穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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狂気と夏と


 重度の不眠に憑かれた者は、だんだん妙な心理状態に移行する。


 己が起きて、眼を覚ましていること自体に、言い知れぬ不安を持つのだそうな。


「漠然とした」と述べておくより他にない、それは一種、異様な心地。筆にも口にも表し難い、ペン先だろうと舌先だろうと捕捉しきれぬ不定形。経験者にあらざる限りはついに理解の及ばない、極めて特殊な感覚という。

 

 

 


 この段階で手を打たず、下手に放置しようものなら、彼のココロはますます重度に病んでゆく。目覚めに対する居心地の悪さ、焦燥は、やがて自分が生きていること自体に対する不安へと、ぬるりと変質されてゆく。


 安堵を求めて、──睡眠欲と綯い交ぜられた希死念慮が発生するのはこの時だ。ここまで至った人間は、恍惚として自死しかねない危うさを持つ。ギリシャ神話はよく出来ている。ヒュプノス眠りの神タナトス死の神が双子の神であることは、蓋し寓意に満ちている。……


 以上はかつて、今から百年ほど前に、小酒井不木が唱えた説だ。

 

 

Kosakai Fuboku

Wikipediaより、小酒井不木

 


 医学博士で大衆作家。専門知識をうまいこと、己が創作に活用もする。ちょっと手塚みたような背景有す彼である。


 熱帯夜に苦しめられて、眠りの質が無惨に低下さがり、なんとも厭なむかつき・・・・が胃の腑の下の隙間あたりに絶えず滞留している昨今、不木の言葉が思い出されて仕方ない。


 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると、頭の中で繰り返し反響しては渦を巻く。

 

 

 

(『まつろぱれっと』より)

 


 夏の暑さに逆上のぼせきり、衝動的に自殺を選択するやつは、当時に於いても少なからず存在し、問題視されていたらしい。


 小氷期の余韻も去らぬ大正・昭和の昔時に於いて既に然り。況や温暖化の叫ばれる、現代社会に於いてをや。


 狂気を抑止ふせぐ精神力の要求は、年々増える一方だ。

 

 こんな場所にも庶民の負担の増加が見えて、心底げんなりさせられる。

 

 

 

 

 


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