穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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昇進お断わり ―日本の場合、イギリスの場合―


 三井物産は日本最初の総合商社だ。


 海外への進出も、当然とりわけ早かった。


 明治十二年にはもう、英国首府はロンドンに支店を開いてのけている。


 大久保利通が紀尾井坂にて暗殺された翌年だ。まずまず老舗といっていい。その歴史あるロンドン支局に、これまた永年、奉職してきた小使がいた。

 

 

MITSUI & CO., LTD. 2

Wikipediaより、三井物産ビル)

 

 

 現地採用の英国人で、十九世紀の白色人種がみずから求めて黄色人種の下働きになりにゆくということは、それ自体がもう異変であった。よほどの奇人か、選り好みする余裕というのをまったく持たない下層民かのどちらかだろう。


 彼の場合は、後者であった。


 といって、評価は悪くない。


 よく気が利くし、勤務態度は実直で、社員の視線が離れた隙に備品をこっそりちょろまかすような真似もせず。およそ店舗の運営を円滑ならしむるために、必要とされる多くの美徳を兼ね備えた男であった。


 ――それほど要領がいいならば。


 小使ごとき卑役のままで居させておくのは惜しかろう、もっと大きな、相応しい仕事があるはずだ。そういう声が上がったことも、むろんある。つまりは昇進のお達しである。


 ところがそれを聞かされた、当人の反応はどうだろう。


 意外も意外、彼は蒼褪めてしまったのである。


 ――冗談じゃない。


 と言わんばかりに頬の筋肉をこわばらせ、かぶりをふりつつ、ややあって、まくし立てた内容こそ凄まじい。


 ちょっと、いささか、あまりにも、英国的に過ぎたのだ。


「どうかこのままにして置いてくれ、そして願わくば俺の子供に、いつかこの役を引き継がせてくれ」


 保守精神・伝統指向の権化以外に、相応しい表現が見当たらぬ。

 

 稲原勝治がさんざん味わい、辟易を通り越してもはや愛すら抱くに至った英人らしさ。こんな場所にもそれは遺憾なく発揮され、不慣れな日本人の眼をある種の魚類さながらに丸くせしめたものだった。

 

 

霧の都ロンドン)

 


 むかしむかしの元禄時代、五代将軍綱吉の世に、三枝喜兵衛なるさむらいがいた。


 歴とした士分だが、これといってなんの仕事もしていない。職にあぶれた、所謂「非役」の分際である。こういう手合いをひとまとめ・・・・・に括っておくため幕府には、小普請組なる部署がある。


 喜兵衛もまた、それへ属した。


 如何なる面でも御政道に携わることは出来ないが、ともかくこまめに登城し、適当な上役をつかまえて、


 ――お頼み申す。


 と見込みの薄い猟官活動を繰り返す日々。地蟲のようにうらぶれた御家人喜兵衛の日常に、しかし一日、予想だにせぬ転機が来た。

 

 

江戸城二重橋

 


 どういう物のはずみであろう、葉武者としか言いようのない彼の名を、将軍綱吉が知ったのである。知って、更にその上に、三段飛ばしで一気に地位を引き上げる、およそ前例のない人事をやった。


 なにごとにつけ旧を守る・・・・を善しとする、封建の世にほとんど有り得るはずもない、この奇蹟を前にして、喜兵衛はむしろ喜ぶよりも戦慄してしまったらしい。


「拙者ふぜいには、とても」


 戦慄が彼に、逃げ口上を吐かしめた。


 家計窮迫のため相勤まらずとか何とか言って、この「栄誉」から免れようと、回避を図ったものである。


 だが それが 逆に五代目の将軍の逆鱗に触れた。

 

 

 


「喜兵衛めは、けしからぬ」


 首筋まで真っ赤に染めて、犬公方さまは叫んだという。


 せっかく俺が特に眼をかけ、陽の当たる場所へ出してやろうとしたというのに、撥ねつけるとはなにごとだろう。これは「主を軽んずる」不徳そのもの、裏切り、忘恩の沙汰ではないか。


 可愛さ余って憎さ百倍、プレゼントは素直に受け取り、歓喜を全身でアピールせねば却って意趣を抱かれる。過度の謙遜は毒物なのだ。そういう処世上の必須知識を、三枝喜兵衛は迂闊にも、失念しきっていたらしい。


 だから雷が落とされる。


島流しにせよ。不届き者めを追っ払え」


 そういうことになった。


 あれよあれよと言う暇もなく、喜兵衛の身柄は滄海遥か八丈島に送られる。

 

 

八丈島西北岸の景)

 

 

 有為転変は世の習いと言うものの、ちょっと、あまりに、こいつは度が過ぎていた。


「なんということだ」


 喜兵衛の精神状態は悲歎を超えて一種白痴こけのようになり、ついに回復していない。


 自害も、抜舟も、この男は選ばなかった。「選ぶ」という行為に踏み切る気力すら、その魂は奮い起こせはしなかった。


 十二年かけ、この島で、なめくじが乾いてゆくように、ゆっくりじっくり衰死している。

 


 ――そういう記録が、昭和三十九年に刷られた八丈島流人銘々伝』に載っている。

 

 

 本書を通読している最中、当該部分を視線で一撫でした際に、脳裏にぱっと前半の――三井物産英国支店の小使の佳話がひらめいたというわけだ。


 新たな知識に類似の記憶が脳の奥から呼び起こされる、連鎖反応の一種であろう。


 もっとも三井物産は綱吉ほどの苛烈さを、その性格上、持ち合わせてはいなかった。


 でなくば「佳話」とはとても書けない。なに、昇進を嫌がった? ふてえ野郎だ、意欲に欠けるんじゃあねえか、足りてねえぞ、社への奉仕精神が――などとくだ巻き無慈悲にくびきったりはせず、ちゃんとそのまま雇用した。


 ――それが英国気質なら。


 もはや已む無し、何をか言わん、郷に入っては郷に従うべきである、と、積極的に折れ合う気さえあったろう。

 

 

(ロンドンの牛乳売り)

 


 望んだ通り、居心地のよい在るべき場所に収まり続け、小使はとても幸せだった。


 つまりはめでたしめでたしである。ハッピーエンドといっていい。当人が満足している以上、文句のつけようのないことだ。

 

 

 

 

 


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