驚いた。
川崎に、押しも押されぬ首都圏に、人口百四十五万の都市に、
まさかこんな和やかな、藁ぶき屋根の家並みがあるとは。
意外千万そのものである。
ここは日本民家園、生田緑地の一角を占める「古民家の野外博物館」。北は奥州・岩手から南は鹿児島・沖永良部島に至るまで、日本各所の旧き家屋を蒐集・展示している施設。
ほとんどの家屋が立ち入り可能で、
その構造の逐一を内よりとっくり見確かめられる。
筵の敷かれた囲炉裏端。飢饉のときにはこいつを刻んで煮て喰うわけだ。汗やら何やら、色んなモノが、多年に亘って滲み込みまくっているゆえに、味付けには困らない。
この農具は、『天穂のサクナヒメ』で見覚えがある。
籾摺りの効率を大幅に
玄米がたちまち白米に!
南部地方に特徴的なL字型民家。
厩にはちゃんと馬の模型が。
ついでにこれが戦前昭和、南部地方に於ける馬市。
すごい賑々しさである。
毎年九月に開催される二歳駒の競り市こそ見ものであって、奥州中からざっと二万頭が集ったそうだ。
「名馬のふるさと」を自称するのも、蓋し適当。
園内の広さは相当なもの。高低差もある。隈なく巡れば、けっこうな運動になるだろう。
もちろん私はしっかり歩き、丹念に観た。入場料五百円を納めた以上、味わい尽くさない限り損した気になるからだ。
水車小屋まで展示されてる。
左上に見える樋から水を引き込んでいるのであろう。
これは至近距離から撮ったもの。
小屋の中では歯車が一定のリズムで駆動していた。
その響き、厳かにしてなかなか耳に心地よい。
民家ばかりではない。
「古い部落に通ふ沿道とか、入口とかには、大抵、裸地蔵や庚申塚が立ち並んでゐる。
自然に依存してゐる百姓達には、農業そのものが一つの投機のやうなものである。春に種を撒いてから秋の収穫まで、一切自然の手に任せ、それに随はなければならない彼等にとって、豊作も凶作もすべて天意である。
そこで彼等の先人は、その願望を容れ、不安を満たしてくれる神々を創造し崇めたのであらう」――相場信太郎が斯く説いた、「半ば埋れた神々」もまた、そこかしこに見出せた。
ことのほか天候に恵まれたゆえ、枡形山にも寄ってみる。
標高84m、なんなら
地層の露出や繁茂するキノコにいたく心癒された。
山頂には展望台が。
エレベーターの備えもあるが、ここは敢えて階段で。「自分の脚」にこだわってみる。
この眺めはどうだろう。
本当に大気が澄んでいる。
雲一つない、突き抜けるような蒼空だ。
富士の影すら薄っすら見える。
繰り言になるが、川崎にこんな場所があるとは。まさに都会の通風筒に這入り込んだ気分であった。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
この記事がお気に召しましたなら、どうか応援クリックを。
↓ ↓ ↓