世の中は、何かにつけて計画通りに行かぬもの。
「どんな完璧な計画も、実行に移した瞬間から崩れ始める」。これは戦場の霧の中から紡ぎ出された文句だが、平時の社会生活上にもある程度、応用できぬこともない。
浅草名物「十二階」こと凌雲閣も、その成立を探ってみればほとんど目も当てられないような、不如意不都合想定外の連続だったということが、気の毒ながら見えてくる。
(Wikipediaより、凌雲閣)
明治ニッポン最高の──純粋に、物理的な高さの意味で──建築物たる彼の塔は、完成までに出資者を相次ぎ破産させた上、聳え立った「事故物件」ならしいのだ。
「初め総費用一万六千円で、三万円位までなら出してもいいといふのが──当時としては相当の大建築費──予算であったが、いざ取りかかって見ると、あとからいろいろの入用が起り、一万六千円は基礎工事だけに使ひ果されてしまったといふほどである。これがため、最初の出資者は八階まで築いた時全く破産してしまった。その次を受けた人は十階で、もろくもへたばって終ひ、遂に発狂し、『この塔は俺の命で立てたものだ』と悲壮な叫びを挙げて悶死する騒ぎ。第三人目の出資者が十二階までやっと作り上げた」
上は最近手に入れた古書、『明治大正昭和 大事件怪事件誌』からの抜粋である。
初版刊行・昭和七年、編著者の名は植原路郎。

一連の記述を信じるならば、心霊スポットとしての資格をも、凌雲閣はあるいは
十一階のサーチライトの脇にでも、半透明の蒼い顔した霊体が──むろん悶死した出資者某の亡魂である──所在なさげに立ちすくんでいただとか、そんな噂が流布されたとして、決して不審でないはずだ。
夏という季節がそうさせるのか。
この間からどうもこう、幽霊だの祟りだの、おどろおどろしい方向へ妄想が走りがちである。
「百物語り」は、夏休みの定番イベントだから、ほら──。

青い灯、赤い灯、光りの波の中に、ぬっくと立った凌雲閣十二階、その下には幾多の悲喜劇を残しつつ大正十二年まで建設以来満三十二年の寿命を保ったが、九月一日、大震の瞬間、八階と九階の継目からポッキリ折れて、九階以上は八方に飛散し、相当の惨死者を出した。八階以下の残骸は震災直後ダイナマイトを用ひて破壊し、十二階は全く亡んだ。
──『明治大正昭和 大事件怪事件誌』より。
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