並居る先達諸士の中、時勢の指導者格として相応なのを選ぶなら、まずこの二人になるだろう──。
吉野作造の、かつて語ったところであった。
彼の言葉はここから更に、「当節は刺戟の多い派手な議論をよろこぶといふ時代と見え若い人達は余り三宅先生などに接近しなくなってゐる様です」と連鎖する。
にわかには信じがたいことだ。
三宅雪嶺の評論は
世間に媚びず、阿らず。ただ信念の命ずるままに走らせた、実に鋭利な筆鋒と。

にも拘らず、コレがピリリと来ないほど、──それほどまでに舌が馬鹿になっちまう、激越な内容の議論とは、いったいぜんたい何なのか。ちょっと想像の埒外である。当時の若い連中は、如何なる書籍に、演説に、好んで触れていたのだろうか。
戦前という時代に対し、多少なりとも詳しくなったと思っていたが、またもや分からなくなった。所詮この身はまだまだ深い霧の中、迷走している段階らしい。
視線を更に先の行、雪嶺につき述べた後、次いで吉野が話の軸を羽仁もと子の頭上へと及ぼす辺りへ遣ってみる。
家計簿の考案者ということで、その後に於ける日本人の生活に重大な影響を及ぼしたこの御婦人に対しても、吉野は賞讃を惜しまない。
「見た丈けで辛いといふ喰べ物もあります、聞いた丈けで口が酸くなるものもあります。
羽仁さんの言説は嘗めて見なれければ味はひは分りません。否、本当の値打は噛み締めて始めて限りなく流れ出るものゝ様です。
虚飾もなければ扮装もありませんから、手に取った丈けでは平凡の様に見えませうけど、常識と練達と信念と体験とが奥の方に影を潜めて光ってゐますから、一度その論陣に身を投じた者は何等か終生忘れ得ぬ深い印象を受ける筈です。羽仁さんの教へらるゝ所こそ、真に流行を超越した生命の糧といふべきものと思ひます」
惜しまぬどころの騒ぎではない。
まず、べた褒めといっていい。
吉野作造、なかなか
(Wikipediaより、家計簿)
百年前の宣伝文句が、いまだ斯くまで強大な影響力を有すとは。デモクラシーの先導役を担っただけのことはある。焚きつけるのはお手のもの、か。吉野作造という男、やはり尋常の器量ではない。
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