穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

神さびた万能薬 ―米糠、藁灰、へびいちご―


 容器を選ぶことから始める。


 まず以って、茶碗が適当な候補であろう。木製よりも陶器がいい。日頃めしを盛っているので充分だ。そういう茶碗の口縁に和紙を張りつけ蓋をして、更にを盛りつける。

 

 

 


 だいたい三分――一センチ弱が適量らしい。盛ったなら、そのまた上に炭火を載せる。


 炎を上げず、ただ芯が、真っ赤に熾っているやつだ。こうすると糠は主に二つのもの・・を吐く。一つは煙、一つは油。前者はすーっと上に向かって立ち昇り、後者はかぼそく、ゆっくりと、和紙を透して雫となって茶碗の底にひた落ちる。


 炭火を除くタイミングこそ重要だ。熱が紙に及ぶ前、焦げ目をつくるギリギリに手を打つことができたなら、糠だけ新たなモノに替え、すぐまた次の油を採れる。手馴れた者は一枚の紙で三度ほど、上の工程を繰り返せたそうである。


 そうして得られた油は専らとして使われる。たむし、あかぎれ、エトセトラ――痒みを伴う皮膚の異常に、殊更効いたとのことだ。


 流石はコメに、五穀の長に由来する品。

 

 

 


 こういう古式ゆかしい生活技術、おばあちゃんの知恵袋めいたアレソレは、郷愁に似た切なさを纏い、妙に私の胸を打つ。この感覚は、だいぶ前、タチウオパールに見出したのと同一線の趣きか。


 もまた、使いよう次第で健康回復に役立つらしい。なんでもヒ素の毒を中和するとか。


 藁を焼いて灰にして、清水に溶いてよくかき混ぜて、清潔な布で漉して飲む。石見銀山ねずみ捕り等を誤まって口に入れてしまった際の応急手当として知られたが、効果のほどはどうだろう。いまいち信頼性を欠く。


 まさか我が身で試すわけにもいかないし、こちらは半分、いや八割方、迷信として扱った方がよさそうだ。


 ちなみに私の生家では、ヘビイチゴの焼酎漬けを常備薬として置いていた。

 

 

Duchesnea chrysantha1

Wikipediaより、ヘビイチゴ

 


 蚊にくっつかれ・・・・・腫れあがった患部に対し、よく塗布されたものである。


 畑の土手に、側溝に。ヘビイチゴそこいらじゅう・・・・・・・に生えていた。


 たぶん今もそのままだろう。摘むやつが減って、より勢力を盛んにしているやもしれぬ。


 植物の生命力ほどふてぶてしいやつはない、よほど侮れぬものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 


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星条旗の世界 ―“Arsenal of Democracy”―


 一九四〇年の『タイム』が楽しい。


 読み応えの塊だ。


 十二月一日号に掲載された「戦争経済第一年」は、大戦の性質――無限の需要が喚起せらるる有り様を、手に取るように伝えてくれる。

 

 

Time Magazine - first cover

Wikipediaより、「タイム」創刊号)

 


 出だしからしてもう面白い。

 


 信用と繁栄は経済の鶏と卵である。信用が繁栄を生ずるか、繁栄が信用を生ずるかといふ問題の第二の方は一九四〇年に、必ずしも繁栄を必要とせずとして解決されてしまった。一九四〇年ほど信用が少なく、産業が迅速に回転した年はないのである。

 


 誰もが一度は聞き覚えのある哲学問題、キャッチャーな語句を並べておいて、更に「信用の少なさ」を、

 


 オランダ、ベルギー、フランスがやられイタリアが参戦すると、アメリカは、スカンディナヴィアを含んで一九三九年度の約五億六千八百万弗の輸出市場を失った。株式市場は五月一日から六月十五日までに三十五ポイントを割り、恐怖に麻痺した。然しアメリカは史上未曾有の最大生産景気にとびこんだのである。

 


 こう、事実と数字のつるべ打ちというような、そのくせ妙に小気味いい、明快な文で述べている。


 この特徴は記事を一貫して失われない。以下、要点を抜き書こう。なお、日本語訳者は原田禎正。一九四一年、すなわち昭和十六年には、E・H・カーの『イギリス最近の外交政策』を翻訳し、沸騰へとひた走る日本社会に一石を投じた人物である。

 

 

 


 一九四〇年の景気に洩れた工業は殆どなかった。然し最も影響を蒙ったのは航空機であった。この業者は、年初手持六億七千五百万弗の註文と六万人の職工を以って仕事を始めたが、年末には手持ち註文三十五億弗、就業人員十六万四千人となった。

 


 久方ぶりに「The Inflation Calculator」の助けを借りて調べると、一九四〇年の一ドルは二〇二一年の二十ドルに当たるらしい。

 

 すると三十五億ドルは、ざっと七百億ドル以上。現代の貨幣価値に換算しておよそ八兆円前後。


 溜め息が出る。なんともはやとしか言いようがない。

 

 

 


 十一月までにアメリカの鉄道は五万四千輌を廃車にし、同数の新車輌を就役せしめた。

 


 誤訳を疑いたくなるが、たぶん精確なのだろう。

 


 アメリカ車輌鋳物会社は長い間空であった車庫の一部を、戦車註文二千百五十万弗で満たし、更にこれに九千万弗の弾丸、装甲を加へて殆んど例になってゐた赤字を黒字にした。アメリカ汽関会社は、陸軍の註文を三千八百万弗とり、優先株に対し一株五弗の配当をした。鉄道に忠実だったブルマン会社すら、何か武器事業を行った。

 


 ルーズベルトが得意げに「民主主義の兵器廠」を名乗るわけだ。

 

 

 


 スターク提督の両洋艦隊のため、海軍造船廠は十二日毎に軍艦を一隻づつ浸水させた。

 


 おっ、週刊空母かな?


 少なくともその片鱗は見えた気がする。

 

 

(空母レキシントン

 


 年末海運委員会は総噸数九十三万二千噸の商船を建造中で、一週一隻の割で進水させた。フィラデルフィアの古いクランプ造船所も海軍の註文一億六百三十八万弗で再開され、八つの海軍造船廠、二十三の私立造船所が全スピードで就工した。
 先週はイギリスがアメリカに対し六十隻の一万噸級貨物船を一億弗で註文し、その海上運輸の損失を補はうとしてゐる。この未曾有の商船註文のため、トッド造船所はカリフォルニアとメインに各々一つの新造船所の建設を開始した。

 


 本気になった米帝様は凄まじい。


 まさに現代のリヴァイアサンだ。

 

 

フィラデルフィア海軍工廠アメリカ海軍最初の造船所として有名)

 


 ――姑息な軍備は危険この上もない。軍備はどこまでも徹底的でなければならぬ。


 これまたフランクリン・ルーズベルトの発言である。


 あるいはいっそ、箴言と呼んでもいいかもしれない。


 第三十二代合衆国大統領は有言実行な男であった。それだけはどうも疑いがない。

 

 

 

 

 


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青年犬養、老境木堂 ―「出鱈目は書の極意也」―


「この命知らずの大馬鹿者め!」


 戦場から生還した教え子に、師は特大の雷を落とした。


 教師の名は福澤諭吉


 生徒は犬養毅であった。

 

 

犬養毅

 


 明治十年、西南の地に戦の火蓋が切られるや、新聞各社はほとんど競うようにして自慢の記者を現地に派遣、刺激的な報道により以って人心を沸き立たせ、洛陽の紙価を高からしめんと努力した。


「君もどうだい」


 ひとつウチの看板背負って修羅の巷の実景を筆に写しちゃくれまいか――と。


 報知新聞から誘いかけがあったとき、実のところ犬養は、


(願ってもないこと)


 肋骨を内側からへし折るほどに若い心臓を高鳴らせ、至上の歓喜に酔い痴れた。


(さてこそ学業のかたわら、しつこく投書を重ね続けた甲斐があったというものよ)


 少年時代、地元岡山の漢学塾に通っていた時分から、風の噂に聞き及ぶ戊辰の役の内情に大いに血を熱くして、課題の詩作そっちのけで兵書漁りに忙しかった彼である。脳内に幻想の軍団をしつらえ、己が指揮にて架空の山野を進退させる想像を、いったい何度繰り返したか。そういう青さは、二十歳を過ぎてもなお完全に抜けきってはいなかった。肉の奥に潜在し、燃え上がる機を辛抱強く待っていたのだ。

 

 

Inukai Tsuyoshi's parents' home

Wikipediaより、犬養の生家)

 

 

(しかし迂闊に色に出しては)


 がっつき過ぎれば先方は、容易く犬養の足下を見透かし、二束三文の給料で扱き使おうとするだろう。


 ――そうはいくか。


「自分」の特価大廉売をヘラヘラ笑って出来るほど、犬養毅の自尊心はひくくない。


 なるたけ高く売りつけたいと、その程度の山っ気は当然ながら持っていた。


 最終的に、


「では、この仕事を全うすれば、卒業までの学資の方はぜんぶ『報知』がもつ格好で」


 そういう条件で纏まったらしい。


 もっとも上の契約は、後にふとした事情によって立ち消えになってしまったらしいが。


 どれだけ才気に溢れていようが所詮は世慣れぬ若者のこと、研鑽を経ていなければ手玉にとられる余地はある。些細なミスを拡大されてまんまと裏をかかれたのだろう。


 とまれそういう経緯によって、犬養毅は帝都を離れ、遠く九州・火の国へと馳せ向かったわけである。


 田原坂地獄の一丁目と化しつつある前後のころに、現地入りを遂げたとか。如何に慶應義塾の生徒といえど、犬養個人の知名度たるや皆無に近い。扱いはむろん冷遇を極めた。軍営に床を借りるなど夢のまた夢、夜は空き家の藁屑の中に潜り込んで寝る始末であった。

 

 

田原坂の弾痕)

 


 しかしそういう過酷な環境に我と我が身を追い込んでゆけばゆくほどに、


 ――ああ、おれは確かに戦場にいる。


 おとぎばなしではない、現実リアルの戦争に参加している感覚が手足の隅々まで満ちて、却って意気は盛んになった。


 昂ぶりの命ずるままに従い、犬養は任を果たし続けた。福地桜痴や藤田茂吉というような、名うての記者すら尻込みして近づかぬ、極めて危険な最前線にみずから進んで突入し、兵隊どもの生々しい表情、殺意、闘いぶりを克明に記録していった。


 夜襲に加わったためしすらある。


 特ダネ目当てに弾雨を潜るも厭わない、必死な姿勢がそのうち評価されたのか。気付けば士官の知り合いが相当以上に増えていた。

 

 

(私学校跡石塀の弾痕)

 


 素寒貧がコネクションを作るには、命を張るのがてっとり早いと如実に示す事例であろう。


 ――その「仲良くなった士官」の中に、中佐時代の乃木がいる。


 乃木とはむろん、二十八年後に旅順を陥とす、軍神・乃木希典のことである。


 下は陣中、犬養が詠み、乃木に示した詩である。

 

 

 


 遥かな後年、老境に入った犬養は、人から「書の極意」を訊ねられ、

 


字は手の芸ではない。面の芸である。実際面の皮が厚くなれば、下手でも書ける。字を手の芸と思ふ間は駄目だ。面の皮が厚くなってくればもう占めたものだ、ナアニ、人が見て笑ふがそんなことには頓着しない。さうするとどんな拙筆でも巧くなる。
 御大礼の時長寿者に御盃を賜はりし祝なりとて、八十九十の田舎婆が寿字を書きしものが新聞に出てゐるが、何うしても真似の出来ぬ一種の気韻のあるのがある。それはどうかといふと、上手に書かう下手に書かうといふ気がない、所謂徹底してゐる、徹底すると無我な田舎の老婆の何も知らぬ者でも出来る。
 要するに、出鱈目は書の極意と思ふ

 


 こんな答えを返したそうな。


 この墨痕のずっと向こうに、そのふてぶてしい人格が在る。でん・・とあぐらをかいている。


 なるほどそれに相応しい、雄渾な気の籠った筆致だ。

 

 

 

 

 


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世に混沌のあらんことを


 第一次世界大戦は悲惨であった。


 人類の歴史を一挙に二百五十年跳躍させる代償に、ドイツだけでも二百五十万人近い国民が、犠牲となって散華した。


 いい若いものが、大勢死んだ。

 

 

 

 

 その「若いもの」の死体から、まだ瑞々しい二個の睾丸タマを切り取って、腎虚に悩む老人に移植する手術が行われている。


 秘密裏に、ではない。


 何も隠さず、大手をふるって堂々と、経過観察記録をつけて論文として整えて広く世間に発表している。なんでも性機能のめざましい回復、意気の亢進が確認できたとのことだ。


 以って当時の生命倫理を推知する。


 拒絶反応とかどうなってんだ、この被験者はいったい何年生きられた? ――とか、いろいろ気になる部分はあるが。


 とまれかくまれこの報告が寄せられたとき、遥か極東、日の出ずる国・日本では、村松年理学博士蛙の性を転倒させる実験に、ちょうど取り組んでいた頃だった。

 

 

Matsumura Shonen

Wikipediaより、松村松年)

 


 卵巣を除いたメスの蛙にオスの睾丸を植え付けて、オス化させようという試みである。この実験は、うまいこと期待通りの結果を呈した。うまくいった。


 そこへドイツから、やはり睾丸をテーマに掲げた実験報告の到来である。


 奇妙なシンクロといっていい。


 如上の刺激が絡み合って松村は、大宇宙から啓蒙でも受けたのか、


「性の問題は未だ甚だ幼稚であるが、こゝに何かのショックによって、或は雌雄を転倒せしむるの時代が来るかも知れない


 と、ひどく意味深なことを書いている。

 


 親はその欲する両性の何れかを自由に産下し、また人が女性に飽きて、男性に変性し、男性に飽きて又女性に還元するの時が来るとすれば、人間社会の今の制度も、法律も、道徳も何れもが破壊せられるやうになるかも知れない。そはともかく、この問題は、他日、必ずしも不可能ではないのである。(昭和三年『驚異と神秘の生物界』)

 

 

(啓蒙が高まる光景)

 


 これは味わうべきである。


 なんとなれば、折に触れては世にかまびすしい「男女の性差問題」を根本的に解決するには、ここに書かれている通り、服でも着替えるような容易さで性別を取り替える技術および環境が社会に確立されてこそ、そこまでいかねば到底不可能と信ずるゆえに。


 男だ女だで揉めるのならば、いっそ性別という概念自体、境界線をぶっ壊し、滔々たる混沌を溢れ出させてしまえばよろしい。


 我ながらこれが暴論と、「森に潜んだ敵ゲリラを掃討するため、ナパームの雨で森そのものを焦土に変える」式のたわけた議論と承知してはいるのだが、しかし変革とは本来そういうものではなかろうか?


 まあ、よしんば気軽に性別を取り替えられるに至ったところで、それはそれでまた新たな偏見を生み出すことは必定だろうが。「誕生以来、一度も性別をいじったことのない、いじろうともせぬ保守主義者」とか、「更に劈頭一歩を進めて人類を完全な両性生物に改造せんと目論む手合い」とか、おかしなの・・・・・がわんさか出てきて、テロやら何やら、賑やかにやるに違いない。

 

 

(希望に満ちた未来都市)

 


 性別変換装置製造工場を焼き討ちしたり、両性化しないと全身から血を噴いて悶死するウィルスをバラ撒いたりするのであろう。


 世に闘争の種は尽きまじ、人が人である限り。狂い火野郎の高笑いが聴こえてきそうだ。

 

 

 

 

 


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お国の大事だ、金を出せ ―債鬼・後藤象二郎―

 

 新政府にはカネがない。


 草創期も草創期、成立直後の現実だった。

 

 

 


 およそ天地の狭間に於いて、これほどみじめなことがあろうか。国家の舵を握る機関が無一文に等しいなどと、羽を毟られた鶏よりもなおひどい。まったく諷してやる気も起きないみすぼらしさだ。


 維新だの回天だの、きらびやかな文字修辞をいくら連ねてみせたところで、これでは却って逆効果。懐具合の寂しさは、一切を台無しにするに足る。


 当人たちにも自覚はあった。西郷にしろ大久保にしろ、貧家に生まれ窮乏の中で鍛冶たんやされた顔つきだ。そういう貧乏書生というか、下級武士どもを基幹部分に多く含むだけあって、浮世の気風・人情は充分理解されている。


 意見はたちまち纏まった。付け焼き刃でも弥縫策でも、なんと呼ばれようといい。とにかく体裁を整えるのが第一だ。まさに急務といっていい。この任を全うするために、矢面に立って奔走したのが岡八郎――のち改名して由利公正――なる男であった。

 

 

Kimimasa Yuri 3

Wikipediaより、由利公正

 


 明治元年一月二十九日、京阪地方の主立つ商人百名あまりを二条城に呼び集め、大上段から高々と、


「新政府会計基金として、三百万両を差し出せ」


 こう呼ばわった一景は、三岡にとって一世一代の晴れ舞台であったろう。


 実際問題、広く人口に膾炙され、後世まで根強く残る話でもある。


 さりながら、三岡が、ひいては明治政府が、京阪地方の商人どもに金を強請った事例というのは、決してこの一度のみ――三百万両のみでとどまる沙汰でない。


 ものの半月も経ぬうちに、もう追加注文が下りている。もっとも今度は鴻池以下、選りすぐりの豪商十四名に限定されたが。とまれ彼らが再び二条に脚を運ぶとどうだろう、やっぱり三岡が姿を現し「金をよこせ」のお達しである。


 曰く、天皇陛下「吾妻の方へ御親征のこと」あるにつき、その費用としてのべ十万両が必要とのことだった。


(冗談じゃない)


 商人どもは真っ青になった。三百万両の割り当てさえも、誰がどれだけ支出するかで討議に討議を繰り返し、未だ決着を見ていないにも拘らず、なんと横柄な註文だろう。


(幕府がぶっつぶれて以来、ろくでもないことばかりが起きる)


 なにか、新政府の閣僚とやらはあきんど虐めが趣味なのか。それとも我らが各店舗にはひとつづつ、打ち出の小槌の用意があると妄信しているんじゃないか。


 叫べるものなら叫びつけてやりたかったに違いない。


 が、その衝動を実行した暁が、即ち身の破滅であろう。


 喉元まで出かかった言葉をぐっと呑み込み、代わりになんのかんのとお茶を濁して、彼らはとにかくこの急場から逃げ出そうと努力した。

 

 

(大阪、江戸堀蔵屋敷

 


 奇蹟が起きた。努力が報われたのである。何の確約も与えずに、十四人は辞去するを得た。


 さりとて三岡も執拗である。固より容易に事が運ぶと思っていない。自分が押そうと齷齪している横車がどれほど馬鹿げた規模なのか、彼には確かな自覚があった。


 この時期、彼の手元から発射された督促は、矢継ぎ早としかいいようがない。


 うちの一枚、会計局の名の下に発せられた令達を見ると、

 


「其方へ右御用達仰つけられ候、千古未曾有の御大業に候へば能くよく報恩を相弁へ一分の御奉公致すべく候」

 


 何はともあれまず第一に大義名分をふりかざし、

 


「至急の御場合を存上げ心いれよろしき者へは格別の御賞美もこれあるべく候」

 


 こっちの事情も察しろ、金がないのだ、新政府には金がない。


 そのあたりの苦しみをよく理解して自発的に協力してくれるなら、後々利権なりなんなりと――「格別の御賞美」を与えてやらんこともない。


 多少の媚態を呈しておいて、しかしその次、

 


「万一心得違ひもいたし、其力ありて其力をつくさざる者は逆意にひとしきすじに候間この旨しかと相心得候こと」

 


 もしも懐に余裕があるのにカツカツですと偽って、この「千古未曾有の御大業」を援けようとしないなら、よろしい、そいつは逆賊だ。


 逆賊らしく扱ってやるから覚悟の臍を決めておけ――そんな威圧を籠めている。


 明治政府が成立早々、政商どもの巣窟と化した淵叢は、案外こんなところに見出せるのではなかろうか。

 

 

(大阪、本町筋問屋町)

 


 銃口をチラつかせつつ空手形を切りまくり、漸く三岡は十万両を集め得た。甲斐あって、明治元年三月二十一日、大阪行幸が実現された。「先づ大阪へ行幸暫く御駐輦にて関東の形成に依り東海道より大旆進めらるべく候」というのが、「吾妻の方へ御親征」の、かねてよりの段取りだったからである。


 ――何はともあれ、無事に済んでくれてよかった。


 サアサぼやぼやしている余裕はないぞ、まだ「本丸」が残っとる、例の三百万両だ、あれの割り当てをどうすんべえと疲弊しつつも前を向き、次の課題に取り組みだした京阪商人群の背に、しかしまたもや重石が落ちる。


 そう、あろうことか、三度目の金の無心であった。


 しかも二度目より額が大きい。三条実美が関東大監察使として東下するため、至急五十万両を用意せよと来たものだ。


(むちゃだ)


 もはや憤慨を通り越し、目の前が真っ暗になる思いがしたろう。


 商人たちは今度こそ首を容易に縦には振らず、財布の紐を堅くした。当たり前である。


 当たり前のことをした結果、彼らは先のお達しが、徹頭徹尾本気だったと思い知らされる破目になる。


 明治元年五月二十三日、大阪在勤を命ぜられ、後藤象二郎がやって来た。

 

 

Goto Shojiro Photo Tosa Domain

Wikipediaより、土佐藩士時代の後藤象二郎

 


 更に七月十二日、大阪府知事に任命。翌二年二月二十四日まで勤務したが、この間の彼の行状は、一個の債鬼が如しであった。


 大阪入りした後藤は、先づ突然市中警備と號して豪商某々等の住宅を囲みて兵隊を分屯せしめ、之と同時に主人を府庁に呼出し国債三百万両御借上げの儀を厳然として申渡し」たというから凄まじい。


 葭屋町通一条下ルの生糸商、大和屋めがけてさんざんに大砲を打ち込んだ、芹沢鴨を彷彿とする暴挙であった。


 効果は覿面至極であって、呼び出された商人たちは「孰れも股栗こりつして敢て仰ぎ見る者なく即座に御受申して退出したりき」――猫のように大人しくなって手揉みしながらへいへいご無理ごもっともと愛想笑いを浮かべる様が、まざまざと脳裏に浮かぶであろう。


 が、それも致し方ない。下手に断ればこの男、何をしでかすかわからない。面接者をしてそういう畏れを抱かしめる人間的迫力、あるいは狂気とも呼ぶべきそれが、後藤象二郎の輪郭を陽炎の如く覆っていたのだ。

 

 

Goto Shojiro

Wikipediaより、後藤象二郎

 


 一事が万事、この調子でやり抜いた。


 当時の大阪人士らが、後藤をどのような眼で眺めたことか、想像するに難くない。


 さながら官製御用盗、花狼藉の限りを尽くす木曽義仲の亜種のように見えたろう。


 だがしかし、後世に棲む我々は、また違った観点を持つ、有し得る。

 


 蝋燭は自ら消滅して光を放つ。光を放つには自ら消滅せねばならぬのである。蝋燭にして意識あるならば、蝋燭が光の犠牲となるのである。石炭を焚いて電気を供給するのもさうである。一方には石炭が消滅し一方に電燈は輝く、何事かを起すには何事かを損する。何事をも失うことなく、唯得ばかりすると云ふことは有り得べきでない。幾らかの犠牲は普通のことである。(大正三年『世の中』)

 


 三宅雪嶺が嘗て喝破した如く。


 畢竟この俗界で事を成さんと欲すれば、多かれ少なかれ、必ず誰かに害を与えなければならぬ。


 もしもここで、この段階で金銭カネの調達にまごつけば、戊辰戦争の趨勢はいったいどう傾いたことだろう。下手をすれば際限のない泥沼へと突入し、せっかく進みかけていた歴史の針の逆転さえも起こり得た。


 その惨禍を予想おもった場合、上の如き後藤の態度は「暴挙」どころかたちまちのうちに「果断」として迎えられ、彼が新政府の恩人であること、これまた疑念の余地がない。


 誰かがこれをやらなければならなかったのだから。


 そして君主論の教える通り、「加害行為は一気にやってしまわなくてはいけない」


 変にびくびくして小出しにやる・・のが一番駄目だ。却って色濃く禍根を残す。


「国家の指導者たる者は、必要に迫られて行ったことでも、自ら進んで選択した結果であるかのように思わせることが重要である。思慮深い人間は、ほんとうのところは行わざるを得なかった行為でも、自由意志の結果であるという印象を、相手方や周囲に植えつけることを忘れない」。偶然にも後藤の挙動はマキャベリの主義を忠実になぞり、しかも華々しく成功をおさめたものだった。

 

 

Machiavelli Principe Cover Page

Wikipediaより、『君主論』表紙)

 


 生み出す犠牲にひるむことなく目的達成に邁進できる精神性を大人物の素養とすれば、なるほど確かに後藤には巨人と呼ばれる資格があろう。


 ただし多分に、資格だけのきらいもあるが。


 そのあたりの事由につき、再び雪嶺の言葉を引いて、本稿の締めくくりとさせていただく。

 


 清濁併せ呑むは、言い換ふれば胸に仏と鬼とを備ふるのである。備ふるには備へても、何れを出すかといふ段になり、仏を出し、鬼をして之を助けしむるもあり、或は鬼ばかり出すのがある。仏を看板にして鬼を働かさすのもある。(中略)西郷南洲は清濁併せ呑み、而して清を吐かうとした方である。後藤伯は同じく併せ呑み、而して濁流を構はず吐いた。後藤伯は大人物たるの器であったが、晩年何事を心がけて居るか分らなくなった。(同上)

 

 

 

 

 


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ルサンチマン 対 男の世界


 大阪の街の風物詩、中学連合運動会から優勝旗が消えたのは大正四年以後である。


 市岡中学の一強体制、同校が頂点に君臨すること六年連続に到達したのが直接的な原因だった。

 

 

Ichioka High School

Wikipediaより、府立市岡高等学校。市岡中を前身とする)

 


「常勝」という言葉ほど、「面憎さ」の培養土として相応しいのも珍しい。


 由来、勝負事というやつは、実力が伯仲すればするほど面白いのだ。


 はじめから一方の勝利が確定している闘いを見てなんの愉快があるだろう? 絶対者による蹂躙劇一辺倒では華を欠く。番狂わせこそ望ましい。勝敗の切所、ぎりぎりのところで押し合いへし合い、飛び散る火花が見たいのだ。にも拘らず期待外れの肩透かしが続いたならば、観客でさえ白けるのである。況してや当事者、蹴散らされし他校生どもに於いてをや。


 ――やってられるか。


 そういう気持ちがどうしたってこみ上げる。毒素となって、徐々に心を蝕んでゆく。


 当時の学校校長会は、

 


「連合運動会に優勝した学校が必ずしも体育に成功せりとはいはれぬ。只特別な技倆の優勝者を有してゐる事を表彰するに過ぎぬ。優勝旗あるが為に、孰れの中学校でも、市岡中学校に対して面白くない感情を有ってゐる

 

 

 ざっとこのような声明を出し、競争自体を廃してしまった。

 

 

(甲子園ホテル)

 


 敗者の嫉妬や怨嗟やら、暗く粘ついた感情に、どうにかしてもっともらしい理屈をコジツケ罷り通らせようとする苦心のほどが窺える。


 順位という概念を喪失うしない、運動会は本当にただ、身体を動かすだけの会に成り果てた。


 熱気も喧騒も遠ざかり、すっかり色褪せた印象だったが、人間世界を構成するのは二分の道理に感情八分、こういうこともあるだろう。


 そのような諦観に基いて、多くが自分を納得させた。


 が、


「なにを蒟蒻野郎ども、阿呆な理屈をくどくど好きに並べてからに、日和りやがってボケナスがァ」


 全部ではない。むろんのこと、順応せぬ者もいる。

 

 

天王寺公園

 


 一柳安次郎が代表格といっていい。


 大阪市歌の作曲者、当代きっての硬骨漢、市岡中で教鞭を執り直木三十五の師という顔をも併せ持ちしこの人物は、わかりやすく激怒した。そりゃもう怒髪天を衝かんばかりの勢いだった。


 就中、「孰れの中学校でも、市岡中学校に対して面白くない感情を有ってゐる」の部分に対し特に不快を覚えたようで、「武士道よりして一瞥する価値もない女々しい語」と口を極めて糾弾し、更に続けて、

 


「大阪五千の活々いきいきした学生が、皆こんな御殿女中的感情に囚はれてをるとせば、由々しき大事で、負け角力が勝った力士を怨めしく思ふと同一だ。そんな根性に充ちた学生の、優勝を獲得し得ないのも当然である。大阪学生が、自己の校長からしかく推断せられたのを甘受するであろうか」

 


 こんな具合に、まず滅多切りと呼ぶに足る、大胆な所信を披露している。


 末尾の方など大阪学生らに対し、校長の決定を覆すべく一大反抗ムーブメントを巻き起こせと暗に教唆しているようにも見えないか。

 

 

 


 これはこれで、人間の変物たるを失わぬだろう。男の世界の住人だ。記憶すべき名がまた増えた。すめらみくにに人傑多し。悦ばしきことである。

 

 

 

 

 


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夢路紀行抄 ―クリーニング―

 

 夢を見た。


 清掃作業の夢である。


 最初は確か、ケルトンの処理だった。

 

 

 


 骨の怪物、生者を狙う死霊の一種、バラバラになったその残骸を拾い集めて、作業台の上に載せ、槌を思い切り振り下ろす。どんなに優れた考古学者でも復元不能な、粉末状に成り果てるまでその作業を繰り返す。


 十二分にこなれた・・・・ら、今度はそれをポリ袋の中に詰め、まんべんなく聖水をふりかけてゆく。さても念入りな処置だった。ここまでして漸くのこと、その復活を阻止できる。そのような知識が、頭の中に自然とあった。


 次いで部屋の床に延々と、モップがけする場面に変わる。


 部屋といっても自室ではない。


 もっと、遥かに広々とした、結婚式でも開けそうな会場だ。


 当然そんな規模の大きな床面積を私独りでピカピカにするなど無理がある。

 

 

 

 

 ほかの作業員も何人かいた。


 が、どいつもこいつも給料泥棒上等といったろくでなしばかりで、進捗ときたら目も当てられない。


 馬鹿声を上げて談笑したり、テーブルの上に寝そべって腹太鼓を鳴らしたり――やりたい放題の風情であった。


 福澤諭吉が描写した資本家と労働者との関係に、以下の如き条がある。

 


…一方に於ては職工を督責鞭撻して飽くまでも労働せしめながら、成るべく賃金を少なくして利益の多からんことを目的とする其反対に、一方の所望は監督者の目をぬすみ成るべく労働を減じて賃金を貪らんとするのみか、若しも出来得ることならば終日働かずして賃金の只取ただどりを欲することならん。双方共に内心を叩きたらば互いに足るを知らずして目的は多々ますます利するの一点のみ。

 

 

 辛辣だが、よく真相を衝いている。


 少なくとも私の人生経験に照らす限りは、納得以外起こらない。


 そうだ、そうそう、その通り、人間なんて監視の目がなかったら、いくらでもサボるし不正をはたらく生き物だ――と勢い込んで頷いたのが、あるいは夢に反映されたか。

 

 

(豪州のコンビーフ製造工場)

 


 既に幾度も繰り返し記述してきたところであるが、こういう微塵も歯に衣着せず、一直線に無遠慮に、本質めがけて切り込んでゆく福澤諭吉の筆鋒が、私は好きでたまらないのだ。

 

 

 

 

 

 

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