穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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続・外から視た日本人 ―『モンタヌス日本誌』私的撰集―


 ジャン・クラッセ日本に関する大著を編んだ。


 しかしながら彼自身は、生涯日本の土を踏んだことはなかったらしい。


 かつて布教に訪れたスペイン・ポルトガル両国の宣教師たち、彼らの残した膨大な年報・日誌・紀行文等を材料に、『日本西教史』を完成させた。


 似たような成立過程をたどった書物に『モンタヌス日本誌』が存在してる。

 

 

Montanus - Gedenkwaerdige Gesantschappen - title page

Wikipediaより、モンタヌス日本誌)

 


 一六六九年、刊行されたこの本も、やはり編者自身は訪日経験を有さない。


 両書の記述は往々にして酷似する。たとえば日本民族名誉に関する条項だ。

 


 日本人一般の気質として、名誉を重んじ、他より卑しめさげすめらるゝは、最も嫌忌・憤慨する処で、こは外国人の比すべき処ではない。畢竟するに、これ名誉・面目に束縛さるゝので、事々物々、すべてこれが為に動作し、その極、名誉の奴隷となる様である。

 


『日本西教史』がこう書けば、『モンタヌス日本誌』も

 


 彼等はその面目の点、または正直の点に関しては、苟も疑はるゝことには堪へ得ず。また自家の恥辱となり、非難さるゝことに至りては、一刻も忍ぶ能はず。万一、誤って嫌疑を被らば、既に罪人の如く感ず。故に卑賎の者でも、互に相逢へば、双方敬意を表して、悪感に触るゝなきに努め、不在に乗じて、他人を罵り、または侮辱的に他者の非を語ることなし。

 


 このように説く。


 外国人らの網膜に何がことさら印象的であったのか、自ずと察せるというものだ。どいつもこいつも、「侮辱する」という行為に対して平気で命を懸けてくる、死の報いを与えることさえ厭わない。いったい何処のマフィアパッショーネだと突っ込みたくなるようなのが、近世期の日本人の気質であった。


 なにせ日稼労働者を雇入れんとする時すらも、相当の敬意を表せざれば、彼等は、その申込を拒絶する事ありと『モンタヌス日本誌』は述べている。

 

 

頼山陽旧家)

 


 せっかくなのでもう二・三点、本書に於いて特に趣深い部分を抜き書かせてもらうとしよう。


 まずは宗教関連だ。

 


 日本のカミは、既に多いが、更らにその数が増加する。即ち或る王が、国家のために偉業を為し、または英雄的動作で、国民の尊敬と追慕とを得れば、その死後は、これがカミに祭り込まれ礼拝されるからである。これはギリシャ・ローマ人がその英雄に対して為したと、全く同一である。

 


 東照大権現豊国大明神なるほどなるほど。


 八百万やおよろずの懐深さをよく把握しているではないか。


 神道には一定の理解を示すアルノルドゥス・モンタヌスだが、これが仏教の話になるとたちまち様子が一変し、

 


 日本人の宗教は、誠に忌むべき迷信的偶像教で、それによりて、日本人を諸種の悪徳に堕落せしめたのみならず、残虐・惨酷・流血を喜ばしむるに至った。そしてこれを斯くまで勧説したものは僧侶である。彼等僧侶間には、幾多の宗派を異にすれど、霊魂不滅に至っては相一致せり。或はこれを寺院で公衆に説教し、或は貴族・王族の礼拝堂で、稍々高尚に神的教義を吹き込む。但し彼等は、上流社会に対しては、来世罪人の苦罰を語らずに、ただ普通民衆に対してのみ、常に地獄の苦痛、永久の処罰を説教する。

 

 

 諸悪の根源視も辞さず、およそ語彙の限りを盡して腐敗堕落の非を鳴らし、許されるなら手ずから槌を振り上げて、日本に蔓延る坊主頭を一つ残らず叩き潰してやりたいと言わんばかりの気勢を示す。


 素材が多く宣教師に由来するのを勘案すれば、この態度も不思議ではない。


 商売敵だ、そう易々と褒める気にはなれまいさ。


 異教徒を悪魔と同一視して憚らぬ、キリスト教お家芸もあったろう。らしい・・・為様しざまともいえる。

 

 

(小室山妙法寺にて撮影)

 


 日本には外面菩薩、内面夜叉の人物が多い。その容貌、誠に恭敬、真実の態なれど、胸中には更に万斛の禍心を蓄ふるのである。即ち無慙、非道の復讐を企てつゝも、尚その対者あいてには、微笑し、交歓し、能く慈愛・敬礼を捧げて、何等の悪心を包蔵せざるが如し、しかも手を翻へして人の頸を扼し、胸を刺す。これ日本人の一茶飯事である。心胸を語り、肝胆相照らすが如く見ゆるも、肚裏に剣を含む。

 


 本音と建前、本当によくわかっているじゃあないか。


 この使い分けこそ日本人の伝統的な美徳であろう。貌を一つしか持たぬ不自由さこそ憐れむべけれ。宛然英国紳士の如く、必要に応じていくらでも「本当の自分」を増やし使い分けられてこそ、大丈夫として世に立てた。油断大敵の四文字が、生き生きとしていた時代であった。

 

 

 

 

 


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