穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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小金井巡礼 ―江戸東京たてもの園を散策す―


 高橋是清に惹かれてやって来た。

 


 江戸東京たてもの園、都立小金井公園の一角を占める野外博物館である。

 


 その名の通り、十七世紀――江戸時代からこっちにかけて四百年、関東平野に築造されたあれやこれや・・・・・・の建物を、集めて維持して展示して、文化的価値を守護まもり且つまた発信にも努める施設。概要としてはこんなところでいいだろう。

 

 

 蒼一色の空の下、堪能させていただいた。


 適当に紹介していこう。

 


 さても立派な門構えの向こう側にたたずむは、三井家11代当主、三井八郎右衛門高公氏の御宅。

 


 和洋折衷の邸内に、

 


 五三の桐や、

 


 三つ葉葵の長持ちが、さも当然な顔つきで腰を下ろしているのを見ると、流石は天下の三井財閥と唸らずにはいられない。

 


 華麗なる一族の住み家であった。

 


 高橋是清である。

 


 昭和十一年二月二十六日、この家に無断で上がりこみ、あまつ家主を――八十一歳の老体を――血祭りにあげたならず者の一団を、石山賢吉「軍服を着た狂人」と評した。


 むろん、戦後に及んでからの発言だ。


 順当としか言いようがない。

 


 窓外の紅葉が美しい。ここが陰惨な事件の現場と、ついつい忘れかねないほどに。

 


 紺の暖簾を潜ってみると、

 


 中は居酒屋になっていた。

 

 

 

「雀やき 二羽 一五〇」鬼子母神の『蝶屋』を想う。

 

 

 震災、空襲、どちらの火にも、幸い罹るを免れて、建築当初――安政三年、江戸時代末の面影を、今日まで留めてのけている。そういう貴重な物件なのだ、この「鍵屋」という居酒屋は――。

 


「小寺醤油店」

 

 

(viprpg『ライチにしょうゆかけてあげる』より)

 


 世界に向けて日本が誇れる調味料。

 

 

 

 これは決して、過大評価でないだろう。栗本鋤雲の見聞記、コンプラ瓶の存在を、今一度思い出すべきだ。

 


 店の中には醤油の外に、所狭しと酒瓶が。

 


 フルーツ缶も数多い。

 


 贈答用か? お中元にはよさそうだ。

 


 ホーロー看板がいい味出してる。


 雰囲気づくりによほど注意を払っている印象だ。

 


 海軍大将・山本権兵衛必需品。

 


「彼がもっとも心配したのは子女の健康であった、小学時代に令嬢たちが毎朝登校の際、父の部屋へ挨拶に行くと、
『これを飲んでお出でなさへ』
 と指さゝれるのはカップに満たされた一杯の肝油だ。これには令嬢たちが何よりも弱った、しかし頭数だけのカップをチャンと並べてあるのだから、ゴマかすことができない。御褒美のドロップを力にして、眼をつぶって、ぐっと一息に飲み干したものである」(昭和十年、村上貞一著『偉人権兵衛』)

 

 

 

 乾物屋を覗き込む。

 


 パック以前の卵の売り方、これはこれで品がいい。

 


 深海から這い出づる邪神の触手めいてるが、きっと鰹節である。


 それにしても、この質感。開国当時、


「日本人は木を食すのか――喰える樹が生えてやがるのか」


 と、西洋人が驚いたのも仕方ない。


 魚肉がまさか、こんな変異を辿るとは。乾燥の妙というものだ。

 

 

(カツオの一本釣り)

 


 常日頃、愛読している古書の山。


 あれらが古書でなかった時分、刷りたてホヤホヤ、新刊として書店に並べてあったころ。


 これらの店舗もまた現役で、客を迎えていたのであろう。最初に購入した人は、こういう店で暮らしを立てつつ、ページを捲っていたわけだ。

 

 

 


 どんな姿勢で、表情で――。空想の羽を広げつつ、七ヘクタールの敷地内を練り歩く。気分は決して悪くない。そんな師走の日であった。

 

 

 

 

 

 

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