穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

灼かれた脳から滲み出す

脳を灼かれた。 ボロボロの校舎、 止まった時計、 やけにアナログな備品一式、 何故か外に出たがらない主人公。 勘の鋭い方ならば、これらの要素だけではや、何事かを察すであろう。 一連の画像は「夕暮れ時、廃校にて。」なるフリーゲームのスクリーンショ…

乃木将軍の膝元へ

春の終わりも近いころ、乃木神社を訪れた。 これまで散々ネタにさせてもらった手前、参拝し、礼を言わねば義理を欠く。そういう意識に背を押されてのことだった。 むしろ遅すぎたほどである。 心中密かに詫びながら、鳥居をくぐり境内へ。 立地は良い。地下…

腹に詰まりし九キロの

もうじき二十二歳を迎える未婚の娘の下腹部が、どうも最近、膨らみ気味だ。 月経も停止しているらしい。 (孕んだか) 両親は、造作もなく合点した。 事実、珍しい話ではない。 ここは大分、東国東(ひがしくにさき)郡に属する、とある山村、某農家。 (国…

動物園に巡る死は

日本で初めてゾウの解剖をやったのは、帝大農科大学教授、田中宏こそである。 明治二十六年の幕が開いて早々だった。新年いきなり、上野動物園に於いてはその「花形」を失った。寄生虫症の悪化によって、ゾウが一頭、死んだのである。石油缶に湯を注ぎ、藁を…

愛だの恋だのよく飽きもせず、満足いくまでやりゃいいさ

古い『読売新聞』にラブホテルの雛形めいたモノを見付けた。 昭和六年三月十二日である、記事が紙面に載ったのは――。 「最近『円宿ホテル』といふのが多数現はれ安っぽいコンクリートまがひのアパートにベッドを置いて、ホテル営業を表看板とし待合ともカフ…

敗戦国のみじめさよ ―そしてハーケンクロイツへ―

『読売新聞』は幸運だった。 大正十年、彼らは期するところあり、ちょっと特殊な展覧会を開催(ひら)くことに決めている。 特殊とは、むろん出展される品。 第一次世界大戦中に帝政ドイツが刷り出したプロパガンダ・ポスターである。戦意高揚、スパイ警戒、…

春畝を偲ぶ ―伊藤博文、その巨影―

偉人が語る偉人伝ほど興味深いモノはない。 「評するも人、評せらるるも人」の感慨をとっくり味わえるからだ。 福澤諭吉は『時事新報』の記事上で、伊藤博文を取り扱うに「国中稀に見る所の政治家」という、きらびやかな言を用いた。「政治上の技倆を云へば…

「幻華在目十四年」 ―秋田小町と犬養毅―

正岡子規とて身体が自由に動いた頃は遊里にふざけ散らしたものだ。 況や犬養に於いてをや。 明治十年代半ば、犬養毅は特に招かれ、東北地方の日刊紙、『秋田日報』の主筆として活動していた時期がある。「才気煥発、筆鋒峻峭、ふるゝ者みな破砕せり」とて衆…

どうせこの世は男と女、好いた惚れたとやかましい

デモクラシーの掛け声がさも勇ましく高潮する裏側で、人間世界の暗い業、望ましからぬ深淵も、密度を濃くしつつあった。 『読売新聞』の調査によれば、改元以来、日本に於ける離婚訴訟の件数は、年々増加するばかりとか。 大正四年時点では八百十三件を数え…

女神が握っているものは

移民が増えれば犯罪も増す。 両者はまさに正比例の関係にある。 アタリマエのお話だ。 一世紀前、この論法に疑義を呈する白人は、ほとんど絶無に近かった。「自由の国」の金看板を衒いもせずにぶちあげる、アメリカとてもその辺の事情はまったく同じ。揺るぎ…

利通の遺産

大正九年のお話だ。 帝都は水に苦しんでいた。 「水道、まさに涸れんとす」――ありきたりと言えば左様(そう)、単純に渇水の危機だった。 (江戸東京たてもの園にて撮影) 当時の市長、田尻稲次郎は事態を重く見、市民に対して犠牲心の発露を願う。トンネル…

ビバ・キャピタリズム!

造り過ぎた。 無限の需要を当て込んで国家の持ち得る生産力のあらん限りを発動させた、その結果。 第一次世界大戦後のアメリカは、げに恐るべき「船余り」に苦しめられる目に遭った。 (終戦の日のアメリカ) サンフランシスコに、シアトルに、タコマに、ポ…

酔わずに何の人生か

アメリカ政府がジャガイモを「野菜」ではなく「穀物」と認定せんとしていると、そんな挙動(うごき)が濃厚なりと仄聞し、思い出したことがある。 そういえば明治時代にも、合衆国は食品の分類如何(いかん)で揉めていた。新規のとある輸入品、日本酒をどの…