穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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断章

水利を図れや日本人

日本人とは、井戸掘り民族なのではないか? 妙な言い回しになるが、そうだとしか思えない。 海の向こうに巣立っていった同胞たちの美談といえば、十に七八、それ(・・)である。 (江戸東京たてもの園にて撮影) アフリカ、中東、東南アジア、煎じ詰めれば…

つれづれなるままに

書棚を飾る『蠅と蛍』。 佐藤惣之助の想痕、あるいは随筆集。神保町のワゴンから五百円(ワンコイン)にて回収してきた品である。 本書の見開き部分には、 必要最低限度といった、ごく控え目な書き込みが、これこの通り為されてる。 白楊 辰澤様 と読むので…

愛は努力だ ―身持ちの堅い女たち―

作品から作者自身の性格を推し量るのは容易なようで難しい。 あんな小説を書いていながら紫式部本人は身持ちがおっそろしく堅い、ほとんど時代の雰囲気にそぐわないほど頑なな、あらゆる誘惑を撥ね退けて貞操を断固守り抜く、まるで淑女の鑑のような御人柄で…

五千円になった人

新渡戸稲造には日課があった。 本人の語りによるものだから間違いはない。それは札幌農学校に教鞭をとっていた時分、己に課した習慣だ。 (北海道帝国大学) 授業のために、指定の教場へ向かう都度、新渡戸はいきなり扉を開けず、把手(とって)を握り締めた…

九十九人の残留者

大正九年十月の国勢調査に従えば、当時樺太――むろん南半、日本領――に居住していたロシア人の総数は、ギリギリ三桁に届かない、九十九人だったとか。 明治三十八年のポーツマス条約締結時、つまりこの地が「日本」になった直後では、およそ二百人ほどがあくま…

赤い国へと、血は流れ

日本人が死亡した。 遠い異境の地に於いて、政変に巻き込まれた所為だ。 政変とは、すなわちロシア二月革命。ペトログラードで流された血に、大和民族の赤色も、いくらか混じっていたわけだ。 (Wikipediaより、二月革命) その死に様は陰鬱に彩られている。…

空の鐘楼

奥平謙輔が実権者として佐渡ヶ島に乗り込んだのは、明治元年十一月のことだった。 翌年八月には職を擲(なげう)って帰郷とあるから、彼の統治は一年足らず、十ヶ月かそこらに過ぎない。 だがしかし、と言うべきか。斯く短期にも拘らず、佐渡ヶ島が負わされ…

騙して悪いが ―大正河豚毒浪漫譚―

フグは身近な毒物だ。 入手が容易で、 高い致死性をもっていて、 おまけに日本人ならば、ほとんど誰もがその性質を知っている。 「喰えば死ぬ」という共通認識、この普遍性がミソなのだ。この特徴ゆえ、他人を揶揄う材料として、フグは非常に便利であった。 …

明治生まれのフェミニスト

与謝野晶子は共学推進論者であった。 日本列島全土に於いて、男女席を同じゅうして学ぶ環境を創り出す。七つの峠を越えようが、敢えて隔てる必要はない。どんどん机をくっつけてゆけ。そういうことを念願とした人だった。 「さあ、それは」 いくらなんでも度…

「自由」の重みを感じるか

明治十年代半ば、自由民権運動は、すっかり時代の「流行り物」と化していた。 大阪あたりの抜け目のない商人(あきんど)が、「自由餅」だの「改新まんじゅう」だの何だのと、既存の品に耳触りのいい単語をさかんに焼き印し、たったそれだけの工夫であるにも…

不良少年とばっちり

北越屋が営業停止処分を食った。 理由はいわゆる、未成年との淫行である。 店の在所は浅草北部、新吉原の京町一丁目のあたり。なにを取り扱う店か、もうこれだけで凡そ察しがつくだろう。 想像通りだ。男どもが持て余す、日々の精気の発散場。血の滾りを抑え…

嘘か真か津田梅子

津田梅子が光源氏を嫌っていたと示す逸話が世にはある。 英訳された『源氏物語』の校正作業を頼まれて、しかし内容の卑猥さゆえに断然これを拒絶した、と。こんなのはポルノと変わりなし――と、激しく罵りさえしたと。だいたいそんな筋だった。 目下、世間は…

続・海原は誰のものなのか ―天下皆これ禽獣世界―

前回の記事に追記する。 明治十五年度に於けるオットセイの総捕獲量が判明(みえ)てきた。 その数、実に二万七百匹以上。剥がれた皮の枚数のみに限定してさえコレだから、実態としてはもう幾ばくか上乗せされることだろう。大漁、豊漁、「当たり年」とはよ…

海原は誰のものなのか

色違いは持て囃される。 みんな奇妙なのが好きだ。 明治十五年の晩夏、北海道増毛郡別苅村にて、ひとりの漁夫が白いナマコを引き揚げた。 白皮症とは独り哺乳類のみならず、棘皮動物に於いてさえ観測されるものらしい。たちまち大騒ぎになった。 抑々からし…

大和民族の精神解剖 ―占領軍の立場から―

日本国憲法は前文からして間違っている。「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して」? 寝言をほざくな、そんなの(・・・・)が、日本の周囲(まわり)のいったい何処に存在してやがるのか。 支那に南北朝鮮に、それからもちろんロシアも含め。どいつも…

惜別 ―さらば、福翁―

明治六年の発布以後、徴兵令は数次に亙って改訂され、補強され。より現実の事情に即した、洗練された形へと、段々進化していった。 初期のうちには結構あった「抜け道」、裏技の類にも、順次閉塞の目処がつき。 だが、なればこそ横着なる人心は、僅かに残っ…

ハワイ王国葬送歌

ここに一書あり。 大雑把に分類すれば嘆願状に含まれる。 さるハワイアン女性からアメリカ国民全体へ訴えかけた文である。 一八九三年二月十三日というのが、その書の提出(だ)された日付であった。 左様、一八九三年、ハワイ王国落日の秋(とき)――。 (ハ…

酔い痴れしもの

日本土木会社の禄を食む若い衆五名がリンチ被害に遭ったのは、明治二十四年一月二十八日のはなし。「陸軍の街」青山で、その看板に相応しく、兵舎建設作業のために腕を揮っていたところ、突発したる沙汰だった。 (Wikipediaより、青山練兵場) 五人を囲むに…

赤く染まったハンガリー

この世のどんな悪疫よりも性質(タチ)のわるい病患が、一次大戦終結後のヨーロッパに蔓延った。 共産主義のことである。 マルクス教と言い換えてもよい。 (Wikipediaより、カール・マルクス) イタリアでも、ポルトガルでもアカのカルトは跳梁し、社会を喰…

野心礼讃

「歯科医ほどつまらぬものはない」 暗澹たること、鄙びた地方の墓掘り人足みたいな貌(かお)で、真鍋満太は言っていた。 自分で選び、自分で修めた道ながら、この職業の味気なさはどうだろう。毎晩毎夜、布団にもぐりこむ度に、我と我が身の儚さがここぞと…

昭和五年のパレスチナ

第一次世界大戦勃発以前、パレスチナの地に居住していたユダヤ人は、ものの六万。 そこからバルフォア宣言を経て、彼の地がユダヤの国であると認められ、十三年が経過した。 すなわち一九三〇年。なんとはなしに区切りの良い数である。もうひとつ区切りのい…

明星よ、ベツレヘムの空にあれ

「暮の二十五日になると必ずクリスマスセールが始まる。日本にも多くのキリスト教徒が居るからキリスト降誕を記念する催しのあるのは当然だと思はれるけれども、日本のクリスマス騒ぎはあまり宗教的な意義はなく、無論キリスト降誕は無関係であるらしい。…(…

昭和変態医人伝

「結石の美しさを知っているかね?」 これはまたぞろ、レベルの高い変態が出た。 阿久津勉という医師に、初対面にて筆者がもった、偽らざる印象である。 (Wikipediaより、尿路結石) 「結石は、尿道にこう、膀胱鏡を差し込んで、膀胱内に転がってるのを見る…

老練百智のブリティッシュ

こと諜報の分野にかけて、英帝国は玄人である。 何故こんな事を知っているのか、何処からソレを掴んだか――。 いっそ魔術的とすら謳いたくなる暗中飛躍は舌を巻くより他なくて。――日本の古い仏教系新聞に、あの連中の底知れなさを仄めかす記事が載っている。 …

小金井巡礼 ―江戸東京たてもの園を散策す―

高橋是清邸に惹かれてやって来た。 江戸東京たてもの園、都立小金井公園の一角を占める野外博物館である。 その名の通り、十七世紀――江戸時代からこっちにかけて四百年、関東平野に築造されたあれやこれや(・・・・・・)の建物を、集めて維持して展示して…

諦めるしかない場面

あとで聞いた話によると、地面が揺れて半刻ほどもせぬうちに、もう家財道具一式を大八車に積み込んで、雲を霞と安全地帯へ避難した途轍もない「利け者」が神田辺には居たらしい。 そいつの家には旧幕生まれの老人が猶もしぶとく生きていて、第一震を感じた瞬…

ヒポクラテスの薬膳

脚を折ったら豚足を、モノが勃たなきゃオットセイの睾丸ないしは陰茎を。 病み苦しんでいる時は、患部と同じ部位をむさぼり喰うことで、恢復がより(・・)早くなる。 異類補類、同物同治の概念だ。 漢方、すなわち大陸由来の智慧として、一般には知られるが…

白昼夢「大陸維新」

頭山満が支那へと渡る、玄洋社の志士五人を連れて――。 この一報に、 「ただでは済まない、何かが起こる」 朝野官民のべつなく、実に多くの日本人が同じ戦慄に苛まれ、神経過敏に陥った。 (Wikipediaより、頭山満) まあ、無理はない。 なにせ、時期が時期だ…

数は雄弁

古書を渉猟していると、数字の羅列によく出逢う。 遭遇して当然だ。自論に箔を付けるため、正当性を押し出すために数の威力を借りるのは、古(いにしえ)よりの常套手段、王道中の王道ではあるまいか。 例の抜き書く癖により、気付けば随分その種のデータが…

ハミガキ、エンピツ、子規の歌

「歯の健康」。 蓋し聴き慣れたフレーズである。 口腔衛生用品なんぞの「売り文句」として日常的に耳にする。 あまりに身近であり過ぎて、逆に注視しにくかったが――どうもこいつは相当以上に年季の入ったモノらしい。 具体的には百五十年以上前。維新早々、…