セーヌ川の水ぜんぶ抜く。
いや、厳密には悉くではないけれど、「大半」程度が関の山であるけれど──。とにもかくにも川底を容易に、大規模に、ごっそり浚い盡せるほどには流水量を減らしてしまう。
どうも、フランスの天地では、一世紀ごとに二回ほど、そういうことが試みられているらしい。

一九四二年八月十五日にもやはりこの、いわゆるひとつの「伝統行事」があったとか。
よくもまあ、と感嘆せずにはいられない。
言わずと知れた二次大戦のまっさかり、ハーケンクロイツが光の都にひるがえり、ナチの軍靴が辻々を思うがままに闊歩していた頃である。
紛うことなき非常時下でよくもまあ、一見実利と縁遠い、斯くの如きイベントを実行できたものだった。
国としての見栄、フランス人の文化の高さの反映とでも看做すべきなのであろうか。ルイ・パスツールの「フランスは、自国の名誉のためにはいくらでも金が払へる程には富んでゐなければならぬ」との心意気が懐かしい。

まあ、そのあたりの詮索につき、これ以上は、今は措く。
なんにせよ、上流のさるポイントで、セーヌ川は堰き止められた。
折からの旱天続きによって、もともと水位が下っていたのも手伝って、頗る順調に運んだらしい。
くだんの瀧澤敬一があとで聞いたところによると、露わになったセーヌ川の底からは、
「さびたピストル、古鉄砲、銃剣、薬莢、鳥籠(西洋のは針金です)がとり出され、白鳥島近くでは、一九三七年大博覧会に使った鉄鎖の一塊、オートイユでは自動車と自転車の骸骨などがあった。一番注意したのはこの春爆撃された工場地帯で、この水底からは不発爆弾が三個見つかった」
だいたいこんな品々が、「成果」として引き上げられたそうである。
(Wikipediaより、白鳥の島)
当日は暑気も厭わずに、かなり多くのパリジャンたちが見物のため河岸にごった返しておったとか。
普段見えなくなっている、不可視の部分を暴くこと、秘匿を破る面白味。この快感は古今東西ホモサピエンスに共通の、人間性のかなり深部に根を張っているモノらしい。
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