穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

夢路紀行抄 ―嗚呼懐かしのセンター試験―

夢を見た。 鉛筆を削る夢である。 夢の中、気付いてみれば私は懐かしのセンター試験会場に立ち返っていた。 人生を決める大一番――。 ところが斯くも重要な試験に、これはなんたる不注意か、ペンケースの中には万年筆しか入っておらず、シャーペンも鉛筆も消…

「射撃教範」と呼ばれた春画 ―日露戦争裏表―

日露戦争中、動員の下った第八師団はひとまず大阪に集結し、この地に三週間ほど滞在してから漸く日本海の波濤を越えて、大陸の戦野を踏んでいる。 『萬年中尉』を著した彼、薄田精一少尉にとって、この三週間ほどじれったい想いを味わったことは他になかった…

稲葉厵隣の「いろは歌」 ―古本まつりの収穫物―

目下開催中の第60回神田古本まつりに於いて、良書を得た。 昭和九年刊行、羽太鋭治著、『浮世秘帖』なる本である。 本の概要や著者の経歴などはまた別の機会に譲るとして、今回特筆大書しておきたいのは、この中に掲載されている「いろは歌」についてこそ。 …

萬年中尉と和井内貞行 ―十和田湖ヒメマス物語―

十和田湖は、かつて一匹の魚影だに認められない湖だった。 (十和田湖) 鏡面と見紛うばかりに澄み渡る、斯くも広々とした湖に、およそサワガニ以外の魚介類が皆無。神秘的ですらあるこの現象は、十和田湖がカルデラ湖であるに依る。 五万五千年前から一万五…

万年中尉の名演説 ―寝ても起きても、故郷のことを忘れるな―

「寄贈」「横須賀海軍病院患者文庫」 表紙には斯くの如く印されている。 本の題名は『萬年中尉』。昭和十三年刊行、著者である薄田精一は、その昔士官候補生として軍務に励み、しかしながら中途にして病を得、軍籍離脱を余儀なくされた経歴を持つ人物で、な…

田中正造伝・後編 ―大空の月は昔の月ながら―

田中正造は激怒した。全身の毛穴という毛穴から血を噴かんばかりに激怒した。 黄金の毒はみるみるはびこりて行政機関打ちとまるなり 役人は庚申様に早変り見まい聞くまい話すまいとぞ この時期に、彼の作った歌である。 栃木県では十万の民草が鉱山の毒に呻…

田中正造伝・中編 ―政治をやってゐる間に―

足尾銅山について探ってみると、その歴史は存外長い。古く慶長の昔から採掘が行われていたのが分かる。 慶長と言えば、関ヶ原の戦いが起こった元号――江戸時代の草創期だ。 その時代から銅を産した足尾の山も、しかし江戸中期ごろからめっきり産出量が先細り…

田中正造伝・前編 ―大隈重信への傾倒―

死んでから佛になるはいらぬこと生きてゐるうち善き人となれ 政治の道を歩みたいと志をぶちまけた息子に対し、父は山本玄峰の狂歌を与え、「やるのならばとことんやり抜け」と激励した。 息子の感激ただならず、三日間の斎戒の後、その実行を神祇に誓うこと…

明治鉄道物語 ―大隈重信、四面楚歌―

前回の記事に引き続き、汽車と日本人の関わりについて、もう少しばかり触れてみたい。 鉄道、ガス灯、電信柱は文明開化を象徴する、言ってしまえば「三種の神器」だ。中学、否、高校の歴史教科書に於いてすらも、一読すればこれら「文明の利器」の数々が維新…

汽車に乗った江戸時代人 ―村垣範正、青木梅蔵―

野も山も見るめとまらずいとどしく轟はしる車なりけり 万延元年(1860年)、江戸幕府最初の遣米使節として海を渡った新見豊前守正興一行――彼らは同年閏三月六日に、パナマから汽車で東海岸へと抜けている。 ワシントンにて、日米修好通商条約の批准書を交換…

尾崎行雄と脱亜論

尾崎行雄はとにかく日本の悪口を言う。手当たり次第に罵倒する。そのくせ英米を筆頭とする西洋文明に対しては、彼の毒舌はまったくなりをひそめてしまい、却って美点ばかりを取り上げるから ――外尊内卑の軽薄漢。 ――盲目的な西洋崇拝。 等々と、当時から雨の…

天皇と雨 ―幌を取り去れ―

記録的豪雨を観測した翌日だ。 何か、雨にまつわる記事でも書こう。 そう思ったとき、真っ先に浮かんだのが昭和天皇の竜顔だった。 陛下がまだ御幼年――皇太子殿下であらせられた時分の話だ。ご見学のため、佐渡ヶ島を訪問する機会があった。 現地の人々はこ…

迫る台風、募る心労

大正時代に活躍した医学者にして文筆家、小酒井不木はその著書に於いて、 病中癪に障るものの一に検温器がある。検温器そのものが癪に障るのでなくて検温器の示す度数が癪に障るのである。よく考へて見れば検温器は正直に体温を示してくれるのであるから少し…

檜と赤福 ―『明治の御宇』より、伊勢神宮に纏わるこもごも―

二十年周期で伊勢神宮は一新される。 二つの正宮、十四の別宮、鳥居、御垣、装束、神宝等々、果ては宇治橋に至るまで、一切合切総てがだ。 その造営のために用いられる木材は、悉皆檜でなければならぬと『明治の御宇』にて栗原氏は書いている。 それも檜であ…

夢路紀行抄 ―墓参り―

夢を見た。 死者と話す夢である。 祖母の墓に詣でるために山奥の実家に向かったところ、なんと遺骨壺に納められたはずの祖母その人が、玄関口で 「てっ、よく来たじゃんけ」 と大層賑々しく出迎えてくれたからたまらない。 視界がくるめくような戸惑いに襲わ…

皇族と馬 ―名馬墨流號物語―

先日の記事に引用した栗原広太著『明治の御宇』には、動物の話がふんだんにある。 たとえば馬だ。 機械力の未発達なこの時代、生活の随所に活用されていたのは動物力こそであり、特に牛馬は農耕・輸送・数多の面でなくてはならない存在だった。 人間と馬との…

明治天皇望郷の念

多くの人にとって、故郷とは特別な味を持つものだ。 それは畏れ多くも至尊に於いてすら例外ではないらしい。英邁と名高き明治天皇の御製の中に、次のような一首がある。 春秋の花はもみぢにこひしきは昔住みにし都なりけり 1868年10月13日の東幸以降、旧江戸…

唱歌「神嘗祭」

神嘗祭(かんなめさい)が近づいている。 豊穣を齎してくれた感謝を籠めて、その年に採れた穀物を、伊勢の皇大神宮に供え奉る宮中行事だ。この祭事に合わせて伊勢神宮では御装束・祭器具を一新するから、「神宮の正月」とも通称される。 この上なく重要な儀…

徳川幕府と大英帝国 ―後編―

その日、1616年9月1日。 アダムスはリチャード・コックスを伴って登城した。 家康の名の下に許可されていた英国の様々な特権を、新たな「天下様」である秀忠の治下に於いても保証してもらわんがためである。 言うなれば、契約の更新だった。 (Wikipediaより…

徳川幕府と大英帝国 ―中編―

ウィリアム・アダムスの介添えにより、ジョン・セーリスの対日交渉は彼自身信じかねるほどうまく運んだ。 そのあたりの消息を、略譜風に述べてみたい。 1613年 1月某日、セーリス、バンタムを出航。 6月11日、平戸へ到着。平戸領主松浦法印鎮信、江戸に急報…

徳川幕府と大英帝国 ―前編―

1611年4月、イギリスはテムズ川の河口から三隻の船が外洋へと旅立った。 船団を率いるはジョン・セーリス。当時の国王・ジェームズ一世の国書をあずかり、遥か極東の島国に届け、以って通商を開くことが彼に与えられた使命であった。 それからおよそ一年半後…