 


 彼らはもはや、岡本の言うような「幸なる動物」では全然ないのだ。


 世の移り変わりを意識せずにはいられない。

 

 

 

 

 


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滄海を征く ―「地洋丸」の岡本信男―

 

 船員法の話をしたい。


 在りし日の第十二条は、こんな文面であったという。

 


 船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶、又積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船中ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニアラザレバ其ノ指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ズ。

 


 不慮の事故か何かによって沈没の危機が突発しようと、船長たるもの、持ち場を放棄することなかれ。


 事態収拾のため力を尽くし、文字通り「最後の一人」となるまでは、決して船を離れるな。


 その結果、たとえ「船と運命を共にする」展開になろうと従容として受け入れよ。――噛み砕いて言えばこんな具合か。


 血気盛んな若者にとってこういう文句は、萎縮どころか却って滝に打たれるような戦慄を惹起し、心気を昂揚させること、大なる効果があるようだ。『北洋鮭鱒』『日本漁業通史』、『水産人物百年史』等を世に著して、日本人の海に対する興味増進に一役買った岡本信も駆け出しのころこれを読み、「身の引締まる感じがした」と述べている。(昭和十六年『海を耕す』22頁)

 

 

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 本書は昭和十三年、著者が初めて従事したトロールの体験をもとに綴られている。


 岡本信男は大正五年の生まれだから、このとき22歳かそこらに過ぎない。


 若い。現代の感覚に当て嵌めるなら、ちょうど大学出たての新卒だ。

 

  ところで「お客様」にあらずして、いっぱしの「労働者」として滄海原あおうなばらを征く以上、どうしても必要なものがある。


 船員手帳、これである。


 岡本は熊本逓信局海事部下関分室に届け出を出し、無事交付される運びとなった。

 

 

Shimonoseki-city

 (Wikipediaより、下関市中心部)

 


 初めて手に取る物珍しさにぱらぱらページを捲っているうち、件の第十二条を見付けたというわけである。


 巻末には船員法を筆頭として、船員最低年齢法、商法第五篇、海事諸法台湾施行令等々と、船員関連法規類がひとまとめに載っていたのだ。「帝国に国籍を置く、日本人の船員として、是非知って置かねばならぬ重要な法規であると思った」と、模範的なことを言っている。


 当時の彼はアップ――アプレンティスapprenticeからの転訛か――と呼ばれる見習い運転士の立場に過ぎず、船と運命を共にするほどの重責など負わされようもなかったが、そういう理屈が情熱の前にどんな効力を発揮しようか。猪口才と薙ぎ倒されるばかりであろう。


 事実として、当時の岡本は燃えていた。


 彼の乗り込んだトロール「地洋丸」が下関の港を離れ、南シナ海の漁場めがけて進みはじめたときの詩作にも、抑えようにも抑えきれない血の滾り、若々しい気負い込みがよく顕れている。

 

 

吾は今志して南に進む
純化の海を伝りて
水禽群り、天恵の豊かなる
広大にして南星輝く
その星の下
吾意義に生き、喜びに死せん
吾おもむろに海を耕さん

 

 

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トロール船「地洋丸」)

 


 若者は、否、総じて男といういきものは、これぐらい気宇壮大なのが望ましい。


葉隠にも「惣じて修行は大高慢でなければ、益に立たず候。我一人して御家を動かさぬとかからねば、修行は物にならざるなり」とある。


 身の丈にあわない野心を抱け、大きいことはいいことだ。

 

 私は誰よりも自分自身に、これを言い聞かせるとしよう。

 

 

葉隠入門 (新潮文庫)

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