穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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歴史

日露戦争士気くらべ

ロシアの兵士は昔から、味方の負傷を喜んだ。 近場のやつが血煙あげてぶっ倒れれば、そいつを後送するために、きっと人手が割かれるからだ。ああ願わくば我こそが、光輝あふるるその任にあずかり賜らんことを。なんといっても合法的に前線を離れるチャンスで…

濃尾地震と福澤諭吉 ―「明治」を代表する個人―

募金という行為について、もっとも納得のいく説明を聞いた。 例によって例の如く、福澤諭吉からである。 明治二十四年十月二十八日、日本が揺れた。本州のほぼ真ン中あたり、濃尾平野で地震が発生。放出されたエネルギーは、マグニチュードにして8.0、内陸地…

才子たち ―森有礼と石田三成―

英国籍の商船が、荷降ろし中に誤って石油樽を海に落とした。 当時の世界に、ドラム缶は未登場。ネリー・ブライがそれをデザインするまでは、もう十三年を待たねばならない。 (Wikipediaより、ネリー・ブライ) 落下着水の衝撃に、ドラム缶なら堪えたろう。…

明治のNIMBY ―伝染病研究所が芝区に与えた波紋について―

時は明治二十六年、芝区愛宕町の一角に伝染病研究所が建設されつつあった際。同区の地元住民が巻き起こしたる猛烈な反対運動は、わが国に於けるNIMBY(ニンビー)の嚆矢と言い得るか。 (芝公園増上寺) NIMBY。 Not In My Backyardの頭文字から成立する概念…

日本人と禁酒法 ―「高貴な実験」を眺めた人々―

禁酒論者の言辞はまさに「画餅」の標本そのものである。 一九二〇年一月十七日、合衆国にて「十八番目の改正」が効力を発揮するより以前。清教徒的潔癖さから酔いを齎す飲料を憎み、その廃絶を念願し、日夜運動に余念のなかった人々は、酒がどれほど心と体を…

赤い国へ ―鶴見祐輔、ソヴィエトに立つ―

革命直後のペテルブルグでとみに流行った「遊び」がある。 凍結したネヴァ河の上で行う「遊び」だ。 それはまず、氷を切って下の流れを露出させることから始まる。 (冬のネヴァ河) これだけ聞くとワカサギでも釣るみたいだが、しかし穴の規模はずっと大き…

おひざもとの蓆旗

――あのころの江戸は酷かった。 遠い目をして老爺は語る。 彰義隊の潰滅直後、「明治」と改元されてなお、人心いまだ落ち着かず、荒れに荒れたる百万都市の有り様を。 その追憶を、落ち窪んだ眼窩の底に満たし、言う。 私の十五六の時分ですから、今から六十…

鶴見と笠間 ―一高生たち―

言葉は霊だ(・・・・・)と鶴見祐輔は喝破した。 外国語の修得は、 単語を暗記し、 文法を飲み込み、 発音をわきまえ、 言語野に回路を作れても、 それだけではまだ不十分。 いや、学校のテストで合格点を取ることだけが目的ならば、それで十分「足る」だろ…

開港前夜 ―二千両の目隠しを―

「黒船来(きた)る」。 その一報が、箱館を恐慌の坩堝に変えてしまった。 安政元年のことである。 この年の春、三月三日。神奈川の地で日米和親条約が締結された。 (Wikipediaより、日米和親条約調印地) 全十二条に及ぶ内容のうち、第二条目にさっそく開…

北陸の岸 ―白砂青松に至るまで―

越後にこういう話がある。 直江津から柏崎に至るまで、十三里に垂(なんな)んとする沿岸地帯。元来あそこは緑の稀な荒蕪地であり、強い北風が吹きつけるたび、砂塵を巻き上げ、人の粘膜を傷付けて、とても居住に適さぬ場所であったのだ、と。 (直江津港附…

海の屯田 ―明治人たち―

ルドルフ・フォン・グナイストはプロイセンの法学者である。 腕利きの、といっていい。その名声が一種引力として作用して、相当数の日本人が彼のもとを訪れた。教えを請い、啓蒙を得、草創間もない祖国日本の法整備を志し、意気揚々と引き揚げてゆく極東から…

落日近し ―戦場心理学瑣談―

ここに手紙がある。 差出人は名もなき軍医。支那事変の突発後、召集に応じて大陸へ馳せた無数のひとり。黄塵乱舞す彼の地から、山紫水明、日本内地の医友へと書き送ったものである。 内容に曰く、 近頃内地からの慰問団や慰問文・新聞・雑誌などから受けるも…

通史の常連 ―旧陸軍と高島秋帆―

わがくに陸軍の「通史もの」を繙くと、まず結構な確率で高島秋帆の名前が出てくる。 勝海舟の『陸軍歴史』にしてからが既に然りだ。「天保十一年庚子高島四郎太夫ノ建議ハ暗ニ後年我邦陸軍改制ノ事ヲ胚胎スル」と、劈頭一番、序文にもう含まれている。どれほ…

明治の捕鯨推進者 ―讃岐高松、藤川三渓―

『捕鯨図識』が面白い。 読んでそのまま字の如く、クジラという、地球最大の哺乳類につきあれこれ綴った本である。 (Wikipediaより、ザトウクジラ) 著者の名前は藤川三渓、讃岐の人、文化十三年の生まれ。黒船来航前後から藤森天山・大橋訥庵等々の「勤皇…

狼の価値 ―一匹あたり二十万円―

「狼一匹を駆除するごとに、三円の報奨金を約束する」――。 そんな布告を北海道開拓使が出したのは、明治十年のことだった。 (Wikipediaより、開拓使札幌本庁舎) この当時、一円の価値は極めて重い。小学校の教員の初任給が九円前後の頃である。たった三匹…

続・ドイツの地金 ―何度でも―

ナチ党による独裁が確立して以後のこと。 ドイツ国内に張り巡らされた鉄道網。その上を走る汽車のひとつに、日本人の姿があった。 べつに政府関係者でも、大企業の重役でもない。ただの単なる旅行客、それも気ままな一人旅である。 彼の傍には地元民らしき少…

屯田兵の記憶 ―会津藩士・安孫子倫彦―

明治八年、最初の屯田兵たちが北海道の地を踏んだ。 青森県より旧会津藩士四十九戸、宮城県より仙台士族九十三戸、山形県より庄内士族八戸、その他松前士族等々、合計百九十八戸に及ぶ人間集団が青森港から小樽の港に渡ったのである。 その中に、安孫子倫彦…

ドイツの地金 ―敗れても―

一九一九年、敗戦直後のドイツに於いて、二人の男が自伝を世に著した。 一人はアルフレート・フォン・ティルピッツ。 もう一人はパウル・フォン・ヒンデンブルク。 どちらも名うての軍人であり、多分の英雄的側面をもつ。 ティルピッツに関しては、以前の記…

紳士たちの戦争見物

日清戦争の期間中、現地に展開した皇軍をもっとも困惑させたのは、清国兵にあらずして、イギリスの挙動こそだった。 そういう記事が『時事新報』に載っている。明治二十八年三月二十四日の上だ。曰く、「我軍が敵地を占領するの場合に、彼(イギリス)の軍艦…

未来は過去の瓦礫の上に ―青函連絡船小話―

小麦に限らず、艀荷役はよく積荷を落っことす。 何処かの誰かが到着を今か今かと待ちわびている大事な品を、些細なミスからついつい海の藻屑に変える。 大正十一年度には、青函航路――青森駅と函館駅との間を結ぶ、片道ざっと113㎞のこれ一本をとってさえ、実…

真実の聲 ―常在戦場、至難なり―

「痛え、医者を呼んでくれ」 岐阜で兇漢に刺された際、板垣退助が本当にあげた叫びとは、こんな内容だったとか。 まあ無理からぬことである。 死の恐怖を、それもだしぬけに突き付けられて、泰然自若とふるまえなどとそれこそ無理な注文だ。 (維新直後の土…

続・福澤諭吉私的撰集

もう少しだけ福澤諭吉を続けたい。 ――明治維新にケチをつけたがる類の輩が愛用する論法に、アレは市民革命ではない、支配階級すわなち武士同士の内ゲバに過ぎない、よって不徹底も甚だしく未完成もいいところだとの定型がある。 が、福澤諭吉に言わせれば、…

福澤諭吉の戦争始末 ―領土経営の方針如何―

鎌倉幕府は、頼朝は、奥州藤原氏を滅ぼした。 が、彼の地にうごめく無数の民を真に屈服させ得たかというと、これは大いに疑問が残る。 なんとなれば津軽に於いて、「口三郡は鎌倉役でも、奥三郡は無役の地」と呼ばれたように。 この時代を象徴する土地制度――…

奸商、姦商、干渉ざんまい

西暦一六四一年、江戸時代初期、三代将軍家光の治下。寛永の大飢饉がいよいよ無惨酷烈の極みへと達しつつあったその時分。幕府の命で、三十人の首が斬られた。 比喩ではない。 そっくりそのまま、物理的な意味で、である。 彼らに押された烙印は「奸商」ない…

総力戦まであと三日 ―準備せよ、準備せよ、準備せよ―

一九三九年九月一日、ドイツ、ポーランドに侵攻開始。 「二十年の停戦」はここに破れた。第二次世界大戦の開幕である。フェルディナン・フォッシュが嘗て危惧したそのままに、世界は再び一心不乱の大戦争へどうしようもなく突入してゆく。 ドイツの動きは早…

続・末期戦の一点景 ―大英帝国、備蓄なし―

一九一四年八月四日、イギリス、ドイツに宣戦布告。 それからおよそ二ヶ年を経た一九一六年十月時点で、小麦の値段は十三割増し、小麦粉の方も実に十割増しという、紳士たちが未だかつて経験したことのない、大暴騰が発生していた。 産業革命以来、海外の低…

末期戦の一点景 ―餓鬼道に堕ちたヨーロッパ―

戦争は次のステージに進んだ。 畢竟、勝利の捷径(ちかみち)は、敵国民の心を折って戦意を阻喪せしむるに在り、その目標を達成するに「兵糧攻め」――慢性的な食糧不足を強いるのは、大規模な空襲と相並んで極めて有効な一法である。 今日でこそありきたりな…

挑発には挑発を ―英国貴族と労働者―

「戦争は富める者をいっそう富ませ、貧しき者をより貧しく、唯一の資本たる健康な肉体さえ損なわしめた。金欲亡者がぶくぶく肥り、我が世の春を謳歌する蔭、祖国のために義務を尽した勇士らが、路傍で痩せこけ朽ちてゆく。諸君! こんな不条理が許されていい…

遺恨三百 ―歳月経ても薄まらず―

憎悪は続く。 怨みは消えない。 復讐は永久に快事であろう。 幕末維新の騒擾がどういう性質のものだったかは、東征の軍旅が関ヶ原を通過した際、薩摩藩士の発揮したはしゃぎっぷりによくわかる。 「いよいよ二百余年前の仇討ができる」と喜び勇み、一行の中…

濠洲小話 ―ファースト・フリート―

見方によってはアメリカ独立戦争こそが、オーストラリアの産婆役であったと言える。 (Wikipediaより、レキシントンの戦い) 一七七五年四月十九日、開戦の号砲が鳴る以前。イギリスからは毎年およそ千人前後の囚人が、北米大陸に送り込まれる「流れ」があっ…