穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

令和二年の東京受胎

本日発売のゲームソフト、『真・女神転生Ⅲ NOCTURNE HD REMASTER』を買って来た。 「リマスター」とあるからには、当然元々のソフトが存在している。 2003年にアトラスから発売されたPS2のタイトルで、その中古品が秋葉原の店頭に並んでいるのを幾度か見た。…

パナマ運河と黄熱病 ―文明国の面目躍如―

医療行為の最善が予防にあるということは、いまさら論を俟たないだろう。 孫子の兵法になぞらえるなら、戦わずして勝つの極意そのものである。 日本でも早くからこのあたりの要諦に気がついていた人はいて、中でも高野六郎という医学博士は、その最も熱烈な…

医者の随筆 ―将棋・外套・原子爆弾―

医者の随筆は面白い。 医者を(・)書いた文章ではなく、医者が(・)書いた文章である。 高田義一郎、式場隆三郎、正木不如丘、渡辺房吉、福島伴次――結構買ったが、今のところハズレを引いたことがない。どれもこれも、最後の一ページに至るまで、私の興味…

続・米田実という男 ―マスター・オブ・アーツ―

上京して暫くの米田実の生活というのは、まったく「苦学生」を絵に描いたようなものである。 朝はまだ星の残る早くから、新聞売りとして声を張り上げ駈け廻り、それを済ますと図書館に突撃、自学自習を開始する。 さてもめまぐるしい肉体労働と頭脳労働のサ…

米田実という男 ―忘れ去るには惜しき者―

前回、せっかく米田実に触れたのだ。 この人についてもう少しばかり掘り下げてみたい。 私はこれまで彼の著作に何冊か触れ、しかもその都度、得るところ甚だ大であった。半世紀以上も前に著された本であるというのに、その知識は鮮度を保ち、みずみずしい驚…

「ドルの国」との交際術 ―戦前の「アメリカ通」な男たち―

訴訟大国アメリカといえど、これはなかなか珍しい例に属するのではあるまいか。 ロビイストが企業を相手に、法廷闘争を挑んだのである。 1929年8月24日のことだった。 この日、ウィリアム・B・シャラーという人物がにわかに世の表舞台に躍り出て、三つの大造…

繁栄の条件 ―国際場裡の腹黒さ―

来るべきものがついに来た。 大日本帝国が帝政ロシアに国交断絶を突き付けたのだ。 もはや極東を舞台として一大戦火が巻き起こるのは誰の眼にも不可避であった。風雲急を告げるこの秋(とき)、もしも彼らに発声機能があったなら、 「俺たちはどうなるんだ」…

ジョン・ラスキンのシェイクスピア評

セシル・ローズの恩師に当たるジョン・ラスキンは、あるときシェイクスピアの作品群を批評して、 「碌な男がいない。この中にはただの一人も、大丈夫がいないのだ」 と吐き捨てた。 (Wikipediaより、ジョン・ラスキン) ラスキンの眼光にかかれば、たとえば…

赤羽橋のいまむかし ―芝東照宮参詣余録―

芝東照宮へ参詣したあと。折角ここまで来たのだからと、しばし四辺(あたり)を散歩した。 で、芝公園の隅の芝生に見出したのがコレである。 横の看板には、「災害用マンホールトイレ」と記されていた。非常の際には蓋を開いて便座を据え、テントか何かで囲…

芝東照宮参詣記

先日、芝東照宮へ参詣(おまいり)に行った。 東京都港区は芝公園の一角に在る、四大東照宮の一角だ。残る三社は、上野東照宮、久能山東照宮、日光東照宮。 そのことについて書こうと思う。 東照大権現神君徳川家康公の御霊を祭るこのお宮には、本来もっと早…

大切小切ものがたり・後編 ―その始末―

慈悲に縋ろうとした。 だが拒絶された。 ならば力に訴えて、無理矢理にでも然諾を引き出すより他にない。 (先祖代々、我らはそうして生きて来たのだ) それを想うと、血が酒に変わるほどのくるめきを感じる。 甘美な陶酔というものだろう。この陶酔は、家を…

大切小切ものがたり・中編 ―新旧衝突―

大小切という「信玄公以来の祖法」消滅の危機に直面し、ただ身を寄せ合い、コマッタコマッタと首をかしげているだけが甲州人の能にあらず。 一張羅に袖を通して、えっちらおっちら峠を越えて、県庁へと馳せ参じ、陳情の声を上げる「有志」がそこかしこから出…

大切小切ものがたり・前編 ―武田信玄以来の祖法―

いやしくも山梨県民を、甲州人を名乗るなら、大小切騒動にまつわる知識はごく当然なたしなみ(・・・・)として具えておかねばならないだろう。 現に私は義務教育でおそわった。 忘れもしない中学生の頃のこと。当時の私の日本史教諭は教科書をありがたがら…

浜名湖小話 ―「ゆるキャン△」二期に向けての予習―

日に日に機会が増えている。 『ゆるキャン△』アニメ二期の広告を目にする機会が、だ。 漫画で予習は済んでいる。一期が思い切りツボに嵌ったいきがかり上、手を出さずにはいられなかった。アニメから原作にポロロッカする、典型的な例であろう。 就中、五巻…

最期の言葉・外伝 ―「夢」を含む辞世撰集―

辞世の句を刻むとき、「夢」の一字を挿みたがる手合いは多い。 なんといっても、天下人からしてそうである。豊臣秀吉が 露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢 と吟じれば、徳川家康、 うれしやと二度(ふたたび)さめてひとねむり浮世の夢…

最期の言葉 ―「辞世の句」私的撰集―

天保七年というから、ちょうど「天保の大飢饉」の只中である。信濃国水内郡丹波村の近郊で、行き倒れた男の死体が見つかった。 ざっと見歳は五十内外、持ち物は杖と笠のみであって、そのうち杖には紙片が結わえられており、開くと次の一首が認められていたと…

シベリアの夢、薄れぬ記憶

「シマッタ、ここはシベリアだ。俺は確かに日本へ帰っていたはずなのに、またシベリアに来ている。何とかして日本に帰らねば……遥か向うを見ると収容所が点在している。そして多くの日本人がこちらを見ている。戦後三〇余年、日本は随分と変った。このことを…

親愛なる同志スターリンへ ―ラーゲリから感謝の寄せ書き―

「民主化教育」に名を借りた洗脳事業を抜かしては、シベリア抑留というものがまったく分からなくなってしまう。 捕虜にされた日本人将兵57万。 ソビエト連邦は単に彼らを都合のいい労働力としてこき使うにとどまらず、この中から一人でも多くの「革命戦士」…

戦勝国民の言行録

「支那は日本と一〇年戦い、米国でさえ五年戦った。ソ連を見よ。宣戦布告からわずか三日で日本は降伏した。ソ連軍は世界一強く、ソ連人は世界で一番偉い人種である」(『シベリア抑留体験記』194頁) 奥地のとある収容所にて、赤軍兵士が抑留者たちに言い放…

夢路紀行抄 ―シタタカ毒虫―

夢を見た。 有名人の夢である。 始まりは、確かショッピングモールの通路であった。 全体的に黄色みがかった配色で、ただもうそこに居るだけで、細胞が踊り出すような、陽気な気分になってくる。 建築の妙と言うべきだろう。 幅も広い。重戦車でも悠々走行で…

隼の特攻 ―占守島血戦綺譚―

三十余年を過ぎてなお、その情景は細川親文軍医のまぶたに色鮮やかに焼き付いていた。 敗戦の前日、昭和二十年八月十四日の朝早く。彼の勤める第十八野戦兵器廠チチハル本部の営門に、魔のように飛び込んだ影がある。 将校一人と兵卒三人、いずれも埃まみれ…

旧足和田村探訪記 ―西湖いやしの里根場―

富士五湖が一つ、西湖の名は、長く絶滅種と目されていた「幻の魚」クニマス発見の功により、一躍全国に響き渡った観がある。 それ以前は最大(・・)でも最深(・・)でもないゆえに、これといって特色のない、人々の意識に上りにくい場所だった。 湖名の由…

霊威あふるる和歌撰集 ―「神術霊妙秘蔵書」より―

力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。 古今和歌集「仮名序」からの抜粋である。 王朝時代の貴族らは、和歌の効能というものをこんな具合に見積もっていた。 要するに和…

贖罪と逃避の境界 ―あるトラック運転手の死―

事のあらましは単純である。 子供が轢かれた。 トラックの車輪と地面との間に挟まれたのだ。 無事でいられるわけがない。 搬送された病院で、翌日息を引き取った。 運転手は、真面目で責任感の強い好漢だった。 それだけに罪の意識もひとしおだったに違いな…

切腹したキリスト教徒 ―排日移民法への抗議―

大正十三年五月三十一日の陽が昇るや、榎坂にある井上勝純(かつずみ)子爵の屋敷はたいへんな騒ぎに見舞われた。 庭に、異物が出現している。 死体である。 白襦袢に羽織袴を着付けたひとりの中年男性が、腹を十文字に掻っ捌き、咽喉を突いてみずからつくっ…

続・太平洋風雲録 ―白船来る―

果然、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。 日本のみならず、アメリカ社会までもが、だ。 ――宣戦布告に等しい所業ではあるまいか。 主力艦隊を太平洋側に廻航するということは、である。 ――ハーグ国際平和会議を主導した立場でありながら、敢えてそのよう…

太平洋風雲録 ―明治末期の日米間危機―

日米開戦の危機というのは、なにも昭和に突入してからにわかに騒がれだした話ではない。 満州事変の遥か以前、それこそ明治の昔から、大真面目に論議され検討され続けてきたテーマであった。 サンフランシスコ・コール紙などは1906年10月に「If Japan should…

アメリカ草創期の小話 ―エンプレス・オブ・チャイナ号―

ワシントンの誕生日にまつわる小話でもしてみよう。 平岡熙の例の逸話に触発されての試みである。 ジョージ・ワシントン。 「アメリカ建国の父」として不朽の名を青史に刻んだこの人物が誕生したのは、1732年2月22日、今で云うバージニア州ウェストモアラン…

長禄の江戸、慶長の江戸 ―古地図見比べ―

かつての江戸の民草は、台風の接近を察知するとはや家財道具を担ぎ出し、船に積み込み、その纜(ともづな)を御城近くの樹々の幹に繋いだという。 高潮来れば、この一帯は海になる。 狂瀾怒涛渦を巻き、人も家も噛み砕いては沖へと浚う荒海に、だ。 無慈悲な…

平岡熙ものがたり ―春畝と吟舟―

まだある。 洋行を通して平岡熙が積み上げたモノは、だ。 人との縁も、彼はこのとき手に入れた。 平岡がまだボストンで、素直に学生をやっていたころ。総勢107名もの日本人が、この大陸にやって来た。 世に云う岩倉遣欧使節団のことである。 (Wikipediaより…