穢銀杏狐月

穢銀杏狐月

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

断章

百折不撓の体現者 ―大谷米太郎の野望―

青雲の志やみがたく。富山県西部、草ぶかい西砺波郡の田舎から大谷米太郎が念願の上京を遂げたのは、明治四十五年四月二十四日のことだった。 懐は寂しい。十銭銀貨が二枚入っているだけに過ぎない。 むろん銀行預金などある筈もなく、正真正銘、これが彼の…

昭和八年の「キング」十徳 ―諷刺画を添えて―

キング十徳 ○面白い点では天下第一のキング○楽しみながら修養出来るキング○世の中のことは何でもわかるキング○読者のためには努力を惜しまぬキング○毎號大家の傑作を満載するキング○いつも新計画で天下を驚かすキング○どんな人にもよろこばれるキング○国を良…

日立造船所の苦闘 ―松原與三松の鐘―

鐘一つ売れぬ日もなし造船所 戦後まもなくの日立造船所を題材にした歌である。 宝井其角の古川柳、 鐘一つうれぬ日はなし江戸の春 を、あからさまにもじった(・・・・)ものであるだろう。 それにしても何故(なにゆえ)に、造船所が鐘など鋳ねばならぬのか…

黒田清隆の配偶者・後編 ―小人の妬心、恐るべし―

実に多くの東京市民が、彼と、彼の邸宅に、羨望のまなざしを送ったものだ。 材木商、丸山傳右衛門のことである。 ときに「金閣寺擬(まが)い」と揶揄されもしたその屋敷の結構は、山本笑月の『明治世相百話』に於いて特に詳しい。 建坪はさまで広くないが総…

黒田清隆の配偶者・前編 ―若い娘好きの婿―

「いま、お酒を呑んでおいでですか。あなたは酔うとおかしくなる方だそうで……」 怪傑杉山茂丸が、黒田清隆と初めて顔を合わせた席で、劈頭一番放った台詞がこれである。 この薩人の酒癖の悪さがどれほど人口に膾炙されきっていたか、如実に示すエピソードに…

三四半世紀 ―75年目―

八月十五日である。 多くは語るまい。 ただ、この日にこそ開くに相応しい本がある。 以下を縁(よすが)に、共に先人を偲んでくれればありがたい。 身はたとえ南の孤島に朽ちるとも永久に護らん神州の空義烈空挺隊 新藤勝 何時征くか何時散るのかは知らねど…

迷信百科 ―古銭の魔力―

いくらお金(かね)がありがたいモノだからといって、一万円札を刻んで炊いて粥にして喰えば頭脳(あたま)の回りが良くなると、本気で信じる馬鹿はいない。 そんなことをしても福澤諭吉の天才に肖(あやか)れるわけがないであろう。敢えて論ずるまでもない…

ますらをの真心こめて一筋に ―原田二郎の積み上げたもの―

嘉永二年というから、黒船来航のざっと四年前のこと。 紀州藩士原田清一郎の長男として、原田二郎はこの地上に生れ出た。 維新後東京に出て洋学を修め、頭角を現し、やがて大蔵省の官僚に。銀行課に奉職するうち、同じく紀州出身の大実業家、岩橋轍輔に見出…

明治九年の奇天烈訴訟 ―250年前の負債―

時代そのものの転換期――社会の基盤未だ軟けき文明開化の昔時には、ときに思いもかけない人間の珍物が飛び出してきて、世間をアッと言わせたものだ。 元田直(なおし)も、そのうちの一人に数え入れていいだろう。 (Wikipediaより、元田直) 明治九年、代言…

女王の帰還 ―藤山勝彦の記録より―

あるとき、船が難破した。 英国籍の船だった。 婦女子たちを誘導し、ボートを与え、沈みゆく船から避難させると、船員一同、甲板上に整列し、そのまま船と運命を共にした。 「泳げと命じたいが、そうするとボートにつかまりたくなる者が出るかもしれない」 …

大震災で失われたもの ―警視庁刑事参考館―

関東大震災は実に多くの物を奪っていった。 大正十二年九月一日を境とし、帝都の情景は文字通り一変したのである。火災旋風を形容するに当事者たちは「呪いの火雲」と呼んだりしたが、これはまったく実感に即した表現だろう。濛々とたちこめる黒煙の下、熱と…

ファーンボローの日本人 ―1952年の惨事―

人はときに思いもかけず、歴史の見届け人となる。 昭和石油株式会社社長、早山(はやま)洪二郎がそうだった。1952年、ロイヤル・ダッチ・シェル・グループの招聘を受けイギリスへと出立したとき、この人はまさか、自分が英国史上稀にみる墜落事故の現場に居…

鴻之舞金山と中村文夫 ―草創期の記憶―

北海道、オホーツク海沿岸部の原生林が燃えだしたのは大正元年のことである。 (Wikipediaより、北見神威岬とオホーツク海) なにぶん、108年も前の話だ。当時の消火能力などたか(・・)が知れている。一度広がってしまった山火事は容易に消えず、消えるど…

第二次ボーア戦争奇譚 ―マキャベリズムの権化ども―

ボーア戦争に先駆けて、ランズダウン卿が行った演説ほど世間を呆れさせたものはない。 イングランド中部、シェフィールドの地に於いて、彼はこう呼びかけたのだ。 「トランスヴァール共和国の失政の内、インド人に対する待遇以上に、余をして公憤を感ぜしむ…

イギリスの移民排斥術 ―白濠主義を支えたもの―

同じ移民排斥にしても、アメリカとイギリスでは遣り口が違う。後者の方が仕掛けに凝って、狡猾だ。 玄人芸といっていい。 1901年、オーストラリア初代首相、エドモンド・バートンの治下に於いて制定された移民法案がいい例だ。彼らはこの法案中で、「ヨーロ…

ルール占領への序曲 ―逸るフランス、イギリスの老獪―

これもまた、ヴェルサイユ条約が生んだカオスだろうか。 ドイツ、ラインラント一帯に不穏の状あり。共産主義者が労働者を煽動し、エッセン、ドルトムント、ミュールハイム等々の諸都市で蜂起、同地を瞬く間に占領下に置いてしまった――1920年3月の「ルール蜂…

報復讃歌 ―福澤桃介と森下岩楠―

世に愉快の種は数あれど、復讐に勝る悦びというのは稀だろう。 奥歯が磨滅するほどに、憎みに憎んだ怨敵を、首尾よく討ち果たしたその瞬間。溜め込み続けた負の情念は一挙に炎上、快楽へと昇華され、中枢神経を直撃しては白熱化させ、眼球から火花が飛び散る…

死体の転がる東京で ―明治人たちの幼少期―

維新回天の只中に幼年期を迎えた人々は、大抵その回顧録にて、東京の街なかにゴロゴロ転がる死体の姿を報告している。 とりわけ有名なのは、やはり尾崎行雄のそれだろう。 この人は単に見た(・・)のではない。偶々視界に入ったとか、そんな受動的なもので…

「二十年の停戦」へ ―続々々・ドイツ兵士の書簡撰集―

1918年11月13日、西部戦線の片隅で一人のドイツ軍人が自殺した。 それも自己の掌握する部隊を率いて本国に帰還せよ、と命ぜられた直後の自殺であった。 遡ること2日前、フランス、コンピエーニュの森に於いて、ドイツは連合国との間に休戦協定を締結している…

迷信百科 ―火葬場の呪い―

北越の都、長岡にはいわく(・・・)があった。 ここには火葬場が一つしかない。 伝統あるとは言い条、個人経営のくたびれた店で、炉に至っては骨董品といってよく、焼くのに大層難儀する。そのくせ料金は割高設定なのだから、住民としてはやってられまい。…

偉大なる勝利のために ―続々・ドイツ兵士の書簡撰集―

前線に在る多くの兵士が認めることを余儀なくされた。 戦争は変わった、という事実を、である。 ハンス・ブライトハウプトもまた、高い授業料を支払って、教訓を得た一人であった。 私たちははじめは、ほとんど子供のやうに真正直に正攻法によって攻撃しまし…

戦場のピアニストたち ―続・ドイツ兵士の書簡撰集―

第26予備猟兵大隊所属、オットー・クレーエルが「戦場のピアニスト」になったのは、1914年11月1日未明、制圧した村落の一邸宅に於いてであった。 その屋敷は戦闘の余波をもろに受け、大広間には砲弾が飛び込んだ痕があり、 高価な夜具も、 磨き立てられた鏡…

ハーンの首を獲りに行く

『GHOST OF TSUSHIMA』を買った。 ゲームを発売日に購入するのは久々のことだ。『FF7R』以来だから、ざっと三ヶ月ぶりになる。 つまりはそれだけ、本作へ寄せる期待が大きい。 個人的な見解だが、名作と呼ばれるオープンワールドゲームというのは悉く、ただ…

魂叫 ―ドイツ兵士の書簡撰集―

ただならぬ本を手に入れた。 表題は『最後の手紙』。その名の通り、第一次世界大戦当時のドイツに於いて前線の兵士が書き送った手紙類をまとめたものだ。 帝政ドイツ版『世紀の遺書』といっていい。 「俺に弾丸が当たるものか」と大見得を切ったその直後、腕…

平生釟三郎ものがたり ―ダラー・エ・マンと武士道精神―

アメリカには「年俸一ドルのCEO」が大勢いる。 スティーブ・ジョブズをはじめとし、Google創業者のセルゲイ・ブリン、ラリー・ペイジ。時計ブランドフォッシルのコスタ・カーツォーティスに、ギンダーモーガンのリチャード・ギンダー。 鮎川義介が「ダラー・…

危機に臨んで ―イギリス、日本、中華民国―

中華民国時代、上海に「赤匪」――共産党の騒擾事件が起きたとき。 この狼藉者の集団がひとたび居留地を襲う形勢を示すや、そこに住まう人々は、大事な命と財産を、屠殺される豚のようにむざ(・・)と奪われてなるものかと大いに発奮。互いに人数を出し合って…

理想家の条件 ―尾崎行雄と新聞のジンクス―

尾崎行雄にはジンクスがある。この男が筆を揮うと、その新聞社は潰れるか、少なくともその寸前まで行ってしまうというジンクスが。 例外は、新潟新聞ぐらいのものであろうか。後は大抵、悲惨な目に遭っている。 朝野新聞は完全に滅亡してしまったし、報知新…

斬奸状見物録

今日も大気が濡れている。 こう、来る日も来る日も湿度が高いと段々やりきれなくなってくる。水っ気が脳味噌にまで浸潤し、頭蓋の中で白っぽくふやけてしまった心地がするのだ。 夜半、耳を聾する風の音で寝入りが妨げられたこともあり、どうにも集中力が低…

ブロガーバトンを受け取って

つい昨日のことである。 『もったいないブログ』を運営していらっしゃるscene"シーン"(id:scene-no-mottainai-blog)さんからブロガーバトンをいただいた。 www.scene-no-mottainai-blog.com 荘厳なる自然の眺めや美しき日本の原風景を鮮やかに切り取った紀行…

検疫小話 ―最後の長崎奉行の記憶―

前回、前々回と検疫について触れてきた。 折角だからもう少しだけ、この話を広げてみたい。 安政年間のコレラ大流行を目の当たりにして、よほど肝を冷やしたのだろう。わが国に於ける検疫の歴史――海外から来航する船舶への防疫措置に関しては、実のところ明…