穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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私的撰集

ラムゼイ・マクドナルド ─平和的国家主義者と総選挙─

こんな年(とし)も珍しい。 一九二四年は選挙の「当たり年」だった。 日独英仏それぞれに於ける総選挙、かてて加えて合衆国の上下両院、大統領選。およそ「列強」と呼ばれるに足る諸国の内の大半で、政治の舵を誰が取るのかを決める、このイベントが開催さ…

同時代評 ─小作争議篇─

群集心理は恐ろしい。 小作争議が激化して紛糾に紛糾を重ねると、「多数派」かつ「攻め手」たる小作側から急速に良心とか節度とか、分別とか見境とか、世間普通の水準で「正気」に属するあらゆるモノが消えてゆく。 我が意を通し勝利に至る為ならば、どんな…

沸騰撰集 ─不義密通は死するべし─

ジェームズ・フレイザーの調査によると、北ローデシアの原住民族・アエンバ人の間では、もしその亭主が不義密通の現場に踏み込み得た場合、彼はそのまま姦婦・間男両名を怒りに任せてぶち殺しても、何ら罪には問われぬことになっていた。 「重ねて四つ」──江…

茶番狂言いとをかし

ベルギーは山なき国やチューリップ 高浜虚子の歌である。 彼の地を訪ねた際、詠んだ。 昭和十一年二月二十日時点を以って「世界行脚に出た」と云うから、二・二六事件勃発のスレスレだったことになる。クーデターの報道を、おそらく船中で耳にして、さぞ驚い…

愛国者たち ―フランス、エミール・ブートルー篇―

「平安・繁栄・名誉・進歩の実現せられる時代を吾々に与へやうとして父祖は己を犠牲にしたのである。吾々は父祖を裏切ることはできない。父祖が吾々の為に遺した生命と偉業との精神を維持することを吾々は父祖の為に努めねばならぬ。換言すれば民族的精神・…

善悪の彼岸

第一次世界大戦終結後、ヨーロッパには梅雨時の菌糸類みたくアカい思想が蔓延った。 イタリアで、ハンガリーで、ポルトガルで、方々で。もう明日にでも赤色革命が成るのではと危惧されるほど猖獗を極め、うち幾つかは実際問題、そう(・・)なった。 (赤の…

あの日、彼らは

人の悪い趣味やもしれぬ。 昭和二十年八月十五日、敗戦の日の追憶を掻き集めるのがこのごろ癖になっている。 (Wikipediaより、玉音放送を聞く人々) 大日本帝国の壊滅を当時の日本人たちがどんな表情で受け止めたのか、そもそも受け容れられたのか、感情の…

烈火の大地

熱帯夜の所為だろう。ここ数日来、眠りが浅い。疲れがとれない質が甚だ悪いのだ。 (フリーゲーム『××』より) 昭和七年も暑かったらしい。 午前十時の段階で31.5℃を観測しただとか。 池水が煮えたようになり、養殖中の鯉や鰻がほとんど全滅、損害莫大なりだ…

春畝を偲ぶ ―伊藤博文、その巨影―

偉人が語る偉人伝ほど興味深いモノはない。 「評するも人、評せらるるも人」の感慨をとっくり味わえるからだ。 福澤諭吉は『時事新報』の記事上で、伊藤博文を取り扱うに「国中稀に見る所の政治家」という、きらびやかな言を用いた。「政治上の技倆を云へば…

続・海原は誰のものなのか ―天下皆これ禽獣世界―

前回の記事に追記する。 明治十五年度に於けるオットセイの総捕獲量が判明(みえ)てきた。 その数、実に二万七百匹以上。剥がれた皮の枚数のみに限定してさえコレだから、実態としてはもう幾ばくか上乗せされることだろう。大漁、豊漁、「当たり年」とはよ…

数は雄弁

古書を渉猟していると、数字の羅列によく出逢う。 遭遇して当然だ。自論に箔を付けるため、正当性を押し出すために数の威力を借りるのは、古(いにしえ)よりの常套手段、王道中の王道ではあるまいか。 例の抜き書く癖により、気付けば随分その種のデータが…

ハミガキ、エンピツ、子規の歌

「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、…

無効票に和歌一首

黒白を 分けて緑りの 上柳赤き心を 持てよ喜右衛門 投票用紙に書かれた歌だ。 もちろん無効票である。 明治四十二年九月に長野県にて実行された補欠選挙の用紙には、とにかくこのテの悪戯が、引きも切らずに多かった。 (信州諏訪の風車。「これは地下のアン…

原点にして頂点

脱税、脱法、密輸、密造――ひっくるめて暗黒産業。 裏街道を邁進し、社会に毒を流し込み、他者の人生を磨り潰してでも金を掴み取らんと欲す、得てしてそういう輩ほど、上辺ばかりは美しく繕っているものである。 そういうことを、福澤諭吉が書いている。 酒屋…

暑気払いの私的撰集

詩歌の蓄積が相当量に及びつつある。 ここらでまとめて放出したいが、なにぶん折からの猛暑であろう、見事に脳が茹だりはじめた。 頭蓋の中で創意が融ける音がする。 お蔭でロクな前口上も浮かばない。エエイまだるっこしい、こんなところで何時までも足止め…

ひいばあちゃんの知恵袋・後編

頭は冷えた。 再開しよう。 〇鋸屑(おがくず)を濡らして固く搾り、箱に入れて、伊勢海老をその中に埋め、暗いところにおくと、一週間くらゐは、生きたまま保たせることができます。新年など、かうしておくと重宝です。 冷蔵技術の未熟な時代の工夫であった…

ひいばあちゃんの知恵袋・前編

――ランプの輝度を上げるには。 「最も純粋の固いパラフィン二分と、純粋の鯨蝋一分と混じ、此混和物を石油に加へて使用すれば、消費量を増さずして、著しく光量を増すの効能があります、さうして此の混和物〇、三グラムは〇、五リットル容れのランプに於て、…

墓標めぐり ― “Respice post te, mortalem te esse memento.” ―

九歳の少年が絞首刑に処せられた。 一八三三年、イギリスに於ける沙汰である。 罪は窃盗。よその家の窓を割り、保管されていたペンキを奪(と)った。 被害総額、当時の価格でおよそ二ペンス。たった二ペンスの報いのために、前途にきっと待っていたろう何十…

遼陽にて ―あるユダヤ人の日露戦争―

黒っぽいものを歩哨が見つけた。 明治三十七年九月中旬、当節遼陽大鉄橋と通称された構造体の下である。歩哨の所属は、むろん日本陸軍だ。遼陽会戦が決着してから二週間ほど経っている。一帯の勢力図はまず以って、皇軍の色になっている。 (Wikipediaより、…

報道は熱し ―明治の重大事件二種―

にわかに帝都を聳動せしめた白昼の異変。明治三十五年十二月十日、田中正造、天皇陛下に直訴の件を、翌日の『読売新聞』報じて曰く、 天に訴へ地に訴へ社会に訴へ議会に訴へ法廷に訴へ請願となり陳情となり演説となり奔走となり運動となり大挙となり拘引とな…

郷愁触媒、過去への巡礼

片付けられない餓鬼だった。 「一枚のCDを聞き終わったらキチッとケースにしまってから次のCDを聞く」タイプではなかったのである、少年の日のこのおれは――。 だからいま臍を噛んでいる。 正月、実家に帰省した際、抽斗という抽斗をいちいちひっくり返す勢い…

星条旗の世界 ―“Arsenal of Democracy”―

一九四〇年の『タイム』が楽しい。 読み応えの塊だ。 十二月一日号に掲載された「戦争経済第一年」は、大戦の性質――無限の需要が喚起せらるる有り様を、手に取るように伝えてくれる。 (Wikipediaより、「タイム」創刊号) 出だしからしてもう面白い。 信用…

続・外から視た日本人 ―『モンタヌス日本誌』私的撰集―

ジャン・クラッセは日本に関する大著を編んだ。 しかしながら彼自身は、生涯日本の土を踏んだことはなかったらしい。 かつて布教に訪れたスペイン・ポルトガル両国の宣教師たち、彼らの残した膨大な年報・日誌・紀行文等を材料に、『日本西教史』を完成させ…

外から視た日本人 ―『日本西教史』私的撰集―

極東に浮かぶ島国という、地理的事情が無性に浪漫を掻き立てるのか。ヨーロッパの天地に於いて日本国とは永いこと、半ば異界めくような興味と好奇の対象だった。 需要に応える格好で、近代以前、西洋人によって編まれた日本の事情を伝える書物は数多い。 『…

つれづれ撰集 ―意識の靄を掃うため―

季節の変わり目の影響だろうか、鈍い頭痛が離れない。 ここ二・三日、意識の一部に靄がかかっているようだ。脳液が米研ぎ水にでも化(な)ったのかと疑いたくなる。わかり易く、不調であった。 思考を文章に編みなおすのが難しい。埒もないところで変に躓く…

諭吉と西哲

福澤諭吉の言葉には、西哲の理に通ずるものが多少ある。 たとえばコレなどどうだろう。 増税案の是非をめぐって起こした――むろん『時事新報』上に――記事の一節である。 本来人民の私情より云へば一厘銭の租税も苦痛の種にして、全く無税こそ喜ぶ所ならんなれ…

続・福澤諭吉私的撰集

もう少しだけ福澤諭吉を続けたい。 ――明治維新にケチをつけたがる類の輩が愛用する論法に、アレは市民革命ではない、支配階級すわなち武士同士の内ゲバに過ぎない、よって不徹底も甚だしく未完成もいいところだとの定型がある。 が、福澤諭吉に言わせれば、…

福澤諭吉私的撰集

猿に読ませる目的で書かれた文を読んでいる。 福澤諭吉の文である。 尾崎行雄咢堂は、その青年期のある一点で、「筆で生きる」と心に決めた。 そのことを福澤に報告にゆくと、折しも福澤は鼻毛を抜いている最中で、鼻毛抜きを手放しもせず聞きながら、「変な…

愚行欲求、脱線讃歌 ―自由な国の民のサガ―

エマーソン曰く、自由な国の民というは自己の自由を実感するため、意識的にせよ無意識的にせよ、時折わざと間違ったことを仕出かしたがる生物だとか。 正直なるほどと頷かされた。 ウィリアム・バロウズ――例の「薬中作家」(ジャンキーライター)その人も、…

英国印象私的撰集 ―エマーソンの眼、日本人の眼―

イギリスは、誰から見てもイギリスらしい。 前回にて示した如く、びっくりするほど多いのだ。十九世紀中盤に彼の地を歩いたエマーソンの見解と、二十世紀初頭にかけて訪英した日本人の旅行記に、符合する部分が凄いほど――。 たとえばエマーソンの時代、こう…