「農に生まれて農に生き、土に親しみ土に死す」。
日本農民組合が成立間もなき草創期、
短く、そして頸烈な、意とするところを見る者に誤解の余地なく叩き込む、名文句だと心底思う。

しかし同時に、以下の思いも兆すのだ。「日本の小説を読んでみる。繊細微妙なその美しさに感歎した。しかし誰も彼も、無意識に寄ってたかってプルーストをやってゐたのだ、つまり死ぬ練習をしてゐたのだ、もう良い加減に、生きる練習をしやうではないか」──作家・横光利一を辟易せしめた日本人
随筆、小説、評論文、何でもいいが古書に触れるとよく分かる。
「死」に対する距離感が、全体的に近いのだ。
昔と今との死生観の隔たりを、紙面を通して、まざまざ実感させられる。
人はどう生き、どう死ぬべきか。たった一つの尊い命を、何の為に使うのか。至高と仰ぐに十分な、人生を貫く主題は
今日び中学二年生であろうとも気恥ずかしさが先立って公々然とは語れない、そんな「青い」命題を、いい歳をした大人らが本気になって苦悩して、議論に花を咲かせ合い、答えを求めて手を伸ばす。
ある者はこの試みを、「自我の統一」なる語を以って表した。
「根無し草のやうに足の地に着かぬ、ばらばらに分裂した生活を送るといふことは知恵の実を味った神経の病的に鋭い近代人に取って、堪え難い苦痛である。何とかして自我に統一を与へねばならぬ。かくして一部の人は自分の内部のある一つの欲望を以て、強ひて他のものを圧迫し、その慾望を出来得る限り赤熱させる事に依って、望む所の内部の統一を獲得した、肉体の享楽に沈湎する人とある主義信念に一身を捧げて猛進する人がそれである」
受け取り方次第では、大正・昭和の文士らの乱脈ぶりの擁護のようにも聞こえよう。
韜晦した言い回しは止めにする。「ある者」のベールを引っぺがそう。コレの書き手は米川正夫、ロシア文学翻訳の雄。日ソ親善協会の理事なぞも務めておった彼である。
もし米川の見解を全面的に容れるなら、大正末から昭和にかけて日本中を風靡した、所謂エログロナンセンスの世相にも、その裏側には存外な人間性の深淵が身を横たえていたらしい。そんな観察も、あるいは成り立つことだろう。
「最早妙圓な浄智も濃やかな優情も健やかな士気もない。凡て深みを欠いて平面的になって居る」──当時の世相を俯瞰して、安岡正篤は斯く慨したが。
なかなかどうして、捨てたものでは無いではないか。
日本人の底力には、常に期待していたい。
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