穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

善悪の彼岸

第一次世界大戦終結後、ヨーロッパには梅雨時の菌糸類みたくアカい思想が蔓延った。 イタリアで、ハンガリーで、ポルトガルで、方々で。もう明日にでも赤色革命が成るのではと危惧されるほど猖獗を極め、うち幾つかは実際問題、そう(・・)なった。 (赤の…

修学旅行へ、進路北

修学旅行の行き先に、北海道が選ばれた。 七月五日から十五日まで、十泊十一日の日程だ。 大正七年、東京女子高等師範学校本科四年生二十九名たちのため、組まれたプログラムであった。 (Wikipediaより、東京女子高等師範学校) 旅費は一人あたま二十円。現…

埋もれし過去

皇居の地面を掘り返したら、意想外のモノが出た。 大判小判がザックザク――だったらどれほど良かっただろう。だが現実には、それよりずっと生っぽい、命の最後の残骸的な、有り体に言えば人骨が、もうゴロゴロと出現(あらわ)れたから堪らない。 至尊のまし…

バター・マーガリン戦争小史

マーガリンをバターと偽り売り捌く。 馬鹿みたいな話だが、しかしこいつは実際に、明治・大正の日本で、しかも極めて大々的に行われた偽装であった。 マーガリンの価格は当時、バターの半分程度が相場。良心の疼きに目をつむりさえしたならば、双方の類似性…

いみじき者たち ー虚子と雪舟ー

およそ日本人にして雪舟の名を知らぬ者などまず居まい。 義務教育に織り込まれていたはずだ、室町時代の画家なりと。昔ばなしで情操教育を了えたクチなら、アアあの柱に縛られたまま足の指を動かして、涙でネズミを描いてのけた小僧かと、そちらの方でも合点…

逝ける友垣 ―直木と菊池―

直木三十五が死んだ。 東京帝大附属病院呉内科にて、昭和九年二月二十四日午後十一時四分である。 枕頭をとりまく顔触れは家族以外に菊池寛、廣津和郎、三上於菟吉、佐々木茂索等々と、『文芸春秋』関係の数多文士で占められて。――そういう面子で、直木の最…

より安く、より多く、より楽に

「横着」こそ発展の鍵、「簡便化」こそ文明第一の効能だ。 多年に亙る訓練に堪え忍んだ玄人と、苦労知らずの素人の差を科学技術で補填する。煩雑な手間をなるたけ省き、ほんの僅かな労力で、従前同様、否、それ以上の良果を獲られるようにする。 ただ湯を沸…

敗亡ライン

仏のボルドーに張り合えるのは、独のリューデスハイムを措いて他にない。 欧州世界の一角で、斯く謳われたものだった。 ワインの出来の話をしている。ひるがえってはその素材たる、ブドウの出来の話を、だ。 (Wikipediaより、リューデスハイム) 埃を払って…

あの日、彼らは

人の悪い趣味やもしれぬ。 昭和二十年八月十五日、敗戦の日の追憶を掻き集めるのがこのごろ癖になっている。 (Wikipediaより、玉音放送を聞く人々) 大日本帝国の壊滅を当時の日本人たちがどんな表情で受け止めたのか、そもそも受け容れられたのか、感情の…

岩崎商店家憲六条

六首の歌が岩崎商店の家憲であった。 「祖父が我々子孫のために、智慧を絞って記して置いてくれまして――」 と、三代目当主・清七は言う。 三菱創業の一族とまったく同じ姓ではあるが、血の繋がりは、べつに無い。 下野国の一隅で、代々醤油製造と米穀肥料を…

福澤精神、ここにあり

「商売といふものは国旗の光彩に依って発展するものである。又商売の進度に依って国旗の光彩が随伴する」。――青淵翁・渋沢栄一の言葉であった。 国威と国富の関係性の表現として、なかなか見事なものである。 一生懸命寝る間も惜しんで努力して、良品を製造…

人間世界に風多し

およそ人の手が織り成す中で、難癖ほど製造容易な品はない。 理屈など、捏ねようと思えばいくらでも捏ねくり回せてしまうのだ。 ――御一新から間もなき時分、度重なる出仕要請をあくまで拒否し、「野の人」たるに拘った、町人主義とも称すべき福澤諭吉の姿勢…

乱読讃歌

「最近の若い娘ときたら、えらくひ弱くなっちゃって」 明治生まれのアラフィフが、口をとがらせ言っていた。 「苦労知らずな所為だろう。薪割りに斧をふるったり、くらくら眩暈がするくらい火吹き竹を使ったり。つるべで井戸から水を汲む、あのしんどさも知…

新聞哀歌

『毎日新聞』の前身に『東京日日新聞』がある。 明治五年に旗揚げしたる、なかなかの老舗ブランドである。 紆余曲折を経ながらも号を重ねて半世紀。創刊五十周年記念と題し、同社が掲げた辞(ことば)というのが面白い。 「新聞の勢力は、増すとも減ることは…