穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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明治の理想 ―日露戦争うらばなし―


 一九〇四年秋、遼陽会戦すぎしあと。


 主戦場たる満洲から遠ざかり、ロシア本土へ向かわんとする病院列車で、このような会話が交わされた。


「あんたは日本人を何人殺した?」
「三人だ」


 質問者は軍医であり、答えたのはコサック騎兵の一員である。


 雑談は更にこう続く。


「どうだ、そのときの心境は。やっぱり草でも刈るような、なんでもない作業だったか」


 大仰な最強伝説が軍医の脳にもあったのだろう。コサック騎兵は天下無双、馬蹄の響きが鳴るところ、敵はひとたまりもなく竦みあがって半分みずから首を差し出す。そういう死神の化身であると。

 

 

長谷川哲也『ナポレオン ~覇道進撃~』より)

 


「死神」は二三度目をまたたかせ、


「いい気分はしなかったよ、直前・・まではね。正直胸がむかついた。しかし最初のひとりを突き刺して、そいつが馬から真っ逆さまに落ちるのを見届けたとき――俺の中で何かが変わった。神園に遊んでいるような、いい気分になったんだ。とても元気づいて、そのまま一ダースも敵を殺してやりたくなった


 戦場心理の把握上、貴重な意見といっていい。


「どうだ」


 勢い込んで軍医は訊いた。


「もしその傷が癒ったら、やっぱりあんたはもう一度、戦線に立つのを希望するか」


 こういう質問が出るあたり、コサックの負傷は負傷といっても四肢を欠損するような、そういう「廃兵」まっしぐらな重篤なものにあらずして、せいぜい貫通銃創程度の、再起可能な代物だったに違いない。


「否」


 ちぎり捨てるように騎兵は言った。


「俺の任務は終わった。今は故郷で、愛児を養うことばかりを考えている」


 それきり彼は視線を切って、二度と合わせはしなかった。

 

 

Battlefields in the Russo Japanese War

Wikipediaより、日露戦争、戦場俯瞰図)

 


 鑑みて、当時の日本軍というのは、やはり狂っていたのであろう。兵卒・将校のべつなく、野戦病院送りに遭った誰も彼もが前線への「返り咲き」を切望し、一日、一刻、一秒でも速やかに傷よ癒れと祈念していた。こういう集団は、世界史上にも珍しい。

 

 なればこそフランシス・マカラーは、

 


「彼等は、彼等の全生涯を犠牲にしてある一種の『理想』に耽って居るのである。理想とは何か? 曰く――『大日本帝国の光栄』! これ即ち彼等の理想である。
 この所謂理想なるものを、哲学的の理論上から考察するならば、左程深遠な、高尚な理想で無いかも知れない。けれども何等の理想も持たずにごろごろして居る当世の聵々かいかい者流に比べれば、その勝ってること萬段である。苟も一事を遂行する為には、生命を犠牲にするも厭わないという偉大なる理想は、健実なる理想の衰微した今日にとって、まさに一大特権でなければならぬ」

 


 光彩陸離たる、虹のような讃辞を呈して悔いなかったわけだろう。


 まったく明治の日本には、精神があった、魂があった。物質的には貧しくとても、心は意気に燃えていた。

 

 

 


 このことは福澤諭吉も認めていて、

 


 ――嘉永癸丑米艦渡来して日本は開国の国となり、漸く西洋の文物を輸入して社会の面目を改めたるもの少なからず。就中政法教育の如きは殆んど改良の頂上に達して今日の新日本を出現したりと雖も、如何せん四十年の開国は唯是れ精神上の開国にして、実業社会は依然たる鎖国の蟄居主義に安んずるもの多し。

 


 と、『実業論』冒頭はじめにて、簡潔に述べたものである。


 そういう民族、そういう国家が、一世紀を経た時分にはまるで真逆の傾向を――「物質的には豊かでも、精神的には空っぽである」と謗られるに至るのだから、不思議といえばこれほど不思議なこともない。


 運命神は、とことん皮肉がお好みだ。

 

 

 

 

 


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