明治六年の発布以後、徴兵令は数次に亙って改訂され、補強され。より現実の事情に即した、洗練された形へと、段々進化していった。
初期のうちには結構あった「抜け道」、裏技の類にも、順次閉塞の目処がつき。
だが、なればこそ横着なる人心は、僅かに残った
――「戸主六十歳以上の嗣子は徴兵を猶予せらるゝ」。
(Wikipediaより、徴兵検査通達書)
当局は何故こんな規定を態々設け、留めて置くに至ったか? 理由は、まあ、色々と、複雑多岐な事情とやらを勘案してのことだろう。
だがしかし、齎した結果は単純である。
ブローカーの跳梁だ。
「…
明治十七年二月二十七日の、『朝野新聞』の記事だった。
子供のいない老人の戸籍が裏で高値で取引される、彼らと養子縁組をして徴兵検査を逃れんがため、極大まで誇張した言い回しを用いれば、「子供の未来を守るため」――。
構図だけなら『Solid State Society』を幻視しなくもない情景だ。
老人どもが戸籍を提供する
とまれかくまれ、現代の貨幣価値に換算すれば百万以上を積んででも「兵役逃れ」をせんとする、横着なる人の群れ。
その不様さと卑劣さに目を三角にした者も、むろんのこと多かった。
福澤諭吉も、うちの一人に数え入れていいだろう。もっとも流石に福澤は、自己の憤懣を表現するに、「根性なしのコンニャク野郎、それでも日本男児か貴様、その不細工なツラの皮、一ミリたりとも余すことなく剥ぎ取って河豚提灯にしてやらァ」――
具体的には、こんな風に言ったのだ。
「いいこと考えた。ひとつ神社を建てようぜ。祭神は平維盛と、その伯父君の宗盛な。そう、富士川の一戦で、鳥の羽音に驚いて闘いもせず逃げ出した、史上屈指の臆病者たる彼らだよ。この社に詣でれば、あらゆる武運はするりと貴公を見放し申すと宣伝するんだ。日本全国津々浦々から、腰抜けどもが賽銭握って殺到するに違いない。素敵な儲けになるんじゃねえか、これはよう――」
『朝野』の記事に先駆けること一月余り、一月九日発行の『時事新報』にて、ぶちかましたる展望である。
本人の筆をそのまま味わいたいのなら、以下一読を希う。
「…神官は満六十歳以上十七以下、願ふても叶はぬ
畳み込むような名調子といっていい。
義務は全然回避せよ、而して権利は声を限りに主張せよ。
自分一個にとってのみ周囲のあらゆる環境が都合よかれと希う。国から、あるいは社会から、なるたけ多くの甘い汁を啜らんと、垂涎三千尺でいる。あまつさえ、それを実現させる手管を「賢さ」と呼ぶ醜悪さ。
爛熟を迎えた文明が、やがて陥る退廃の一典型ではあるのだが――。
明治十七年の段階で、福澤諭吉の両眼には、その下り坂の運命が、民族として劣化してゆく日本人の有り様が、鮮明に見えていたのでないか。
それを予防するためにこそ、ことさら筆に毒を籠め、批判を承知で上の如きを
(福澤諭吉、サンフランシスコにて撮影)
あと六ヶ月で福澤諭吉は一万円の
その寂しさが、あるいは私の判断に影を落としているのか知らん。
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