そのころ汽車はよく落ちた。
「外れた」と換言してもいいだろう。
もちろんレールの上からだ。脱線事故を指している。大正・昭和の昔時に於いて、その種の災禍は珍しくない。我が故郷たる山梨にても、大正時代の

例年にない猛暑によって日射に灼かれた鉄道が、いわゆるひとつの熱膨張を惹き起こし、それが延々「二十哩も三十哩も順押しに膨張した為に、遂に峠の上で軌道が膨らみ上ってそれを線路工夫がうっかりして居った為に汽車がそれへ乗り上って顛覆谷底へ」真っ逆さまに落ちていったと、藤原咲平の講演中に見出せる。
死傷者は、かなりの多きにのぼったそうだ。

一九六〇年代、学生運動
如何に甲州という土地が、夏は炮烙みたいに暑く、冬は氷室の底より寒い、造化の神の当てつけみたいな土地だとしても、これは流石に驚かされる。
なお、ついでながら、藤原咲平「お天気博士」は山梨県と境を接する信州長野県の産。
「私は一体信州の養蚕家に生れまして蚕を飼ふ上に非常に天気の事が影響する、それでどうかして明日の天気を確実に知る事が出来たならば実に有利であらうといふことが子供の時代には始終念頭に」あったのが、長じて後に気象学を志す、一因だったということだ。

(諏訪湖にて撮影)
日本民族はその
──村瀬秀二
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