英国人が考えた。
そうだ、ゲジラ地方を灌漑しよう。
スーダンの地図を眺めながら考えた。
(ゲジラ(ジャジーラ)州位置)
青ナイルと白ナイル、
そこで綿花を育てよう。
要求される水量は、ざっと一千一百億ガロン。トン換算で五億以上を吸わせる必要性がある。思わず目玉の飛び出しかねない膨大ぶりであるのだが、なあに「母なるナイル」なら、きっと必ずこんな無茶にも堪えられる。──…
未だスーダンが英国の植民地であった、一九二〇年代の発案だ。
「ゲジラ計画」と俗に呼ばれる、その内容が表沙汰になるや否、最も過敏に反応したのは、むろんエジプト、スーダンから見てナイルの下流に国を構えている彼ら。
ナイル川の恵み頼りで繁栄を保っていることは、エジプトとても同様なのだ。紀元前の何千年もむかしから、ずっと
呆れるばかりに大掛かりな計画だ。
一切なんらの影響も蒙らずに済むなどと、それこそ有り得ぬ絵空事。場合によっては「ナイルの恵み」が不可逆的に涸れるやも──。
それを
当時のこの地の支配者は、「独立の英雄」ザグルール・パシャ。
(Wikipediaより、ザグルール・パシャ)
志賀重昂の語るところを信ずるならば、ゲジラ計画の中止を求め、彼は遥々ロンドンにまで押し掛けて、ラムゼイ・マクドナルドを相手どり、必死の抗議を
が、斯かる涙訴を、マクドナルドはすげなく蹴った。
「世界平和を夢見ながらも脚はナショナリズムの大地を踏む」、この人物の平和的国家主義性が遺憾なく発動された形であった。
もはや外交交渉でこの窮状は切り抜けられぬと観念したエジプト人は、ついに暴発を決意する。
暗殺者を送り込み、スーダン総督を狙わせたのだ。
不幸にも、この試みは成就した。
(『まつろぱれっと』より)
イギリスの怒るまいことか。
激怒したといっていい。
アレキサンドリアの税関は、ユニオンジャックの軍靴によってたちまちのうちに押さえられ、公開謝罪と、五十万ポンドの賠償金等、苛烈な要求が次々と飛ぶ。そのゴタゴタを前にして、如何なザグルール・パシャとても到底地位を保ち得ず、首相辞任の已むなきにまで追い詰められた。
この一連の騒動を、
「ザグルール・パシャはその性行人格頗る我が杉浦天台翁に似て居るのみか、年齢も同じく而も共に蒲柳の質でありながら屈せず、特にザグルールは或はセイロンに或はセーシェル島に或はジブラルタルに配所の月を眺め、帰来老人と云はず学生と云はず労働者と云はず国人より崇拝の標的となり居れるも、惜しい哉好漢活きたる外交に通ぜず、今回の暗殺兇行の如き固より其関知せざる所なるべきも勢ひを激成せしめたる責は必ずしも無しと云ふべからず」
志賀重昂は惜しみない悼みを籠めて物語り、更に続けて、
「今や此人内閣を去り、而してマクドナルド氏も英国内閣を去り、英埃間の事は益々紛糾すべく、殊に英国が今回兇行の賠償としてゲジラ地方の灌漑区域の無制限を強請するに至っては、エジプト人は咽喉を英人に締められたと同様なれば今後英埃両国の葛藤は機会毎に迸発すべく、要するに欧洲外交は今やバルカンを去りてアラビア系に移動した」
風雲急を告げつつあるアフリカに、鋭い視線を当てている。
先見の明があったということだろう。
ナイル川の水資源に関しては、割と最近──二〇二〇年代──も、ダム建設やら何やらで、エジプト・スーダン・エチオピア辺の国々が、かなり激しくやり合っている。
たぶん、おそらく、これから先も、ずっと続いて行くだろう。
水の確保に関しては、いとも容易く人間は、血眼になるものだから……。
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