この一報に、
「ただでは済まない、何かが起こる」
朝野官民のべつなく、実に多くの日本人が同じ戦慄に苛まれ、神経過敏に陥った。
まあ、無理はない。
なにせ、時期が時期だった。
明治四十四年十二月下旬なのである。
誰がどう見ても数百年に一度の変事。トンネル長屋の日雇い人足だろうとも、道で拾った新聞片手に
――過渡期だな。
と、訳知り顔で物々しく頷いたに相違ない、漢民族の正念場。新たな秩序が
これで劇的想像を掻き立てられねば嘘だろう。
(トンネル長屋)
門司港より船に乗るため、西下してゆく頭山満の行く手には、寒気も厭わず、記者がわんさか待ち構え、おまんまの種ござんなれと瞳をギラつかせていた。
頭山満は気前のいい男であった。
彼らの期待を裏切らないでやっている。『大阪毎日新聞』記者のインタビューに答えて曰く、
「一体今度の革命乱は外部の刺戟とか他人の煽動とかの為に起ったものぢゃない。全く時運が之を促したので、革軍は廃帝や共和政を頑固に主張してゐるから生易しい事ではウント言ふまいよ。ぢゃとて双方共随分金子に窮して居るから、講和成立と否とに拘らず先立つものは金で、困ったことさ、しかし之はお隣ばかりじゃないよ。日本だって財政の遣繰に
流石、頭山ほどの男となると、
糧道の確保は蓋し至上命題だ。補給を断たれて、孤立して、時々刻々と、みすぼらしさだけ弥増して、――そんな人間集団に、
(夢野久作『近世快人伝』より)
頭山は更に
「俺が上海へ着くのと前後して、孫逸仙も同地に着くさうだが、俺や犬養との間に何か黙契があるのだと御悧巧連は口喧しく言って居るが嘘ぢゃ。偶然出会するやうな訳になるのぢゃ。孫は大分軍資を調達して居る様子だから革命軍は当分兵糧が続くかも知れぬ。何しろ武器弾薬ドッサリの外に、一千万円のお土産があるとは耳寄りぢゃないか」
人間万事、金の世の中。
国を転覆させるにも、新たに興すも、守るにも、要り用なのはカネである。
そう仄めかす頭山満の格好は、
訊けば、折からの痛飲により腹がキリキリ痛むがゆえの、已むを得ざる措置だとか。
(これで船旅に堪えられるのか)
あるいはそんな危惧、不安、余計な心配、節介が、インタビュワーの脳中をかすめていったやもしれぬ。
鉄路の比でなく、海路は揺れる、それが頭山の胃腸に対し、どんな作用を及ぼすか――。
そこを慮ったとして、さまで不思議はないだろう。
大陸では十二月二十八日に清朝最後の皇族会議が開かれて、翌年一月一日には中華民国が正式に呱々の声をあげている。
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