添田知道の認識下にて、「威儀を正す」は「恰好をつける」の同義語らしい。
「今時裃を着けて歩いたら人々は嗤ふに違ひない。これは時代環境が生んだ儀礼的風俗だ。裃をつけるといふことは威儀を正すことだろう。威儀を正すといふことは恰好をつけるといふことだろう。恰好のつけ方も時代と共に変遷する。既に古りすたれたるかゝる恰好的習俗が段々滑稽なものに映って来るのは中々に興味深いことではないか」
なるほど確かに上質な目のつけどころであったろう。
何を以って「美」とするか。

格好良さの変遷と、時間的間隔に比例する滑稽感の増大は、ひとり服飾に限るまい。
信念とか心構えとか規範とか、そういう無形の、精神の領域に於いてもやはり、同じ原理がはたらくはずだ。
ハクスリーの考えた『すばらしい新世界』の文明人が、シェイクスピアに流れる情緒をまったくさっぱりこれっぽっちも理解できずに、腹を抱えて笑い転げるより他に為す術が無かったかのように。
人の心もまた移ろうのだ。その兆候を察知したとき、自分が徐々に「旧物」に、「前時代」になりつつあると理解したとき、生きることの物憂さが意識の底から浮上する。
要は厭世的になる。
こんな時代と出くわす前にさっさとくたばっておくべきだった、つくづく長生きが厭になったと愚痴をこぼすようになる。
オーウェルにもまた、そんな瞬間があったのではなかろうか。
「つい最近まで、英語国民の冒険物語の特徴は、主人公が「かなわない相手」と戦うことにあった。ロビン・フットから水夫ポパイに至るまで終始そうだったのである。おそらく西欧の基本的神話は巨人殺しジャック(『ジャックと豆の木』)なのだが、これを現代風にするには小人殺しジャックと命名しなおさなくてはなるまい。そしてすでに、大男に味方して小男と戦えと陰に陽に説く文学が相当出回っているのである」
少なくとも欧洲人の精神界の行く末に、暗澹たるものを感じていたとは十二分に言い得よう。

(『Cyberpunk 2077』より)
ちなみにジョージ・オーウェルはハクスリーの作品につき、
「『すばらしい新世界』は快楽主義的ユートピアのすぐれた
このような批評を行なっている。
ハクスリーがオーウェルを、ひいては彼の作品である『動物農場』や『1984年』をどう評していたかに関しては、残念ながら
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