飢餓ほど無惨なものはない。
飢えが募ると人間は容易く獣に回帰する。空き腹を満たすことだけが、欲求の全部と化するのだ。
朝めしはスープを、――それもキャベツと小魚だけが
(Wikipediaより、軍用水筒と飯盒)
昼食は抜き。一日二食を強制される。
しかも夕めしの貧しさときたらどうだろう。雑穀入りの黒パン一個、重量にしてなんと二十五グラムという、マッチ箱かと見紛うようなきれっぱしだけ。本当にただそれだけである。鶏小屋にも劣りかねないメニューであった。歴とした成人男性の肉体維持には、論外としか言いようがない。
おまけに季節は冬だった。
ただでさえ熱量が不足する時期、この欠乏は、もはや迂遠な殺人である。更にその上、きついノルマの労働までもが「義務」なりとして降りかかる。来る日も来る日も深雪を掻き分け山に入り、八時間の伐採作業。拷問であろう。たとえどれほど楽天的な性善説論者とて、この環境の裏面には、粘こい悪意が蠢いていると見るはずだ。他人を苦しめ喜悦する、下衆野郎の薄汚いサディズムが――。
今日びフィクションの世界でも滅多にお目にかかれない、「リアリティがない」として駄目出しされかねない景色。しかしこれはまぎれもなく、現実世界の、この地球上に実際に在ったことなのだ。
それも遠い昔ではない。
ほんの七十余年前――。
現出した地獄相の名を、すなわち「シベリア抑留」という。
北方軍北千島守備隊所属・堤喜三郎氏の追憶に基き、上の描写は組み立てた。
地獄めぐりの
「私の抑留生活は、終戦の年の昭和二十年十二月初旬、北千島の占守島から、『トーキョウ・ダモイ』と欺かれソ連の貨物船でナホトカ港に運ばれてから始まった」
このように述べているあたり、あるいは堤氏、占守島の戦いに参加してもいたろうか。
大日本帝国陸軍最後の死闘、あの騒然たる鉄火場に――。
アカの魔手より北海道を、日本国を防備した、その報酬が、
「…不幸にも栄養失調で死亡した者とか、伐採で不慮死する者があると、埋葬の前夜、穴小屋のなかで一同は形ばかりの簡単な祭壇を設け、仏様を横臥させて成仏を祈り、一時間ばかりお通夜をして寝る。ところが、一夜明けて、私はこの祭壇を見て驚いた。仏様の着ていた被服はすっかりはぎ取られ、仏様は丸裸で転がっていたのである。被服を盗んだ者は防寒外套の下にそれを忍ばせて、作業場附近のソ連民間人と、黒パンや食料と交換して空腹を満たしていたらしい」
これとあっては、あまりに天秤がつり合わぬ。
人間の素晴らしさは心に
ならばもし、極限状態の継続により、心の
既にモラルの箍は外れた。
エスカレートは、きっと、そう。到底避くべからざる、必然の勢であったろう。
「このようなことが頻繁に起こると同時に連鎖反応で、仏様ばかりでなく、睡眠中に被服を盗まれるということまで発生するようになった。そこで一同は、寝る前に盗まれないよう持ち物をすべて身にまとい、自己を守らねばならなかった。こうなるとお互いが疑心暗鬼で、二ヵ月以前と比べまさに末世的様相になり果てた」
醸成される相互不信。
一度破綻した統制はついに再び戻らない。
解き放たれた個々人が自己保存の欲求のまま、なりふり構わず足掻きだす。
「作業グループのある者が、ソ連の兵隊が投げ捨てた病死の軍馬の野ざらしになった死体、それも狼が食い荒らした残骸の一部を拾ってきて、飯盒で塩炊きをしてむさぼりかじっていた。私にも『どうです、召しあがりませんか』と親切に差しだした。私は『ありがとう』と礼を述べて口元まで運んだが、その臭気に我慢ができず、相手にわからぬように捨てるのに苦労したことがあった」
スターリンの目的が、少なくともその一半が、北海道を奪い損ねた腹いせにこそあったなら、それは十分達成されたに違いない。
そうとでも考えておく以外、この凄まじさを理解するのは無理そうだ。
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