南阿戦争の期間中、英軍は補給に一計を案じた。
真空乾燥器の活用である。
蔬菜類をこの機械にぶち込んで、水分という水分を除去、体積の大幅な縮小と長期保存に便ならしめた代物を、前線めがけてどっと送り込んだのだ。
今で云うフリーズドライ製法である。
技術自体は数十年前、一八五〇年代
だがしかし、それをここまで大々的に、実際の場で用いた例は嘗てなく、南阿戦争の英軍を以って濫觴とする。
時代に先駆ける着眼点――「英国面」の一環と分類していいだろう。
現地での評判は上々だった。
スープを注げばたちまちのうちに瑞々しさを取り戻し、美味な具として機能する。
「こいつはいいや」
「地の
まるで採れたてを思わせるシャッキリとした歯ごたえに、兵も満足したという。
が、前線での評判こそよろしけれ、後方――銃後――一般社会の間には、なかなか浸透しなかった。
当時に於ける保存食の王様は言わずと知れた缶詰であり、レパートリーも牛缶、鮭缶、トマト缶等よりどりみどり。蔬菜に品目を限定された新参者のフリーズドライ
一連の経過、情報は、廻り廻ってやがて日本にも伝わった。
が、翻訳に際し不幸にも、ネーミングセンスを欠いている。
フリーズドライ済みの蔬菜を、当時の我らが御先祖は、「排水青物」と妙な名前で呼んだのだ。
妙といっていい筈だ。この四文字を古書の上に見出した際、
――まさか、下水を畑に撒いて育てた野菜じゃあるまいし。
と、勝手に浮かんだあられもない想像を、大急ぎで打ち消さなければならなかったほどである。
古書のタイトルは『世界奇風俗大観』。
刊行は昭和十年で、著者の名前は石川成一。
一世紀近い時の流れを渡ってきた本だった。
南阿戦争終結を機に、フリーズドライ食品は急速に存在を忘れられ、舞台裏での逼塞を余儀なくされる破目となる。
次に脚光を浴びるには、第一次世界大戦の勃発まで俟たねばならず――戦火に照らされない限り、およそ輝けぬ技術のようだ。
その件につき、趣深い挿話というのが、
「戦争が終結した時に、カナダの一製造人は尚ほ三万斤の排水青物を有ってゐたので、市場に売り出さうとしたが買手がなかった。そこで彼はそれを樽詰にして、その上に蝋(パラフィン)を塗って、そのまゝ倉庫に貯へておいた。然るに十五年を過ぎて欧州大戦が始まったので早速倉庫内より取り出して欧州の英軍に送ったところが非常にうまかったので歓迎されたといふことだ」
やはり同書に載っている。
図らずしもフリーズドライの
技術進歩を後押しするのは戦争と、耳にタコが出来るほどよく聞かされたところだが。上の如きを眺めるに、さもありなんと改めて納得せずにはいられない。
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