穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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幸福と不幸 ─分水嶺を見極めよ─

 


 タウンゼント・ハリスの名前は果たして歴史教科書に掲載されていたろうか?


 筆者の記憶は、この点ひどく曖昧である。個人的には記載されるに値する名前であると信ずるが、さて。

 

 

Townsend Harris Portrait by James Bogle 1855

Wikipediaより、タウンゼント・ハリス)

 


 ぜんたいハリスとは何者か。


 試験でこう問われたら、「和親条約締結後、最初の米国総領事として来日した人物である」と答えておけば大過ない。


 ハリスは日記をつけていた。


 この極東の島国に赴任してくる以前も以後も、その習慣は変わらない。

 

 実に尊き筆まめぶりであったろう。


 なにしろ時期が時期である。大和島根に人が生え、国を成してからこっち、前例のない大変動期の只中だ。お蔭でその生活記録は第一級の歴史資料的価値を帯び、書き手が歿して三ケタ年が過ぎてなお、多くの興味を集め続けて読み手が絶えることもない。そういう意味でハリスとは、本来の寿命を遥かに超えた、悠久の生に揺蕩う者とも言い得よう。

 

 

 


 彼の日記の某所には、

 


「神経の昂奮することの多きに加へ日本の地は蚊が多く眠れぬ、早々起きて寺の本堂に米国領事館旗を立てんとしたところ今度は風が強くて遂に竹竿が折れ国旗が落ちてしまった、多数の本国水兵の手で漸く立直したが、日本も恐らくこのやうに幾多の困難なことにぶっつかるであらう。自分が領事として日本に来たこのことは、果たして将来日本のために幸福となりうるや否や

 


 このような記述があるらしい。


 初めての土地、慣れぬ環境になじむまでの不安ないしは不具合を、この国が置かれた政治的窮状に重ねたわけだ。


 一見なんてことないが──。


 この一節に、妙に執心した者がいる。


 渋沢栄一現在一万円札の肖像画としておさまっている彼である。

 

 

 


 勤王の志士を前歴とする、――幕末・維新の風雲をじか・・に潜った身としては、このときハリスが抱いた危惧に風馬牛ではいられなかったようである。

 

 ある種、特別な感慨を催したのは確かなことだ。


 昭和二年、まさに蚊軍の襲撃にハリスがさんざん手こずらされた伊豆下田の寺・玉泉寺の境内に、彼の事績を讃えるための記念碑が建立された際に於いても、その除幕式に出席した渋沢は、やはり例の日記からこの一節を引用し、


「お蔭さまにて日本はまことに幸福となりました」


 と答えることで、列席した米国大使マクベー以下を非常に感動させている。

 

 

Gyokusenji temple shimoda 2007-02-24

Wikipediaより、玉泉寺)

 


 やがてマクベーの方からも演説があり、

 


当時の日本は諸外国環視の前に立って危機の分水嶺に立ってゐた、ハリス氏の眼をもってしても七十年後の御代が今日の如くに平安幸福ならんとは透視し得なかった。併しながら日本も今日普通選挙が布かれ選挙権の大拡張を見たことはまさにこの分水嶺に立ってゐるともいへる、かくの如く一時にしかも平穏のうちに選挙権の大拡張を見たことは列国に例がない、ハリス氏のいった危険なるや幸福なるやは矢張り今日において再び日本の将来に向ってもいひ得る、幸にハリス氏の憂慮が杞憂であったと同様に普通選挙施行による危険幸福の分水嶺が今後幸福の方であって欲しいと祈るものである

 


 三十分にわたったそれを、こんな言葉で結んだということだった。

 

 

 

 

 


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