『東京日日新聞』の調査に信を置くならば、満洲・ソ連国境地帯はキナ臭いこと野晒しの火薬庫も同然であり、昭和十年と十一年と、たった二年の期間の中に四百を超す不法行為がソ連側から仕掛けられたそうである。
もっともこれはあくまでも、「事件」として表沙汰になり処理された数であったから、実際には更に、更に、挑発的侵入が相次いだと見て相違ない。
(Wikipediaより、日ソ国境紛争)
不安定も不安定、戦雲渦巻き四時暗澹たる彼の地の事情を『東日』記者は、
――まるで異常痙攣症にかゝった人体のやうで事件が起ってゐることが常態であるやうにさへ見える。
このような比喩で以ってして表現したるものだった。
単純に、言い回しとして、なかなか上手い。
しかも彼らの見るところ、この「痙攣症」の特効薬は未開発、根治不能であったのだ。
対症療法にも限界がある。鎮静剤をいくら投与してみても、いずれ破断の日が来よう。
大規模な軍事衝突は時間の問題。誰の眼にも明らかである。着目すべきは、それがいったい「いつ」「どこで」発生するかに他ならなかった。
『東京日日新聞』は、もっぱら東部に妖気を嗅いで、その辺の報道を密にした。
…東部陸地国境は最も事件の頻発してゐるところで、興凱湖以南の地形は細流を密林に蔽はれ、到るところ国境標識が腐朽し、或ひはソ連側に持ち運ばれてゐる。この標識のあるところも、張学良時代並びに満洲国建国当初、満洲側の威令が及ばなかった時代において、ソ連側は標識を勝手に満州国領内深く移動せしめるとともに自国の国境監視哨を前進させてゐるのである。又国境として現地住民に信ぜられてゐるところも地形の移動で不分明となり、特に細流の如きは洪水毎に河床をかへるので地形による国境が常に移動する困難が生ずる。
しかも同地帯はソ連が対日戦における根拠地として重視するポシェト、ウラジオ、ニコリスク、および対満根拠地としてのグロテコーウ、ポルタフカ等の前面に当り、最もソ連極東軍の精鋭なる集結点に対峙するわけで、彼等の侵入は何処よりも強く且つ執拗なわけである。
(ウラジオストク)
日本人は先天的に国境意識を欠くと云う。
島国暮らしに永いこと馴致された民族にとり、それはどうにも実感を以って迫らない、たとえ頭で認識しても皮膚感覚の伴いきれぬ、歩調の合わない観念なのだ。
ある種の鬼門といっていい。
それだけに、上記の如き大陸的な現実に、いざ直面を余儀なくされた先人たちの困惑は、名状し難きまでだろう。
深夜の沼地で、霧に包まれ、方角さえも見失った状態で、遮二無二足掻いているような、どうしようもない徒労感さえ時に兆したはずだった。
なればこそ、『東日』記者の叙述にも、
「島国日本は満洲国の国境線を通じてソ連、支那との間に国境問題てふ厄介な代物をかつぎこんだ。この頃喧しい満ソ国境問題にしても、また北支問題にしても、その何れもが満洲国の建設が生んだ新しい国際的問題である」
これ、ひょっとして、とんでもない貧乏くじを引いちまったんじゃあねえか――と言わんばかりの、愚痴のような一節が紛れ込みもしたのであろう。
(満洲国禁衛隊)
彼らの認識は概ね正しい。
正しいと、上質な時勢眼に裏打ちされた優良紙だと認めればこそ猶のこと、却って気落ちさせられる。
これだけみごとな報道機関が、一世紀後には、なんたることか、変態毎日新聞に、誉れどころか日本の恥の領域にまで堕するとは。あまりに無惨な凋落に、一掬の涙を禁じ得ぬ。
嘗ての鋭利な筆鋒は、いったい何処に消えたのか。
『経済風土記』を手はじめに、『東日』編纂書籍に多く噺のネタを仰いでいる身としては、残念超えていっそ迷惑ですらある。
こんなザマでは、本山彦一も成仏できまい。草葉の陰で、歯をきしらせているだろう。
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