航行中の軍艦で、甲板は
帝国の海の防人たちは、あの場を使って相撲も取れば、

弓も射ったし、

剣道もした、

サメを用いた日本刀の「生き試し」なぞも偶にした。
そのようにして日々の無聊を慰めて、且つ筋骨を錬磨した。
従って当時の水兵どもは、個人の武勇もなかなか以上であったのだ。
当たり前だが、どいつもこいつも「強い」のである。
それゆえに、こんな景色が具現する。
以下に示すは、日本海海戦決着直後、艦を藻屑に変えられて、アワレ波間を漂うばかりの小枝の運命に陥ったロシア兵らを救助中、竹内重利──当時少佐──が目撃した光景だ。
「救助された露兵の大部分は裸体で、いづれも十字架を頸に掛けてゐた。最初に救助せられた者は元気であったが、二時間も水に浸かって居たものは、独りで我が艦に上がる元気がなかったので、我が水兵が二人づつ舷梯に出で、両方の肩に掴まらして上げた、…(中略)…露国では男同士でも感激したときはキッスをするといふ事だが、丁度私が後部砲塔上から見てゐると、一人の露兵を我が水兵が、両手を肩に掛けさせながら助け上げたところ、彼は感極まったものと見え、突然一方の水兵に抱きついて、キッスをしようとした。そんな習慣を知らない我が水兵は、いや驚くまいことか、てっきり
文化が違う。
常識、習慣、そういうものの違いによって惹き起こされる、悲喜劇の一種であったろう。
奉公先のアメリカで大男のヤンキー野郎をブッ倒した鮎川といい、掏摸師の行う早業を更に素早くひっとらえ、捻じ伏せてのけた藤公といい。
明治の大和男子らは、蓋し柔術の腕前を実践場でもいきいきと活用していたものだった。
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