夢を見た。
清掃作業の夢である。
最初は確か、スケルトンの処理だった。
骨の怪物、生者を狙う死霊の一種、バラバラになったその残骸を拾い集めて、作業台の上に載せ、槌を思い切り振り下ろす。どんなに優れた考古学者でも復元不能な、粉末状に成り果てるまでその作業を繰り返す。
十二分に
次いで部屋の床に延々と、モップがけする場面に変わる。
部屋といっても自室ではない。
もっと、遥かに広々とした、結婚式でも開けそうな会場だ。
当然そんな規模の大きな床面積を私独りでピカピカにするなど無理がある。
ほかの作業員も何人かいた。
が、どいつもこいつも給料泥棒上等といったろくでなしばかりで、進捗ときたら目も当てられない。
馬鹿声を上げて談笑したり、テーブルの上に寝そべって腹太鼓を鳴らしたり――やりたい放題の風情であった。
福澤諭吉が描写した資本家と労働者との関係に、以下の如き条がある。
…一方に於ては職工を督責鞭撻して飽くまでも労働せしめながら、成るべく賃金を少なくして利益の多からんことを目的とする其反対に、一方の所望は監督者の目を
辛辣だが、よく真相を衝いている。
少なくとも私の人生経験に照らす限りは、納得以外起こらない。
そうだ、そうそう、その通り、人間なんて監視の目がなかったら、いくらでもサボるし不正をはたらく生き物だ――と勢い込んで頷いたのが、あるいは夢に反映されたか。
(豪州のコンビーフ製造工場)
既に幾度も繰り返し記述してきたところであるが、こういう微塵も歯に衣着せず、一直線に無遠慮に、本質めがけて切り込んでゆく福澤諭吉の筆鋒が、私は好きでたまらないのだ。
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