穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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呑んで、天地を


 ほんの十秒視線を切った、もうそれだけで姿が見えなくなっている。


 子供とは危なっかしさの塊だ。斯くいう筆者わたし自身とて、幼少期にはまた随分と親に迷惑を掛けている。迷子になったり突飛なことを口走ったり、危うく保護者の心臓が停止とまりかねない沙汰事をやらかしまくったものらしい。


 誤飲・誤食も、当然そこに含まれる。

 

 

(飛騨高山レトロミュージアムにて撮影)

 


 幼児の心理は得体が知れない。彼らはなんでも、とりあえず口に入れたがる。色がキレイだったとか、形が面白かったとか、およそ理由とも呼べないような他愛もない理由で、だ。


 ──1926年、アメリカ独立150周年を記念してフィラデルフィア開催ひらかれた万国博覧会にては、そうした子供の誤飲・誤食したブツをわんさか蒐集あつめて展覧する試みが行われていたらしい。


 ご丁寧に摘出手術の記録だの、レントゲン写真だのまで添えて。当時洋行中だった、一高教授・石川光春理学士がその情景を目撃し、旅行記につけてくれている。


「貨幣や釦、ピンの色々、指輪、髪の毛のかたまり、大小の果物の種子やら小形の玩具、中には小さなセルロイドのキューピットやら、甚だしきは五分位の軍艦の玩具で、よくも斯んなものを嚥下したと思はれる位。…(中略)…こんな子供が成人すると天下を丸呑にしたり、書物を鵜呑にする。又人をも呑んでかゝり、甚だしきは家や地面まで飲んで了ふに違い無い云々と、その筆遣いは軽やかで、日本人にともすれば不足しがちなユーモアを多量に有したものだった。

 

 

Sesqui-Centennial Grounds

Wikipediaより、フィラデルフィア万国博覧会

 


 引用元の詳細を敢えて書かせてもらうなら、昭和三年発行の、『へゝのゝもへじ』からである。


 林安繁『屑籠』同様、古本まつりの収穫物だ。


 お値段ポッキリ八百円と、値段まで不思議に一致した。

 

 

 


 なんの意味もない符号だが、それでも妙な嬉しさが沛然として胸に湧く。心というのはまったくわけがわからない。この不可解は、未だ私の中に居残る幼児性の証明だろうか。感性が若いと換言すれば、まだしも見栄えは良かろうが、さて。

 

 

 

 

 


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