穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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2022-01-01から1年間の記事一覧

才子たち ―森有礼と石田三成―

英国籍の商船が、荷降ろし中に誤って石油樽を海に落とした。 当時の世界に、ドラム缶は未登場。ネリー・ブライがそれをデザインするまでは、もう十三年を待たねばならない。 (Wikipediaより、ネリー・ブライ) 落下着水の衝撃に、ドラム缶なら堪えたろう。…

明治のNIMBY ―伝染病研究所が芝区に与えた波紋について―

時は明治二十六年、芝区愛宕町の一角に伝染病研究所が建設されつつあった際。同区の地元住民が巻き起こしたる猛烈な反対運動は、わが国に於けるNIMBY(ニンビー)の嚆矢と言い得るか。 (芝公園増上寺) NIMBY。 Not In My Backyardの頭文字から成立する概念…

風去りてのち ―品川霊場古松之怪―

東京を尋常ならざる風雨が見舞った。 明治十三年十月三日のことである。 季節柄から考えて、おそらく台風だったのだろう。 瓦は飛び、溝は溢れ、街のとっ散らかりようは二目と見られぬまでだった。 品川区の霊場たる東海寺では、樹齢百年をゆう(・・)に超…

日本人と禁酒法 ―「高貴な実験」を眺めた人々―

禁酒論者の言辞はまさに「画餅」の標本そのものである。 一九二〇年一月十七日、合衆国にて「十八番目の改正」が効力を発揮するより以前。清教徒的潔癖さから酔いを齎す飲料を憎み、その廃絶を念願し、日夜運動に余念のなかった人々は、酒がどれほど心と体を…

ある汁粉屋の死 ―浅草観音老木之怪―

北村某は汁粉屋である。 立地はいい。浅草観音の裏手に於いて、客に甘味を出していた。 店の敷地に榎の枝が伸びている。 根元は塀の向こう側、寺の境内こそである。 樹齢は古い。幹は苔むし、うろ(・・)となり、それでも季節のめぐりに合わせて艶やかな葉…

九州の熊、月の輪の呪詛 ―古狩人の置き土産―

天性の狩人と呼ぶに足る。 猪の下顎、つるりと綺麗に白骨化したその部位を、所蔵すること二百以上、特に形の優れたやつは座敷の欄間にずらりと架けて雰囲気作りのインテリアにする、そういう家に生まれ育った影響か。 久連子村の平盛さんは、ほとんど物心つ…

赤い国へ ―鶴見祐輔、ソヴィエトに立つ―

革命直後のペテルブルグでとみに流行った「遊び」がある。 凍結したネヴァ河の上で行う「遊び」だ。 それはまず、氷を切って下の流れを露出させることから始まる。 (冬のネヴァ河) これだけ聞くとワカサギでも釣るみたいだが、しかし穴の規模はずっと大き…

おひざもとの蓆旗

――あのころの江戸は酷かった。 遠い目をして老爺は語る。 彰義隊の潰滅直後、「明治」と改元されてなお、人心いまだ落ち着かず、荒れに荒れたる百万都市の有り様を。 その追憶を、落ち窪んだ眼窩の底に満たし、言う。 私の十五六の時分ですから、今から六十…

同時代人の二・二六批判

序文に惹かれた。 表紙をめくって三秒で、魂をガッチリ絡めとられた。 所謂二・二六事件は例に依って支配階級の打倒、財閥勦滅の叫聲を天下に漲らせたのである。彼等は壮語して国家改造の重任に当らんと云ひ、所謂愛国的熱情を以て挺身せりと自負してゐるの…

鶴見と笠間 ―一高生たち―

言葉は霊だ(・・・・・)と鶴見祐輔は喝破した。 外国語の修得は、 単語を暗記し、 文法を飲み込み、 発音をわきまえ、 言語野に回路を作れても、 それだけではまだ不十分。 いや、学校のテストで合格点を取ることだけが目的ならば、それで十分「足る」だろ…

桃色遊戯と紅血代価

オランダで日本人が殺された。 明治十八年のことである。 被害者の名は桜田親義、その身上は、一介の観光客にあらずして、留学生ともビジネスマンともまた違う。 公使であった。 現地に於ける外交上の窓口であり、「日本の顔」と称してもあながち誇張にはあ…

一高魂 ―昭和三年の破天荒―

朝陽が昇るや、街にどよめきが広がった。 波紋のもと(・・)は、繁華な通りの一店舗。ヨーゼフという独り者が経営している、その入り口の戸の上に、 自殺につき閉店す! こんな貼紙が押しつけられていたとあっては、そりゃあ騒ぎにもなるだろう。 最初は皆…

EDF! EDF! EDF! EDF!

「この感じだ、戦争だ。我らには、それが必要だ」 『地球防衛軍6』を購入。 『エルデンリング』以来だから、ざっと半年ぶりになるのか――事前に予約を入れてまで、発売日にゲームソフトを買いに行くのは。 本シリーズとの付き合いも長い。 まだ「SIMPLE2000シ…

開港前夜 ―二千両の目隠しを―

「黒船来(きた)る」。 その一報が、箱館を恐慌の坩堝に変えてしまった。 安政元年のことである。 この年の春、三月三日。神奈川の地で日米和親条約が締結された。 (Wikipediaより、日米和親条約調印地) 全十二条に及ぶ内容のうち、第二条目にさっそく開…

北陸の岸 ―白砂青松に至るまで―

越後にこういう話がある。 直江津から柏崎に至るまで、十三里に垂(なんな)んとする沿岸地帯。元来あそこは緑の稀な荒蕪地であり、強い北風が吹きつけるたび、砂塵を巻き上げ、人の粘膜を傷付けて、とても居住に適さぬ場所であったのだ、と。 (直江津港附…

名の由来 ―酒と銀杏―

先入観とはおそろしい。 ずっと名刀正宗が由来とばかり考えていた。 清酒の銘によくくっついてる「正宗」の二文字。アレのことを言っている。 (「櫻正宗」の醸造過程) ところが違った。違うことを、住江金之に教わった。 昭和五年版というから、ざっと九十…

海の屯田 ―明治人たち―

ルドルフ・フォン・グナイストはプロイセンの法学者である。 腕利きの、といっていい。その名声が一種引力として作用して、相当数の日本人が彼のもとを訪れた。教えを請い、啓蒙を得、草創間もない祖国日本の法整備を志し、意気揚々と引き揚げてゆく極東から…

落日近し ―戦場心理学瑣談―

ここに手紙がある。 差出人は名もなき軍医。支那事変の突発後、召集に応じて大陸へ馳せた無数のひとり。黄塵乱舞す彼の地から、山紫水明、日本内地の医友へと書き送ったものである。 内容に曰く、 近頃内地からの慰問団や慰問文・新聞・雑誌などから受けるも…

諭吉と西哲

福澤諭吉の言葉には、西哲の理に通ずるものが多少ある。 たとえばコレなどどうだろう。 増税案の是非をめぐって起こした――むろん『時事新報』上に――記事の一節である。 本来人民の私情より云へば一厘銭の租税も苦痛の種にして、全く無税こそ喜ぶ所ならんなれ…

通史の常連 ―旧陸軍と高島秋帆―

わがくに陸軍の「通史もの」を繙くと、まず結構な確率で高島秋帆の名前が出てくる。 勝海舟の『陸軍歴史』にしてからが既に然りだ。「天保十一年庚子高島四郎太夫ノ建議ハ暗ニ後年我邦陸軍改制ノ事ヲ胚胎スル」と、劈頭一番、序文にもう含まれている。どれほ…

明治の捕鯨推進者 ―讃岐高松、藤川三渓―

『捕鯨図識』が面白い。 読んでそのまま字の如く、クジラという、地球最大の哺乳類につきあれこれ綴った本である。 (Wikipediaより、ザトウクジラ) 著者の名前は藤川三渓、讃岐の人、文化十三年の生まれ。黒船来航前後から藤森天山・大橋訥庵等々の「勤皇…

裸の交渉 ―青木建設創業夜話―

外交にせよ、商談にせよ。まずふっかけてかかるのが交渉術の基本とされる。 過大な条件を突き付けて、そこから徐々に妥協点を探ってゆくのが即ち腕の見せ所であるのだ、と。 近年のサブカル界隈にもまま見られる描写であった。 有名どころでは『スターダスト…

狼の価値 ―一匹あたり二十万円―

「狼一匹を駆除するごとに、三円の報奨金を約束する」――。 そんな布告を北海道開拓使が出したのは、明治十年のことだった。 (Wikipediaより、開拓使札幌本庁舎) この当時、一円の価値は極めて重い。小学校の教員の初任給が九円前後の頃である。たった三匹…

続・ドイツの地金 ―何度でも―

ナチ党による独裁が確立して以後のこと。 ドイツ国内に張り巡らされた鉄道網。その上を走る汽車のひとつに、日本人の姿があった。 べつに政府関係者でも、大企業の重役でもない。ただの単なる旅行客、それも気ままな一人旅である。 彼の傍には地元民らしき少…

屯田兵の記憶 ―会津藩士・安孫子倫彦―

明治八年、最初の屯田兵たちが北海道の地を踏んだ。 青森県より旧会津藩士四十九戸、宮城県より仙台士族九十三戸、山形県より庄内士族八戸、その他松前士族等々、合計百九十八戸に及ぶ人間集団が青森港から小樽の港に渡ったのである。 その中に、安孫子倫彦…

北海道のユニコーン ―幕末幻想怪奇譚―

試される大地だけではないか、わが日本国で、一角獣が棲息するとまことしやかに語り継がれてきた土地は――。 文献上に確認できる。 萬延元年、西暦にして1860年、函館から江戸へと飛んだ一通の書。栗本鋤雲が旧知に宛てて書き送った手紙の中に、該当する部位…

男にとっての最大鬼門

フレデリック・ショパンは恋人を捨てた。 「捨てた」としか表現しようのないほどに、それは唐突かつ一方的な別れであった。 (Wikipediaより、フレデリック・ショパン) 原因は、益体もない。 あるささやかな集まりで、自分に先んじ他の男に椅子を勧めた。 …

ドイツの地金 ―敗れても―

一九一九年、敗戦直後のドイツに於いて、二人の男が自伝を世に著した。 一人はアルフレート・フォン・ティルピッツ。 もう一人はパウル・フォン・ヒンデンブルク。 どちらも名うての軍人であり、多分の英雄的側面をもつ。 ティルピッツに関しては、以前の記…

紳士たちの戦争見物

日清戦争の期間中、現地に展開した皇軍をもっとも困惑させたのは、清国兵にあらずして、イギリスの挙動こそだった。 そういう記事が『時事新報』に載っている。明治二十八年三月二十四日の上だ。曰く、「我軍が敵地を占領するの場合に、彼(イギリス)の軍艦…

酪農王国への歩み

北海道へ行くと、停車場でも旅館でも、あらゆる施設が隙あらば牛乳を飲ませようとする――。 毎日新聞に籍を置く、とある記者の弁である。 昭和三年、取材旅行を総括して、だ。 (旭川近郊、平手牧場) 試される大地に酪農王国を築き上げんと、たゆまぬ努力、…