穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2020-01-01から1年間の記事一覧

生命力のえげつなさ ―久方ぶりの山梨で―

山梨は田舎だ。 変化に乏しい。 時間は駘蕩としてゆるゆる流れる。 が、停滞までには至らない。あくまで「乏しい」のであって、絶無といっては言い過ぎになる。 差異を求めてそこらを歩き、直面しては切なさに心慄わせるのも、私にとっては帰省の際の趣味の…

ノンパレール号の挑戦 ―明治初年の海外知識―

明治維新は漢学を、ひいてはその背景をなす漢文明の価値そのものを叩き落とした。 地の底までといっていい。まるで瘧の落ちるが如き容易さで、日本人は「中華」の魅力に不感症になったのだ。 それを象徴する顕著な例が、漢学書籍の投げ売りである。 牧師にし…

読売新聞命名奇譚 ―日就社の苦闘―

日就社が東京芝の琴平町に拠点を移し、新聞事業に手を染めたのは、明治七年十一月二日付けのことだった。 いわゆる読売新聞である。 (Wikipediaより、読売新聞創刊号) いま、私はさりげなく「読売」と書いたが、さてこそこの題字こそ、数多の事前準備の中…

「言い訳」撰集 ―末廣鉄腸、明治八年「曙新聞」社告篇―

人間の智慧がいちばん輝かしく発動するのはひょっとして、言い訳を考えているときかも知れない。 涙を流し、情に訴え、もっともらしい理屈を捏ね上げ。 自分が如何に憐れむべきいきものかを分かってもらい、少しでも頽勢を挽回しようと。 平常時なら思いもよ…

夢路紀行抄 ―脱衣ロッカー大迷路―

夢を見た。 転換激しい夢である。 最初は確か、工場だった。 私は灰色がかった作業服を着てベルトコンベアの前に立ち、延々と運ばれてくるプラ容器にハンバーグを詰める作業に没頭していた。 このあたり、背景を探るに難はない。 間違いなく夕飯の献立の影響…

北門の鎖鑰をして皇威を北彊に宣揚せよ ―第二期北海道拓殖計画―

福島県の復興に、政府が意欲を示したそうだ。 第一原発周辺の十二市町村へ移住する者に対しては、最大二百万円の支援金を与えるということである。 更に移住後五年以内に起業するなら、必要経費の四分の三――最大四百万円まで――を、向うが持って(・・・)く…

「砂利食い事件」の覚え書き ―大正九年の東京疑獄―

失態である。 前々から予定されていた明治神宮の鎮座祭――竣工したての御社(みやしろ)に、明治大帝の御霊を招く何より大事な神道儀式――の当日に、よりにもよって表参道の地面の一部が陥没したのだ。 五十万もの参拝客が文字通り殺到した所為でもあろうが、…

闇黒の霧の都より ―イギリス人の保守気質―

産業革命が実を結び、英国工業が黄金期を迎えつつあったあの時代。輝きが強ければ強いほど、影もより濃くなってゆく――そんな調子の俗説を、態々証明するかのように。 彼の地に蔓延る煤煙ときたら尋常一様の域でなく、ロンドンをして文字通り、暗黒の霧に鎖し…

ジョージ5世の前線視察 ―英国王と世界大戦―

以下はほとんど信ずべからざるエピソードだが、発信者のフィリップ・アーマンド・ギブス卿はあくまでも、「真実」と主張して譲らない。 第一次世界大戦の真っ最中に、英国国王ジョージ5世がドーバー海峡をひょいと跨いで、フランス首脳部と心温まるご交流を…

半世紀後の大都会 ―『サイバーパンク2077』をプレイして―

『サイバーパンク2077』が面白い。熱中し過ぎて、ブログに廻す気力さえ、ともすれば残らなくなりそうだ。 陰謀、暴力、裏切り、堕落――物語の舞台となるナイトシティは混沌たるエネルギーに満たされきった都市であり、その点極めて魅力的な場所である。 街を…

アジア主義者の肝試し ―京橋区の幽霊旅館―

毒が残っているやも知れない、素人捌きのフグ鍋を、好んで囲んだ江戸っ子のように。 あるいは狭い室内で、無数の兎を撃ちまくり、点数を競った仏人のように。 男というのは度胸試しが好きでたまらぬいきものだ。 (長谷川哲也『ナポレオン ―覇道進撃―』1巻)…

室戸岬讃美曲

詩(うた)がある。 ここ幾日か触れて来た、室戸岬にまつわる詩だ。 折角なので紹介したい。 こゝは四国の南端の日本八景随一の黒潮高鳴る室戸岬 豪宕(ごうゆう)雄大たぐひなき奇岩乱立狂ひ獅子波はくだけて花と散る 霊気遍満東寺(あづまでら)千古の法燈…

室戸岬の鯨組 ―とある羽刺の追想―

マグロ漁が盛んになる前、室戸岬は捕鯨で鳴らした土地だった。 幕末四賢侯が一、「土佐の老公」山内容堂が鯨海酔侯を号したように。 土佐の海には鯨が泳ぎ、ときに多過ぎるほど出没し、集団座礁(マス・ストランディング)を起こしては、臭気と悪疫の源と化…

太平洋上の遭遇 ―「しにかまんでゆく」漢たち―

千葉県銚子の港から、東に1700マイル。 太平洋のど真ん中で、二隻は出逢った。 方や日本の木造漁船、方やアメリカの石油タンカー。四十トン級がせいぜいな前者に対し、後者は圧巻の一万六千トン級だから、目方の隔絶ぶりたるや、大人と子供以上のものがあっ…

北門小話

「北海道では馬乗りでなければ選挙に勝てない。内山吉太が屡々勝利を博し得たのも、馬術に長じていたのが第一だ」 北海道の特殊性を表現するに、楚人冠はこのような論法を以ってした。 彼の地は広い。東北六県に新潟県を併せてもなお幾許(いくばく)か及ば…

福澤諭吉の戦争協力 ―『日本臣民の覚悟』―

引き続き、『学府と学風』に関して記す。 前回は書き込みばかりで少しも内容に触れられなかった。 今回はここを補ってみたい。 本書の中で小泉は、よく日清戦争の当時に於いて福澤諭吉が如何な態度を示したかを引き合いに出す。現在進行形で支那を相手に戦火…

慶應義塾出征軍人慰安会ヨリ ―八十島信之助の署名―

前の持ち主が意外な有名人だった。 昭和十四年発行、小泉信三著『学府と学風』のことである。 だいたい昭和十二年から十四年までの期間に於いて、小泉が行った講演・演説・祝辞の類を纏めた本書。その奥付に、以下の書き込みを発見したのだ。 昭和十四年十一…

ベルの燈台

フランス北西、ブルターニュ地方はキプロン半島の沖合に、ベル=イル=アン=メールという島がある。 優美な島だ。 名前からしてもう既に、その要素が含まれている。フランス語でベル(Belle)は「美しい」を、イル(Île)は「島」をそれぞれ意味するものら…

アメリカ三題 ―楚人冠の新聞記事から―

思わず声を立てて笑った。 楚人冠全集第十四巻、『新聞記事回顧』を読み進めていたときである。 頁を捲った私の眼に、このような記事が飛び込んで来たのだ。 嘗てパリの労働者間に酒類に代へて石油飲用の流行したることあり。又露国が戦時禁酒を行へる当時、…

1925年のダマスカス ―フランス軍、暴徒に対して爆弾投下―

1925年、シリア、ダマスカスの市街に於いて。 フランス軍は暴徒鎮圧に爆発物を投入し、ナポレオン・ボナパルトの勇壮な精神の輝きが遺憾なく受け継がれていることを内外に示した。 (長谷川哲也『ナポレオン 獅子の時代』13巻より) 順を追って説明しよう。 …

トルコアヘンは大人気 ―イスタンブールの日本人―

「ウチのアヘンはもの(・・)が違う。紛れもなく、世界最高品質だ。一度でもその味を知ってしまえば、二度と再び他国製では満足できなくなるだろう――」 そのトルコ人の自慢話がまんざら誇張でもないことを、大阪朝日の特派員・高橋増太郎は知っていた。 彼…

英雄的独裁者 ―特派員の見たトルコ―

1927年10月28日、トルコは死の如き静寂に包まれた。 政府がその威権を発動させて、全国一斉に外出禁止を布(し)いたのだ。 目的は、戸口調査こそにある。 オスマントルコ時代に行われていたような不徹底さを全然廃し、今度こそ完全に己が姿を直視せんと、当…

山吹色の幻夢譚 ―昭和七年のゴールドラッシュ―

昭和七年はゴールドラッシュの年と言われた。 水底(みなそこ)に沈んだ宝船、山奥に秘められし埋蔵金、海賊どもが無人島にたっぷり集めた略奪品――。 未だ見ぬ幻の黄金を求めて。遥かな時の砂の中から我こそそれを掘り出さん、と。日本全国津々浦々、誰も彼…

南の島のレッド・パージ ―緑の魔境の収容所―

ある日、牛が盗まれた。 ジャワ島東部、日本人和田民治が経営するニャミル椰子園に於いてである。 これが日本内地なら、迷わず警察に通報する一択だろう。一時間もせぬうちに附近の交番から巡査が駈けつけ、同情の意を表しながら現場検証に取り掛かってくれ…

切腹したがる子供たち ―志村源太郎・岡本一平―

志村源太郎という男がいた。 山梨県南都留郡西桂村の産というから、神戸挙一の生まれ故郷たる東桂村とはごく近い。 ほとんど袖が触れ合うような隣村関係といってよく、志村が日本勧業銀行総裁に、神戸が東京電燈社長の椅子に就いて以降は、互いに意識し合う…

盲人による美術鑑賞 ―寺崎広業、環翠楼にて按摩を試す―

箱根塔ノ沢温泉に環翠楼なる宿がある。 創業はざっと四世紀前、西暦1614年にまで遡り得るというのだから、よほどの老舗に違いない。 「水戸の黄門」こと徳川光圀をはじめとし、多くの著名人がその屋根の下で時を過ごした。 秋田県出身の日本画家、寺崎広業も…

天穂のサクナヒメ ―青木信一農学博士をかたわらに―

『天穂(てんすい)のサクナヒメ』を購入した。 『朧村正』を夢中になってプレイした過去を持つ私にとって、決して見逃せぬタイトルである。和を基調とした世界観といい、横スクロールアクション的な戦闘といい、かの名作を彷彿とさせる要素がてんこ盛りであ…

続・植民地時代のジャワの習俗 ―道路・散髪・美容術―

お国柄というものは、植民政策の上に於いても如実に反映されるらしい。 たとえばオランダ人は道路を愛する。 左様、その重視の度合いは最早偏愛としか看做しようのないものであり、このためたとえば和田民治が根を下ろしたジャワ島などは、網目の如く車道が…

植民地時代のジャワの習俗 ―出産・育児篇―

和田民治という男がいた。 明治十九年生まれというから、ちょうどノルマントン号事件が勃発した年である。 三十路を越えてほどもなく、蘭印――オランダ領東インドに渡った。 以後、およそ二十年もの長きに亘り、彼の地で開墾・農園経営に携わり続けた人物であ…

続・文明堂と帝国海軍 ―軍縮をきっかけとして東京へ―

宮崎甚左衛門が人に使われる立場から、人を使う立場に移行したのは、大正五年十月二十五日のことである。 この日、彼は佐世保の街に文明堂の支店を開いた。 一国一城の主になったのである。男としての本懐であろう。それはいい。ここで疑問とするべきは、 ――…